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その日、その者(執刀予定の者)俄かに病気のよしにて、その祖父なりといふ老屠、齢九十歳なりといへる者、代りとして出でたり。健かなる老者なりき。彼奴(かれ)は、若きより腑分は度々手にかけ、数人を解きたりと語りぬ。

たとえば九十の人から見れば七十歳でも若いと言えるように、ここで「彼奴」の思い浮かべている「若き」を、当時でも現代でも一般的に老齢と認識される年代(老齢といっても幅があるので、たとえば古希くらい)として読むことは、ことばのうえで、なにか問題・不都合はありますか。

A 回答 (4件)

九十の人から見れば七十歳の人でも若いと言えるとは思いますが、この文章では、「若きより腑分は度々手にかけ、数人を解きたり」と他の人に語っているのです。

自分のことを他人に語る場合に、「若きより」を七十(古希)とかを想定していうことはありえないと思います。

江戸時代ですから、平均寿命も短く、七十(古希)を「若い」ということはなく、三十代か、せいぜい五十前くらいであろうかと思います。
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この回答へのお礼

またしても素早い回答をいただいたようですね。ありがとうございました。もっともなご意見と思いました。

お礼日時:2008/07/05 00:18

私もその箇所についてはなんとなく気になっていました。


疑問点はおそらく質問者さんと同じだと思います。

たしかに「若きより」を、70前後のことと読み取るのは
無理があるように思います。
しかし「腑分け」は、一般的には山脇東洋により1754年に最初に
始められたとされています。
玄白が小塚原で腑分けを見たのが1771年。
山脇東洋の腑分けより17年しか経っていません。
とすると、90の老人が腑分けをしたとしても、
「70以降でないと計算が合わない」わけですよね。

このことについては、いくつかの可能性が考えられると思います。

一つは、#3さんの言うように、老屠が単にそう言っていただけということです。
「若きより」を「昔から(と言っても十数年前から)」の意味で言っていた
だけなのかもしれません。
また、90歳という年齢についても、おそらく自己申告であり、
本当だったのかわかりません。

もう一つは、玄白の記憶違いということです。
『蘭学事始』は1814年の作ですから、腑分けの見学より43年経っています。
43年前の出来事としては、きわめて鮮明な記憶ですが、
細かい点については違いがあっても不思議ではありません。
「以前から」と言っていたのを「若きより」と書いたのかもしれません。

さらにもう一つ考えられることとしては
「山脇東洋以前に腑分けがあった」ということです。
医学研究としての腑分けは山脇東洋が最初としても、それ以外に
別の目的での腑分けがあった可能性もあります。
たとえば、「漢方薬の材料を取る」目的の腑分けがあったのかもしれません。
関連する質問がありました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2923888.html
真偽については調べられませんでしたが、ありそうなことです。
そう言った目的での腑分けを、老屠が若いころより行っていたのかもしれません。
『蔵志』を読めばヒントがあるのかもしれませんが、
私はまだ読んでいませんので、詳しいことは書けません。すみません。

結局、疑問の解決にはならないと思いますが、
想像したことを書きました。
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この回答へのお礼

ご指摘の通りです。
>いくつかの可能性が考えられる
と三点ご指摘されてますが、そこもほぼ同じことを考えてました。妙に親近感を覚えます(笑)。
ただ、「ことばのうえで」と断ったように飽くまでも「国語」の問題として質問してみたので、ポイントは他の方に入れるのでご了承を。

ちなみに菊池寛と吉村昭がこの辺の事情を題材にした小説を扱っているのですが、ほぼ本書の記述を取り入れていましたよ。

お礼日時:2008/07/05 00:21

下記のサイト等を見ますと、江戸時代には人が60過ぎまで生きるケースは珍しかったようです。



「江戸時代のリタイア後人生」 - 野口悠紀雄 Online
http://www.noguchi.co.jp/archive/retire/rt030717 …

となると、いかに長寿の人と言えども60代を振り返って「私が若かった頃」と言うかは疑問です。

しかし・・・

問題は「‥と語りぬ」です。すなわちここに出てくる「若き」は、その老屠自身の言葉ですから、彼が自己の感覚における「若い」で語ったのか世間で言う「若い」で語ったのかは、本人のみが知ることです。彼は現に一桁代~90代のすべてを経験しているわけですから、第三者がある程度の確かさで語れるのは、「少なくとも成人年齢(15歳)には達していただろう」というレベルに留まると思います。

したがって結論的には、「若いって、おいくつの頃の話ですか?」と本人に尋ねて見なければ本当のところは知るべくもないわけですが、恐らくその辺の遣り取りは記されていないのではないでしょうか。
ここでは老屠に腑分けの心得があったことを語れば十分なわけで、彼の経験年数は補足的な意味しか持ちません。もしそれがこの書物の中で重要な意味を持つことならば、「若き」という曖昧な表現にはせず、本人に確かめて具体的に記述した筈です。それをしていないということは、詰まるところ筆者にとってその事自体は “どうでもいい話” だったと考えられます。
ですから、老屠の語る「若き」を、筆者は筆者なりの感覚で勝手に想像したことでしょう。それが具体的に何歳ぐらいであったかは、これもまた筆者のみ知ることです。

以上の観点から、ご質問にお答えします。
これは蘭学研究にまつわる回想録ですから、該当部分を「古希くらい」と解釈してもこの書物を読む上で特に問題や不都合はないと思います。ただし、同書中にそれを裏付ける記述がない以上、それはまったく憶測の域を出ません。
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この回答へのお礼

回答者さんは確かな人です。ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/05 00:19

若い時から手がけていた と言っているのですから


質問者の見解は 強弁過ぎます
(少なくとも 日常日本語を使用するひとの発想ではありません)
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この回答へのお礼

回答者さんは正常な人です。ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/05 00:18

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