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よく総合格闘技という言葉を使い始めたということで創始者にあがる二人
今も生きてるのにどっちが考えたかどうしてわからないんですか?
雑誌の出典とかたどってもわからないんですか?
一応修斗が84年でリングスが91年ですけど最初は総合なんて言ってませんでしたよね?
一体どっちがいつから言い始めたんですか?

A 回答 (2件)

日本での総合格闘技のルーツをたどれば前田でも佐山でもなくアントニオ猪木が新日の看板を背負って始めた異種格闘技戦がきっかけを作ったといっても過言でもないです。



前田も佐山も猪木の弟子であり猪木のストロングスタイルを継承した佐山が前田の師匠に当たる名前は忘れたが大阪の空手家の道場を訪ねていい素材がいるとスカウトしたのが前田日明です。

前田は新日を背負って立てるという素材でヨーロッパに修行に出されたがそこでチャンピオンになり猪木が提唱したIWGPにヨーロッパ代表として出場しましたが荒っぽさだけが目立って結局負けてしまいました。

一方佐山はロシアと日本のハーフであるからロシア(当時ソビエト連邦)の国技であるサンボ技を使った真剣勝負をスタイルとしたかった佐山ですが猪木の他企業進出の失敗によって多額の借金を背負ってしまいその借金の返済のために当時プロデュウサーとして迎えられたのが新間寿氏であるが彼の画策で新しい団体として作られるはずであったUWFに新エースとして迎えられたのが前田です。

しかし猪木はテレビ朝日の引き止め工作で新日からUWFに移籍することをやめて前田と新間氏は裏切ったのです。その後UWFは移籍組を中心に独自の格闘技路線を貫き真剣勝負を売り物にしたスタイルで狂信的なファンを獲得します。

そのころ佐山は初代タイガーマスクとして新日で活躍していましたが猪木のやり方に嫌気をさした佐山は新日を離脱してUWFに参加して固定客を獲得しましたが前田との確執によって直接対決で金的攻撃をやってしまい佐山はUWFも離脱した独自の団体として作ったのが修斗で独自路線を歩き始めます。

彼が作った団体から総合格闘技の有力な選手が出てきましたが結局柔術家との対決は実現せず日本の団体に参加した選手が実力を発揮し評価されましたがどっちが始めたかと聞かれれば佐山でしょうね。

この回答への補足

前田との確執によって直接対決で金的攻撃をやってしまい佐山はUWFも離脱した独自の団体として作ったのが修斗

金的をやったのは佐山じゃなくて前田ですよね?その文だと逆に見えますが…?

補足日時:2011/09/21 03:20
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この回答へのお礼

日本の総合のルーツをたどるならばあなたの回答で正しいと思います
ただ質問文を見てもらえばわかると思いますが
「総合格闘技」という「言葉」を作って使い始めたのがどちらかという旨で質問しました
私もどちらかと言えば佐山がいろいろ創ったんじゃないかな~と思ってたのですが
最近は結構前田が創ったという説も有力であれ?そうだっけ?と思っていました

いろいろ切り開いたのが佐山なんだから佐山が創ってそうだけど…と思う次第です
詳しいお答えどうもありがとうございました

お礼日時:2011/09/21 03:25

前田さんも佐山さんも、総合格闘技なんて言葉は


一度も使ってなかったと思います。

両者の熱心なファンとかが、『総合格闘技の基盤を
築いた』とか『この人がいなければ総合格闘技は
生まれなかったかも知れない。少なくとも誕生は
十数年遅れただろう』とか述べられてるのはよく
目にしますが。

この回答への補足

>>ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E6%97%A5%E6%98%8E
>>総合格闘技という言葉の創始者(佐山聡が使い始めたという説もある)とされ、

↑の記述はガセだったのですか??
確かに初期は総合格闘技と言う言葉なんて使ってないのはわかりますけど…

補足日時:2011/09/16 00:50
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