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日本では、自分の意見を表明しようとすることにブレーキがかかっていて、それは国民性なのでしょうか。
よく言われるのは「農耕民族」「徳川300年(長いものに巻かれる)」「気候温暖」などというような議論ですが、アジアの農耕民族に比べても明らかに自己表明性というのは弱いじゃないですか。いったいどこからこの抑圧性は来ますか?
例えばこんな場面を想像してみました。
合宿かなにかで食事中。
「甲」の舌には味付けが辛すぎると思う。このとき「甲」はめったに
「ああ、しょっぱいなぁ!何だよこの味付け!高い金払ってんのによ」
などという意見表明はしない。
またそれをする珍しい人間だったとして、「乙」の舌には丁度いい。
「しょっぱくないだろ?このくらい味付けなきゃ味ないじゃないか」
などと言わないし、もし言ったとしたらこの後
甲「お前はタバコばっか吸ってるから舌が麻痺してんだよ。さっさと早死にしろこの下種野郎」
乙「なんだと!タバコ吸おうとひとの勝手じゃねぇか!迷惑かけてねぇだろうが。お前こそ女みたいに細かいことばっか気にして、いらいらしてくんだよ!」

そして、小突きあいが始まるかもしれない。しかし、その後で「ああわかったよ」「わるかったな」というような軽い仲直りがある、というような筋書きは、欧米とか他のアジア諸国では茶飯事じゃないですかね?

そういうものがない日本という社会は、どれほど抑圧的なことが常識なのでしょうか?

A 回答 (6件)

まあ、良く言えば慎み深い、悪く言えば主体性が無いという事でしょうか。


日本人についてはいろいろな認識の仕方があるでしょうが、何事も渦中から離れる事で見えて来る事もあります。
もちろん、群れの中にいても常に現実を正確に把握している賢者もいるでしょうが、私を含めてほとんどの凡人は一度国外へ出て自分のアイデンティティを考えざるを得ない立場に立ち、第三者的目で冷静に見ると、確かに日本人というのは『なかなか本心を表わさない』、国民性のような気がします。
本心を表わさない『腹芸』は日本人の美徳とするところですが、今のグローバル化した常識から言うとあか抜けないですね。
ハッキリ、自分の意見が言えないという事は、『自分の意見が無い』という事に取られかねません。
一旦、国外へ出たら、こういう人は一人前には扱ってもらえなくなります。
他人と違う意見を表明する事は、勇気のいる事には違いありませんが、相手を本当に把握するためには反対意見をも含めて『議論』が必要です。
議論は喧嘩ではありません。
自分の考えを言わないという事は、相手を知る事を最初から拒否する事と同じです。
同じ意見、考えのもの同士が仲良し小良しでやっているのは如何にも平和的ですが、これは本当の平和では無く、事勿れ主義に過ぎません。
現在、世界で活躍している日本人で有名無名を問わず、自分の意見をハッキリ表明出来ない人はいないといえます。
抑圧の下で生きる事と、自制心がある事とは別問題です。
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「歴史的」「環境的」なものは厖大になるので触れませんが、何かあるとすぐ「根に持つ」民族なので、互いにそれを避けるのでしょう。


この民族性はそれなりに尊重しなければなりません。否定したところで障害物としてあるからです。ドラマなどで、それに何かを足すと(韓国ドラマの交通事故や記憶喪失みたいなアクセント)上手く行くというようなことを考えたほうが楽です。
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>日本という社会は、どれほど抑圧的なことが常識なのでしょうか?


 
 抑圧的じゃないんじゃない?
 ブレーキをかけている自覚なんかないと思うよ。
 自制心とか自戒とかより、もとから和とか調和重視なんよ。
 似て非なるものと思うよ。

 日本人は、自制心なんて意識が薄いんだから、和がなくなっちゃうと、中途半端な醜いモンスターペアレント、理屈無視のクレーマー大量発生とうわけだれ。

 でも、抑圧の爆発ってい言う感じの革命は起こりにくい。
 単なる、和の不存在からの本能、快不快の暴走。
 
 個人のぶつかり合いによるバランス調整に慣れていない日本人は、和が無くなると、とことん自己主張してしまうからね、最後は慣れてる連中にめちゃくちゃにされるだね。ちがうかしらん。
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例に出された食事に関しては、例が悪い。


食事の作法として、そんなことは言わない。

もっと具体的な例がないと国民性とはとても言えない。
今のところ、意見を考える能力が劣ってる人が使う言い訳として、国民性という言葉が独り歩きしている。
きちんと意見表明してる日本人はたくさんいる。
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私も海外によくいきますが、確かに日本人は自己主張は少ないほうだと思います。

ルーツという話になれば、やはり他との接触をさけた鎖国が長すぎた影響もあるのかな、なども思いますね。

それはともかくとして、悪く言えば抑圧されていいたいことがいえてない、ともとれますが、いい見方もできるのではないかと思います。
食べ物の味付けがまずくても、作ってくれた人に気を使ってかもしれません。
もしくは、自分の感覚が常識とは限らない、という冷静さ故かもしれません。
僕は、こういう日本人のおくゆかしさは嫌いではないです。

でもこの国際交流さかんな時代においては、今後さらに日本人は自己主張の低さで損をこうむる可能性は高いのかもしれませんね。
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食事の件については


聖徳太子以前の
「和を以って尊しとする」のが
日本人の底流に流れる心理です。

2000年の伝統ですね。

絶対的な権力者を認めない
その分、いさかいを起こさずに
内々に問題を解決しようという
意識が強いということです。

2000年前の日本に何があったのか、
どうも日本列島規模の内紛があったから、
そういうところに落ち着いたのではないか
個人的には考えています。
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