No.1
- 回答日時:
「地球外生命体は絶対に存在しない」と定義する宗教がありますか?
>>宇宙人と人類が接触したら
柔軟に対応できる宗教・教派が多いと思いますよ
回答ありがとうございます。
「柔軟に対応できる宗教・教派が多いと思いますよ」
とのことですが、たとえばキリスト教のかたはイエスや聖書の言葉は真実で、それに従うと救済されると思っているわけですよね。でもその宇宙人の社会や歴史には、当然イエスや聖書の教えなんて全くないわけです。そしてその宇宙人の社会のほうが、人間のそれよりいろんな意味ではるかに進んでいるとします。それは聖書やイエスの教えは絶対的なものではないことの明白な証明ですよね。
No.2
- 回答日時:
既に、科学と宗教の矛盾はあります。
なんだかんだ言って、
人間はそれと折り合いをつけて行くと思います。
最近思ったのが、原始宗教としてのアニミズムや
日本でも仏教以前の宗教って、
宗教の中では、かなり科学と折り合いをつけやすいような。
旧約聖書が基の宗教は、神に感謝しますが、
例えば日本の『いただきます』は、
人間が食物連鎖による命の循環における
環の一点に過ぎないことを踏まえ、
他の命を頂くことに感謝すると同時に
自然に対する畏敬と感謝をするわけです。
自然の恵みに感謝し、それと調和した生き方というのは、
今後の人類の生き方に通ずるようにも思います。
No.4
- 回答日時:
う~ん、意外としぶとく生き残るんじゃないですかね。
科学革命の時期、キリスト教の真理だと思われていたことが次々と整合性を欠いてきた時期にも何とか帳尻を合わせてきましたし。
ニーチェは「神は死んだ」と断言しましたが、21世紀の今もしっかりと活動されてますしね~。
ユダヤ教なんて、なんども消滅してもおかしくない危機を乗り越えて、今なお生き残ってますし。
ギリシア・ローマの神々も、キリスト教に飲み込まれつつも、生き残ってますしね(神の座は追われてますけど、、、)
日本の八百万の神や、土着の神も残ってますし。
なんで、宇宙人に友好的であれ攻撃的にであれ征服されても、宗教は無くならないと思いますよ。
むしろ、宇宙人がキリスト教やイスラム教に改宗したりして(笑)
回答ありがとうございます。その場合宗教が残ったとしてもいまほどの影響力はなさそうですね。日本人がなんとなく正月に神社に行くくらいの意味しか残らなかったりして…。
No.5
- 回答日時:
ネットで簡単なあらすじを読みました。
結局、クーデターってことじゃないでしょうか。
人類は限られた叡智を使い、神なるものを作り上げ、崇拝の対象とした。
その人類の叡智を超える存在者が現れた時、人類が作った神というものは消えてしまわざるを得ない。
何故ならその神は人間より小さいものだから。
人間は自分を超える存在に服従したがるという特徴を持つ。
厳密には、全てじゃない。
人類が作った神を信仰しない人も大勢いるから。
ジャンだったと思いますが、宇宙船に乗ってオーバーロードの元に行かなかった人がいましたよね。
最後まで地球に留まり、地球の滅亡を見た人。
別の支配者が現れたからといって、しっぽふってついていかなかった。私が思うには、彼は誰にも服従しない者だったからだと思います。
つまり自由意志を持っていたから。
でも、自由意志を放棄した人たちは、人の上に人を作り、その人が人の下に人を作り、上の人が下の人を支配する社会を支持したわけですよね。
じゃあ 強いものにすぐ服従するわけなので、強いものが現れた時、さっさと負けた元自分達の宗教を捨て、より強い者に服従するしか無いわけです。
そうやって奴隷の身分に執着するしかなく、奴隷は奴隷で、自分の人生など無いわけです。
ですが、仏教は風が吹こうが槍が降ってこようが、動じないという感じがしますし、仏教もヒエラルキーはありますが、その作品での一部の仏教は存続しえたのは、恐らくヒエラルキーの無い仏教だったからじゃないかと思います。
つまり服従を強いない というか 人が人を支配する社会じゃない宗教だったから、上が倒されたら新しい支配者に服従という風にならなかった。
何故なら最初から上などいないから、作って服従していないから。
という解釈をすれば、ヒエラルキーのある人が人を支配する宗教は、それによりもっと強いものが登場したとき、滅びるしか無いわけです。
で、自分の信仰する宗教が絶対だと信じた人は、ちょっとショック受けるかもしれませんが、すぐ 別のより大きなものに巻かれようとするので、かつて信仰していた宗教が滅んでも、立ち直りが早いというか、さっさと宇宙船に乗ってしまえるわけです。
所詮 その程度の信仰心でしかないが、そうするしかない運命のシステムを持つ宗教だから、当然なってしまうわけです。
ジャン(だったと思いますが)は、滅びるというのも受け入れているので、仏教的な考えの人。
だから、地球を捨てなかったわけで、地球の滅亡と自分の死を受け入れ、その瞬間に立ち会うことを選んだわけです。
というのを簡単なあらすじを見て回答するのは軽率で、もっと違う意味があったのかもしれません。。。
なので あくまで参考程度と聞き流してください。
回答ありがとうございます。残った宗教は厳密には原始仏教ですね。
確かに宗教を信じなくなった大勢の人は、結局その宇宙人を新しい教祖にしたのかもしれません。ジャンが滅びを受け入れる一種の精神的仏教徒という解釈はとても面白いですね。作者もそういうことをほのめかすために仏教だけ残ったと書いたのは筋が通ります。結局世の中には自分で考える人と他人の考えに従う人の二通りしかいないということでしょうか。
ちなみにこの本は欧米ではあんまり評判が良くなかったようです。
一神教の欧米の考え方では精神的に受け入れがたいのかもしれませんね。なかなか面白い本なのでぜひお正月にでも読んでみてください。
No.6
- 回答日時:
人類の文明=A、宇宙人の文明=Bとして、「BがAより優れている」と言えるのは同じ評価枠組みでなければできず、また人類がすでにそのような枠組みを設定できる”水準”に達している、という前提が必要です。
そのような枠組みは、おそらく”理想的な文明・社会”のモデルへの接近度合(達成率?)で評価されるでしょうから、その時点で、人類はBよりもさらに「より優れている」文明・社会の姿(予見可能なユートピア)を想像できるという事になります。大雑把にいって、いずれの宗教も信仰する者に対して「より良く生きなさい」と説いているはずです。
もし、人類がどこかの宇宙人の文明・社会を「より進んだもの」と評価したとします。しかし、その「より進んだもの」という評価が、すでに人類の現今の文明・社会の枠組みによるものですから、それこそ既存の宗教が説く「より良く生きる」事の実例として取り込まれるでしょう。
結果として、宗教は宇宙人の文明と適当に折り合っていくことになると思います。
回答ありがとうございます。結局宗教をどう捉えるかによりますね。
人類がどこかの宇宙人の文明・社会を「より進んだもの」と評価したとします。しかし、その「より進んだもの」という評価が、すでに人類の現今の文明・社会の枠組みによるものですから、それこそ既存の宗教が説く「より良く生きる」事の実例として取り込まれるでしょう
その場合だと、生まれてすぐに教会で洗礼をしないといけない…というような組織的伝統的宗教の伝統的な教えの意味はほとんどなくなりそうですね。
No.7
- 回答日時:
ANo.4です。
ちょっとネットで検索して、あらすじ読んで、思い出しました。
結構前に、読んだ気がします。
あらすじ読んで似た印象をもっただけで、別の作品だったかもしれませんが、、、。
ただ、ストーリーの大枠は、やはり「キリスト教の世界観(歴史観)」で貫かれていますね。
「人類の進化の果ての滅亡と救い」
これは、ダーウィンの進化論とキリスト教の終末論ですね。
そして、「滅亡する地球から逃れるための宇宙船」
これは、最後の審判後の「救い」ですね。
※因みに「ダーウィンの進化論」も「キリスト教的世界観」の「焼き直し」ですしね。
結局、全体的には「宇宙人=神(あるいは神の御使い=天使)」であり、終末に先駆けて「ファーストコンタクトを取った=救世主を使わせた」。そして、「終末の時に宇宙船で逃れる=最後の審判で救われる」。
つまり、「キリスト教のストーリー」が色濃く反映している小説かなと。(神を宇宙人に替えたら、ほぼ同じストーリーになります。)
そして、このことが「宗教も時代に合わせて生き残る」ことの例証な気がします。
もちろん、古い記憶とネットでの簡単なストーリーで受けた印象ですし、ストーリーが陳腐だと言ってるわけではありませんが、、、。
ただ、宗教というのはあの手この手でいろいろと現実との帳尻をつけながら生き残っていくということかなと。
特に、一神教の神様はなかなかしぶといですし(笑)
回答ありがとうございます。ネタばれになりますが(本をいずれ読みたい方はこの続きは見ないほうがいいと思います)が、文中にはっきりと
宇宙人は人間に歴史上かってないほどの平和と繁栄をもたらした慈悲深い存在として描かれていますが、宇宙人の容姿はまさに悪魔の姿そのものであったとあります。
結末をいうと人類は誰も宇宙船で脱出などしません。個人としてのホモサピエンスは宇宙人との出会いの後に文字どおり宇宙人に看取られながら絶滅します。wikiの解説もはっきりと反キリスト的世界観と書いてありますよ…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BC%E5%B9%B4% …
No.8
- 回答日時:
分化同士の接触は多かれ、どうあれ、衝撃はありました。
相当あるでしょう。私も信仰者ですが、絶対者とその教えは信じていますが、自分の信仰が絶対だとはまだいえません。
でも絶対者の領域に一になれば、絶対者を景仰しながら、その領域にいるでしょう。
そして他の惑星などよりの絶対の信仰に遭遇できれば、幸いと存じます。快いがどうか知りませんが、衝撃は結構ではありませんか。
修行を積んだ禅者が、名の響く大師に面会し、ここに金の荒綱でもふん縛れない、大鯉がいる。 師はこれをどうするや。 などといった。
大師はほぅ。どこにそんな鯉がいるかな。
そんな鯉が現れてから考えるさ。と応えた。
ことばのやりとりが、ここで問題ではなく、両者が自分も知らない、現実の心底がどうだったかの問題なのだが、修行を積んだと思っていた、遍歴の禅者は、全身を冷汗でぬらした。というお話があります。
私は禅宗の勉強も、お勤めもしてはおりませんが、みなそうやって、見知らぬ、方に日日お会いしているのでしょうね。
No.10
- 回答日時:
ちょっと横からの物言いになりますが。
《自分の信じる宗教の教えが絶対に正しいと信じている》場合というのは その教えが たとえ正しいものであったとしても――その信じ込みによって―― 《絶対に正しくない》と自己証明していることだと思います。
つまり たとえ仮りにその《教え》が《絶対に正しい》ものだとしても それを《信じている》人間は どこまで行っても 時間的・経験的で相対的な存在でしかないからです。その有限の能力しか持たない存在が――信じることは自由ですが―― 《絶対だ》と言っていることは 他の人から見れば《相対》のことでしかないからです。
そのように他の人の存在と信教・良心のことが見えなくなっているのなら その宗教の教えは 絶対ではありません。(教えは 正しいが それを信じる人が悪かったのだという弁解を用意するかも知れませんが もしそう言う人であるなら その人は 他の宗教の教えが絶対だと言っている人の存在とその宗教の存在とを まづ認めなければなりません。つまり すでに 相互の教えが 相対的なものであるとなります)。
つまり 設問に沿うならば そのような宇宙人との接触によってやっと初めて 《その教えが相対化され》ただけとなります。たしかに《かなりの衝撃だと》なるのかも知れませんが。
回答ありがとうございます。宗教を信じる人は、絶対に自分の信仰が正しくほかは間違った教えだという考える傾向があるんですよね。本当に困ったものです。
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