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こんばんは!昨年、12月に父親を癌で亡くしました。
生前も、寿命が残り少ない父に対して自分が出来ることはなんだろうか?などで、こちらでもお世話になりました。

癌はサヨナラが出来る病気の死に方だと思っていました・・。事件や事故などでは突然に愛する人がこの世から居なくなってしまいます。

でも、癌の場合は闘病生活が長く死んでしまう日を考えると、とても悲しくなりますが、その日がくるまで自分が何をしてあげれるだろう・・と考えさせてくれる親との絆をもう一度考えさせてくれた気っかけにも
プラスに考えるとあったと思います。
輪廻を信じていたし、お父さんは必ず生まれ変わってるんだ!とか昨年12月死んでしまった時は前向きに考えられて、父の死も乗り越えた、つもりでいました・・・・。

でも、3月に入り最近になって急に、今までも父の事を忘れられる日はありませんでしたが、前のように父の遺影を見る事ができないのです。少しでも父のことを思い出すと涙が溢れてしまうし・・そして、凄く喪失感が突然現れてきました・・。
最近になって急にです。親を亡くすと、何ヶ月か経つとこのような気持ちになるのでしょうか?
今は、とても悲しくて悲しくて悲しくて「お父さん、会いたいよ・・・・」と泣き叫んでしまうのです。24歳で大人なのに恥ずかしいです。
同じような立場のかたいらしたらアドバイスお聞きしたいです。

A 回答 (5件)

はじめまして。

質問者様は去年12月にお父様を亡くされたのですね。

わたしも今年2月に父を癌で亡くしました。
少し私のことを、父のことを書かせてください。

去年12月半ばも過ぎた頃、父が『胃がん・肝転移』とわかり、セカンドオピニオンを聞きまわり成すすべも無い状態に絶望を感じ、「父に何が出来るだろう」といくら考えても一番して欲しいだろう『生きさせて』ということは出来ない自分・人間に無力さを恨み、吐いている父の背中をさする自分のこの手が魔法の手だったなら・・・と望み、神に乞い、父を想っては奥歯を噛みしめ涙を堪える日々でした。

質問者様と同じように、インターネットで同じような病気の人たちやそのご家族の方々に励まされては希望を持ち、医療が進んだ現代でもやはり『癌』という病気は怖いと知り、行き着いたところは父の癌によって皮肉にも私たちはその時本当の家族になっていました。

医療関係の友人たち、職場の同僚たち、近所の人々、親類の励ましで、私はもちろん父も一人ではないということを改めて知りました。
そして『人を大切に想う気持ち』はもしかしたら『命』と同じではないかとも思いました。

私は大学入学をきっかけに一人暮らしをはじめ、父たちが住む町から新幹線・電車で片道4時間かかるところに住みました。そして就職・結婚をし、父にとっては孫娘も生まれております。

父の命が長いものではないとセカンドオピニオンで知った時から、失業覚悟で休職し、ダンナも置いて父の看護を病院に泊りがけでしました。

入院して2ヶ月も父は頑張ることができませんでした。
私は今年30歳になりますが、「今まで生きてきてこんなにツライことがあるのか」と思い知りました。

私は父が亡くなった時も前向きに考えられず、その時その時でやれるべきことはやってきても後悔は絶えなく、冷たくなった父の手を子供のように泣きながらずっと握っていました。あの頃は時間の感覚さえわかっていませんでしたし、覚えていません。

そして質問者様のように、父を想う気持ちは父が亡くなった時より強くなってきています。私はまたダンナのいる元の家に戻ってきて、仕事にも復職しました。でも四十九日にまた実家に戻ったとき、改めて父が居ないことを認識し直さなければならないことが怖いです。

昨日は名古屋国際女子マラソンがありましたよね。
父が生きているとき宣伝CMで3月9日にあると知ったとき、「お父さんも多分これ見たいだろうな~。それまで頑張れるかな?頑張って欲しい!神様・・・」と思っていたことを、マラソンを見ながら思い出し、泣いていました。

30にもなる、子供もいるいい大人が日曜の昼間に父を想って泣いてるんですよ。
質問者様が恥ずかしがる必要はなく、むしろ恥ずかしいのは私!?(笑)

もっと言えば、お風呂に入っては「お父さんもお風呂に入って気持ちよくなりたかっただろうな~」(ほとんどお風呂に入れる状態ではなく、「髪の毛痒い」といつも言っていました)と泣き、ジュースを飲んでは「お父さんもガブガブ飲みたかっただろうな~」(最期の2週間は水を飲むのもやっと)と泣き、笑っては父を想い、泣いては父を想い、テレビを見ては・・・と限り無いです。
でも、年齢など関係なく、父を忘れられる日が来ることも無いと思っていますし、父のことを忘れて過ごす自分が怖くもあるのです。

夢で逢えると嬉しくなったりもしますし。

質問者様、あなたは一人ではないですよ。
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 私は死別して5年程経ちますが、乗り越えられたとは思っていません。


心が不安定になると良く夢に父が出てきます。
何故かいつも、死なずに生き延びたという形で私と穏やかに話をしたりするのです。
朝、目覚めるとそういえば居ないんだな、と何とも言えない気分になります。

恐らく、肉親の死を本当に実感するのは
思い出を辿りながら、長い月日が必要なのでは無いのでしょうか?
その長い心の旅を終えた時、父の死を迎え入れることが出来るような気がしています。

 私の場合、お葬式から数か月の間は、雑務と死の衝撃で心が麻痺していたのもあり
実感が湧きませんでしたが、誰も居ない日曜日の朝など、じわりじわりと
虚無感を感じるように成って行きました。
誰しもが経験するであろう親の死。皆はどうして平然としていられるのだろう?
こうも簡単に人は死ぬのか、という驚き。
なのにどうしてこんなに頑張って生き続けなくてはいけないのか。
自分にとって生きるとは何なのだろう?

父の死を実感する旅は、自分自身の生きる姿勢を確かめる旅でもあります。
性急に出した答えはきっと間違いです。後ろ向きな答えもきっと違います。
道半ばなのではっきりしたことは言えませんが、きっとそれは凄くしっくり来る物のはずです。

言えることは
父の死を言い訳にして何かを諦めたり、自暴自棄になるのは間違いです。
それは自分をさらに弱くし、その上、父の死を汚すでしょう。
それにあまり思い詰める必要も無いと思います。
何故なら誰もがいずれ死ぬのですから。それを虚しく思う必要もありません。
皆、同じように人間なのです。

 私は、自分の不甲斐無さから父の遺影を真正面から見据える事が出来ません。
斜から父の遺影を見ていると、早く大人になれ、と微笑んでる気がする今日この頃です。
私もがんばろっと^-^
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私も病気で父を亡くしました。

父が逝ってから
彼是もう15年経ちましたがいまだに今父がいたらなぁ
会いたいなと思うときがあります。でもそれはあの時の
喪失感や悲しみではなく懐かしい気持ちのほうがあっているのかな?
父はこの世からいなくなってしまったけど、永遠に私の父で
あることは変わりないので、事あるごとに思い出すのは
良い事と思っています。私は10年ぐらい経ってやっと
受け入れられた気がいたします。

>今は、とても悲しくて悲しくて悲しくて「お父さん、会いたいよ・・・・」と泣き叫んでしまうのです。24歳で大人なのに恥ずかしいです
恥ずかしいことなど無いですよ普通のことと思います。
悲しいとき泣きたい時は思いっきり泣いて下さい。
悲しい時泣くのは心の浄化作用になるそうです。

少し気持ちが落ち着いたらグリーフワークといって
悲しみを癒す作業があります。例えばお父様が好きだった
場所に行くとかお父様の思い出を文章に書いてみる。
好きだった映画を見るなど。。。思い出を整理する
気持ちを整理する作業です。

何時になったらお父様の死を受け入れられるか?
それは個人差があり数ヶ月、数年、数十年その人によって
違いますが時が解決してくれます。何時の日か気持ちが
落ち着かれたら家族でお父様の思い出話をしてあげてください
きっと天国のお父様も喜ぶと思います。
そしてもしあまりにも落ち込みが激しく普段の生活に支障が
出るようであればカウンセリングを受けられるといいと思います。

父の体がなくなってしまった分どこへでも行けるのですから
いつもすぐ近くで家族皆を見守っている気がいたします。
相談者様のお父様もきっとそうですよ。長文失礼いたしました。
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私も11月に父を癌で亡くしました。

貴方より一回り上の歳です。やっと最近、現実として半分受け入れられるようになりました。泣きたい時は思いっきり泣いた方がいいよ。私は凄くお父さんっ子だったので、正直、死ぬことも考えました。けど、そんな事をしても、お父さんは喜ばない。悲しむだけ・・と自分に言い聞かせてきました。後から後から悲しさが出てくるのは、私も不思議です。今だに相続の残処理などがあり、名義変更など、父の名前が出ると最近は証券会社で泣いてしまいました。どうやって、この悲しみを乗り越えられるんだろう・・と悩みました。今でも、お父さんに会いたい・・いくつになっても親は親ですし・・毎日思います。けど、今、仏様になったお父さんに安心して天国で過ごせる事を思うと、いつまでも泣いていたらお父さんは安心して辛い闘病生活を乗り越えラクになれたのに、安心できないと思い自分で思い過ごしています。私は子供が2人おります。私を育ててくれて、結婚もし、父の最愛の初孫もおります。私の宝です。子供達を頑張って育てる。そうして生きて行きます。貴方も頑張って、お父さんが安心できるようお父さんの分まで頑張って下さいね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!

お礼日時:2008/03/30 23:31

理性という「たが」が外れちゃったのかもしれませんね。



「なんで見えないの?いないの?」という「疑問」は、すごく「本能的な」ものだから、理性でカバーするのが難しいです。
今までいろいろと「経験・知性」というもので「見えないようにしてきた」ものが…ホッとしたんでしょうか、見えてきてしまったんだと思います。

でも、これは仕方がないことです。
自然な事といっても良い事です。

自分が事実を「認める」には、通らないといけない道だったという事です。

私事ではありますが、私も去年、父を無くしました。
私は44才ですし、男でもありますし、どちらかというと父には良い思いをしてこなかった経験もありますので、あなたのように泣き叫ぶ事はしないでも済んでいます。
ただ正直、なんとなく「がっかり」したような気分になることはあります。
「居るだけでも居た方が良かったんだよなぁ」
って、思うときがあるんですよね、最近。

こんな私でもそうですから、多分良い思い出がたくさんある質問者さんには辛い時間なんだろうと思います。
転生があるのかどうかはわかりませんが、少なくとも「お父さん」の思い出は存在するのですし、そう言った意味では実際に生きていないとしても「いつでも一緒」って言っても良いんじゃないですか?。

そして、これからは「自分」が「他の誰か」と一緒に歩んでいくのですから、辛い時間は「辛いまま」で良いと思いますが、それが終わったら、また歩いていきましょうよ!!。
そして、あなたも「大切な誰か」に大事な事を伝えていく存在になれる事、願っていますよ。
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この回答へのお礼

そして、あなたも「大切な誰か」に大事な事を伝えていく存在になれる事、願っていますよ。
ありがとうございます!上記のような存在になれるように頑張ります!!

お礼日時:2008/03/30 23:27

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