プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は低偏差値大学ではない大学に通っている者です。
私には納得がいかないことがあります。
何故、やる気のない学生が多い低偏差値大学にも
国から補助金が出るのでしょうか?
また何故、野党やマスコミは低偏差値大学への補助金を批判しないのでしょうか?

私はああいうゴミみたいな大学生にまで補助金が出ているのかと
思うと腹が立ってきます。しかもそういう低偏差値大学に限って
無駄に豪華な設備となってます。
これは税金の無駄遣いではないでしょうか?

無能なアホ大学生の大学にまで
補助金を出すくらいなら、偏差値50未満の大学は潰して
偏差値50以上の大学に振り分けて、学費を下げた方が
社会のためになると思います。

A 回答 (19件中1~10件)

ごもっともな意見です。


私は給料付きの大学へ行ったのですが、入るのもさることながら、
中では勉強漬けの生活を送りました。(毎日8時~24時)
4年間の間に40%近くが脱落していったものです。今はやっていない
のですが、平均点制度があり、単位を一定数以上落とした場合は勿論、
単位を取れても評価点と単位の平均が最大値(全科目最高評価)の
約半分以下だと留年(その学年で取った単位を全て失う)という
厳しさでした。しかも、2回目の留年をすると懲戒免職でした。
まあ、金を貰う以上は当然とも言えるんですけどね。

実際、会社に入ってくる新入社員でも偏差値の差は歴然で、人間性は
ともかく、仕事を覚える速さや探究心などには格段の差があります。
やはり、有名校出身者の方が一枚上手です。

そこで、大学にも学生に対して一律の学力テストを受けさせ、評価に
よって補助金額を決めるような制度があって然るべきかと思います。
学生の質が低いと補助金も低くなるとあっては学校も教育に力を入れ
ざるを得ないだろうし、足を引っ張る学生はクビにするなどの処置も
とるようなると思います。

ただ、落ちこぼれる人の救済も少しは考えてあげたいですね。
脱落した4割の中にも「イイ奴なのに」というのが大勢いましたから。
    • good
    • 0

私は、単純に偏差値が低いこと(例えば50未満)を理由に国の補助金をカットという考えには (心情的にあなたがそう感じてしまう状況を理解できても)賛成はできません。

以下はその理由。

(1)何事も裾野が広くなければ、頂上は高くなりません。無駄に思えても、トップ校が高い学問的業績を積んだり、充実した教育を行うためにも大学の数が多い方が良いと思います。また国民の多くが高度な知的能力を身につけることは、国、国民、企業、地域社会等にとっても損ではない。Fランクの大学の出身であっても、大学にいかなかった人に比べると、やはり人格や教養の幅みたいなものは違います。(もちろん中卒や高卒であっても立派な人もたくさんいるし、トップ校や中堅校の出身でもだめな人はたくさんいます。ただ全体に見ると)

(2)また、学生一人あたりの国費による補助を比較すると国立大学の学生は私大生に比較して10倍以上のお金をもらっています。国立大学の学生は、10倍以上、勉強するか、社会に出てから10倍以上税金を納めるべきだとも考えられるかもしれません。そこまで勉強したり、税金を納めているでしょうか。
 またすでに旧帝国大学には補助金が傾斜的に多く配分されています。

(3)偏差値50以下は援助してもらう価値なしみたいな話ですが、同い年が100万人いて、短大、大学への進学率が50%だとすると、50万人が高等教育を受けることになります(学業の良いのが進学するとして)。このうち50万人のうち、学業的に出来のいいのから悪いのまで並べると、偏差値50というとちょうど(正確ではありませんが、イメージ的に)真ん中あたりに位置するということです。偏差値50でも同学年100万人からすると、前から四分の1程度に位置しています(かなりおおざっぱな話ですが)。国民の知的な資質向上のために、国がお金をかける対象として外れてはないと思います。

 蛇足になりますが、私はA0入試や推薦入試の人数があまりに多いところは、補助金カットにした方が、大学生の資質の向上、ひいては国民の資質向上につながると思いますね。また学費が高いので下げろというのは賛成です。
    • good
    • 3

ところで偏差値って


( 得点 - 平均点 ) ÷ 標準偏差 × 10 + 50
だと思うのですが、その人の得点がちょうど平均点の場合偏差値も50となりますが、偏差値50の大学に入れる確率は50%なんですかね?偏差値50の人はまず、偏差値50なら入れるだろうということで予備校や塾が薦めているのかと思っていました。合格した人の最低がその模擬試験では平均点だった場合にその大学の偏差値=最低点の人の偏差値(この場合50)になるのではないのでしょうか?だから、ほぼ合格ぎりぎりではあるが確率は100%ではないのでしょうか。実際には問題の向き不向きといった運の要素が入ってくるとは思うけど、ここではそれは考慮しないでしょう。
    • good
    • 1

15さんのご意見を拝見していて、偏差値に関しては同じ意見です。

私もTOEICのような絶対的なスケールを大学ではなく、学生に当てはめるしかないのかなとは思いました。
どうも世の中はゆれていたように思います。つまり、センター試験で測れない能力でも評価しようとしたが、理念のすばらしさとはうらはらに運用面でうまくいかなく、ふたたび試験で一律に評価する方向に戻るというイメージです。ゆとり教育とその後の反動みたいです。

個人的には選抜されるのも、するのも、そして教えるのもすべて人間ですから、なかなか機械の品質管理みたいにはいかないから、多少の無駄には目をつぶっても多様性を残した方が、全体によい影響を及ぼす気がします。その辺と、偏差値の相対的なところへの抵抗感と重なり、もともとの低偏差値とかアホ、ゴミに強い違和感を感じました。

センター試験が本当に勉強したのかを確認するためだとすると、やはり少子化が始まる前の受験地獄とか詰め込み教育は必要悪なのかもしれませんね。私はそういう時代ですが、本当に地獄でした。もうこりごり。でも、そのとき磨いたものが、今の私の中でかなり協力に支えているのも認めざるをえません。

個人的には、センター試験が苦手で2次試験の配分が高い大学に入ったのですが、思考力を問いまず満点など無理な2次試験の方が、マークシートのセンター試験よりは、たとえおちたとしても納得いきます。たぶん私の出た大学では、2次試験で取りたい人を取るための方法論にぶれはないのでしょう。ただ、定員割れを防ぐにはその基準も甘くなるということですね。

教育行政ってむずかしそうですね。
    • good
    • 1

偏差値は、相対的な基準です。

偏差値で底辺でもきちんとした教育をしているなら評価するべきです。私は絶対基準が必要だと思います。

そもそも、皆さん、重大な問題に気づいていません。大学全入時代に突入し、私立大学では入学者を確保のため、何でもありの状態になっています。AO入試や推薦などと称して、学力試験もせずに入学する学生が、4割を超えているようです。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200809210190.html

つまり、今の大学では偏差値すら問題にならないレベルの学生も多いということです。補助金で飴と鞭を使い分けるのも方法のひとつでしょう。しかし、それでは根本的な問題解決には至らないと思います。

まず、センター試験を大学入学者全員に、高校のカリキュラムで習った科目を全て受けさせて、本当に勉強したのか確認するべきだと思います。高校でも40点未満は赤点ですから、センター試験で1科目でも赤点を取れば、大学入学資格を与えないことにしてしまえばいいと思います。
(もちろん、社会は世界史を選択したが、やっぱり日本史で受けたいというような選択科目の変更は自由でも良いと思います。独学なり、予備校で習うようなケースも除外すべきではありません。)
これをやったら、大学や受験生だけではなく、高校の先生も震え上がるでしょう。いわゆる進学校でも、私立大学をうける学生には、数学の授業を減らして社会に振り向ける、なんて不正をやっている所もありますから。
これは効くと思いますよ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

質問の趣旨から若干それているような気もしますが、
私も現在の大学入試制度、高校教育には問題があると思います。
そのあたりの改善も必要ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/02 23:03

No13さん


単純にAssumptionの違いでしょう。

私のAssumptionは大学を減らせば、受験者も減り同じ実力でも偏差値も変わるでしょうということです。極端な例が、全国模試で偏差値60の大学とそこにぎりぎり合格する学生がいたとする。この人は全国模試で偏差値60です。で、その人が東大模試を受けると下手すりゃ偏差値は50を切ります。私が言いたいのは、全国模試で偏差値がいくらあっても母集団の下のほう(受験生と大学です)を切れば、そのうちアホかゴミ扱いされるのはどうかなと。まあ、東大模試でいえば、全国模試の偏差値60くらいで受けるなよアホ、なんてこと実際には言われないですけどね。
ということで、大学の数が減れば受ける人の数もそれなりに影響を受けるということです。No6さんの情報によれば、地方国立が自然淘汰されるようですが、受験生が多かった時代は、そこそこのステータスだったと思います。

あなたのAssuptionは、私のたとえで言えば、全国模試と同じ実力分布の学生が東大模試を受けて、東大模試でもめでたく偏差値は60になる、ということでしょう?まあ、母集団(受験者ですよ)がどう動くかわからないけど、すくなくとも、ちょこと統計やモデリングなどかじると、このような条件では同じぼデータは使えないな、と考えます。まあ、基本的にお互いのAssumptionにおいて言ってることはあっていると思います。

ちょっと先読みしすぎたかな?アホゴミ扱いされず補助金もらえるとうれしいです。
    • good
    • 0

まだ大学の偏差値を大学の相対的ポジションだと思っている


2番のような間抜けが書いている。
大学偏差値は、ある模擬テスト(受験生対象)の得点から算出される
偏差値で、X点であればその大学の合格確率が50%以上あるという
Xをその大学の偏差値とよんでいるので、大学の数は何の関係も無い

さっき教えてやったのに、まだわからん本当に駄目なやつだな。
少なくともお前に補助金は要らないと思うぞ。
    • good
    • 0

 入学するときは偏差値が低くても、卒業までの4年間みっちり鍛えてまともな技術者として卒業させていく様な大学もありますし、偏差値が高くても入学してから何も勉強させず、wikipedia丸写しのレポート&卒論で卒業させる大学もありますから、一概に「偏差値50未満の大学は潰せ」とは言えないでしょう。

(アメリカの大学生は、入学時は日本の大学生より知識量は少ないですが、卒業時はずっと知識量が多くなります。)

 その意味では、きちんと若者を鍛えてくれる大学にこそ補助金を出すべき、という言い方もできます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

確かにそうですが、やはり全体的に見て
低偏差値大学の方が学生の質が劣っているのは事実です。
これは人事の方も認めています。
低偏差値でも需要のある工学系などは残した方がいいと思いますが、
何をやっているのかわからないような学部や大学はいらないと思います。

お礼日時:2008/11/01 16:43

「電気に臭いがある」と思っているような学生が通う大学に、


国から助成金を出すのは税金の無駄遣いということですね?
よくわかります。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4157520.html

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4157520.html
    • good
    • 0

No2です。

どうも、偏差値という言葉にひっかかっていたのですが、学生の質とかそこの学校が生み出す価値に補助金がみあっているかという話でしょうか。それであれば、ある程度実績連動に賛成です。ただ、あくまで偏差値が基準ということは、学校が減れば下の方から学生も減り、今まで平均以上だった人も底の人がいなくなって平均以下、すなわち50以下になってしまうと思っていました。

まあ、ゴミとかアホとか低偏差値というのはきつい言葉だなと思いまして論点を見誤った感じです。東大京大の人が下をみくださないことを祈りたいですね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!