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http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=479598

これを見て疑問に思ったんですが、ここでは千代の富士は貴花田に負けて引退したというふうに書かれてるんですが、僕の記憶ではその翌日か翌々日かに貴闘力に負けて引退を表明したんだと思います。
別にそう答えた人が悪いというのではなく、これはマスコミがこの貴花田戦を「世代交代の一番」と報じたことで一般にも知れ渡り、それが「美談」になってるみたいなんですが、けっきょくのところ千代の富士は貴花田に負けた時点で引退を決意していたということなんでしょうか。
でも仮に千代の富士が二日目以降、貴闘力にも勝って十四連勝した場合、場所後に引退を表明するなんてことは考えられないと思うけど…

A 回答 (2件)

私も、そのように覚えています。

貴花田に敗れた後も数日土俵に上がり、貴闘力に敗れたところで完全に引退を決めたと。

どこかで聞いた覚えがあるのですが、千代の富士関は当時、「まだまだあんなものには負けん」という気持ちで、休場後の土俵に上がったのですが、敗れてしまいました。で、いつもの横綱のごとく、来場所で借りは返すつもりだったようです。

しかし、やはり世代交代は感じていたようです。引退という言葉が、この日に意識されたことは間違いないでしょう。

後は、今の自分の力がどれだけ通じているかを確認するかのように土俵に上がるのですが、負けないはずの(?)貴闘力関にまで敗れてしまったことで、はっきりと体力の限界を自覚し、引退に踏み切ったようです。
体力がまだまだであったならば、彼は間違いなく、次の場所の貴花田へのリベンジを考えていたことでしょう。

でも、見た目にも、既に当時の横綱は限界のところで相撲を取っていたように感じられましたし、彼の稽古の仕方は、苦手な相手の部屋に「出稽古」に行き、相手の弱点をつかむまで、何十日でも同じ相手と相撲を取りつづけるという、異色な方法でしたので、当時19歳、昇り調子の貴花田の部屋に毎日出稽古に行こうとする気力は、さすがに残っていなかったのではないでしょうか。

私は、そう考えています。貴花田との1番は、引退への案内。貴闘力戦での敗退が、体力の限界の証明であり、完全に決意させたものであると。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2003/03/02 02:54

こんにちわ



引退したのは貴闘力に負けた後ですが
その後のインタビューで千代の富士が答えた言葉に引退を考えた時期についてあります。
それで「美談」になったんじゃないでしょうか?

参考URL:http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/91/91s …
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2003/03/02 02:55

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