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昔のバブル時代に就職活動を経験した大学生
とくに東大や一橋などの大学の男子学生の元には
頼みもしないのに有名企業から資料請求が山のように届き
顔も知らないOBのリクルーターから
採用試験を受けにきてほしいという電話がきたと噂で知りました。
また、内定を受けると、高級料理屋などの飲食店で接待を受けたり
海外旅行のサービスまで付けて学生を歓待したといいますが
これらの大名のようなもてなしは実際にあったのでしょうか?

A 回答 (5件)

別に東大生でなくても国立大生クラスでも普通にありましたよ。

ただ、ご質問者は、本質を勘違いされています。
当時は、就職協定があって、ある期日からしか就職活動や、企業が募集を書けることができませんでした。
海外旅行は、その解禁日程に合わせて行われます。自身を志望する学生の説明会を海外で行い、その往復の旅費、宿泊費、研修費など一切を企業が持ちます。その代わり、他社が同時期に行っている説明会には参加させない訳ですね。
理由があってやっていることです。なお、内定は、就職協定の関係で出せる期日が決まっているので、内々定ですね。
説明会も1回ではないので、ライバル会社の説明会の日には、いろいろと理由を付けて呼び出す(高級料理屋なんてのは商社のやり口ですが、技術系には研究室の見学・開放など、いろいろとありましたが)なんてのも当たり前でした。
私は、前日の説明会で遅くまで飲まされて寝過ごし、翌日の説明会(これが国内の旅行でしたが)に間に合わなかったことがあります。

このような時期でも、もたもたしてる人は、就職浪人することになります。私の場合は、最終面接で2社ほど落とされて、院に進学しましたが。

本来の希望でない人を取り込むケース(理系の院生を証券会社などが採用したい場合などですね)は、初任給は就職協定で上限があったので、それ以外にボーナスとして12か月分とか、最初のボーナスから100万円を超えている人もいました。
院生の就職では、就職時に支度金が出るのは割と普通でしたし、院に進学したい場合、修了後の就職を担保に学費生活費全額を出す企業もありました。
院生は解禁日については就職協定に縛られないので、お金と地位で釣るしかなかったんですね。

ただし、企業が人材を求めているのは、今も変わらずで、サラリーマンの平均年収はこのバブルの時以来、下がり続けていますが、新卒の初任給は上がり続けています。今の人たちは目先のお金、昔の人たちは目先の人情に踊らされていると言うことでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
国立大クラスで普通にあったということは
マーチ、関関同立及び他の私立も同様だったのでしょうか。
たぶん就活が早期化していくのを防止する措置だとおもうのですが
どうも就職協定は悪影響というか機能してない印象を受けます。
単にニンジンをエサに学生をつなぎとめる手段と化してるというか
実績と自信のある一流企業はそんなことしなくても学生は選ぶんじゃないでしょうか。

お礼日時:2009/03/30 01:40

>> 実績と自信のある一流企業はそんなことしなくても学生は選ぶんじゃないでしょうか。



いいえ。ほんの数社以外は、業界最大手でもしていましたよ。「一流企業」の定義は、時代とともに変わるとしても、私の見聞では解禁日、内定日ともに学生に自由にさせていたのは、2社だけじゃなかったかな? そういう意味では国内では、商社、金融などには「一流会社」はないということかも。。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
たしかに一流の定義自体があいまいですよね。
いろんな意味でも日本的!?といえるのでしょうか。

お礼日時:2009/04/02 22:40

バリバリありましたね。


私は、1994年に某大学の経済学部を卒業したので、93年の春に就職活動をしておりました(超一流と言われていた大学です)。93年は、既にバブルがはじけており、90年前後の頃に比べれば、厳しい状況ではありましたが、それでも内々定を数社から取ったし、内定者拘束で、高級ホテルでの宿泊も4泊程度はしました。

90年頃に就職活動していた先輩はもっと、凄かったです。
以下は、当時の私の大学の先輩の実例です。

1)行く気も無い大阪の会社を、一日で10社位回って就活をし、それぞれから、交通費とか宿泊費の名目で5万円位をもらい、2日で50万円を稼いだ。

2)内々定を10社の一流企業から取り、それぞれの企業からの接待を卒業までの一年間でたっぷり味わった。ハワイ旅行とかもあった。「それで先輩、どこの会社に行くんですか?」と聞くと、「そうだな、4月1日の朝の気分で決めようかな。ハハハ!!」とか。

そんな時代でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
バブル崩壊後の93年でもまだ残っていたということは
いつぐらいから姿を消してしまったのか気になります。
まったくの勘ですが90年代後半ぐらいでしょうか。
行く気もないのに50万を稼ぐたくましさがすごいですw
そういうことも含めてバブルという時代だったんでしょうか。
うちの親は公務員で特に恩恵もなかったそうです。
当時のボーナスは銀行員の親戚の3分の1以下といってました。
バブル期の世相をテレビでときどき特集したりするのを見ると
銀行、証券など金融系は群を抜いて高給ですよね。
今は考えられない状況になってますが・・・。

お礼日時:2009/03/30 02:02

実際にありました。

私は理系でしたが、バブル期に社会人になりました。
理系の場合、当時は複数社の内定をもらうことはルールとして禁じられていました。ほぼ100%の人間が学校推薦をもらい、ほぼ100%合格でした。
私の友人は入社試験の面接のとき、寝坊をして2時間も遅れたにもかかわらず、合格しております。
10/1(就職協定があり、正式な内定はこの日まではだしてもらえなかった)にはホテルでパーティがありました。
文系は複数社内定(内々定)をもらうのが普通でしたので、10/1の内定式に他の会社に行かないように、クルーザーを用意したり、海外旅行もありました。
ただ、海外旅行で学生を釣らなければならないというのは新興で兵隊が欲しい会社だったような気がします。
東大や一橋大の学生はそんな会社には行ってないと思います。なのでもう少しささやかな接待しかうけていないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
2時間寝坊で遅刻しても合格とはw
どうも就職協定というのが原因で
接待に拍車がかかってしまった印象を受けるのですが
公然の秘密みたいに破られずに順守されていたのか気になります。
でも良い時代というか良い思い出になるのでしょうか。

お礼日時:2009/03/30 01:27

本当にありましたよ。


私は、某自動車メーカーに就職しましたが、車一台+ガソリンカード(会社のカードでガソリン入れ放題一年間)をもらいました。友達は、海外旅行(同伴者一名まで)とかあったし。今では、考えられない状態ですけど。あの時の日本は狂ってた…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
やはり噂は本当でしたか!
車一台って・・・スケールが破格すぎますw
今ならノルマとして自社の車を逆に購入させられてもおかしくないですよね。

お礼日時:2009/03/30 01:19

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