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豊登と大木金太郎と山本小鉄は知っているのですが、他の弟子が居たのなら教えて頂けないでしょうか?

A 回答 (4件)

弟子と言う意味では、大木金太郎や山本小鉄のほか、前出の通り、吉村道明、グレート小鹿あたりが浮かびますね。


ほかに、ミツ・ヒライ、田中忠治、田中米太郎、マティ鈴木、マンモス鈴木がいます(日本プロレスに所属し、多かれ少なかれ力道山にコーチされています)。

また、当時日本プロレスに所属した、マシオ駒、松岡巌鉄なども、弟子と言えるほどではありませんが、影響は受けているでしょうね。
さらにマイナーどころだと、渡辺貞三、金子武雄、木戸時夫、玉の川、平野岩吉、長沢日一、宮島富男などが、力道山と同時代の日本プロレスに所属していましたが、力道山にコーチされたことがあるかも含めてよく分かりません。


関係ないですが、ヒロ・マツダ、竹村正明などは、力道山に反発して日本プロレスの主流派からは離れたプロレス人生を送っています。
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弟子というほど関係は濃くなかったものの、コテコテの力道山派・日プロ派といえばやはりまだら狼こと上田馬之助。

ただ力道山自身が入門前の出自で待遇に格差をつけていたので、上田は猪木同様(それでも大相撲出身者なので猪木よりはマシな扱い)力道山に本格的な稽古をつけてもらえたわけではないようで(力道山の場合稽古というよりいやがらせに近い珍トレーニングばかりだったようですが)。それでも一応あのBIとほぼ同期入門ということで。

一方でギリギリで力道山の弟子になりそこねたのがマイクの鬼・ラッシャー木村。64年入門ですが前年に力道山が亡くなっているため、名目上は豊登の日プロ入門という形。本来は高校中退で日プロに入門する予定が、(おそらく周囲の策略込みでしょうが)見学した宮城野部屋でちゃんこをごちそうになって入門(せざるを得なかった)という話もあります。これがなければ力道山直弟子の座は得られたでしょう。
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山本小鉄の前に グレート小鹿 という弟子がいました。



どちらが最後の弟子か?

デビュー戦は、小鹿のほうが早いので
最後の弟子は、山本小鉄だと思います。
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日本プロレスは、ほとんど見てないのですが、吉村道明の名前が浮かびますね。



やられ役のようなポジションですが、火の玉小僧の異名をとっていました。
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