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 私の知り合いが日本でも一番有名なくらいの神社に、節目ごとにお払いに行っています。しかし、金額によって、巫女さんが横についたり、収める金額が安いとすぐにお払いが終わったりすると言っていました。ですが、人によって収入に差があり、金額は気持だと思うのです。それなのにそのような差をつけるというのは、神に仕える者として、あるまじき行為だと思います。金儲けとしか思えません。
 そのような金儲けではなく、神主としてちゃんとした力(心から人を助けたいとおもう)を持っていて、金額のいかんにかかわらず、ちゃんとお祓いをしてくれる神社というのはないのでしょうか。できれば北陸三県の中にあればいいのですが、他の地域でもかまいません。知っていたら、教えてください。お願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

どこの神社でも言ってる事は同じです



巫女付きでも巫女無しでも

安さ優先なら、巫女無しでお払いしてもらえばいいだけですが?

交通費出して安い所に行くのもアホらしいでしょ?

それに安い金額が目的ってのは、あなたも金に惹かれてるわけです、それに気が付きましょう
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金額はきもち・・・そんな俗説はつい最近の金欲主義から出ているんですよ。


本物は金がかからないとかサービスは無料。そんなこと言ってるのは日本人だけだって知っていますか?
だから日本人の経済観念は世界から立ち遅れているのです。

そもそも祓えはスサノオが高天原で乱暴狼藉を働いたことに対する賠償金が起源です。
そこから拡大解釈をして、私達が意識的、無意識的に犯した罪咎に対して許して頂くための謝罪が祓えです。
つまり厄災というのは無効から勝手の攻撃してくるわけではなく、自分が知らず知らずのうちに犯していた罪、その気が無くても結果的に人の期待に反したり、自分には原因が無くても人が自分を恨んだりすることも、自分の咎として許していただく。それが「祓え」です。要するに体内毒素を排泄して健康を保つのと似た発想です。
そして大昔には祓えを受ける罪咎に対して金額も決まっていたそうです。金額は自由になったのは後世であり、自分でその価値を見定めで納めるのが「自由」というもの。

当然、多額の金額を支払うということはそれだけ自分の罪が重い、或いはほんの些細な罪までも完全に祓って頂こうとするものですから、より念入りに祓えを行うのは当然でしょ。
街中の医者に簡単な検査をしてもらうのと専門施設でドックを受けるのと、「金額によって扱いが違う」と文句を言う人、居ますかね。

それを巫女が付いたとか付かないとか言ってる時点で祓えの効果は期待できません。もったいないから辞めた方がいいでしょ。
正式ではありませんけど、拝殿前で手を合わせるほうが、その人にとっては有効かもしれません。
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お金の百円も賽銭箱に入れ、ジャラーーーンと鐘を鳴らし二拝二拍一拝すれば、格安でご利益は同じです。

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 どこの神社も氏子の寄付だけでは成り立ちません。

『金儲け』しなければ神様が奉っていけない時代なのです。『地獄の沙汰も金次第』が現実なのです。
 『金額のいかんにかかわらず、ちゃんとお祓いをしてくれる神社』なら田舎の方の今にも朽ち果てそうな神社をお探しになられれば良いでしょう。ただ、神主さんは他の仕事も“掛け持ち”でお留守かもしれません。
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>金儲けとしか思えません。


そうなんですが。

自宅に神棚を設ければ、基本無料で何時間でも拝み放題です。
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逆発想でお金持ちの立場に成り代わり発言します。

(私はお金持ちではありませんが。)

相場以上のお金を包みお払いを依頼したのに、相場程度のことしかしてくれないのではありがたみがありませんし、多く包んだ意味がありません。

「金額は気持ちであり、やることは一緒です」では納得がいきません!
(と言われるでしょう。お金持ちは)

お金持ちかどうかは別として、質問者様自身がかなり無理をしてでも相場以上のお金を親戚・知人などからかき集めてまでお払いに出向いたとして、その大金を納めながら粗末なお払いで終わったら立腹されませんか?

「誰であれ普段からこういうやり方で、分け隔てしておりません!」と言われたら納得されます?
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あのね。

神主も巫女も人間なんですよ。神様ではありません勘違いしないで下さい。
神様に仕える人間なんです。

食べていかなければならないんですよ。
神社だって維持管理費がかかるんです。

慈善事業じゃないんです。
また公務員でもないんです。税金で食べてるわけではないんです。

あなたの言うことが正論ならば、
神主さんや巫女さんが食べるものは只、着る物も只でなければおかしいでしょ?
彼らがお金に関係なく人にサービスするなら彼らにかかる費用は世の中すべて只にして
上げなければ理屈が通らんでしょ。

彼らからは衣食住にかかわるお金を取っておいて、自分達にはサービスしろ!
という理屈になりますよ。そんな屁理屈通るはずないでしょ。

人間は何かをすればそれを賃金に換えるのは当たり前のことなんです。

逆にお金を払わず人に何かしてもらおうというほうがよほどムシが良すぎると思いませんか?

ただし、神様は金額の大小でご利益を変えるということはないでしょう。
だって神様ですからお金で動くということはありません。

でも、ひょっとしたらご利益も変わってくるかも知れませんね。
神様はそんなことはしなくても、お願いするほうにその原因があって
ご利益が違ってくるのではないかと思いますよ。

なぜなら、
では、初詣、
年頭に当たり本年の意気込みや目標を祈願しますね。

その時、賽銭箱に10円を入れて祈願する人と、
1万円入れて祈願する人とでは
どちらが強く祈念してると思いますか?

当然1万円の人のほうですね。
一万円入れるほど俺の目標はなにがなんでもやらなくちゃならねーんだ!
と思うはずです。

つまり、自分の心、祈願の強さのバロメーターがお賽銭箱に入れる金額に
なっているわけです。

すると、そのくらい強く思っているのですからちょっとやそっとじゃ
心は折れません。強い目標達成意識がありますから達成度は高くなります。

これがご利益と考えれば1万円のほうがご利益があった、ということになります。

これは神様ではなく自分の心にこそその要因があるわけです。


てことは、神様というのは自分の心の中にある!
ということなんですよ。

回答とは方向が違うほうに行きましたが
結論としては、
神様は金額によってご利益は変えないが
それに仕える人間(神主や巫女)は食べていかねばならない。
働く以上収入は得て当然。
あなたのいう金額のいかんにかかわらず働け!という理屈は
現代社会では通用しない。

むしろ、金額にかかわらず、こっちのために働けという方がずるい。
ということですなぁ。

もちろん人間はボランティア精神というのがありますから
無償で人のために何かをするということはあるでしょう。

しかし、それが生活を支える仕事となれば働けば賃金を請求するのは当たり前でしょ?

巫女さんが着替えてまであなたのそばについても付かなくても同じ収入なら
横になんか付くはずないででしょ。

人間動けばお金がかかるんですよ。

あなたの言ってるのは「神様」のお話でそれに仕える人の話ではありません。
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日本には、八百万の神といって数えきれないほどの神様がいます。



自宅の近くに神社があれば、そこで賽銭をあげて思いを祈れば充分です。

でも、有名で格式高い神社で受けたいのであれば、金額での差はしょうがないでしょう。

お寺でも神社でも、維持してゆくには仕方ないと思います。御祓いを受けて安心し、満足

するのは自己満足ですから。
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お尋ねの神社は存在しないと思います


所詮、神頼みなどは心のよりどころの一つです
いくらお金をつんで祈願しても人が人の希望を叶えることなどできるはずがありません
また自分を守ってくれる神様や仏様も存在しません
初詣帰りに交通事故で死亡するというニュースもたまに聞きます
あなたの言われることも最もですが神社の行為も商売です高い祈祷料に見合ったお祓いは当然です
金額のいかんにかかわらず、となれば何も神業さんに頼まなくても
小さな神社での賽銭箱での祈願でよろしいのでは
ようは心の問題であると思います
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神社仏閣の経営は慈善事業じゃありません。


資金がなくなれば 倒産します。維持費がなければ朽ちて倒壊します お分かりですか?
なんでも金です。

そもそも貴方のような考えなら、神社仏閣に お賽銭箱なんて必要ありません。

伊勢神宮や熱田神宮などの 菊の御紋入りのところだって なんでも金が第一です。
巫女や神主は、空気だけ吸って五体満足生きていられる特別な生き物なら別ですけどね。
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