プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は中学生の男子なのですが、世界中の人を助けたいんです。そして、世界を平和にしたいです。もともと僕はカトリックの小学校に通っていて、その影響が強いんだと思います。できれば僕の手で世界を平和にしたいんです。そのためだったら自分を犠牲にしても構いません。だけど、何からやればいいのか全く分かりません。だからまず僕は何を初めにやったら良いと思いますか?また、学校でこのことを話すと偽善だよ、と一蹴されるのですが、この気持ちは偽善だと思いますか?どんな言葉でもいいので、皆さんの意見ができれば聞きたいです。

A 回答 (9件)

私はカトリック信者です。



とても素晴らしいお考えをお持ちですね。
勉強、スポーツに励み、立派な社会人になることが今のあなたが
やらなければならないことです。
今のその気持ちを大切に持ち続けて、がんばってください。

どうしても今すぐ何か人助けしたいのなら、学校や地域で
ボランティア活動などに参加してみては?

人助けに大きい、小さいはありませんよ。

あなたに神のご加護がありますように・・・
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やりたい様にすればよいよ。

 偽善でも何でも1人が助かればそれでもいい。
ただ、ボランティアにせよ必ずいるものがある。
体力・筋力・健康体

山をキレイにする活動している人、アレだって、キリマンジャロや山岳登山をして
ゴミを拾って重い荷物持って帰ってこなくちゃいけないわけだ。
並大抵の筋力・体力じゃできないよ。ましてや子供なんかでは。
人間18歳くらいで成長期が終わり、22歳くらいがいちばん筋肉を使えて行動できるころ
世界を回るんなら、これまで相当に鍛えないといけないね。
現地いったら当然車なんて入れないとこだってあるわけだ、何十キロも荷物もって 何十キロも歩くわけだ。これが出来てボランティア団なんだから、体力が無かったら医療などの特殊知識
これが無ければ、ただの口だけの邪魔者になるわけだ。 つまり、バカじゃなれない ひ弱じゃなれないってこと

医者になる、技師になるということが無ければ、とにかく今からでも動ける体を作ることだね。
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大事なことを忘れてるぞ。


>そのためだったら自分を犠牲にしても構いません
…というのは、君を愛している周りの人は不幸にしても良い、ってことじゃないのか?。
それじゃ本末転倒だ。

まずは自分で自分を守れるような人間になんなさい。
具体的には手に職をつけるとか、どんな場所でも暮らせるようなタフな体と心を育てなさい。
そのために勉強し、体を鍛えるべきです。

気持ちそのものはワタシは「偽善」とは言いません。
それくらいの「大志」は、持っても良いし、話しても構わない。
しかし、それと「どのような形で実現できるか?」っていうのは、少し話が違ってくる。
カメラマンになって戦場を駆け回ってる人もいます。
医者になって国境をまたにかけて、医療を行う人もいます。
政治家になって超党派、超国家的な活動をされている人もいますよ。

その全ての核になっているのが「自分の意思」です。
だから、それを実現したければ、他人より多くの苦労をしなければいけない。
他人を救う、ということは、自分を削ることです。
そのへんのエピソードは、キリストの受難などのお話でも出てきますよね?。

ちょっと難しいかもしれませんが、最後に。

「現身」…うつしみ、と読みます…は、必ずしも完全なるものではありません。
みな、あなたも私も含め、人間全てが「不完全」です。
不完全だからこそ、その不完全さを自分でどうにかしよう、と人間は思います。
その過程の中で、人は時に自分を削ってでも他人を支えようとするのですが、しかし、それは同時に、自分自身が「救われる」道でもあるわけです。
そうやって人間はだんだんと「軽く」なって行きますが、それに反して「徳」というものは重なり、重くなって行くのです。
人生とは「消えて行くもの」ですが、それにはちゃんとした意味があるということです。
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偽善だとは思いません。

素晴らしいことだと思います。
でもいきなり世界中の人を助けるのは難しいです。
いつかたくさんの人達を助けるようなお仕事につけるといいですね。
そのためには今は勉強したり、
家族やお友達をたいせつに~。

「世界平和のために何ができるかですって?
まず家へ帰って、あなたの家族を愛しなさい。」

「わたしたちは 大きなことはできません。
ただ、小さなことを大きな愛でするだけです。」


(マザー・テレサ)
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まずは、健康で悪い事せずに中学校を卒業しましょう。


それが、貴方の身近にいる人を救うのですから。
それすら、出来ないなら世界を救うのは、絶対に無理。
また、こういった事は、無言で実行して実績を作った上で、みんなに話しましょう。
何も実績ないのに言葉を発しても、偽善と言われてもしょうがないし、それが受けいられないなら、世界を救うと言うのは辞めろ!
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 こんばんは。



 人助けはとても良いことです。助ける方法はいろいろとあります。ボランティアもそうでしょう。寄付などもそうです。私も僅かですが寄付を何度かしたことがあります。去年のクリスマスから起こったタイガーマスク現象も人助けです。寄付する人が皆裕福な人ばかりでなく、それほど生活に余裕のない人ほど自分ができる範囲で寄付しています。

 世界平和というのはなかなか難しいです。何百年も戦争している国や民族がいます。平和という視点で見れば、日本は戦後60年以上経っていますが、この平和を作り出したのは先人達の努力によるものです。

 偽善者という人もいるでしょうが、それがボランティアや寄付、人のために活動することも一度や二度ではなく何年も続けていればそれば偽善者ではありません。

 現在は中学生ということで、まずは学校の勉強を大切にしましょう。そして、高校、大学と進むと思いますが、高校生辺りから世界情勢、経済、社会、文化などのニュースにも興味を持つと良いでしょう。

 あとは、今からでもできますが、日本や世界で活動しているボランティア団体、福祉団体などの活動にも興味を示して、どういうことをしているのかなどに感心を持つと良いでしょう。

 他には、一昨年辺りから活動している、働きたくても仕事や住むところが確保できないホームレスに対して国として何かできないかという活動しているNPOで内閣府の参与をしている人がいます。そういう人の活動にも関心を持つと良いでしょう。

 自分を犠牲にしても良いという崇高な精神は立派ですが、若くして犠牲になるよりも、より長く生きていて一人でも多くの人のためになることも大事です。他人のために人柱になる必要はありません。


 あと、私事ですが、ここの教えてgoo、OKWaveで質問に答え、それが困っている人に少しでも役立っていると感じたときは、自己満足もありますが、他人のために役立った人助けのお手伝いだと思っています。
 悩みに対して回答をして、それがとても良い回答で質問した人がとても参考となり、その結果ポイントを付与してもらえれば自分も回答する励みにもなります。

 この場で、ポイントを沢山得ても、自分の利益や収入など何もありませんが、私が今まで経験してきたことや知識などがより生かせればと思っています。広い意味で言えば、良い回答をすることがボランティアの人助けにもなると思います。

 どんな質問に対してどう回答をしているかは公開していますので、興味があれば見られてください。私のニックネームをクリックすれば見ることができます。


 長くなりましたが、こんな感じでいかがでしょうか。
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>どんな言葉でもいいので、皆さんの意見ができれば聞きたいです。



とのことなので,中学生向けにふさわしい回答かどうかはあえて考えず,回答します。

一点目。カトリックと聞くと,私はすぐに次のことが脳裏に浮かびます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/カトリック教会の性的虐待事件
http://www.mikoukai.net/004_deliver_us_from_evil …
http://www.mikoukai.net/linernotes/004_goto.html
http://mikoukai.tumblr.com/tagged/Deliver_Us_Fro …

二点目。上記の事件もそうなのだけれど,もし仮にあなたが一介の神父でしかなかったなら,巨大な教会組織の隠蔽体質を変えていくことには非常に困難がともなうと思う。
「力なき正義は無能」なんじゃないでしょうか。
自分を犠牲にしても構わないとまでおっしゃっているので,自分の内にある神父的な姿への願望を犠牲にして,他人の百倍・千倍・万倍もの財力や権力を志向してみてはいかがでしょう。そのあかつきには,誰に遠慮することなく将来自分の手で,自分の思うとおりの平和を実現できる力を持つことになるでしょう。
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偽善というのは曖昧なものです。

少なくとも、実際に人のためになることであればそれは『善』でしょう。
また、偽善だと言われても揺らがないくらい強い信念を持てるようになれば、それが『善』とも言えるでしょう。


世界を平和にするにはどうしたらいいと思いますか?
かつて中国にとある王様がいました。
その王様の治める国の隣国は非常に貧しい国でした。
王様は隣国の貧しさを憐れんで、施しをしようとしました。ですが隣国の人は受けません。
王様が「何故私の施しをうけないのだ」と尋ねました。すると隣国の人は
「私は確かに貧しい暮らしをしていますが、王様の国も全員が豊かなわけではなく乞食がいます。どうして自分の国の貧しい人を放っておいて隣の国の貧民を助けるのですか?」

どういうことかというと、まずは身の回りのことから手をつけろということです。
世界を平和にする、なるほど素晴らしい発想ですが、そのために自分の周りの人達を犠牲にしてはいけません。
自分の周りの人を幸せにする、助けることから初めてください。
そして自分の周りの人がみんな幸せになったら、さらに周りの人・・・と徐々に範囲を広げていってください。
その思想が肝心なのです。
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世界を平和にすることは不可能でしょうね。


質量保存の法則って知ってますか。
あれに近い考えで、不可能であると証明できます。

地球上の物質、つまり水、食料、生き物、全てに限界があります。
何かを使用すれば、何かが枯渇する。
変わりに何かを代用すれば、何かが枯渇する。

アナタが団子を食べれば、誰かが団子を食べ逃すということです。



貧困と飢えを失くし、
言語を世界共通言語にしてコミュニケーションをたやすくし、
世界中から宗教という妄想を取り除き、
あらゆる体の病気、精神の病気を克服する薬を開発し、
地球上の全ての人間が遺伝子で定められた寿命を全うするようにしても、
それで世界が平和になるかといえば、答えは否です。

人間があふれれば他の動植物を減らしますし、土地も足りなくなるでしょう。
すると、衰退の道しかありません。
結局のところ、地球上に人間がたった一人にならない限りは、平和にならないでしょう。



しかしそう退廃的な考えでは滅亡しますから、
ムリとはわかっていても平和の道を探して生きているのが我々人間です。
なんにせよ、人間の力ではムリだ…と気がついた人の行き着く先は、
現状でよしとするか、目を背けて生きるか、宗教に逃げるかです。

ひとまず宗教を撤廃することで世界はだいぶ平和になると思いますけどね…
現在、世界各国で起こっている大きな戦争の殆どは宗教由来の戦争ですから。
カトリック、プロテスタント等、アナタの身近な宗教だって、過去、そして現在戦争を起こしています。

宗教で心が洗われる、心が救われる人も多いでしょう。
しかし戦争で出ている死人のほうが多いのではないかと、
宗教戦争死傷者数の資料はありませんが漠然と考えてしまいますね。
だってその宗教を信じていない他宗教、無宗教を殺す戦争ですから。

歴史上、そして現在も宗教と政治は密接に絡んでおり、
宗教とは世界平和の為に存在しているわけではない事を念頭に…
日本も例外ではありません。神道と仏教で政治の覇権をめぐって何度も戦争がありました。



平和にしたい。大いに結構。感心するほどです。
しかしその「平和」「平等」「自由」という言葉が、
過去どれだけの宗教を起こし、どれだけの戦争を起こしたか知るべきです。

おそらく人間と言うのは、慢性的に病んでる生き物なんでしょうね。
地球上の人間の個性をなくし、考え付くことが同一になるように洗脳すれば、
あるいは作り物の平和なら実現可能かもしれません。

それが健康的なのか、生き物として正常なのかと問われれば否、です。



人類の過去を振り返り、それでもなお平和にしたいという気持ちを持つのは大変結構です。
結構ですが、今後、宗教をするのはおやめなさい。

一人の人間として出来ることは限られていますが、
今後まっとうに生きていれば、知人、恋人、子孫が出来るはずです。
その方々にあなたなりの平和を愛する心を伝えられれば、
あなた一人からのスタートがいずれ本当に世界を救うかもしれませんよ。
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