プロが教えるわが家の防犯対策術!

ライフのカテとかでの回答をしたり、質問文を見るたびに思います。

何故、死にたい・・と、軽々しく口にできるのか・・?。
健康体なのに、自分に自信がない・・と言う理由だけで・・。


まだまだ成長途上の子供だとか、うつ病などを患い、心の病と闘っている(あるいは、うつ病の家族の面倒を見る側も含め)。
身体に障害を持ち懸命に生きている・・。痴呆症の家族の介護などなど。
そういった深刻な悩み事を抱えている方は別としてです。

古臭い言い方ですが、半世紀前に生まれた日本人はもっと過酷でしたよね?戦争の時代、この国のために戦死した方、巻き込まれ死亡した婦女子・・生きたくとも、幸せになりたくとも叶わなかった時代です。
戦争に散っていった尊い命が礎となって現在の平和が、国家が、国民の生活が成り立っていると思うのですが。

自殺者はここ数年、三万人を越えています。とても悲しく思います。
生きてさえいれば・・と思ってしまうのですが。

何故、生きることを放棄してしまうと思いますか?

川村カオリさんを見てて、懸命に病気と向きあい、お嬢さんの為、一分一秒でも長生きして、何かを伝えたい・・と頑張っていた姿が素晴らしいと思うのです。もちろんまねなどは私には出来ません。
その一方で、安易に家族を残して自ら死を選ぶという事に嫌悪感を抱いてしまうのです・・・・。

A 回答 (8件)

「生きることを放棄する」というより、


「死ぬことを思いとどまれない」だと思います。

憂鬱な状態になったときに耐えるための耐性が弱かったり、
死にたいという思いを止める材料が無いため、
最初は軽い気持ちでも大きくなってしまうのだと思います。

昔に比べて家族間や友人間での絆が希薄になっているということもあると思います。「○○のために生きる」の○○が無い人が増えているのではないでしょうか。
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一つは「死」が身近にないからだと思います。

矛盾に聞こえるかも知れませんが、もう一つは「死」があまりに身近にあるからです。

肉親の死、近所の方の死、そう言った自分の世界の中での死は少なくなってしまいました。それとは逆に、テレビでは毎日のように死が騒がれています。殺人、集団自殺、自殺、爆弾テロ、事故、などなど。生々しい映像がテレビで繰り返し放映されることもあります。それらの死は自分とは別の世界の死です。ゲームなどでの死もありますね。ゲームの影響に関しては、必ずしもメディアで言われているような直接的な殺人衝動に結びつくとは思いませんが、死に対する感覚が麻痺していくのは事実でしょう。

そうした中で死、自殺というものに対するハードルが低くなってきているのだと思います。「死にたい」と口にする人のすべてが「具体的な自殺を考えている」状況ではなくなってきたような気がします。それ以上に簡単に「死んじまえ」「死ね」と口にする、または書き込む人が増えました。「氏ね」と書けば意味が変わるとでも言うように。
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私も、


安易に「死にたい」と口にしてしまう、一人かもしれません。

なんででしょうかね。
確かに、私は恵まれた生活を送ってはいます。
「死にたい」原因は、
自分の精神的な弱さ…とかかな?

うちの父親は、大変な貧乏な家庭に育ったようで、
「貧乏を苦にして死ぬ」ということが、
やはり実際あるものだ、と
切実に私に言いました。
取り立てはくる、食べる物も買えない、など…。

「貧乏の苦しさで死ぬ」というのは、
実際、体験した人でないと、
わからないのかもしれませんね。

その点、私なんかは、生まれてこの方
「食べ物で困った」経験もないし、
しいて言えば「人間関係で悩んでる」のでしょうかね…。

「平和ボケ」と、ひとくくりにされると、
「そんな生やさしいものじゃないわ!」と言いたくもなりますが、
実際は、そうなのかもしれない…。
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#1さんと非常にかぶった回答になりますが。



やっぱり、死が身近にないからでしょう。例えば、今日本がかつての太平洋戦争みたいなすごい戦争の中にあったら、死にたいなんて人は空襲されたときに逃げないでいればいいわけです。だから、大きな戦争が始まると自殺と殺人はものすごく減るんだそうです。死にたければいつでも死ねるし、憎い奴も戦争で死ぬかもしれないからです。
川村カオリさんは、人生の最後では必死に生きた方です。しかし彼女はロシア人とのハーフで、彼女の世代では子供のときはロシアはソ連といって政治的に敵対していた国でした。彼女が中学生のとき、大韓航空機がソ連軍によって撃墜され、大勢の日本人が巻き込まれて死ぬという事件がありました。彼女が学校に行くと、机と椅子が校庭に投げ捨てられていたそうです。すさまじいいじめを経験し、後にパンクロッカーとしてデビューしたとき当時のことを「生きていることが地獄だった」と回想しています。

また、自殺をする人は必ずしも死を望んでいるとは限りません。多くの人は、「このまま生き続ける苦しさを逃れるには死しかない」という考えに囚われて自殺を選んでしまうのです。私も自殺を真剣に考えた時期がありましたが、そのときの心境は「もう自殺でもしないと周囲が『ああ、アイツはそんなに悩んでいたんだな』と理解してもらえない」というものでした。
現在、年間三万人もの自殺者があり、その数が減る傾向はありません。おそらくその最も大きな原因は自殺が「そんな死に方を選ぶ人が悪い。自己責任だ」と個人の問題にされてしまっていることだと思います。つまり生きていくことに疲れてしまった人たちを社会が救うシステムを持っていないことだと思います。
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多分唯一「人」が自分で自分を殺せるからじゃないでしょうか?


他の動物には発送も行動もできないと思います
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 本人が幸せな人生を送ってきたからでしょうね。



アフガンやイラクで戦争で悲惨な体験をした人は『死にたい』とか普通思いません。日本でも戦後間もない時期に生きた人は当時生きるのに一生懸命でした。

 自殺ってのは貧困が原因じゃないんです。本人の心が折れたときに自殺します。
 平和に生きて、本当の人間の悲惨を、死ぬ人間の悲しさを目の辺りにした人間はそうそう『死ぬ』なんて思いませんよ
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人間の幸福さや不幸さを数値にしたとしたら、


それは絶対値ではなく、微分値で決まります。

こんなに不遇でもがんばっている人がいる、
これは、捜し物をしている人に、
最後に使った場所を思い出してと言うよりも無意味なのです。
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死が身近ではなくなっているからではないでしょうか。


交通事故などでの死はともかくとして、日本では、飢えや病、あるいは戦いでの死というものが基本的には遠ざかっているようです。
無論、生活に困窮している方や、病を患っている方はいらっしゃいますが、全般的に見て、死はどこか遠いもののように見えています。
宗教への関わりが薄い方が増えているのも原因かもしれません。
また、人との繋がりが希薄になっていき、悩みを持っても誰にも相談できず、自分の中で抱え込んでしまう、といった事も増えているでしょう。

ただ、自殺という選択肢を選らんが方全員が、本人の中で安易に死を選んだのだとは思えませんが。
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