No.9ベストアンサー
- 回答日時:
秀吉の父親は織田家の領地に属する半武士半農民の身分だあったと思われます。
戦場に動員されてその時の負傷で体が不自由になり動員対象からははずされて農民となったとおもわれます。
従って農民と考えてよいでしょう。 しかし当時の農民は兵士でもあって厳密な意味では区別はありませんでした。
このような境遇から商売の道に進んだようで早く言えば行商を行っていたとおもわれます。
この職業は各地に流浪し情報が自然に集まる所から各地の地理、人情、政情に通ずる事になった可能性があります。
秀吉個人としては職人としての経験はありませんが人脈、風習に関する情報を収集しこれを最大限に利用したのが人間を組織化する特徴を培った結果だと思います。
有名な墨俣築城は蜂須賀小六配下の人数を動員して僅かの日数で組み立て式の築城に成功したわけですし、炭薪奉行としての成功は立木の計算を正確に行う方法を考案したせいでした。
No.14
- 回答日時:
ANo.11~ANo.13を拝読すると、老子と共に尊敬している孔子(下村湖人や白川静さんの著書など)を連想してきます。
1. 父親が詳細ではない。
2. 母が巫覡の方。
3. 小さい時から苦労して、世事に長けている。
4. 要領がいい(このことは孔子がそうかは別ですが)
5. いろんな仕事に就いている。
孔子様のお母さんは、巫覡の方で、表社会では決して身分は寧ろ、低いとのことですね。
だからご自身も大きな、特殊な集団の方であったとかのことですね。
だから広範囲な人脈や特殊な知識、そして知り合いも多かったとのことですし、まぁ苦労人で、人の面倒もよく見る方とか。
私は及びも就かない大きさに尊敬だけしかない。
しかし或る人は要領や世渡りが上手で或る面では好感のもたれない、ような人とか。
何か、才知が利いて、寺社奉行でなりながら、奏者番にしてもらえなく、いじめの対象にもなった大岡忠相も連想されてきます。
この三人は人間観察にはとても面白いと存じております。
中でも秀吉は頭抜けていて、すごい調子の良い方。或る面自分を超越してまで、時にあわせて取り入り、動ける。
悟りみたいなところも感じさせる。
勿論、美学的には俗っぽさはこれも頭抜けていて。
いろいろありがとうございます。
だだはっきりしてきたのは、秀吉は
農民だけではなかったと言う事がわかりました。
この一例からも歴史の事実という固定観念で
みるだけでは、本当の真実がわからないという
教訓を得ただけでも良かったと思います。
No.13
- 回答日時:
秀吉の父親については、史実として確認できる内容がひとつもありません。
自分は天皇の落胤だ、とか日輪の子だ、とか主張した秀吉が、意図的に消したと考えるのがいいかもしれません。「木下」は奥方の母親の実家の苗字なので、父親は木下と名乗っておりませんし、天文十二年に鉄砲傷で亡くなったというのは確実にウソです。なにしろ天文十二年は、種子島に鉄砲が伝来した年ですから。
要するに、父親について何もわからない、ということで。
その他の歴史上の人物も数々の捏造がありそうですね。
歴史の事実と認識している事が
そうではないと疑ってみる必要がありそうですね。
情報が流通する時代だからこその
現象でしょうね。
ありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
秀吉の母親は 日吉大社の社家の出身であったという説があるみたいです。
信長が秀吉のことを 猿、と呼んでいたのは 顔が猿に似ていたためではなく
日吉大社の猿と関連があるのではないか、ということです
秀吉の項目をご覧ください。
http://www6.ocn.ne.jp/~hiyoshi3/history_h.htm
以下にも日吉大社との関連が書かれています。
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscover_hideyos …
以下には木下(きのした)という名前と日吉大社との関連について。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_h …
ありがとうございました。
どうやら秀吉は農民ではないみたいですね。
でも当時生き残るためにはその方がなにかと都合がよかったのでしょいうね。
出世した後もその方が尊敬されやすいから伝説化したかったのでしょいう。
No.11
- 回答日時:
補足を入れておきます。
一説では、
針の行商を行い、
その後、今川家家臣の松下加兵衛に奉公。
帰国して織田家の小者になる。
ここから3~4年後に桶狭間になります。
あくまで本人がこう書けと言ったのでしょうが。^^;
http://209.85.175.104/search?q=cache:Tr7K91bmTIo …
研究したい方はこちら方面が良いかと。
極めて強運の持ち主なのでしょうか?^○^;
この説が正しいとすれば、
計算に長け、人の面識は極めて多い。
国内の地形は良く知る。
他国との違いや人の考え方などの違いは良く知り、これに精通する。
となります。
当時の織田家家臣には前田利家や山内一豊などもいます。
No.8
- 回答日時:
戦国時代の当時は、武士と農民との境界線は有りませんでした。
普段は農民をしていて、戦争の時に武士や兵士として出陣する者も沢山いました。
足軽大将程度の場合、自分自身も平時には農業を営んでいるのが普通でした。
当時の織田家がどのようなシステムをとっていたのかは知りませんが、武田家などの場合、農業専従で税(年貢)を納める百姓と、戦時に兵となる事により税を免除されたり軽減された百姓がいました。
秀吉の家も、戦時に兵となることで、税を免除されたり軽減されていた家であった可能性は、かなり高いと思われます。
No.7
- 回答日時:
他の回答とは 異なりますが
農民でしょう
木下姓は おねの生家の姓です(もし本来の姓であれば、木下姓をもっと大事にしたはずです、しょせん借り物と思っているから簡単に捨てています、羽柴姓にはある程度愛着があったようです)
何らかの母体があれば、その存在が公式記録に残ります
それらしい記録が残っていないのは、そのような存在が無かった か 完全に抹殺したかのいずれかでしょう
質問者は、秀吉のどちらかの手が6本指であったと前田家の文書に残されている事をご存知ですか
質問にある建築物等は 何も自分で行う必要はありません ブレーンを活用できるだけの度量があるかどうかです
はっきりされていないことが多い分だけ、いろいろな仮説がまかり通ります(まかり通れる余地がある)
No.6
- 回答日時:
少なくとも農民というのは歴史の捏造だったのですね。
としか、今は考えられない。いかに気宇壮大な、お調子者であっても、一農民としては大きすぎる。朝鮮征伐とは何だったのか。
いかに小知恵がきいたからとて、彼としては決して足元にも及べない、出自の武将たちが、それほど膝を曲げるか。時機と気運、機運だけではない。愛読した偉大な小説家がずいぶんと、脚色で間に八雲を持ってきてくれてしまったようです。
古代から意外に人は交流があったが、あの秀吉のあの知見は相当其のあたりに関係している出自だと睨んでいます。山窩をかれは攻略したようだが、ずいぶん妖しいはなしですね。怪しいではなく妖しい。
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