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23年生きてきた私は考えてみました。研究面で、成績の良い学生と成績が悪い学生について、
成績の良い学生⇒保守的で、伸びない

成績の悪い学生⇒遊んでいたり、要領が悪い学生が多い。このため研究は頑張る気持が強い。このため、新しい研究を創出する素地ができている。

後者は小柴昌俊 、戸塚洋二、広中平祐。。。。。。などです。
ノーベル賞クラスの研究者よりもが勉強だけならばはるかにできる人がたくさんいますよね?
間違ってますか?

A 回答 (11件中1~10件)

>研究面で、成績の良い学生と成績が悪い学生



研究面で成績がいいとは、どういうことでしょうか?

もし、これまでの義務教育的な「勉強」の成績が良い悪い学生ということであるのであれば、

研究能力とは、義務教育的な「勉強」の成績では測れない部分もあるというだけだと思います。
会社に入って成功する人とそうでない人を、これまでの学歴だけでは語れないのと同じかと思いますが、いかがでしょうか。

そもそも、小柴昌俊 、戸塚洋二、広中平祐さんたちは、義務教育的な勉強はできる人だと思いますが。
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簡単な統計学も分からないほど勉強をしていない人は,研究をしてもあまり伸びない気がします.

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まず最低限必要なこととして、


研究者として生きていくためには、最低限研究が好きでなければ無理、というか成果は出ません。ある程度は出るとしてもそれはそれまでですし、それ以上というのはやはり好奇心なり研究を突き止めたいという熱意や情熱がなければやっていけない部分です。その点は、勉強ができるかできないかというのとは関係ありません。

成績の良い学生というのは(1)単純にテストで要領良く点数を取るのがうまい人と(2)地頭が良い人、(3)努力してとりあえず点を取る人がいると思います。このうちはじめの人で、ただ点取りゲームとしてしか思っていない人はあまり研究者でも成果は出ないでしょう。むしろ外資コンサルや国一、弁護士などのほうが向いていると思います。(2)や(3)の人は学問が面白いと感じている場合は可能性があるでしょう。勉強ができるということは学問が好きになるきっかけとしては重要だからです。苦手なものを好きになることってあまりないですよね。

成績の悪い学生は、上の(3)の場合考えられます。努力してテストでそれなりに成果を上げていても、興味がわいたところを突き止めて勉強したがるので結局テストというアウトプットの方ではあまり力を発揮できていない。この場合は成績はまずまずでも、研究としての学問には情熱を持っているでしょうし、自分なりの視野をもって学問していたでしょうから可能性はあると思います。ただ、勉強が嫌いだから遊んでいた、とか十分遊んだから真面目なったというのはもともと頭が良かったならありでしょうが、まず無理です。研究といってもよっぽど運が良かったら別ですが、数年間もぶらぶらしてて急に入ってきてすく出せるような簡単なものではないはずです。その分野に何かしらかかわっていなかったら、それだけ時間を無駄にしているに他ならないのは事実です。
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「遊んでいたり、要領が悪い学生が多い。

『このため』研究は頑張る気持が強い。このため、新しい研究を創出する素地ができている。」

何回この文章を読んでも一つめの『このため』の意味がわかりません。
「このため研究を頑張る気持が弱い」ならわかりますが。
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成績はいい方がいいですよ。


昔の人は「入学まで猛勉強。卒業したら猛仕事」で大学を完全にモラトリアムするのもふつうでしたし。ずっと遊んでたわけでもないし中高時代は秀才だったはずです。

でも大学で成績のいい人は全員じゃないんですけど、「成績だけいい人」少なくないんですよね。大学では講義さえ出てればスコアは取れる。優を揃える人はマジメに講義「だけ」出てる人が少なくないんですね。
企業も就職活動で成績提出させないです。経験則で成績と優秀度の比例が成されないことを知ってるんでしょうね。でなければ成績を出させるでしょう。

あとどの業界もですけど社会に出ると専門性が必要になります。
成績って複数科目の平均点じゃないですか。
研究職もビジネスも、1,2つの専門性が重要で
「アインシュタイン的な理数は天才的だけど語学がまるでダメ」
みたいな人が勝ち残る傾向にあると思います。
もちろん理屈で言えばなんでもできるってのが1番
なんでしょうけど。
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ご質問の「成績の悪い学生」とは東大と京大に限った話でしょうか?それとも東大・京大~Fランク大まで含めた「(各大学において)成績の悪い学生」に共通する傾向だという主張でしょうか?



あとご質問の論理では、「成績が悪い人の殆どが(そして良い人の殆ども)、新しい研究を創出する事なんて出来ない」という事実はどのように説明されるのでしょうか?
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どちらかというと、真面目だけど要領が悪いというのが「成績の良い学生」のような気がします。

先生が提示する条件の範疇では優れているが、その領域を少しでも出て「後は自分で勝手にやりなさい」となると、途端に何もできなくなる。いわゆる「がんばってるのになんでかなぁ?」というタイプ。

ノーベル賞でないにしても、ある分野で名をはせるような人は自分のやりたいことをやりたいから、与えられた課題などは要領よくこなすようなタイプなのではないかと思います(悪く言えば上手い手抜きの方法を知っている)。逆に人から与えられた作業を淡々とこなすのは非常に苦手だったり。いわゆる「なんであんなフザけたやつが?」と指差されるタイプ。
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面白い仮説ですし、そうおっしゃる方は多いです。

後で触れるので仮にA群の方々としておきましょう。
>成績の良い学生⇒保守的で、伸びない
うん、うん、沢山居ますね。東大へ入ったら燃え尽きちゃう人。
でもその人たちの上には青天井の「天才ども」も居るんです。本当にぶっちぎりで訳わかんない程頭の良い人。まあリチャード・ファインマン先生なんか、正気でとどまっている最後のグループでその先に居るのが「実際上はキチガイ」です。
>成績の悪い学生⇒遊んでいたり、要領が悪い学生が多い。このため研究は頑張る気持が強い。このため、新しい研究を創出する素地ができている。
うん、うん、こういう人たちも居ます。大学では伸びないが現場に入るとのし上がる人。
でも、成績の悪い学生の99.9%はタダのバカ。Fランク大学にも届かないで、何とか入れた就職先を大切にせず、サラ金でお金を借りギャンブルにはまり「多重債務」のあげく「自己破産」する知恵もなく夜逃げする人、多いですね。
そしてさっき置いといたA群の方々、皆さん「地頭(じあたま)」が凄くて幼いときは神童と呼ばれていたが、高校では伸びず、旧帝大にやっと引っかかった後、大きな仕事をされた人たちですね。けど謙遜されて、成績の悪い学生に「希望を持たせてくれる」優しい方々。
と言う事で、両者の「例外」を比べて満足するあなたはどんな人かな?
二十三才なのだからこれから大をなして下さるのでしょうね。
頑張って下さい。
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間違ってると思いますよ。


そもそも
>成績の良い学生⇒保守的で、伸びない
>成績の悪い学生⇒遊んでいたり、要領が悪い学生が多い。このため研究は頑張る気持が強い。
成績の良い学生はすべて保守的であり伸びないというのは、根拠のない決め付けですし
遊んでおり要領が悪い学生は研究は頑張る気持が強い、というのは全く論理的な推測ではありません。
一読してはっきりと分かる間違いです。

他の回答者様の回答にもあるように、研究というのは過去の事例(知識)と閃きの両方が必要です。
さらに言うならば分析力や論理的思考力も欠かせません。
このうち閃き以外は学力(勉強)がおおいに関係します。
さらにいうならば、特定分野の勉強を続けていれば
その分野については閃き=過去の知見をもとに新しいことを思い付くこと、は鋭くなりますので、閃きすらも勉強とは無関係ではありません。

質問者様が例として挙げられた先生方はいずれも東大または京大出身ですよね。
成績が悪い例としては不適切であると思いますよ。
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間違ってると思います。


あなたのおっしゃる「勉強」の定義にもよりますが・・・。
「答えのある問題を習得していく作業」としましょうか。既に正解がわかっているもの。つまり、先人の知恵です。
それが得意だけど、そこまでしかできない人も確かに居るでしょうね。創造力に欠ける人。

でも、先人の知恵の上に新発見は成り立つのです。
小学生がノーベル賞取れますか? 無理ですよね。
それは何故ですか?
そもそも先人の知恵を知らないと、新発見かどうかすらわかりません。
劣等生だったというのはある程度は謙遜でしょう。劣等のレベルが違うのだと思います。
本当に劣等生だったら大学にも入れないし、研究に着手できない。卒業できないし、教授にもなれない。
そういう上位クラス同士の話であって、底辺の話ではありません。
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