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自分は霊の存在を信じるのですが、霊についていくつか疑問が浮かびました。

生前激しい思いを抱いたままだったり、偶然だったり色々ですがお亡くなりになった方(動物、人問わず)が霊となるとのことで、人の場合ですと戦国時代や昔の合戦での霊の話が色んなところで出ます。

ここで疑問に思いました。なぜそのあたりの方の霊は未だにいるのに弥生時代やら卑弥呼のいた時代、さらに遡って原始時代にいた原人や、恐竜といった動物の霊はなぜ一切でてこないのでしょうか?霊という存在も決して永遠というものはなく、その思念もいつか曖昧なものになってこちらが霊として感じれる存在も薄れていってしまうからこそある程度以上前の昔の霊というものは出てこないと考えるべきでしょうか。

また、こちらは宗教の話に踏み込んでしまう領域ですが、霊というものは実際にいると考えていますが神仏といったものは一体どこから出てきたのだろう?と。浄霊の際や実際に霊が救いを求めてちゃんと祭られている祠等に集まるようですからその神仏といわれる力はあるものなのでしょう。しかし、それこそ宗教の数だけ神がいるわけで、その全ての神がいるとは考えにくいものがあります。つまるところこの様々な神といわれている存在というのは、自分達には視認できない霊達と同じ次元においての同一的な存在であり、見る側によってその風貌等が違う、という感じなのならば納得できます。そこに明確たる意思というものがあるならば、無礼を働いたり放置したりすれば同じ霊体次元に存在する以上霊と同じような災厄を引き起こせるのも納得がいきます。

明確な答えがでるものではありませんが、皆さんの考えをよければお聞かせ頂きたいです。かなり切実な疑問です。

A 回答 (5件)

動物の幽霊や古代人の幽霊が出ないのかなぜか。

なぜ幽霊は白い服で髪が長い女性なのか。なぜ子供の幽霊はおかっぱなのか。
これらのほとんどすべては思い込みだからです。でもいくつかの話が思い込みだったからと言って例そのものを否定する根拠にはなりません。

まず実際に幽霊が居たとして、果たして何体の幽霊を私たちは幽霊だと認識できるでしょうか?実際には不可能です。今日、町ですれ違った人が全てこの世のものだと確信できますか?無理でしょ。
幽霊が幽霊らしい姿をしているわけじゃありませんから、すれ違うくらいじゃ見分けなどつかないのです。
では、貴方が見たと思っている野良猫の何体が実在か・・・? これも無理です。つまり幽霊の動物が居てもわからないのです。
「あっ、ねこ」といって追いかけていくと逃げ場が無いはずなのに居ないという事ありませんか?

次に動物は悔しいとか憎たらしいという感情は持ちません。思い残すことが無いから幽霊にはなりにくいのです。
怪談話の犬猫の幽霊も人間との関係があってこそです。でも世界を見ると動物の幽霊の話も多いんじゃないでしょうかね。日本の狐の昔話のいくつかも幽霊話かもしれませんよ。

私は少なくとも大正以降の人が幽霊になる、まして怨霊などになることは無いと考えています。明治時代初頭くらいならまだしも、それ以前の人に比べて現代人にそれほどの集中力など無いと考えるからです。まして事故で死んで地縛霊になって・・などまずありえません。
多少の恨みつらみなどすぐに消え去ってしまってあの世に赴くのです。
実際に我が家の近くには第二次対戦中の有名な虐殺現場がありますが、これまで一切幽霊話などありません。
場所と事件が特定されると、思い込みによる幽霊話が生まれるのです。そしてUFOやチュパカブラなどのように一定数の目撃談が産まれると爆発的に目撃談が増えるという分析まであるのです。
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毒矢説のお話をご存じでないようですね。


それ以前に真理すら知らない方から指摘される覚えはありません。
そして私は神という存在についても子細に見解を述べています。
そららは無視して持論を展開するとはあまりに身勝手。

もう少し詳しくいえば仏陀=仏こと唯一無二の存在であり、
仏≠神ですが、仏がキリストの神を指すのは明らかです。

あなたはエセ宗教を学ばれています。
中世の神学が誤りであったが如く、それが現代でも同じ過ちが繰り返されています。
法輪功の創始者の李洪志も同様なことを説かれています。
まずは世俗的で誤りだらけの仏教を見直すべきです。
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>キリストも仏教もイスラムも神は一人だと説いています。


ごめん、悪いけど仏教ではそんなこと一言も言ってない。
経典にはブラフマン(梵天)や複数の天神地祇登場するんで神が一人と言うのはありえない。
(事務局に削除されると思うけど仏教知識の薄い人が誤解しちゃうのであえて書く)
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その辺の話はやや複雑なようですが、とある方の霊界通信では


人の輪廻とは500~600年を契機に行われているとのことです。
なので現在では室町~戦国時代の霊の転生が多いということになりますが、
実際は人口が増えているので、かなり遡ります。

類魂等で検索されると分かるかと思いますが、
ある時点で合体のようなことが行われて、次のレベルへと進化します。
それに要する時間が平均的な人で2000年程です。

>それこそ宗教の数だけ神がいるわけで

キリストも仏教もイスラムも神は一人だと説いています。
そしてキリストは皆が神の子だと言っています。

すなわち、神はこの大宇宙をつくったただ唯一の存在ということになり、
神話に登場する八百万の神は偉大な力を持った類魂を想定すればよく、
いわば我々と同じ元人間であり、先輩なのです。

ちなみに偉大な力を持った霊魂は滅多に地上に現れません。
無礼をはたらいたとか、放置したというのは人間の感覚であり、
相手はそういう感情では動きません。
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私は霊は見えないし、霊や神仏は信じないのでそういう立場からの意見です。


(神様に関してはいたらいいなあという希望はありますが)
友人には霊感があるという人がいるので、その方から聞いたこととそれを踏まえた自分の解釈を。スルーしてくださっても構いません。

霊に関してですが、私の友人に見えるという人がいます。
その人曰く、地上に存在する霊は何かしらの未練があるそうです。
なのでここから私の考えですが、戦国時代や落ち武者の霊が見えて弥生時代や原始時代の霊が見えないというのはこの未練に関係してくるのではないでしょうか。
文明が高度になるにつれて、人間の欲求は増えていきます。
原始時代は三大欲求しかなかったでしょうから、それが満たされれば満足なわけです。
また弥生時代も原始時代より進んでいるとはいえ、戦国時代と比べれば文明も高度でなく、平和だったでしょう。
ですから未練がまったくないとは言えませんが、比較的死に対して寛容であると想像できます。
と、その場合の私の解釈はこんな感じです。

神仏に関しては正直自分の気持ちではないでしょうか。心の拠り所となるもの=神仏という考えです。
ですので、神仏が厄災を引き起こしているのではなく、偶然の出来事によりそう思ってしまうものなのかと。
神仏に関して友人は「1人1人に神様がついている」と言います。なので霊感のある友人は大事なことをするときに、自分の神様にお伺いをたて、
他の霊(成仏している霊)を呼ぶときには自分の神様に話を通すというようなことを言っていました。

もしご気分を害されてしまったら申し訳ありません。
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