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外国人と接する度に、日本人の愛国心が低いことを痛感させられます。世界中の人と接しても本当に "日本人だけ" 異常に低いように思います。

なぜ、日本人の愛国心はこれほど低いのでしょうか?
(私自身も低いですが、自分でもその理由が分かりません)

A 回答 (40件中11~20件)

 低いとは感じません。

日本は昔から外国からの文化を上手に取り入れている国でもあります。そんな大きな器の日本ですから、愛国心と定義する必要もないと思います。
 当たり前の事を偉そうに言いませんから。

 日本は当たり前の事に関しては表面に出さないですよね。だから外国へ行って認めてもらったとか。でも日本国内では当たり前なんでしょうか認めてもらえない。
 海外では戦争などまとまったり、ばらばらになったりとの歴史もあるのかもしれません。民族という単位だったりでまとまりやすい状態だからこそかな。見える形でないと駄目なのかもしれません。

 国旗や国歌だけが愛国心とされると困りますが。

シルクロード終着点の日本。
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<参考:日本人本来の愛国心・武士道を歪めたもの>



 愛国心とは、国の将来に責任を持って、真剣に考え行動することだと思います。
 武士道とは仁と慈愛であり、弱者をいつくしみ、無駄な血を流さず命を大切にする精神だと思います。

 三木城の兵糧攻めや備中高松城の水責めなど、負け戦と決まったときには、敗れた将が戦いの全責任を負って自害し、勝者の将もまた敗者の兵の助命を責任を持って行いました。

 戊辰戦争の会津では、敗戦に際してこれからの社会を背負うべき若い白虎隊隊士が、武士道のなんたるかを十分に知らぬまま、自害して果ててしまいました。
 武士道を知る者は、本来死ぬ必要のない若者の死を悲劇ととらえ、涙したのです。

 ところが先の大戦では、敗戦が明確になった時点で戦争終結の手を打たず、それどころか未来を背負う若い学徒を出陣させたり、特攻を愛国心・武士道の名のもとに行い、戦争続行の手段として利用してしまいました。

詳細:
 日華事変の始まった1937年をピークに、日本の国力は低下しており、1938年国家総動員法を施行し、1941年4月からは食糧配給制が実施されていて、国力は限界に来ていました。

 1941年7月28日、日本がさらに戦線を拡大し、南部仏印進駐をしたため、アメリカは8月1日、対日石油輸出禁止に踏み切りました。 当時、日本の産業の動力源は石炭で石油は経済活動にはさほど影響はありませんでした。
 ただし、当時の技術の最先端である急激な速度の調整の可能なディーゼルやガソリンエンジンを利用していた軍にとって、軍用車・航空機・艦船に不可欠の燃料で、大打撃でした。日本の石油消費の半分以上は軍需だったのです。
 ですから、アメリカの対日石油禁輸は、日本の民需に与える影響を最小にしながら、日本の対外戦争拡大を止めるアメリカ側の切り札でした。

 しかし、日本の国力は限界、陸軍は大陸で泥沼状況でしたが、海軍艦艇は無傷で弾薬・燃料の備蓄がありましたので、ここで戦争終結をするかどうかは政治判断の分かれるところです。山本五十六のように海戦での短期決戦ならいい勝負ができるという判断は、海軍首脳としては当然の結論です。そこで1941年12月8日、真珠湾攻撃が行われました。

 しかし、ミッドウエーで大型空母が壊滅し、ラバウルから艦隊が撤収した時点で、海軍も戦力半減し、この時点で敗戦は明瞭に見えていたはずです。
 本当の武士道・愛国心(政治・軍の責任者が持っていなければいけないものと思います。)があれば、この時点で発揮され日本国内が焼け野原になり老人・子供・女性が多数焼け死ぬ事態は避けられたはずです。

 ところが、トップの責任が明確になる戦争終結を少しでも遅らせるために、守るべき若者や女性に武士道・愛国心を強要し、命を捨てることを強要し、最後は「国家総玉砕」とまで言い出しました。

 果ては、天皇陛下が自身の責任で戦争終結を決断されたのですが、その天皇の決断さえ無視して、玉音放送のレコードを奪い戦争継続をしようとした軍の動きもあり、責任を忘れた見苦しさとしか言えないものです。

参考1:
 従軍慰安婦問題など、本当の武士道精神があれば起こりえないものです。
 戦場に看護婦以外の婦女子がついてくるなど言語道断ですし、まして慰安婦など不名誉この上なく、部隊指揮官は即刻強制排除して後送してしかるべきでしょう。
 慰安婦を呼び寄せた(国内業者に中国に来るように依頼したものと思われます。)岡村大将も「恥ずかしいことながら」と苦渋の選択であったことを口にしています。

http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html

参考2:
 第二次大戦中の日本の捕虜の扱いについて、当時の常識であるような見方をする人がいますが、これも間違いです。
 第一次世界大戦時の日本の捕虜に対する扱いと比べて、第二次世界大戦中は、極めて過酷・貧弱になっています。

 第一次世界大戦中は、敵国のドイツ人捕虜に給料を支給し、日本人に売るより高い値段で捕虜に物を売った商人が責任追及されています。
 ・第一次世界大戦中の捕虜収容所の実態
http://www.geocities.jp/kraumjp/reisenaruto2newp …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1% …
http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/08sisi/hur …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E5%BF%97% … 

 第一次世界大戦から第二次世界大戦までの20年余りの間に、かくも捕虜に対する扱いがかわっています。
 なぜだと思いますか。

 私は、日本軍が無理な戦争継続のため、愛国心・武士道を道具化して利用したため、地に落ちてしまった結果だと思います。

 インパール作戦に参加した温厚な伯父が、戦争に関しては「陸軍の馬鹿が。」という一言以外は口にしなかったことが、深く記憶に残っています。
 同じ部隊にいた幼馴染の餓死・病死を看取ってきた果ての一言だと思われます。

<なぜ、愛国心をしっかり見据えられないか>
 70年前、愛国心や武士道を道具にして馬鹿な戦争を続けたため、戦後に本当の愛国心や武士道を価値観の基準に出しても、戦争時の道具化したものと同一視されてしまい(愛国心や武士道は抽象的なので、道具化した偽物と本物の違いが、即座には明瞭にならない。)、議論しにくくなってしまったからだと思います。

―やるべきこと―
 日本人として誇るべき武士道を堂々と教え、世界各国の国情や日本古来から今までの歴史・文化を「客観的」にきちんと教えればよいと考えます。
 「客観的」日本の素晴らしさ(=日本人だけでなく、どの国の人も良いと素直に感じるもの。自国民だけが自国を良しとする偏狭なナショナリズムと対極になるもの。世界の標準になりうる日本。)を知れば、愛国心・日本国民の誇りは育っていきます。(私も海外生活で日本の良さをしっかり実感しました。)
 そのためには、愛国心や武士道を道具にしてしまった失敗の過去も、きちんと教えなければいけません。

参考3:日の丸・君が代について
 日の丸・君が代そのものに『戦争』を肯定する意味などありません。馬鹿な連中がそういっているだけです。

 「日の丸」「君が代」は国旗・国歌と法律で決めずとも、そうあるべきものであったし、イメージが悪くなったから別物に取り替えるなど、全くの筋違いです。 
 このような見当違いの異見が出てくるのも、愛国心や武士道同様、戦争に際して、道具にしてしまったからです。
 道具だから取り替えてもいいというのは、戦時中と同次元の発想で、あってはならない解釈でしょう。

 日本人が過去の失敗によって、日の丸のイメージを悪くしたのなら、今度はイメージをよくする活動をすればよいだけのことです。
 戦場から逃げだした難民を保護し医療援助を行う活動を、大規模・継続的に国策として、日本人が日の丸をつけて行えば、「日の丸」=平和・安心の象徴となっていくでしょう。
 努力もせずに取り換えればいいなど、国旗に対する冒涜も甚だしいといえます。

 結論として、先の戦争に日本は責任がないかのごとき発言は決して許さない、そういう毅然とした姿勢のもとで行うならば、日本が愛国心を見据えた議論を正面からやっても、どこからも文句は出ません。

 尚、戦争が済んで「反戦」意識の強かった戦後すぐの時代に(日教組が強い時代でしたが)、私の通った小学校や中学校では「君が代・日の丸」問題はなかったと思います。 普通にみんなで君が代を歌い、日の丸を揚げていました。「強制」するかどうかという問題はありませんでした。 
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64年前に戦争に負けて以来、アメリカ占領軍が80?基地残ったままで実質、日本はアメリカの属国だからです。



もし、愛国心を持つ気持ちに国民がなるためには、アメリカ軍を日本から追い出すと「日本を日本人が守らざるを得ない状態」になりますから、自然と愛国心が生れます。
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 自称「愛国者」達のしていることに共感できず、あれと一緒にされちゃたまらないと思っているのでは。

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アメリカみたいな移民国家や、複数の異なる文化を持つ民族から成る


国家と違って、国をまとめるために常々から愛国心を浸透させる教育を
行う必要が無かったというのが、ひとつの理由かと思います。

あと、文化や民族が直接的に消滅させられる危機を経験していない
ことも、大きいでしょう。(もし、GHQが英語のみを公用語化したり、
日本文化を禁止したり、強制的(民族浄化的)な混血政策を進めたり
していたら、もっと意図的に愛国心を意識することになったでしょう。)
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国家の今を知っている人間と知らない人間、それで受け入れられる人間と違う人間、そういう違いですな。

国家で国旗を汚す人間は国旗汚してもよくて、国家に忠誠を誓わない人間は国旗踏みにじってはいけない、こんな理屈、理解に苦しむ。だって昔から言うし。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって。いい旗なんだけどね、いい気候のいい国土なんだけどね。ここにはもったいないくらい。
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カンタンに一言!「学校教育」!!



http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4GFRC …

コンナ思想・自虐教育をアタマの柔らかい小学生から、続けられたら「愛国心」など持てルはずがアリませんネ。

私もソノくちですが、色々調べるうちに「今は政治は最低!デスが、日本に生まれてよかった。」と思いマス。

ただ、現政権のママだと、とんでもナイことにナリそうデスが…
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「日本人は愛国心が低い」



と根拠なくネガティブな思い込みにとらわれている国民が多いだけです。
皆,言わないだけで実は日本が大好きですよ
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自分の国に本当に自信があったらいちいち愛国心を醸し出さなくても、


いつも心の中にしまってあるから愛国心がないように見えるだけじゃないでしょうか。
言うものは知らず、ですよ。

逆に愛国心がありすぎても「はいはいわかったから」って私は感じちゃいます。
あと下の方も言ってますが謙虚さは美徳なので全然良い事だと思います。
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>なぜ、日本人の愛国心はこれほど低いのでしょうか?


>>(私自身も低いですが、自分でもその理由が分かりません)

謙虚、謙遜、遠慮は、日本人にとって美徳ですが、これは外国人には理解しがたい価値観だそうです。
自己主張しない国民性ですから、外国と比べて愛国心に欠けるように思えてしまうのではないのでしょうか。

普段はあまり愛情とか友情を意識していないのに、ある日、他人から身内や友人を悪く言われたりして、カチンときたりした経験ありませんか?愛国心も、それと似てるのではないでしょうか。
もちろん、なかなか表に出さない、出せない、謙虚、謙遜、遠慮する理由に、戦後教育や自虐史観などが、少なからず影響してるとは思いますけどね。
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