プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

独身の頃、海外によく一人で旅行に行っていました。
その話を聞いて知人が
「今まであなたの行った国で貧しい国を教えてほしい。子供を連れていきたい。」
と言われたので
「すべてとは言わないが、貧しい国は治安が悪い場合が多い。
子供を連れていくにはあまり向いてないと思うよ。」と言いました。すると彼女は
「うちの子供は物や食べ物を粗末にする。
なので貧しい国の子供たちを見せて、自分たちがどれだけ贅沢で恵まれているか、
物を粗末にすることはどれだけ悪いことなのかを教えたい。」と言いました。
別に彼女の教育方針に異議を唱える気はありませんが
なんとなく彼女の方針に違和感を感じました。

そういえば昔、私の母親も同じようなことを言ってました。
好き嫌いを言ったり、ご飯を残したりすると、
雑誌に載っている戦時中の国で、栄養失調で痩せこけた子供の写真を見せて
「ほら、世界にはご飯が食べたくても食べれない子供もいるんだ。
こんなに痩せこけてかわいそうだろ!
あなたはこんな子供たちと比べるとずっとずっと幸せなんだ!」と。
幼心にも母親の言うことになんとなく違和感を感じていました。

母親が怖いので反論はしませんでしたが、
自分より貧しい子供がいることと、食べ物を粗末にしてはいけないことと
一体何が関係あるのかな?って思ってました。
世の中に栄養失調で死んでしまう子供がいようがいまいが
世界に貧しい子供がいようが、金持ちの子供がいようが
純粋に「食べ物を粗末にすること」は悪いことなのです。
世界にどんな子供がいようが、「食べ物を粗末にする」のは悪いことに変わりない。
屁理屈をいうなら、栄養失調で亡くなる子供がいなくなり
世の中に自分より恵まれた子供ばかりになれば
食べ物を粗末にしても良いことになってしまいます。

それに貧しい子供を見て
「ほら、あなたはあの子供たちよりもずっと恵まれているでしょ。」というのも
その子供たちに失礼な話のような気がします。
確かに生まれて1年もたたないうちになくなってしまうような国の子供たちより
医療も発達し、食料も豊富にある日本の子供は恵まれているのかもしれません。
でも自分たちより「下」の人間の現状を見せることで
自分たちは「幸せである」と教育することってなんとなく傲慢な気がします。
それ以前に貧しい国の子供たちを「下」とすでに定義していること自体にも違和感を感じます。

子供の教育方針はその家庭の問題なので他人の私が口出しすることではないので
知人の教育方針に口を出す気はさらさらありません。
でも貧しい子供と比較させることで「物を粗末にしてはいけない」「自分は恵まれている」
と教育することになんとなく違和感を感じました。

こういう風に感じるのは私だけなんでしょうか?

もちろん知人も子供を海外に連れていくのはそれだけが目的でないでしょうし
違う世界に触れることは子供にとって良いことだとは思っています。
子供は子供なりの感性で何かを学ぶと思いますし。
ただ知人の言い分にちょっぴり違和感を感じたのです。

A 回答 (22件中1~10件)

>それ以前に貧しい国の子供たちを「下」とすでに定義していること自体にも違和感を感じます


そうですかね。だって本当に経済的には「下」なんですもん。本人の外見や内面の比較ではなく、食料事情の比較なんですから、下は下ですよね…

個人的に、「飢えてる子がいようがいまいが、食べ物を粗末に悪いこと」という意見には全面的に賛成です。
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私も、その彼女の言葉には、違和感を感じます。


やはり、善とか幸福とかって、人と比較するものではないと思うからです。

少し、違うかもしれませんが、

私が常々、世の母親の言葉で違和感を持ってたのは、例えば事件や災害で、
「なんで!よりによって我が子が!?」とか、
「一歩間違えば、我が子でもおかしくなかった」とか、
すごく違和感を感じます。

他と比較して感謝するというのと、同じ匂いがします。

善悪は絶対的なものであり、相対的なものではないし、
幸福観はあくまでセルフィッシュなもので、エゴイスティックとは全く異なります。
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こんにちは!



国家予算の半分の税収しかないくせに
このレベルの生活をキープするために
国債をバンバン発行する国に住みながら

貧困国 を教育としてわが子に見せたいっていう経済感覚の人には
ちょうどいいレベルの話なんじゃないですか?

贅沢ね。あははって感じですね。
そういう質問されて
違和感感じながら 治安が悪いとか
くそまじめに具体例あげてるあなた様もかなり素敵です。

>今まであなたの行った国で貧しい国を教えてほしい

こういうおめでたい系の人には

「ある意味日本?」

って答えてあげるのがあなたの国際人としての親切です。

わざわざ海外まで行かなくても
日本にもごみ箱あさるホームレスはいますから。


>「ほら、あなたはあの子供たちよりもずっと恵まれているでしょ。」というのも
その子供たちに失礼な話のような気がします。


そのご心配も無用ですよ。
貧困国も賢い階級の人もいればそうでない人もいますので
賢い階級の人に気の毒がられているのはわたしたちかもしれません^^
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多くのご回答があるようなので視点を変えて書かせていただきます。



今回のお話に違和感を感じられるのはよくわかりますが、さらに言わせてもらうなら貧困国の表面だけで教育をするというところに甘さがあると感じました。

貧しい国で学ぶつらさは半端ではないです。

私がいた某貧困国の貧困層では出産後の赤ちゃんの片手を切り落とします。
この子は一生片手で暮らすのですが、その不憫な体のおかげでお金を恵んでもらえるので生きていきます。
もし切らなければ食べるものを手に入れる手段がなく、3歳、5歳、7歳・・・・日本では七五三で祝っている年齢が彼らの享年になるのです。

また「泥棒市場」があるのですが、その周りにはさらに貧困な国からやってきた若い女の子の売春スペースがあり、エイズをはじめ病気のデパートになっています。

本当に危機感を感じるなら、そこまで見て、学んで初めて海外に行くことによる教育になるでしょう。

もちろん小学生をそこに連れて行くことが良いとは思いませんので、であればゴミ箱をあさってる風景だけで貧困を教育するのはやめて欲しいですね。

ご質問者様もあちこち行かれたでしょうからご存知だと思いますが、貧困とは食料がないこと・・ではないんです。
もっと大事な家族・愛・命といった根幹が侵されるところにつらさがあると思います。

さらに言えば、今の日本が未来永劫続くという話はおとぎ話だと思っています。近い将来、日本人は「貧しい国」の一員になると思います。
資源がなく、高齢者が社会の多くを占め、教育も世界水準から遅れをとりながらも何の対策もなく、きれい事で責任逃れに終始している国が繁栄することはあり得ません。
つまり今度は自分たちが標的になって「見世物」になる時代が来るでしょう。

それを避けるには、適当な年齢になったら世界・社会の本当の底辺を学ぶことで自分のやるべきことを学べばいいと思います。
(たぶんご質問者様の海外放浪(笑)が、今のまともなあなたを作っているんだと思います)

ちなみに食べ物を粗末にする子の教育は簡単です。
食事もおやつも量をぐっと減らせばいいのです。「我が家が最貧家庭」になれば一番の見本です。
子供は家計などわかりません。
うちで提供できる食料はここまで!!にすればいいと思います。
基本欲求の食欲には国籍はありません。子供は空腹に耐えられなくなったら大事にしますよ。
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わたしもちょっとひっかかる方ですね。


昔、若い頃ですが、
宴会であまり食が進まなかったわたしを見て
「世界には満足に食べられない人が沢山いるんだから、
ちゃんと食べろ」と説教したひとがいるんですが、
「わたしがここでお腹一杯食べても、
その食べられないひとのお腹は一杯にならないでしょう?」と
思ったことがあります。
わたしはひねくれてるんでしょうか?
じゃあどうすれば子供に食べ物の大切さを教えられるのか?
それはわかりせん。
子供がいないのであまり考えたことがないのでした。

わたしがよくなんだか嫌だなと思うもうひとつのことは
「子供を思いやりのある子に育てるためにペットを飼いたい」というひとです。
言ってる事は間違っていないと思うし、
動物の世話をして思いやりのある子供に育てばもちろんそれにこしたことはないけど、
なんとなく「動物は子供の教育の道具じゃないよ」って思ってしまうんです。
「食べ物の大切さを教えるために云々」っていうのも、
それにちょっと通じる何かを感じるのかも。
やっぱりひねくれてますよね。

ひとの考えはそれぞれ、
結果よければそれでいいのでしょう。

ひとつ、その知人の方で気になったのは
人に「貧しい国を教えて」と訊いていることです。
自分の眼で確かめるなり、せめて色々勉強するなりして、
自分で感じた事を子供に伝えたいっていう感じが見えないから。
他人の体験に乗っかるだけってちょっと薄っぺらいような気がします。
その国のことを沢山知って、
親近感なり、愛情なりを持つこが出来れば、
旅行も決して無駄ではないと思います。
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ものすごい分かります!



私は子供の頃、好き嫌いが多かったので、家族にも学校の先生にもずっと「世界には…」と唱えられてきました。
言ってる意味は理解してました(納得してない=本当には理解できてない…のかもしれませんが)
でも、全然心には響いてきませんでした。
分かるけど…なんか、自分より辛い状況の人のことを思って、自分の幸せを実感しようって
自分から素直に感じるなら本物だろうけど、人から言われて感じようとすると歪んだものになりそうな気がするんだよな~…とか思ってました(可愛くない子供ですねw)

結局、私に残ったのは「もったいない」「お百姓さんに失礼だ」とシンプルに言い続けてくれた祖母の言葉でした。

とはいえ、相性とか性格ってありますからね。
“私”のような屁理屈タイプには、シンプルな言葉で日々伝え続ける方法が合っていただけ。
感覚的な子なら、目の前の現実として体感したことの方が響くかもしれない。
突飛なことはしなくても、親の背中を見て自分なりに辿りつく子もいるかもしれない。

自分が親になって思うことは、うだうだ考えるより動け!です。
1週間かけて考えたひとつの言葉より、1週間かけて連れ回した10の経験の方が
子供にはずっと価値がある…と思って子育てしてます。
(言葉に価値がないという意味ではなく、私は理屈っぽいタイプなので自分を律する意味で!)

だから、お友達の発言にはたしかに違和感を感じるけれど、行動は良いなぁ~と思います。
ただ私は無理ですね~。経済的にも、言語的にも、危機管理的にも…w
でも出来れば、日本以外の国を見せる機会もほしいなとは思ってます。
それまでは身近で感じられる色んなことを、いっぱい経験させてあげたいと思います★
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私は、質問者さんの知人の教育の仕方に違和感を持ちません。


同時に、この文章を読ませて頂いて、共感する部分もあります。

私も幼い頃、祖父母に「貧しい国の子供たちの事を考えてみろ」と、食べ物を残した際に言われました。 私はその叱られ方に違和感がなく、申し訳なさで一杯になったのを覚えています。(でも、具材の好き嫌いじゃなくて味付けがマズかったからだと、心の中では言い返してもいたけど・笑)

「食べたくても食べられない人」が居るという事と、「骨と皮だけのように思える体」から与えられる視覚的なショックって大きかったですよ。 まさに「百聞は一見にしかず」です。
祖父母にしろ親にしろ、実体験として「戦後の何もない時代」を経験していますから、「勿体無い」、「物を粗末にしてはいけない」というのが言葉にする必要も無く経験としてありました。
でも、物が溢れ、「使い捨て」経済なんて呼ばれるような時代に、「別に壊れてもいいよ、100均だから」なんて時代に、「物の大切さ」を教えるのはきっと、難しい。

何も、「比較」することでハッと身につまされる思いをするのは、貧しい国に限りません。
「生きている意味なんかないんじゃないか、もう死んでしまいたい」と思っている時に、闘病生活のドキュメンタリーを見たりすると、「こんな状態で、こんなにも頑張ってキラキラしている人がいるのに・・・」と思って恥ずかしくなったりもします。
これも、「身体の不自由な人」を「下」にみているという事になるでしょう。「私は健康で、この人は『病気なのに』」という、上から比較ですから。
けれど・・・不自由な人を見てわが身を振り返るやり方が、醜く汚いものだとしても、そこから生きる気力を得る事もあったりします。
確かに、いつだって「物を粗末にすることはいけない」し、いつだって「命は大切」ですが、そう思っていたって「貴方の寿命はあと1ヶ月です」なんて言われたら突然に命の重みは増すし、「物がない、食べ物もない」現実を目の当たりにしたら、自分が粗末にした物の価値を知ると思うのですよね。普通の感覚として。
「比較して優越感のみを得て、その事で幸せを実感・再確認させるやり方」だと嫌ですが、「比較して至らない部分を反省して、感謝が出来るようになる」ならいいかな、と思います。
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はじめまして



そもそも「下」を見せたからって、どうかなるもんじゃないでしょ。。。

きっと、そのお母さまは、行っても、5つ星ホテルとか泊まるんでしょうね。
っで、朝食バッフェ行ってから、そうゆうところに繰り出すんでしょうね。
あるいは、昼間そうゆうとこ行ってから、ホテルで夕食とるんでしょうね。ワインとか飲みながら。。。

ウチの子供も、俗に言われる貧しい国に住んでましたが、
決して、そのお母様の思っておられるような子にはなっていません。
裸足、上半身裸で弟・妹にバカでかい荷物背負わせて、兄は棒振り回してる兄弟の横すり抜け、見てもしましたが。。。
「こうしたら、こうなる。」と思いすぎなんですよ、我々大人は。
「こうしたら、どうなる?」なんですよ、ほとんどのことは。
子供の教育なんて、それの典型でしょ?
しかも、その効果は、「本当の意味で」発現するのは何時かかわからない。
なので、そのお母様の「そうゆう所に連れて行きたいくらい!」っていう、ポジティブな感覚は非常にすばらしいと思いますが、その後は余計だと思います。
「これで、気づけなかったら 別の機会を与えてやるからな~ 逃がさないでぇ~」という思考になって欲しいとおもいます。

まぁ、教育方針ですから、口を挟むことではないのかも知れませんが・・・
こうゆうのは教育では無く、教育という名の親の欲求なのでは?

あと、回答者さんに多いですが、上とか下とか、あるとか無いとか・・
評論もいいところです。ホンマにあの匂い嗅いだことありますか?
ある意味「下」です。っで、ものすごくリアルで怖いです。
「ボク達、恵まれてるんだね」なんて、言葉にでてきません。
あるのは、強烈なショックと「なんでっ・・・」みたいな感覚です。
恵まれなかったことで、卑屈・セコクなったんだろうなと予測できる人もいます。
これは、まぎれもない事実です。

一方で それでも幸せそうにしてる人も居ます。
あの部分は、向こうが「上」ですね。
今できる幸せを最大限吸ってるって感じ。
日本人には少ないですね。
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この回答へのお礼

>きっと、そのお母さまは、行っても、5つ星ホテルとか泊まるんでしょうね。

うーん、そうかもしれません(苦笑)。
「治安や衛生面でいうと子供を連れていくにはお勧めではない」といったら
「ちゃんとしたホテルに泊まるので大丈夫」って言ってましたので。

>なので、そのお母様の「そうゆう所に連れて行きたいくらい!」っていう、ポジティブな感覚は非常にすばらしいと思いますが、その後は余計だと思います。

確かにバイタリティーはすばらしいと思いました。

>「これで、気づけなかったら 別の機会を与えてやるからな~ 逃がさないでぇ~」という思考になって欲しいとおもいます。

きっと回答者様はこのように教育されていらっしゃるんでしょうね。
ポジティブでダイナミックで素晴らしいと思います。

>今できる幸せを最大限吸ってるって感じ。
>日本人には少ないですね。

そうなのかもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/15 13:35

子供を連れてその国に行くのはどうかと思いますが、あなたの母親のように写真を見せて説明するくらいなら、特に違和感は覚えません。



なぜなら、特に子供にとっては一番分かり易い実例だからです。

「食べたくても食べられない現実」は、日本ではほとんどないでしょうから、例えば食事の時間外であったり、多量のおやつを要求するような我儘を言うことがあったら、そういった写真を見せながら我慢するように説明するのは、おかしなことでも何でもないと思います。

たぶん違和感とおっしゃるのは、自分たちは「恵まれている、幸せである」の捉え方に違いがあるのではないでしょうか。
ちょっと表現が難しいのですが、「幸せを満喫しろ、優越感に浸れ」という感じ方(あなたの言う傲慢)と、「もっと苦しい状況でも生きているんだ、もっと我慢できるはずだ」という感じ方(僕が言いたい意味合い:叱咤激励)の違いです。

>それ以前に貧しい国の子供たちを「下」とすでに定義していること自体にも違和感を感じます。
僕は、あなたのこの表現に違和感を覚えます。

今回の質問においては、その国が「上」とか「下」とかの話ではなく、単に「貧しい国」を教えてと言っているだけです。
それに対して、あなたが勝手に「貧しい国=下」と定義してしまっているように思えるからです。(質問内容からはそう思えました)

このことから、あなたの違和感の根源は、正しく「貧しい国=下」と考えているから、他の人が、それらの国との比較話をした時に、「なんてこと言うんだろう・・・?」になってしまうのだと思います。
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この回答へのお礼

>なぜなら、特に子供にとっては一番分かり易い実例だからです。

確かにそうなのかもしれません。
ただ私の場合、子供のころから「それって関係ないじゃん」って思うような
憎たらしい子供だったんですよね。

>その国が「上」とか「下」とかの話ではなく、単に「貧しい国」を教えてと言っているだけです。

説明が足りずにすみません。
「下」と表現したのは知人なんです。
質問文の内容で知人の教育方針のニュアンスは伝わると思い
そこまで詳しく書きませんでした。
誤解を与えてすみませんでした。

ただ回答者様がおっしゃるように、知人も別に他の国を見下しているのではなく
叱咤激励のつもりで言っているのかもしれませんね。
新しい発見です。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/15 13:25

言葉尻を捕らえて「違和感」という意味はわかります。


いろいろな人を見ていろいろな思いをするというのはストレートにいいこと。
でも、そのときに「あんたはどれだけ恵まれているか。もう少し我慢しなさい」
みたいな説教を垂れないで、見たままを感じて考えてほしい。という言い方をしてほしかったと。
たしかにそうですね。理想的には。

ただ、子供の教育って、「自分から勉強しろ」は理想で「ガミガミ叱って勉強させる」が現実。
何歳か知りませんが、多少ショック療法的な意味合いがあるにしても「モノを大切にしろ」って精神をその時に言い聞かせる。 
言い聞かせないと景色もろくに見もしないで下を向いたままDSやってるようなガキの姿が想像されちゃって、ガミガミと言い聞かせている方が現実的には有効なのでは?
という思いもしています。
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この回答へのお礼

>見たままを感じて考えてほしい。という言い方をしてほしかったと。
>たしかにそうですね。理想的には。

理想的にはそうですね。

>ガミガミと言い聞かせている方が現実的には有効なのでは?

確かにそうなのかもしれません。
ガミガミも時には必要ですしね。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/15 13:20

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