プロが教えるわが家の防犯対策術!

昔の日本人の文章を見ると、いかに志が高く高潔であったかに、日本人である自分自身が驚いていたりします。
勿論、昔の日本を全賛美する訳ではなく、そうでない人間も多々見られますが、
現代の日本に置いてはそうした人間が少なくなってきているのかな、
という印象を拭い切れません。
現在の日本人にはある程度その精神を残しつつも、戦前のそうした気概が徐々に衰退しつつあると考えているのですが、
今後、日本に戦前の高潔な精神を取り戻すのにはどうすれば良いか、漠然とした不安のみが残るのみで具体的な回答を得るまでには至っておりません。

皆様のお考えで良い意見等ありましたら、是非お聞かせ頂きたく。

尚、質問のカテゴリーを
「学問/心理学」「学問/歴史」「社会/社会問題」「社会/行政」
にもしようかと思っておりましたが、
最終的にこのカテゴリーに質問を投下させて頂く事にしました。

尚余談ですが、この質問をしたのは、下記サイトに記載してある戦後マッカーサーによる日本の統治政策(一応フィクションのようです)の文面を見て考えさせられた為です。
http://big-hug.at.webry.info/200506/article_11.h …

A 回答 (13件中1~10件)

文明退化。



もう一回焼け野原になる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

進んでいない文明に反比例して、人は文化が洗練されるという事ですね。

お礼日時:2007/12/09 20:02

あらゆる評価の基準を“人徳”に切り替えれば可能かもしれません。


でも、これでは経済的繁栄は望めません。
誹謗・中傷、疑心暗鬼に苛まれつつ今日の贅沢を享受するか、田野に質朴に生きるかの選択にならざるを得ないでしょう。
“清貧・せいひん”は、相当の覚悟が必要です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

こちらも文明の享受を削れば高潔になる、とのお考えですね。

お礼日時:2007/12/09 20:03

経済的に豊かになって国民の誰もが教育や医療に不安を感じなくなれば他人に優しく振舞う余裕のある人間も増えます。


どこかの国のように書籍やTVやインターネットを封鎖して便利な生活が存在することを国民が知らなければ貧しくても幸せになれそうですが、いまさら遅いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私が思うに、
1.ブータンのように、金でなく国民の幸せを優先すべき。
2.衣食住足りて、その上で文化的な幸せを目指すべき。
3.その他、別の幸せの形態に日本は以降すべき。

という考え方に分類できると思うのですが、
ano.1,2の方は、上記1、IsYOUsUsさんは2ですね。

自分も別の国を参考に新たな幸せの形態に移行できないものかと
考えあぐねております。

お礼日時:2007/12/09 20:10

戦後の焼け野原から立ち上がった日本国民は、その器用さと勤勉さを生かし、すざましい復興を遂げてきました。


おかげで、現在では衣食住が足りてきております。
次は、礼節を知るために努力すべき時期に来ているのでは無いでしょうか。

そのためには、「教育の改革」が重要な要素となって来ております。
時代に応じた、現代版「教育勅語」、現代版「武士道」を復活させ、国民全体の品格を上げ、融和団結して国際社会の「平和と発展」に取り組んで行く必要があると思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私の考えに一番近いです。
このカテゴリーに投下したのは、
「どういった政策を取るのがベストか」
という意見を聞きたかったので、具体案を出して頂き大変参考になりました。
と、言うよりむしろ指針に近い案を出して頂き、感銘を受けています。
>おかげで、現在では衣食住が足りてきております。
>次は、礼節を知るために努力すべき時期に来ているのでは無いでしょうか。
全くその通りです。

ただ、教育勅語、武士道はいきなり出されても旧態依然のものであり、
どう現代版にするか、というのがネックとなるでしょう。
そもそも教える教師や、その周りの私を含む大人達全員は、
例え武士道に感銘できてもそれを教えられるような気概は最早残っていないように思われます。

また、上記サイトのフィクションを鵜呑みにすれば、
アメリカが日本が精神的に気骨ある国民性になるのを防いでいる為、
それをも場合によってはかいくぐる必要がありますね。

お礼日時:2007/12/09 20:18

>今後、日本に戦前の高潔な精神を取り戻すのにはどうすれば良いか



一言で言えば、「反省心の醸成」だと思います。

反省心を持ち、何事に対しても謙虚であることで、人としての尊厳が出てくるものと考えます。

高潔:人柄がりっぱで、利欲のために心を動かさないこと(大辞泉)

人は、本能として欲望というものを持っていますが、その欲望をコントロールし、全ての行動に対して”潔さ”を持つことで、「高潔」という状態に到達するものと考えます。

高いレベルの潔さを持つ為には、錬磨した反省心を己の中に確立していくしか方法がないと考えます。また、人は、反省という機会でのみしか成長できない、ということを現代人は真摯に認め、受け入れるべきだと思います。
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この回答へのお礼

反省心と欲望のコントロールですね。
この言葉は久々に真正面から聞きました。

政治のカテゴリーに投下したので、
将来的にどういった事を実施しなければならないかという事を
聞きたかったのですが、
精神論として私個人の参考になりました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/11 22:28

御期待どおりの回答でなくて申し訳ないのですが、私は、昔の日本人に比べて


今の日本人が高潔でないとは思えません。
確かに、昔の人の書いた文章は素晴らしいと思えるものもありますが、
それは「目立つ立場だった人が高潔だった」ということもあるかと思います。
今だって、日本を黙って影で支えている官僚や「企業戦士」と呼ばれる人々は黙々と働いていて、その人たちが戦前に劣っているとはとても思えません。
ただ、その人たちは「縁の下の力持ち」的存在なので、目立った事を書いてないだけかと思います。

この回答への補足

余談1.
官僚に素晴らしい人間が多数存在するのが確かで、それらが表に出てこないのは、彼らの意思や省庁の性質なので仕方が無いとは言え、非常に残念な限りであります。
もっとテレビや新聞等で功績を発表しても良いのではと、官庁に勤めた事のない私が素人考えで思案してしまったりするのです。

余談2.
昔の人の言葉を引用致します。
http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/jap …
から、日墨協働会社の理想を。

 「世間には、無学でも富を得て、珍味を食べて酒を飲み女性と戯れることに憧れる者がいるが、我々の理想はそんな卑しいものではない。
 各人の利益は少なくとも、人々が安泰に暮らし、完全な児童教育をなし、100年後の日本民族発展を希望するという遠大なる理想を持ち続けなければならない」

補足日時:2007/12/11 23:01
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この回答へのお礼

反論は私が求める答えの本質に近づく為の貴重な意見です。
ありがたく受け止めております。

>確かに、昔の人の書いた文章は素晴らしいと思えるものもありますが、
>それは「目立つ立場だった人が高潔だった」ということもあるかと思います。
成程、そうですね。裾野には本当に素晴らしい人間も多数います。
※著名人が高潔であったかどうかについては、私自身、質問をした後に「伊藤博文はあんなに女好きであったから、昔の人間が皆完璧か、高潔かと問うと、そうではないなあ」などと思ってしまいました。

>ただ、その人たちは「縁の下の力持ち」的存在なので、目立った事を書いてないだけかと思います。
そうですね。社会人になると真面目になるケースが多々ありますね。

企業に限れば、その素晴らしい人間の資質の比率はグンと上がるのですが、それでは世情全体を見渡して見ると、特に若い世代にその人的資質が落ちてしまうように思えてならないのです。
彼らが潜在的に人間として良いものを持っているのに対し、堕落して行く様を見ると勿体無い、と思うのです。

日本人はまだまだ腐りきっておらず、剣が峰で踏ん張ってはおりますが、こうした、戦前に比べて緩やかに退廃する世情や日本人の志について、個人のこうした懸念ではどうしようも無いかも知れないが、今からでも何らかの対策を打つべきかと思い、質問致しました。

お礼日時:2007/12/11 23:01

私もNo.6さんと似たような感じなのですが、もうちょっと言うと…


当時の中でも「高潔な文章」「高潔なもの」だけが現代まで伝えられているから、今が悪いように思えるのだと思います。

明治維新後の日本の政治状況、社会状況などを見て現在と比較をすれば、とてもではないですが、昔、高潔な人が多かった、などと言う妄言を信じることは出来ません。

過去の「選りすぐりの高潔な文章」と、現在の「普通の人々の意見」を比較したところで、意味がありません。
そのようなことで、現在を不要に卑下することこそ、最もダメなことではないでしょうか?
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この回答へのお礼

反対意見ありがとうございます。
貴重なご意見として受け止めています。

>昔、高潔な人が多かった、などと言う妄言を信じることは出来ません。
成る程、勉強になります。というより私が勉強不足でありました。
私の親父などが、「昔は今日の様な変な犯罪は無かった。特高がいたおかげだ。特高が復活すれば防げるのかもしれん。」などと過激な事を言っていたので、それに毒されたのかもしれません。

>現在を不要に卑下することこそ、最もダメなことではないでしょうか?
耳が最も痛い意見でありましたが、心の奥底にパンチを効かせて貰いました。

ただ、良くも悪くも、昔と比べて今の日本人というものは「カドが取れて丸くなった」と感じるのです。
立ちション癖のある人が巡査に捕まり、恐縮して罰金を差し出した後、さらに金を出して「あともうこれだけの分、さして下され」と言って立小便を続けた明治の頃とは違うように感じるのです。
・・・等と自分で書いておきながら、どんどん昔の人間がモラルもへったくりも無いように思えてきました。

昔のトップと今の民間人を比べるという誤りを犯してしまいましたが、それでは昔のトップと今のトップを比べるとどうか、という点において、
私の視点から見れば、信念は細く、志も低くなってしまっているのでは無いか、と思っているのです。

ともあれ、貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/12 00:19

>高潔:人柄がりっぱで、利欲のために心を動かさないこと(大辞泉)



高潔でない以下の ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 方々、浣腸、企業は

政治屋、官僚、公務員、船場吉兆、ミ-トホ-プ、鹿島建設、山田洋行
赤福、御福、ヒューザー小嶋、姉ハ、社会保険腸職員などなどなど。。
み------んな抹殺じゃ~~。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/12 00:20

日本人を向上させてきたものは、文明への憧憬です。

(国際政治的には、それは「外圧」かも知れませんが)、文明の良い所を認識し、積極的に採り入れてきました。文明の悪い所も批判してきました。要するに、「学ぶべきもの」を知っていたということでしょう。

ところが、文明がある程度相対化できるようになると、向上しようという動機すらなくなります。世代が代るたびに劣悪化していくわけです。吉兆がいい例です。こうなると悪貨が良貨を駆逐する方式通り、「皆がやっているから自分も許される」ということで、昨日の被害者と今日の加害者は同一人物という地獄図が展開しています。これが本来の日本人の姿でしょう。

「学ぶべきもの」は必要です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

重ねての質問で恐縮ですが、下記を教えて頂きたく。
1.
>文明への憧憬です。
これはどこで知られましたか? これが分かる本などあればご紹介頂きたく。

2.
>「学ぶべきもの」は必要です。
成る程、向上心こそが人間の資質を高めるのだと解しました。
という事になると、次に目指すべき、勉強すべき対象は何になるでしょうか? 
これが、この質問での本質の部分になります。

宜しくお願いいたします。

お礼日時:2007/12/12 00:24

質問者のおっしゃる高潔な日本、日本人とはどのような国か、どのような日本人なのか具体的に指していただかないと答えに窮します。

昔と言ってもいつの時代なのかはっきりしていませんね。「戦前の高潔な精神」とは取りようによっては軍国主義が高潔であったかのようにも取られます。
それはさておいて政治の世界においては聖人君子のごとく清廉潔白、一点の非の打ち所のない人物が政治にあたるべきだと言う主張なのでしょうか。そうだとしたら質問者さんがカテゴリーの選択を迷われたように、政治の分野では高潔な人間は住みにくいところで、特に外交となると化かし合いの世界です。最近のニュースによると中国との外交文書でお互いに話し合いの上調印されたはずなのに、一部が削除されていたということです。韓国は竹島を、ロシアは北方領土を掠め取ったし。中国は尖閣列島を占有しようとし、あわよくば石油をだまし取ろうとしています。そのような汚らしい世界で高潔なキリストのような人物が通用するはずがありません。それは現在の世の中では理想にすぎません。質問のカテゴリーは宗教あたりに選ぶべきでしたね。
今日本の政治で必要な人物は「気骨のある人物」です。「高潔の人」ではだめです。明治の元勲と言われた人物はすべて気骨の人でした。このような人物が、日本が植民地になることを救ったのです。
理不尽な申し出はすべてはねつける気概に満ちた行動をとることです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071211/ …

参考URL:http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071211/ …

この回答への補足

少し補足させて頂きますと、
・日本人として、そうした志が高い気概や、誠意を貫き通すには具体的に何をやるべきか? 
という主観的な事ではなく、
・そうした日本をこれから育てていくにはどうすれば良いか? 
というこれからの社会に向けての質問になります。

宜しくお願い致します。

補足日時:2007/12/12 23:13
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この回答へのお礼

>具体的に指していただかないと答えに窮します。
失礼しました。
質問した当初は、昔の人間は志が高かった、人を思いやる気概があってそれを取り戻すには、と書きたかったのですが、高潔という言葉の使用法が方向性として若干誤っていたようです。申し訳ありません。
時代としては明治から昭和中期でしょうか。
私個人の意見は、当時の首相が「偏見の多い新聞になんぞ会見したくない! 」と言ってテレビ中継のみやっていた頃までですかね。

>一点の非の打ち所のない人物が政治にあたるべきだと言う主張なのでしょうか。
そこは大丈夫です。そう思ってはいません。
お札にもなった伊藤博文などは女好きで有名で、童門冬二の「新説 伊藤博文」等を見ていると、フィクションとは分かっていながらも本当にどうしようも無いな、と思ってしまったりするのです。

あとは、外交に長けていた薩摩の西郷隆盛はその状況に応じて約束を反故にしたり言を左右に振ったりする術を見につけていましたが、実直な性格である他のお国の人間は信用しなかったそうですね。

私の言っている「高潔」とは精錬潔白の事ではなく、いかに志が高いか、誠に通ずるかを言いたかったのですが、今でも適当な言葉が浮かびません。

>今日本の政治で必要な人物は「気骨のある人物」です。
>明治の元勲と言われた人物はすべて気骨の人でした。このような人物が、日本が植民地になることを救ったのです。
>理不尽な申し出はすべてはねつける気概に満ちた行動をとることです。
全く以ってそうです。ただ、私がこのカテゴリーに投下したのは、現状を憂いるのではなく、それでは次のアクションとしてどう行動すれば良いか、どういった政策が必要なのかを知りたかった為です。

お礼日時:2007/12/12 23:06

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