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最近テレビで「おめでとうございました」というのを聞いて少し違和感を覚えたのですが、こんな言葉使いはあるのでしょうか。

A 回答 (5件)

確かに、私もよく聞きます。

そして、感覚も麻痺ひてきた感じもします^_^;・・・でもやはり違和感を感じないでもありません。

さて、いくつか同様の「おめでとうございます/ました」についての専門的な見解を書物で読んだのですが、どれだったのか・・・とりあえず、手元にあるものをご紹介しますね。

『大岡信の日本語相談』(大岡信 著/朝日文芸文庫)

という朝日新聞社から出されている文庫本(単行本も出ていますが、手元にあるのが文庫なもので・・・)に

・「おめでとう!」に過去形はない(P.201)

という、そのものズバリの項目があります。

この本は雑誌連載のため、一般読者の投書に答えるという形がとられていまして、まさに今回の、ご質問者様と同様に「おめでとうございました。」が気になる、という投書です。

これに大岡氏は
「お説の通りだと思います。」と答えています。
それほど長くはない回答ですが、全文掲載というのもどうかと思いますので、抜粋します(【 】は私の補注)と
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【めでたいという言葉の成り立ちについて触れてから】
 この場合、大事なことは、この「めでたい」が話者自身の今の気持ちの率直な表現だということです。相手の偉業や祝い事に対して、自分がたいそう喜んでいるということの意思表示だということです。これが「おめでとうございました」という言い方になるとどうなるか。理屈っぽく解釈すれば、「私自身の今の気持ちは別として、さっきのあなたのホームラン、あれは喜ばしいことでした」とでも訳すべき言い廻しになるでしょう。つまり相手を心から祝福しているのではないという感じを言外に含んでしまうのが、この言い方です。
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とした上で、次のようにまとめています。

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【「~ました」にすると気持ちとは裏腹に、言葉に冷淡さがあるとしたうえで】それはこの言い方が、妙に醒めた客観的な言い方になっているからです。相手に心理的に距離を置いているということを、言わず語らずに示している表現だとも言えるでしょう。
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で、大岡氏は英語や仏語の例を引き、ほら、やっぱり「~ました」は変でしょ、と言っています。そして、さらに

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自分の今の気持ちを投げかけるのですから、過去形など使いようがないのです。日本語の場合、「ございます」は必要な場合も多いでしょうが、「ございました」は、要するに慇懃にして無礼な言い方ということになります。
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とまで言っています。

ま、「無礼」かどうか分からないくらいによく聞きますが、識者によるとこんな話もあるよ、ということで、ご参考まで引用しました。

でも、よくいうように、言葉は生き物ですし、いわゆる言葉は多数決という側面もあります。おかしくても、みんなが使っているとそれが「正しく」なっちゃう側面があるわけで、私個人としては、この言葉をよっぽどマスコミなんかで「変だ!変だ!」と大々的に取り上げでもしない限り、市民権を得てしまうのでは?と思っています。
(ちなみに、大岡氏はこの表現が流行する背景に、現代日本がうわべばかりを重んじ、自分の率直な気持ちを表すことを怖がっているからでは?と分析しています。)
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この回答へのお礼

こんなにご丁寧にどうもありがとうございます。言葉が変化するものだということは良く分かります。「おめでとうございます」もその分岐点にさしかかっているということでしょうか。とりあえず今の時点では「おめでとうございました」を変だと感じる人が少なからずいらっしゃると思うので、僕は今までどおり「おめでとうございます」を使っていこうと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/31 01:17

 もしかすると、違和感の原因は、「ございました」の「た」を「過去」ととらえるからではないでしょうか。



 現代日本語の助動詞の「た」には「完了」の用法もあります。(先祖は古語の完了の助動詞「たり」ですから、当然といえば当然です。)

 『大辞林』には次のような説明・用例があります。(抜粋)

[2] 動作・作用が完了したことを表す。
  ・ やっと手紙を書き終えました
  ・ 飛行機は無事着陸した
  ・ 日はすっかり沈んだ
[3] 物事が実現することを表す。
  ・ 何年ぶりかで当地方にも雪が降った
  ・ 一番になった人には賞品をあげる
  ・ シャボン玉が屋根までとんだ

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …

 上記の[2]の「やっと手紙を書き終えました」の例は、もちろん数秒・数分・数時間前、あるいは数年・数十年前の出来事を話す「過去」の用法としても用いることができますが、まさに書き上げたその時(瞬間)にも用いることができます。
 もちろん、その瞬間に「やっと手紙を書き終えました」とつぶやくのは深窓のお嬢様ぐらいでしょうが、手紙を書きあげた瞬間に「(やっと)書け『た』!」と「た」を用いて叫ぶのは、我々下賤の者がよくやることです。
 
 同じく[3]も、大きくまとめれば[2]の「完了」の用法と考えることができると思います。
 「一番になった人には賞品をあげる」の例では、ゲームか何かが始まり、誰もまだ一番になっていない状態から、誰かが一番になったことが確定した時点(瞬間)に、賞品をもらえることは確実になります。(蛇の足を描いたりしなければ。)
 「シャボン玉が屋根までとんだ」の場合も、シャボン玉が屋根に到達したまさにそのときに「とんだ」と言えます。(「た」は、ガ・ナ・バ・マの各行の五段活用の動詞の連用形の撥音便に付く時は「だ」となります)

 「た」が用いられるのは、過去を表すときだけではないのです。


 そう考えると、「おめでとうございました」という言い方は、文法的にも、そのおめでたいことが完了した時点で使ってもおかしくないのではないでしょうか。

 一位でゴールに駆け込んだ選手に、その場で「おめでとうございました」というのは、そのレースで一位となり、優勝が確定し、おめでたい状態になることが完了しているわけですから、間違いと言えないと思うのです。
 特に、No.3の方がおっしゃるように、授賞式や表彰式、披露宴などの最後、個々の挨拶の締めくくりに使うには何の問題もないと思います。
 その瞬間の感激や祝福を表現するのに「おめでとうございます」と現在形で表現する方が好ましいかもしれませんが、それは用法の是非とはまた別の問題でしょう。


 「おはようございました」は、私自身そう挨拶されて、とまどった経験がありますが、これも、「おはよう」の語源が「お早く~ですね」というような場合の「お早く」だと知れば、これも(文法的にも内容的にも)おかしくないことになります。
 たとえば「(あなたは)お早くお起きになられまし『た』ね。」あるいは「お早く(ここに)いらっしゃいまし『た』ね。」ということであれば、それぞれ「起きる」「来る」という動作はすでに完了しています。
 話が少しずれますが、テレビ局などで、夜でも「おはようございます」の挨拶が交わされるというのも、「お早く(夜からの収録に)おいでですね」などと考えるならば、もっともなことだといえます。

 言葉は、日頃、聞き慣れ、使い慣れているかによって違和感を抱くかどうかが大きく異なってくるものだと思います。「千円からお預かりします」などにしても、生まれて初めてバイトに出て、こういうときにはこんな言い方をするものなのだ、と学習した人には何ら違和感のない表現だと思います。(正しい言い方かどうかは別にして。)

 逆に、「山茶花」のことを、「サザンカ」と呼び習わし始めた時代の多くの人にとって、それは「ふいんき」同様におかしな言葉であったはずです。

 私としては、「おはようございました」という言い方はあるし、「千円から」や「ふいんき」のような、目くじらを立てるような言葉ではないし、使われる場面によっては適切な言い方であると考えます。
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文脈によると思います。



授賞式や表彰式、披露宴などの最後に、司会者がしめくくりに言うことば、としてならばそんなに違和感は(私は)持ちません。

「本日はまことにおめでとうございました」(拍手で閉会、など)

あるいはそういう式の祝辞の最後でも悪くはないと思いますが。
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「本日は本当におめでとうございました」など、結婚披露宴では良く使われますね。



北海道の「おはようございました」とか、電話に出る時に「○○でした(○○=電話を取った人の名前)」とかは、違和感がありますが(笑)
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言われた方の感想として「過去の話にしてくれるな、私は今嬉しいんだ、今喜びたいのだ」と感じます。

 
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この回答へのお礼

みなさん、どうもありがとうございました。「おめでとうございました」は普通に使われるんですね。勉強になりました。

お礼日時:2007/12/30 11:26

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