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私の家は父の代からキリスト教です(カトリック)。
私自身も小学校から高校までミッション系の学校に通っていたこともあり洗礼を受けています。

今までずっとキリスト教に触れた生活をしていたので
大学に入ってから宗教ネタはタブーといった感じに戸惑っております。
大学では、私が洗礼を受けていることも隠しています。
隠す必要がないとは思うのですが、キリスト教は頭おかしいと思っている友人がいるので言えません。
無宗教の人からみたら、キリスト教の人とはあまり関わりたくないのでしょうか?
結婚を考えたときに相手がキリスト教を毛嫌いする人だったらどうしたらよいのでしょう?
ちなみに、私は熱心な方ではないので毎週教会に行ったりはしませんが
信仰はあります。祈ったりもします。

ところで私は、初詣に行ったことがありません。
小さい頃は毎年元日のミサにあずかっていたからだと思うのですが…。
しかし、来年2012年に大学の友達に初詣に誘われてしまい
行ってもよいのかどうか迷っています。
私はイエス様を信じているので、他の神様を拝むことはできないのですが
初詣に行って雰囲気を味わってみたいなという気持ちもあります。

今まで修学旅行などで神社やお寺にいっても中を見ているだけで鈴?を鳴らしたりお参りはしたことがありません。
初詣もそんな感じで大丈夫でしょうか?

それと、話が変わりますが、仏像に興味があって仏像の本を買って調べたりしているのですが
これもキリスト教的に大丈夫でしょうか?
仏を拝みたいという気持ちではなく、キリスト教徒になったのをきっかけに宗教という概念に興味を持ったからです。

質問が多くなってしまいましたがよろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

こんにちはm(_ _)m


友達にキリスト教の方がいたのでへぇ~そうなんだ位でしたね。その方は寺とか神社の中にすら入らなかったので。
自分は気にしませんが気にする人もいるでしょうね。何事にも否定する方は絶対いますし(^_^)
でも私がこうなんだからあなたもそうしなさいっていうのは嫌ですね。
仏像って仏教だったと思いますが・・・
気になったならしょうがないですよね(≧Д≦)
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1,”無宗教の人からみたら、キリスト教の人とはあまり関わりたくないのでしょうか?”


    ↑
 キリスト教は世界的に認知されているから、そういう人は
 あまり多くないのではと思います。
 私個人としては、良い大人が、あんなおとぎ話みたいな
 ことを信じているなんて、頭がオカシイ、と思っていますが。

2,”結婚を考えたときに相手がキリスト教を毛嫌いする人だったらどうしたらよいのでしょう?”
    ↑
 結婚の条件として、基本的価値観の一致、という
 ものがあります。
 宗教の違いは大きいですが、
 嫌う原因によると思います。

 私のように頭だけで考えて、嫌いっていうのなら
 あまり問題は無いでしょう。

 キリスト教関係で、ヒドイ眼にあった、他の一神教の
 信者だ、という
 人はダメかも知れませんね。

3,日本の神道は宗教色はあまり濃くないです。
 私など、お賽銭をあげたこともないし、拝んだことも
 ありません。
 見るだけです。
 誰も文句など言いませんよ。
 その点は、心配無用です。 
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>私はイエス様を信じているので、他の神様を拝むことはできないのですが


初詣に行って雰囲気を味わってみたいなという気持ちもあります。

問題ありません。イエス様(三位一体の神様)を信じているならば、
神道の人に怒られそうですが、「そこに祭られているものは本物の神様ではない(
例えば、ギリシア、ローマ神話の神)である」と思って
他宗教の見学のつもりで行けばいいのです。

こういうことは、神父様に聞いたほうが早いと思います。

>それと、話が変わりますが、仏像に興味があって仏像の本を買って調べたりしているのですが
これもキリスト教的に大丈夫でしょうか?

上の理由と同じで大丈夫です。
単なる芸術品と思ってください。

他宗教のことに関心を奪われているよりも
ミサにあずかるほうが重要だと思いますが。

また、初詣と書かれていますが、元旦は
カトリックでも祝日であり、ミサに出席する人が
多いはずです。
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宗教ネタがタブー、というのは少々違うと思います。


ある宗教に対して原理主義的な考え方をする人を相手にするのが非常に厄介であるため、そのような面倒に関わらないよう、予防線を張ってなるべく宗教ネタを持ち出さないようにしているだけ、というのが実情かと思います。
なので、あなた自身がキリスト教徒であることを周囲の人が知ったとしても、あなたの普段の行動や言動、思考から冷静に判断されるはずです。
多分、あなたが気づいていないだけで、周囲には立正佼成会だとか創価学会とかの信者はフツーにいるはずです。
「キリスト教は頭おかしい」とか言ってる人はとりあえず無視しとけば良いでしょう。誹謗中傷もいいところです。

初詣・・・別に行っても構わないかと思います。ただ、お分かりかと思いますが、例えあなたが信仰する対象でない神だとしても、それなりの敬意をもって接する必要はあるかと思いますので、その気持ちさえ忘れなければ問題ないと思いますよ。
ちなみに、私キリスト教徒ですが、初詣とかフツーにお参りします。「信仰する・しない」の問題でなく、なんていうんでしょうかね、日本古来からいらっしゃる神(というか、先祖というか日本の伝統文化に対する敬意みたいなもんなんでしょうか?)に挨拶に行く、みたいな感じでしょうか?ムチャクチャと思われるかもしれませんが、それはそれで私にとってはごく自然なことなんです。

仏像に関することについても、単に知的好奇心から来るものですよね?別にいいんじゃないですか?もしあれなら、教会で神父さんに相談でもされれば良いかと思います。
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一般論として、キリスト教徒をどう思っているのか


は難しいですね。
イスラム辺りだとなじみがないですが、キリストなら
そんなに心配することも無いように思えますが・・。

尚、私の経験では、キリスト教に限らず、宗教を
信じている人に呈しては一歩引く人が多いように感じます。

あんなおとぎ話を、よい歳をした大人が信じる、て
のは、正直気持ち悪いです。
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宗教と一口にいっても実際はかなりの差異があります。



神道は人智の及ばない領域での神の力添えを祈願する宗教です。五穀豊穣、大漁祈願、交通安全、無病息災、夫婦和合、子宝祈願、戦勝祈願といったように日本人は古来から何でも神に祈っていました。

仏教は災いは煩悩が招くとして日本人を教え諭す宗教です。だから神道と仏教は全く矛盾せずに日本人の中では両立できます。車の両輪のようにどちらも日本に必要だと欽明天皇が判断したわけです。仏教の宗派は数多いのですが、それぞれどのお経を重視するかといった違いしかなく矛盾するものでもないのです。

日本人は無宗教なのではありません。宗教を意識していないだけなのです。自分が何教徒だという自覚もないし、他人が何教徒かという関心も持ちません。それが日本人の特性です。日本にはどこにでも神社仏閣があります。それを見て、ああここは日本なのだと安心するだけなのです。

ところが他の宗教は違っています。ローマ・カトリックは、ローマ教皇の教えに従いなさいという教義で、ユダヤ教は神との約束を守りなさいという教義で、イスラム教は、イスラム教徒同士助け合って暮しなさいという教義で、ヒンズー教はカースト制度を正当化する教義です。

仏教が心の在り方を重視しているのに対し、他の宗教は行動の規範を教えることが重視されているのです。ローマ・カトリックがどうしてそうなったかというと蛮族であるゲルマン民族に虐殺・放火・強姦・拉致・監禁は正しくない行動だと教える必要があったからです。一方、ローマ教皇は奴隷貿易も認めていました。ローマ・カトリックの信者はローマ教皇が黒を白といえば白と信じるからです。ローマ教皇は異教徒は奴隷にしようが虐殺しようが全然OKですよと信者の蛮行を正当化していました。だから奴隷にされたくない異教徒はキリスト教に改宗していったわけです。ローマ教皇は同じキリスト教徒を奴隷にしてはいけないともいっていましたから。ですからローマ・カトリックは排他的・独善的と批判されることもあります。

いずれにしてもローマ・カトリックもユダヤ教もイスラム教もヒンズー教もどれも信者の行動を強く制約する教義があって、信者は自分が何教徒なのかを意識しているだけでなく、他人が何教徒かも無関心ではいられない性質があります。それが神道と仏教との大きな違いなのです。

毛嫌いでもなんでもない。キリスト教の歴史は異教徒を虐殺・放火・強姦・拉致・監禁し奴隷化してきた歴史です。異教徒から警戒されるのは当然のことです。タスマニア人を絶滅させ、アメリカ大陸の先住民を奴隷として酷使し人口を激減させ、アフリカの先住民を奴隷としてアメリカ大陸に運んだのはキリスト教徒です。彼らはそれが神の教えに適うと信じていたので罪悪感など全く感じなかった。大学生になってもそういう歴史を知らないというなら学校に通う意味など全く無い。
神道にも仏教にも異教徒を奴隷にしてよいなどという教義は存在しません。

初詣うんぬんの是非はローマ教皇に聞いてください。それがローマ・カトリックの教義なのですから。
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無宗教の人からみたら、キリスト教の人とはあまり関わりたくないのでしょうか?



相手の生活を脅かす勧誘や日常の会話で否定等されない限りは
問題ないと思います
私もカトリックに関わってますが今まで問題があった事は一度もありません
仕事関係から○○学会の同僚とかいますが
お酒の席で話す機会があり色々と話を聞く事が出来ました
プロテスタントの友人もいます
若かったり熱心な人ほど自分を正しいと主張するものだと私は思っているので
私はあえて否定はせず相手の話を聞くスタンスでいます
キリスト教だからとかよりも大事な事は
立派な言葉や考えよりも
日常のその人の行いだと私は思うからです

キリスト教は頭おかしいと思っている友人がいて
隠す必要はないけど言えないとあなたは書いてますね
その人には多分毛嫌いする動機があるのでしょう
私も似たような出来事がありますのであなたの心情が少しわかります

意見ですが
無宗教な人は宗教の話に嫌悪感があると思います
それはあまりにも勧誘する宗教があり身近で不愉快な事があった
もしくは聞いたなどがあるからです
また同じ神を信仰しながらも宗派により違いがあり
カトリックとプロテスタントの違いも知らない事も多いです

なので少し身構えてしまう事もあるのではないでしょうか

他国では信仰する神などはいないと言うと変な人ですが
日本人は無宗教だと言っても葬式はしますので
少なからず無意識に信仰は持っていると私は思っています
特定の神をあてはめるのではなく
仏教と神道がミックスされた歴史を持ち
さらに西洋文化も取り入れた日本人ならではの
生活の中で当たり前に溶け込んでいる神への崇拝が多々あります

初詣に行く事があなたの中では踏み絵のような気持ちにさせる事もあるでしょうね
私は天照大御神は創造主という解釈なのでむしろ神社は大好きです
お寺は日本の歴史なので敬意の対象です

カトリックは自由な解釈は認めない部分があるので
あなたが悩む部分がわかります
しかし神社に行きあなたは自分の神を想えば良いのでは?と思います

私は個人的に初詣には行きますよ
教義も大事ですが友人も大事だからです
大丈夫かどうかは自己責任の問題だと思うので
私には大丈夫とは言えません


仏像に興味があって仏像の本を買って調べたりしているのですが
これもキリスト教的に大丈夫でしょうか?

キリスト教なら
それぞれの意見があると思います
私も熱心ではないのでどちらとも選べませんが
興味があるなら調べます
私は神道、神社、祭具等の歴史に興味があるので実際に足を使って調べます


結婚を考えたときに相手がキリスト教を毛嫌いする人だったらどうしたらよいのでしょう?

話し合うべきで二人の間でルールを設けるべきでしょう
相手の人にも肉親や親族がいて宗教があり宗派とかあったりしますし
一方的なルールは避けた方が良いでしょう


私も10代や20代の頃同じように悩む事があったので
カトッリク的な事はなるべく避けて
自分の考えを書かせてもらいました
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tutuha256さん、質問を拝見しました。



わたしはプロテスタント教会の牧師なので、カトリック教会のことはくわしくはわかりません。

読ませていただいて、なんとなく感じたことをお知らせしたいと思います。


大学生ということで、いままでより広い世界にふれて、自分自身の生き方が問われるような場面に出会っているのだと思います。

何をしていいか、いけないか、ということを気にするよりは、自分の生き方って、どんな生き方なんだろうか?神を信じている、というのは、どういう意味なんだろうか?とお考えになっていったらどうでしょうか。


おそらく、ご自分の歩みを確立していく、とても大切な時期なのだろうと思います。

助けになるのは、自分のことをよく理解してくれて、正直な想いや葛藤を話すことのできる存在でしょうね。


すばらしい歩みに導かれるように願っています。
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私の妻は、幼児洗礼を受け、妻の家族全員がカトリックです。


私は、無宗教でも、結婚しました。
結婚で、宗教は阻害要因になりませんでした。

妻は、12月24日のイブミサでは、ボランティアのオバチャンで、
5回のミサの内、2回は誘導に入っています。
(その間の休憩2時間弱で妻とクリスマスディナーを取りました。)

妻は、子供を連れて(私は仕事で同行せず)鎌倉八幡宮、日枝神社、
自宅近くの明治神宮に行きました。
(子供に親の宗教観を押し付けないため)

今年の大晦日は、元旦ミサのため、22時に教会に同行します。
ミサが終わる午前1時まで、私は、近くのホテルのバーで待ちます。

日常の生活で、妻はクリスチャン、その他家族は無宗教。
何の問題もなく暮らしています。

我が家も、仏像、絵馬が好きで、良く旅行では、寺院、神社を
訪れます。
(夫婦で、子供は2人とも結婚して相手にしてくれません。)
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カトリックでは聖職者でないかぎり他の宗教施設に立ち入ることなどは禁じていないはず。

信仰心とは信じる心にそむかないことで、神社仏閣や仏像に興味を抱くことは自由なのでは?
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