No.3
- 回答日時:
サルは基本的に四足歩行ですよね。
たまに二足歩行もしますが、俊敏に動いたり走ったりする時は必ず四足歩行になります。
二足歩行は人間特有の物ですが、安定性が悪くバランスをうまく取らないと転びます。
二足でいる間は常にバランスを取り、神経を使っていなければ成らず気力体力が必要となる。
気力の支えとなる要因に「宗教」つくってしまったのでは?。
人間も他の動物みたいに四足歩行となれば、宗教観念がなくなるのではないですか?。
「人間が猿などの動物よりも優れている~」的から外れている気がします。
・四足歩行の動物の中で人間はかなり遅い方です。
・今だ、クモの糸の様な繊細な繊維を作れません。
・体の大きさの割りにジャンプ力など運動能力が低い。
・裸の状態での環境適応能力が低い。
など等、あります。
この回答への補足
人間は死んだ人に墓をつくりますが、動物はそのようなことがありません。人間らしいというのはある意味、宗教心があることではないでしょうか?
補足日時:2010/08/13 16:53No.4
- 回答日時:
宗教などなくても生きられる生物と、
宗教がないと社会性が崩壊する、自己チューな生物の、
どちらが優れているか、答えは簡単ではありません。
多くの生物において、社会性も遺伝子によって先天的に
導かれ、あるいは本能的(条件反射的)に社会行動を
とるのに対し、人類はそうした行動の多様性や適応を、
淘汰によって遅々としてしか変化しない遺伝子によらず、
認識による環境の把握~自己の行動の結果の予測(分業)
~環境の改変(道具、産業)といった方法をとった。
しかし、そうした認識性は、肉体に付属した感覚器官を
ベースにしている以上、放置しておくと自己チュー化し、
社会性を阻害する歪みを生じがちである。
そこで、他律的に社会行動をとらせるための「アメとムチ」、
すなわち、お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン
(本来、助け合うために集まっている社会をお金や権力を
奪い合う弱肉強食の疑似ジャングルに変える)”や、
宗教や法規といった足カセを発達させたのである。
その「バカにつける薬」をして、「優れている証拠」とは
言いづらいものがある。
No.5
- 回答日時:
回答者の中で誰が醜い物体であるかという判断が
まず先決になるのではないでしょうか?
意味をなさない回答もあります。自分が動物よりあらゆる面で劣っているのに自分を知るということを忘れているようです。
No.6
- 回答日時:
paradox_8 さん こんにちは^^
僕なりに思うところを書いてみますね。
我々生命は、生まれた肉体によって認識の制限がかかり
その肉体によって似通った、認識の癖がつくと感じます。
生きていくために、肉体に毒ならそれを嫌い、有益なら好むといった傾向があると思います。
もちろん、欲や怒りに支配されれば、人間も動物もその判断基準が揺らぎもしますね。
気付く能力がなくなってくると、身体にとって良い悪いの判断もできなくなります。
動物達は各々の認識の癖があり、その癖によって集団を作り、その枠から外れたモノを追い出したりもしますね。「我こそは正しい」と。
人間はここに言葉が入るのでよりややこしくなります。「我こそは正しい」ということがより強化されますし・・・、多く集団をつくってその心を安心させたいという心理も働くのでしょう・・・
生命には認識した情報を「固定のモノ」として捉え、その「固定したモノ」の捉え方を「我は正しい」という態度で決め付ける働きがあると思ってます。ここにはもう一つ「固定した私・我」という幻想も入り込みますね。
ここで言葉が入るから他の動物よりも
「我こそは正しい、他は間違っている」という思いを強化し、バカにもなれますし
「我こそは正しい、他は間違っている」という思いを薄め減退し、消滅させることも出来る
と僕は思ってます。
しかしながら、それを理由に他の動物より優れているとは言いません。
能力の優劣なら、数多の項目でばらばらでしょう。
人の劣る項目など腐るほどありますしね^^
上記の理由において、人間は恵まれているとは感じますが、生命として優れているとは思いません。
この回答があなたの思索の役に立てば幸いです
~幸福であれ~
回答をありがとうございます。宗教心とは社会形成のために後天的につくられたとは思えません。人間は生まれながらに自然と宗教心が備わっていたと思います。ですが集団での宗教は生まれながらの宗教心を利用したものもありそうです。これは言葉に騙されたものかもしれません。
No.7
- 回答日時:
結局 結束力だと思います。
例えば家族だと、結束するための理由いりませんよね?
だって家族だから。
アメリカって移民の国ですよね。
お隣さんは言葉も考え方も違うエイリアン。
習慣も違うので、やることが理解不能で、いつ何かやったことでお隣さんに激怒されて撃ち殺されるかわからないわけです。
そのような環境でビクビク暮らしていたら、気が休まりませんよね。
だけど、同じ宗教を信仰しているとわかると、肌の色が違おうが、仲間とみなしますよね。
赤の他人同士が安心して暮らすための強力なツールが、宗教なんだと思う。
女は宗教にあんまり興味を示しませんが、男は自分の人生における貴重な柱と考えると思う。
例えば猿山はボス猿がいて、そのまわりにメス猿たちがいますよね。
メスたちは強いオス猿だったら誰でもいいわけです。
ボスが倒され新ボスが誕生したら、その新ボスの周りにハーレムを作るだけ。
自分たちの中からボスを誕生させようとはしない。
誰かに服従するって習性も無い。
保護されることを好む。
だって、妊娠期間が長いので、妊娠期間自分を保護してくれて、子育て中も保護してくれた方が、育児しやすいでしょー?
保護される代償に服従を誓うってことは無い。 利用するだけ。
ボス猿が他のオス猿に倒されるまで、ボス猿を中心とした規律ある社会が形成されている。
若いオス猿は、ボス猿を神のように尊び服従しているので、ボス猿が権力を誇っている間は、集団内は規律が乱れ無い。
乱れてもボス猿が「こら」ってやれば喧嘩はやめる。
人間界においてもそう。
ボスがいない集団は、混沌とした集団になっている。
軍隊。
絶対服従で、上司の命令には部下は問答無用で従う。
上司が神で、部下たちは信者。
上司は若い部下がたてつかないように、時々脅したりして、自分の命令に対し部下が疑問を持たないように訓練でそういう体質に育てあげる。
じゃないと、寝ている隙にクビかっきられるから。
逆らおうって気すら起きないように、日頃脅しているわけです。
猿界も人間界も同じ。
古代エジプトにアテン教ってのがあって、悪ってものがなく、すべては等しいって考えがあったので、はやらなかった。
その点悪魔を作り出したキリスト教は、今も健在。
ローマ・カトリック教会はボス猿を頂点としたヒエラルキーがあり、ボスの下のものたちはボス猿に絶対服従をしている。
これは集団をまとめあげることに非常に有効だと気づいて、軍隊もこの身分制度を取り入れたのだそうです。
共同生活をする動物は猿であろうと人間であろうと、ボスとその他ボスに服従する信者という宗教システムを作っている。
そうすることの利点を利用して共同生活をしているわけです。
じゃないと、集団内でいつも戦いが起こって、女たちは男たちの子供を育て上げられませんから。
オスだって毎日戦いに明け暮れていたら辛い。
戦いに負けたら集団を追われる。
そうなると自分の子孫を残せないじゃないですか。
絶対服従を受け入れることで、集団が平和になり、そういう平和な社会であれば、自分の子どもを増やせる。
豹だったかな、夫婦の豹とその間に生まれた子どもたちで一グループを形成していた。
そこに外から若い豹がやってきて、オス豹と大乱闘し倒した。
そとからやってきたオス豹はボスのオス豹を殺したあと、穴にいたボスの子どもたちを全部食い殺した。
その後、ボス豹の妻だったメス豹と交尾した。
どうして子どもを全部食い殺したのかというと、そうしないとメス豹が発情しないから。
メス豹は育児している間は妊娠しない。
人間も昔はそうだった。
子どもが殺されたことで、育児が終わり、妊娠するように体がなる。
子どもを食い殺されたとわかった途端、外から来た豹を受け入れ交尾する。
外からきた若い豹もメス豹も自分の子孫を残そうと必死なわけです。
このように集団で暮らす動物と、単身、または核家族で暮らす動物では違うんです。
集団で暮らす動物は宗教を作るが、単身、あるいは核家族のみの場合は宗教を作らない。
ヒエラルキー社会を受容することで、自分の子どもも安全に育てようとしているのであhないかと
No.8
- 回答日時:
No.7の回答者様が詳細に人間と動物に違いがない事を分析しておられます。
その通りだと思います。
猿や犬は宗教を本当に作っていないでしょうか?
質問者様は埋葬・葬儀という点をポイントに彼らに宗教はないとお考えのようですが、「神」の存在を宗教の元と考えれば少し違った考えが出来ます。
ボスざるやリーダー犬あるいは羊飼いとその手下の犬を考えるとNo.7の回答者様の分析にもある通り、神(最高権力者)は彼らの間にもいるのです。
人間が他の動物と最も大きく違うところは抽象能力だと脳科学者が言っています。ボスざる、リーダー犬、羊飼いは彼らにとって「神」です。人間はその抽象能力によって神話上の人物を作りだし、それを「神」としました。
その本質は「統合の象徴」であり・・あれ・・日本国憲法にありましたね・・
抽象的かどうかが動物と人間の違うところだと思います。
なお鳥類は恐竜の子孫なので哺乳類の我々には思いつかない「神」がいるかもしれません。
No.9
- 回答日時:
全ての生き物は「本能」によって区分されているといって間違いはないでしょう。
犬は犬足らしめる本能、猫は猫たらしめる本能、猿は猿たらしめる本能、全てにその生き物をそうたらしめる本能が宿っています。そこで人間と呼ばれるには人間たらしめる本能があるはずですね。
知識や体力・経験は本能の範疇ではありませんので、それを比べても意味は無いですね。つまり、犬でもサルでもカラスでも人間より賢いものもいますし、いくらアスリートといえども豹ほどはやくはしれませんね。知識や体力の程度では人間が動物に勝るところもあるが劣るところもたくさんあるわけですね。これでは人間と他の動物とを区別できないですね。
松下幸之助は、彼の哲学において、「信仰心は人間の本能」である。といっていますが、まさに人間が人間たらしめる本能が「信仰」にあるということは他の動物との区別において十分な条件ですね。
事実、人間以外の動物は「信仰」に基づく宗教を起こすことはありませんからね。
それ故、太古の昔より宗教が存在するということでしょうね。最近は「信仰」という人間の本能さえ忘れた人間もどきの類人猿が沸いているので動物と人間の区別さえ危うくなっていますが、質問者の指摘のように本来の人間は信仰の本能により猿や動物より立派な存在ですね。
人間は動物を殺処分してもお咎めはありませんが、人間が動物を殺処分できる条件は人間が動物より優れていることですね。それが動物にとっての唯一の救いでしょうからね。人間も動物もかわらないのであれば力の有る人間に人間も殺処分されても文句はいえませんね。信仰を否定する国々では粛清と言う名のもとに大量に人間を殺処分したことは歴史的事実ですしね。まあ猿に人権などありませんからね。
猿が賢いことは孫悟空を見れば良くわかりますね。でも孫悟空がどのように早く遠くに飛ぼうとも釈迦の手の内という逸話がありますが、科学技術を手にした猿が孫悟空で、猿がどのように賢くなろうとも「信仰」無き動物は釈迦の手の内という意味でしょうね。まあまさに現代の世情を表しているかの如くですね。
参考までに
No.10
- 回答日時:
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