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よく聖徳太子は大勢の人が話したことをいっぺんに聞き取れたと言われていますが、それはやはり逸話ですか?それとも本当にそのような才能があったんでしょうか。
どれくらい真実味のある話なのか知っている方は教えてください。あとあの手に持っている棒状ののようなヘラみたいなものも何か教えてください。友人とそんな話しになって、どうしても気になりだしてしまいました。よろしくお願いしまーす。

A 回答 (4件)

聖徳太子が十人の訴えを同時に聞き答えたという、いわゆる豊耳皇子の逸話は、平安初期(つまり聖徳太子の没後300年も後)に書かれた「聖徳太子伝暦」に最初に見えます。

これは日本書紀中の太子の紀伝をベースにして、太子にまつわる説話、奇談を加えて編まれたもので、史実的信憑性は薄いです。むしろ、聖徳太子の奇瑞を面白く書くことで当時の関心を誘ったものでしょう。太子が馬厩で生まれたこと、生まれてすぐにしゃべったことなど、彼の超人的イメージはこの作品から流布したものです。

ところであのヘラのようなものは「笏」(シャク)と言います。男性貴族が威儀を正すために持ったものですが、あれ、元々はカンニング用の道具だったんですよ。
重要な儀式などで詞を述べなければならないとき、笏の裏側にメモを書いた紙を貼って読み上げた、というのが元来の使い方でした。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございました。友人との取り留めのない雑談から、sesameさんのおかげで素晴らしい知識を得られて本当に嬉しいです。目からうろこです。さっそく友人に報告します。

お礼日時:2001/03/26 23:51

『日本書紀』推古天皇の巻に「聖徳太子は生まれてすぐにものを言うことができた。

聖者のような知恵があった。大人になると,一度に十人の話を聞き間違えずに理解することができた。未来のことを前もって知ることができた」という記述があります。そもそも記録に登場する初めからこのように伝説めいていたわけで,話半分に聞いておくほうがよさそうですね。今でも「聖徳太子はいなかった」なんて説を唱える人がいるくらいです。

それと,あのヘラのようなものは「笏(しゃく)」というものでしょう。昔の偉い人が正装するときに威儀をととのえるために手にしたものですが,本来は,上の人からの命令や上の人に申し上げる内容などを忘れないように書き留めておくカンペだったといわれています。
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特に根拠はありませんが、私はこの逸話は太子が有能でアホな役人が一人の陳情を処理するあいだに十人の陳情を処理できたということを大袈裟に伝えたものだと思っています。

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太子作の17条憲法2条にに、「篤く仏教を敬え」と明記してあるように、仏教を篤く重用した太子に対する後の仏僧達の言い伝えだと思います。


しかし、上記憲法作成、遣隋使の派遣や、10代では四天王寺を建立するなど、能力の高い人であったことは間違いないようです。

勺については私も初めて知りました。
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