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生前悪いことばかりしてきて、死後は地獄に行きそうだと思われる場合。
そんな時は、死をむかえたなら、浮遊霊にでもなってこの世に留まっていれば、
地獄行きは免れることにならないでしょうか?
その辺の事情に詳しい方がいましたら教えて下さい。

[霊魂・地獄等が存在するという考えの方のみ回答をお願いします]

A 回答 (12件中1~10件)

 


>そんな時は、死をむかえたなら、浮遊霊にでもなってこの世に留まっていれば、
>地獄行きは免れることにならないでしょうか?


死んで、死後の世界などに行って、また生まれ変わって来たという「記憶」がないので、個人として確かだとは言えませんが、「浮遊霊」というような状態はないのではないかと思えます。仮にあるとすると、その状態が、「地獄」に行っている状態と同等の状態だと思えます。

死後の世界は、正確には分かりませんが、色々な記録や考えからすると、肉体のない状態です。感覚が鮮明になって、肉体があるかのような感じであるという報告もあります(これは、霊媒を通じて、死者が送ってきたとされるメッセージのなかでそういう話があるのです)。

想念=イメージの世界が死後の世界だと考えられます。従って、「地獄」とは、想念において恐ろしいイメージのなかに落下するということです。その人の魂が、どういうことを行ったか、魂・霊が,どの程度に自己を発達させているかによって、想念の見るものが違って来ます。

人を殺すとか、悪とされることを成した人は、その人の心や魂の自己判断で、恐るべき世界や経験のイメージ世界へと入って行きます。これが地獄と呼ばれるものだと考えられます。心や魂の底には、霊があり、霊は、宇宙霊とも言える、宇宙全体に遍在する霊的秩序とつながっているとも言え、自分の心は宇宙霊ともつながっているので、宇宙霊が、罰を与えたのだとも解釈できますが、その人の魂のありようが、地獄を決めるのだとも言えます。

死後,地獄に落ちるのを回避するには、生きているあいだに、少しでも、魂を反省させることです。この世では、色々なことが自分の思い通りになっても、死後の世界ではそうではなく、圧倒的な宇宙の霊的構造のなかでは、自分は無力だと痛感し、キリストでも仏陀でも、観音様でも、天照大神でも何でもよいですから、一般に「善」とされる、超越的な救済の象徴に「救いを祈る」ことです。

どうせ地獄に落ちるのだ、というような考えではなく、地獄でも地蔵菩薩は救いに現れるそうですから、救いの神や仏や菩薩に願い、また自分自身でも、人生を振り返って、悪しきことについては、それを認め、神や仏陀や世の人々に対し、告白し、許しを乞うことです。こうして、魂を少しでも反省の状態にし、浄化の可能性の種子を死の前の魂・霊に残すことで、「救済の可能性の希望」にかけて、神や仏陀や菩薩に、運命をまかせて、死後の許しを願いつつ死ぬことが、残された方法です。

浮遊霊になることなど考えていては、地獄に落ちるということになります。人は、死後の生を自由にはできないのです。キリストがそうであるように、自己を限りなく低くし、救済を超越者に委ねることが、方法でしょう。
 
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2002/08/30 01:42

 地獄とは、幽界のある階層に確かに存在し、普通の人はもう少し上の方(?)に行くことができますが、地獄にいる人はそこに登ろうとすると、光が強すぎて苦しみ、それ以上進めなくなってしまいます。

地獄は非常に条件の悪いところなのですが、彼等にとっては、そこのほうがまだ楽なのです。
 普通の人が、もっと上の天界に登ろうとするときにも同様の苦しみを覚えます。人それぞれの進化のレベルにしたがって、住めるところが違ってくるのです。死刑囚はしばらくは地獄に留まる事になりますが、他の人よりは早く上に上れるかもしれません。魂の進化は悔悟した時点から始まるだけです。過去のカルマがそれで落ちる訳ではありません。釈迦の悟りは悔悟とは全く別次元の問題です。

 なお、あなた自身が地獄に落ちないために、一人一人にお礼を書くことをお勧めします。誠意と良心は魂を耀かせ、怠惰と利己心は魂を腐乱させます。(^^;
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>死を目前にした死刑囚が、悟りの境地になってしまう、なんてことが過去にあったようですが。


悪いことばかりした人が、牢獄でお釈迦様と同等の悟りを開けるとは常識では考えにくいですね。
地獄に行かれる可能性が高いと思われますが、それでも救いの道はあります。
やはり、生前の正しい行いが重要と考えます。
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この回答へのお礼

有難うございました。

>悪いことばかりした人が、牢獄でお釈迦様と同等の悟りを開けるとは常識では考えにくいですね。

ただ、釈迦は、犯罪者は悟りを開けないとは言ってないと思いますし、死刑囚が本気で己の罪を悔やみ深い謝罪の念を持ったとしたら、死を目前としたある種の極限状態で、悟りの境地に至るということは、私には現実味があると思えます。
もし、悟りの境地に至ったのであるなら、それは、魂としての最終ステージに到達したことだと思いますから、当然、地獄などに落ちるはずがないと思います。

>釈迦の悟りは悔悟とは全く別次元の問題です。

私は悔悟ではなく本当の悟りという意味で、死刑囚がそれに到達することは十分可能であると思っています。ただただ闇雲に忙殺されているだけのビジネスマンなどよりは、じっくり己を振り返れる境遇でもありますし、死刑囚というだけで「悟りなどありえない」という考えの人がもしいたとしたら、私には、ある種の差別意識を感じてしまうくらいです。釈迦もイエスもそんな差別的なことは一言も言ってなく、誰でも、己の境地に至ることが可能だと言っていたと思います。
現に、ある刑務官の話ですが、とある死刑囚が死刑執行を目前にして、言動がそれまでとは一変して、神々しさまで感じるようになって、刑を執行することが恐れ多くなってしまった、という話を聞いたことがあります。

お礼日時:2002/08/30 01:39

当たり前のことを当たり前に行うことが地獄に行かない最良の策だと思われます。


つまり、「努力」「反省」「感謝」という人間本来の行動をとることです。
しかし、私自身、言うのは簡単ですが、行うのは非常に難しいと痛感しております。
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この回答へのお礼

No1. ~ No10 まで、回答を下さった方、有難うございました。
大変参考になりました。
ただ、ちょっと新たに疑問に感じたことがありまして、
どういうことかといいますと――
死を目前にした死刑囚が、悟りの境地になってしまう、なんてことが過去にあったようですが。
こんなケースでは、お釈迦様と同じような精神状態になっているのだから、死刑執行後にさすがに地獄に行くことはないと思うのですが、どうでしょうか?

お礼日時:2002/08/29 20:04

とりあえず、天国行きか地獄行きかは閻魔様が決めるということになっておりますので、本人の希望が浮遊霊であっても思い通りになるかどうかはわかりません。



あくまで判定基準は閻魔様であり、「こういうことをしたらマイナス100ポイント」とか「この場合は、プラス50」、「リーチ」とか「ボーナスチャンス」、「一発逆転コーナー」なんてのは、あるのかないのかさえはっきりせず、先人の言い伝えを頼りに推し量るしかありません。

だからといって、人生ラス前でふと気が付いたら「ゲ、もうポイントないじゃん!」なんてことになったらイヤなんで、なるべく悪行はしないようにして気をつけるほうがよさそうです。

先の方が出されたカンダタ氏の例でも、トータルでは明らかにハコテンマイナ-状態なはずなのに「逆転チャンスコーナー」があったわけですから、ホントに心証をよくする行動とアピールが決めてなんでしょう。

推定ですが、閻魔様とて機嫌の悪いときや家庭や職場の人間関係で面白くないことがあったりするでしょうから(かなりストレスの多そうな職場だし・・・・・)、わるいときにあたった日にゃ目も当てられません。とてもデータに基づいた評価などは、望めそうにありません。

>浮遊霊にでもなって
う~ん、どうでしょう。
すんごく借金しちゃって、カードもローンも限界、サラ金取り立てきつそうだし、「とりあえず自己破産でリセットしとくか・・」のような不実な姿勢を感じられますので、そこらへんを閻魔様に悟られたら、心証悪くしてしまい、浮遊霊希望という申請は却下されると思います。

まして、上に書いたようにわりときまぐれな判定なのですから、「東京本社か、神奈川支社なら通勤楽だし、とりあえず首都圏希望しておこう」と希望しても、人事で「こいつ、なにを思いあがっとんじゃ」と、八戸出張所とか、稚内事務所に配属にされたりするように、下手な希望は逆効果というのもあるかも・・・

結局、
>死後に地獄に行かないようにするには
日々の行いを誠実に善行を重ねるよう暮らしてゆく、それでだめなら地獄行きも甘んじて受ける。ということになるのでしょうねぇ。

#この質問を読んで、浮遊霊希望者とか自爆霊や、背後霊希望者が増えると、それはそれで忌忌しき事態ではないかと思います。
#まぁ、私には実害ないんでいいけど・・
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2002/08/30 01:45

私も、ranxさんがご紹介された「蜘蛛の糸」の影響なんですが、


弱いものいじめはせず、虫は大切に・・。
一応私も、家の中で小さい虫などを見つけたら、潰したりせず、
いつも外に逃がしています(^^;

地獄行きになったら、浮遊霊になって留まる事はできないん
じゃないかと思います。
下界からお呼びがきているので、この世に長居する事は・・。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2002/08/30 01:45

こんにちは。



宗派によって異なるとは思いますが………。
皆さん、天国と地獄の2つにしか分類していないと思います。
死後の世界は5つあるらしいですよ?
#天国
#人間
#鬼畜
#餓鬼
#地獄
まぁ、上記は人間の心の中であると解釈するのも1つカナ?
こうなると、ほとんどの人が、人間である事も難しいと思います。
先の回答でもありましたが、「蜘蛛の糸」のように人間のような
慈悲の心があれば、地獄は免れると思います。

一応、聞いた話まで。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2002/08/30 01:44

お釈迦様(だったと思う)は、生前悪行を重ねながら、ただ一度アリの生命を


救ったカンダタ(だったかな)を地獄から救おうと思われたそうです。結局は
カンダタ自身が、自分だけが救われようとしたために失敗しましたが。
ですので、一度アリか何かの生命を助け、誰かが救おうとしてくれた時は
決して我欲など出さなければうまくいくのかも知れません。
(ここら辺の経緯をご存知ない場合は。芥川龍之介「蜘蛛の糸」をお読み下さい。)
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2002/08/30 01:44

>ひょっとして我々はみんな経験者では?ねえ!nozomi500 さん!


これは「地獄」の経験者、ということでしょうね。
借金地獄とか○○地獄、ってのは、あちこちにありますからね。

「浮遊霊」の経験はないんだけど・・・。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2002/08/30 01:43

 普通に浮遊霊と呼ばれるものや、交霊会で呼び出されるものの殆どは、低次アストラル界に残った残像あるいは人工エレメンタルで実際の死者は既に別の次元にいます。

したがって、地獄行きを免れることはできません。なお、地獄とは人が想像する物とはかなり違っているようですが、スウェーデンボルグによれば、似たようなものがあるそうです。(^^;


 臨死体験を持った人は一応の経験者でしょうが、自信ありはともかく、ひょっとして我々はみんな経験者では?ねえ!nozomi500 さん!
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