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あるブログで「東京時代の『日本ハムは万年Bクラスで観客動員が伸びなかった』というのは誤解である」とあったんですが、本当ですか?
東京時代は地味で弱かった、という印象しかないのですが、そのころをよく知っておられるパリーグファンの方に回答をお願いしたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

二十年来のファンです。

ですから、私の知っている情報は、東京ドームが本拠地だった時代のものになります。

「東京時代の『日本ハムは万年Bクラスで観客動員が伸びなかった』というのは誤解である」というのは、厳密な意味では正しいですね。
 というのも本拠地が東京ドームになったことで、観客動員数が飛躍的に増えた時期がありましたし、東京ドーム時代だけでも2度ほど優勝争いをしていたことがありますからね。
 ただ、東京時代の総括的なイメージとしては、「観客動員はそれほど伸びなかったですし、Bクラスの常連だった」といえます。

つまり、どちらの意見も正しいということですね。
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この回答へのお礼

たしかに年度別順位表を見ても健闘はしてるんですよねぇ。
ただその一方で、優勝に届かなかったというのも事実ですし。
やはり「どちらの意見も正しい」ということなんでしょうね。
人それぞれ、見方は違うでしょうし。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/18 23:54

20年以上のファイターズファンです(#1様の30年にはおよびませんが、、、)。



「東京時代」というのは後楽園時代?ドームになってから?

後楽園時代は悲惨でしたよ。なにせ同じ「土俵」に巨人がいるのですから、嫌でも比較してしまう(と言っても比較にすらなりませんでしたが、、、)。
華のある選手がほとんどいなかったというのもあります(しいて言えば西崎くらいでしょうか?)。

ドームになってからは、ケーブルTV等の普及により、認知度が飛躍的に上がり、若者世代の観客がグッと増えました。客席の雰囲気が全然変わりましたもん。びっくりするくらい華やかになりました。
同時期に、久々に華のある小笠原が台頭してきたのも要因の一つかと思います。(その後、移転・新庄加入で爆発)

そのブログが「東京ドーム時代」を指しているのであれば、理解できるような気がします。
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この回答へのお礼

たぶん「後楽園時代から含めてすべての東京時代」だと思うんですが、後楽園時代はたしかにテレビメディアも今ほどカバーできないでしょうしね。
東京ドームになって観客層が変わったのですか、それは初耳でした。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/18 23:52

東京ドームへは、よく日本ハムの試合を観に行きました。



仕事帰りのサラリーマンが居酒屋代わりに羽目を外している雰囲気の中で、盛り上がっているのは私設応援団だけ、というのが私の印象ですね。球場が最も沸くのが、6回終了時の「Y.M.C.A.」が流れる時でしたからね。

私なぞも勝敗は二の次で、小笠原の思い切ったスイングを見たいがために通ったようなものです。熱心な日本ハムファンも少なからず観戦していただろうとは思いますが、現在とでは比較にならない程度だったのではないでしょうか。

かようにとても良いファンとは言えない私でしたが、球団の突然の移転には驚きを感じました。何の予告もなく、あまりに唐突な発表でしたからね。怒りを覚えた本物のファンは多かったと思いますよ。
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この回答へのお礼

居酒屋代わりですか(^^;なるほど。
「応援しに行く」というより、「単純に見に行く」というお客が多かったんでしょうね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/18 23:48

30年以上のファイターズファンです。



ファイターズ観客動員数は1988年の245万8500人が過去最高です。
東京ドーム元年でドーム見たさもありましたが、当時は130試合制ですから明らかに今年の札幌(144試合制199万人)より入っていました。
その後130万人まで観客が減ったために北海道移転に踏み切りました。

弱かったのも事実です。
ダルビッシュのような球界を代表するエースピッチャーが出なかったことが要因ですかね。
優勝に1勝足りなかった1980年は木田勇が22勝しましたし、優勝した1981年は優勝請負人江夏豊やV9戦士高橋一三がいましたから。

日本ハムが球団を買収してからのファイターズは、12球団随一ファン獲得に積極的でした。
ファンクラブ(少年ファイターズ会)も日本初ですし、マスコットキャラクター「ギョロタン」も日本初です。
当時はファイターズの月刊誌もありましたよ。

その当時はファイターズが地味というより、パリーグが地味だったというのが当たっていると思います。
後楽園球場時代のセ・パは、人気面においてプロとアマチュア程の差がありました。
川崎球場(ロッテ戦)などは、プロが使用する球場とは言い難く、平日ナイターなどは外野の罵声がネット裏で聞き取れるほど閑古鳥が鳴いていました。
テレビでも外野のアベックやそうめん流しが話題になるほどです。
そういう意味で、2007年のCSに感慨があります。
第1ステージが千葉で開催中、札幌の平日紅白戦に28,000人が集まったこと、
第2ステージが札幌で開催中、千葉のパブリックビューイングに1万人が集まったこと、
8試合に30万人超の観客が酔いしれたことに涙が出る思いです。
梨田監督や吉井コーチも選手時代に閑古鳥が鳴いている球場で活躍した一人ですから、今のパリーグのお客さんには感謝の気持ちでいっぱいのはずです。
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この回答へのお礼

ファイターズが営業面で色々と革新的なことをしたというのは、雑誌等で知りましたが、やはり東京ドーム元年なんかはそんなに集客があったんですねぇ。
あと、
>その当時はファイターズが地味というより、パリーグが地味だったというのが当たっていると思います。
というのには非常に納得させていただきました。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/18 23:46

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