プロが教えるわが家の防犯対策術!

大学1年次です。先日医師から発達障害の診断をうけました。

私の大学入学当初の夢は教師でした。しかし、発達障害の影響(集中力がない、興味の偏りが激しい、2次障害のうつで朝起きられない)などもあり大学で最低限の単位を取るだけで精一杯で教職の授業をうける余裕が精神的にも体力的にもあまりありません。

更に発達障害の診断をうけたことで教師の夢をあきらめようと考えています。しかし、中学生のころから夢であった教師をあきらめるのに抵抗があります。

教育実習できめるのでは遅く、今進路を決定してあきらめるならば教師への勉強の時間を好きなことの勉強の時間に充てたいです。

発達障害者は教師になれますか?諦めた方がいいですか?それとも諦めない方がいいですか?

アドバイスをお願いいたします

A 回答 (9件)

教員になれるかどうかは、試験をクリアできるかどうか。


教員としての仕事をこなすことが出来れば、教員を続けることも出来ます。

それは、発達障害であるかどうかは関係ない。診断も関係ない。
でも、「大学で最低限の単位を取るだけで精一杯」なのであれば、発達障害であるかどうかにかかわらず、難しいのではないかと思います。

学校では、発達障害をもつ生徒に対してどう対処していくかを考えていく必要に迫られています。
その際に、発達障害をもちながらも教員を続けるだけの社会適応を果たした実例があるといのは
良いことなのではないかと思います。

ぜひとも、発達障害とうまくつきあって、社会適応を果たし、今現在発達障害に苦しむ沢山の方に
「こういうやり方で私はうまくいきました」ということを伝えて欲しいと思います。
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発達障害でも極一部の人は向いている可能性があると思います。


発達障害は幅が広いので、一括りには出来ません。

ですが問題は発達障害なことより、現実問題いま朝が起きれないということでは?
病気の治療が上手くいけば、なれる可能性も大きくなると思います。
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No..1です



極論を言います。
別に長々説明することでもないので、障害者排除する姿勢も嫌いなので、長々説明するのは、他の人に任せます。

私は、今の時代就職が無いから、一応教員免許持っているからと言う理由で、社会的に落ちこぼれた人間が、教師にはなってほしく有りません。

病気持っている方が、色々な体験、差別等を受けそれでも、考えてなるのでしょうから、目的目標を持って、教員者になりたい人がなって欲しいと思っています。

乱文失礼
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「ある特定の分野に対する興味関心(或いはこだわり)が強い」事と


「ある特定の分野に対する優れた能力・才能を有する・発揮する」事とは

「同一」でもなく「因果関係」にある訳でもありません。
「それぞれ別個の物」なのです。

例えば,貴方が
「絵を描く事に非常な興味関心がある(平たく言うと絵を描くのが好き)」
だとします。
「絵を描いていると,食事や睡眠を取るのも忘れるほどに,絵を描く事に熱中する」
とします。しかし,それは

「絵の才能がある」
「素晴らしい絵が描ける」
「他人の心を打つ絵を掛ける」
「依頼者の望む様な絵が描ける」
「絵の描き方を他者に指導出来る」
「絵という物の味わい方(観賞のコツ・ヒント)を分かりやすく教えられる」

等の能力を有する事,即ち
「絵で食べていける(絵に関する仕事に就ける,絵に関わる仕事をする能力がある)」
という事ではないのです。


「ある特定の分野に対する興味関心(或いはこだわり)が強い」人が

「努力や研鑽を積む事を厭わない(基礎トレ・基本練習すら楽しめる)」
「自分より優れた存在の存在を認められる」
「他者からの忠告・助言・叱責・耳に痛い言葉を『自分の好きな分野で伸びる為』と素直に真摯に受け止められる」
「他者と自分を『自分に都合良く』比較しない」
「短期間で結果が出るとは思わない」
「失敗を反省し,改善策を考える」

等が出来た後に,それらが出来た中から

「ある特定の分野に対する優れた能力・才能を有する・発揮する」人が現れるのです。



>発達障害者は教師になれますか?

「教師として働いている発達障害者と思しき人物」は少なからず存在するでしょう。
しかし,それが「貴方も教師として働ける」という保証にはなりません。

「教師として働く」為には
「教員免許を取得する(大学で教職課程を履修し,教育実習等を行う)」
「教員採用試験に合格する」
という事が必要です。

今の貴方は

>大学で最低限の単位を取るだけで
>精一杯で教職の授業をうける余裕が
>精神的にも体力的にもあまりありません。

ですから,発達障害であるかどうかに関係無く
「教員免許そのものが(少なくとも4年間では)取れない状況」
にあります。

>教育実習できめるのでは遅く

いいえ。教育実習をして初めて

「教師という仕事を甘く見ていた」
「自分の夢だと思って来たけれど,自分には教師という仕事に対する適性がなかった」
「教師という仕事は,割が合わない」
「思っていたのと違い,面白くなかった」

等と気がつく人も少なからずいます。寧ろ

>教師への勉強の時間を好きなことの勉強の時間に充てたいです。

こんな風に考えられるのですから,「中学からの夢」だとしても
「ぼんやり,うっすら見ていた夢」なのでしょう。つまり
「何が何でも○○の先生(教師)になりたい」
「その為に大学に入るぞ。大学で○○をもっと勉強するぞ」
という程の熱意はなかったのです。


「歴史上名を残した人物」「ある分野で才能を発揮した人物」の中に
「発達障害と思われる人物」が何人か挙げられる事がありますが

「発達障害と思われる所がない,歴史上名を残した人物やある分野で才能を発揮した人物」も
非常に沢山存在します。

そして
「平凡な一生を終えた人物」「無名の人物」「世間に迷惑をかけまくった人物」「物の役にも立たなかった人物」の中にも,「発達障害と思われる人物」が沢山いる訳です。



現在,「発達障害」と診断されると,

「自分の特徴を自覚して,それを意識して,補う様に行動する」

という訓練をする筈です。

時間が掛かり,完治するのでもありませんが,生活や状況が改善します。

「発達障害だから,普通の生活は出来ない・出来なくても仕方ない」
「発達障害だから○○は出来るけど(したいけど),××は出来ない(したくない)」

と考えるのは,間違いなく「甘え」であり「卑怯」です。

「社会で,家庭内で,自分に出来る事(したい事,ではなく)は何か」
「逆に,出来ない事は何か。それを出来る様になるにはどうすれば良いか」
「出来ない事は『他者に全部やって貰う』のではなく,『他者の協力を得て,自力で』取り組む」
「他者に『自分が理解しやすい(心地良い,ではなく)話し方・指示』はどんなものか,あらかじめ伝えておく」

等,「自分の癖」を認識し,対応策を考え,言動に注意を払う事を学ぶ・身につける「訓練」をきちんと受けましょう。

貴方が「本物の発達障害」ならば
例え「診断」が下されたのが先日だとしても
「発達障害の特徴」はずっと以前から出ていた筈です。
つまり

>発達障害の影響(集中力がない、興味の偏りが激しい、2次障害のうつで朝起きられない)

これらの症状は,「大学入学以前から」出ていた筈です。
(「うつで朝起きられない」のは少し奇妙に思われますが,「薬の所為で」という事でしょうか)

これらの症状が原因で「教師になる夢を諦める」というのなら
「大学に入る以前から,諦めるべき状態だった」筈です。

更に言えば,大学入学前,小学校や中学校の頃には
「集中力がない、興味の偏りが激しい、2次障害のうつで朝起きられない」
等の症状が殆ど見られなかったのならば,貴方は
「本物の発達障害ではない」という可能性もあります。

「発達障害と極めて似通った(ほぼ同じ)症状を示す『発達障害とは違う』人間」
は,実は少なくないのです。

問診でのやり取りや表面上の症状の訴え(第三者からのものも含めて),チェックリスト(ペーパーテスト)だけでは

「本物の発達障害かどうか」

の判断は出来ません。

しかし,「本物の発達障害」ならば
それこそ,先に挙げた様な訓練,他の回答者さんも書かれている様な適切なトレーニングを行う事で,「さほど問題無く社会生活を送り,働き続ける事が可能」です。

※逆に,そういう訓練をしない・したくない,正しい訓練をしても「とるべき行動」が身に付かない,ならば,「本物の発達障害」ではない可能性もあります。


発達障害であろうとなかろうと
「子供の頃からの夢」と「実際の適性や実際に就く・就いた職業」が違う事など
よくある話です。

これは「夢を諦める」というよりも「身の程を知る」という事だと思います。


ご存知の様に,教師は「教科を教えるだけ」が仕事ではありません。
(「大学教員」さえも,「専門分野の研究・実験だけしていられる」という訳ではありません)

「その教科が好き」なのと

「その教科に関する幅広く,深い知識と理解がある」
「その教科を学ぶに適切な指導が出来る」
「生徒に合わせた教科指導法を考えられる」
なのは,別物です。

そして,教師の仕事は「教科指導」以外にも沢山あります。

生徒指導,生活指導,事務仕事,学校行事,保護者への対応,外部への対応,部活指導,受験指導,職業観育成,等々。

今の貴方は,「上っ面の教師像(児童生徒の時に接した教師の仕事)」だけを見て「中学生の頃からの夢」と言っているだけです。

「奇麗で美味しいケーキを作っている人」という「上っ面」だけを見て
「将来の夢はパティシェ」
(パティシェの学校に行けば,自分もあんな素敵なケーキを作る人になれる)
と考えているのと同じ程度です。

本当に「中学生の頃からの夢」ならば,例え教育実習の後で
「自分には適性がなかった」
「思っていたのと違った」
と気付いても,それまでの努力を「時間の無駄だった」とは思いません。

「教師になる為の大変さ」
「世間で教師というものが誤解されている事」
「教師になる事のデメリット」

等を知る事が出来て,将来に何がしか役立つからです。


>今進路を決定してあきらめるならば教師への勉強の時間を好きなことの勉強の時間に充てたいです。

貴方の本心は

「教師への勉強なんてやりたくない。他に好きな事をしたい」

なのです。

「他の好きな事をしたい」のに「大してしたくもない教師への勉強」に拘る必要があるのでしょうか。

もしかしたら「でも,教師になりたいと以前は思ってて,親にもそう言っちゃったし」という事ですか。

大切なのは「大学を卒業し,その後『自立した人生』を送る」という事です。

「教師になるという夢を諦める」事よりも

大学卒業後に親に甘えて生活の面倒を見て貰ったり
(就職しても,お父さんの家に住み,お母さんにご飯を作って貰い,家賃も食費も払わずに給料は全て自分に使う,等)

或いは,きちんと就職しないで卒業したらすぐ結婚したり
(恋人を「新たな保護者」として社会から守って貰い,生活の安定を保証して貰う,「自分のやりたい事だけやりたい様にやれる」として専業主婦になる,等)

をする様になる方が,はるかに「駄目な人間」です。


「自分は…だから,外で働くのには向かないので,結婚して専業主婦になる・なった」

という人達がいますが
「本当に,外で働くのに向かない人」は
「世の中で一番,専業主婦になってはいけない人」です。

しかし,もしその人が「専業主婦としてやっていける」のならば
「外で働くのに向かない」のではなく
「外で働くなんて,馬鹿らしくてやってられない」という人だっただけです。

今の貴方が「中学生の頃からの夢」を諦めても
貴方自身への評価には何の影響もありません。

それよりも「社会人になり,自分の口を自分で食わす」のが重要なのです。

「好きな事を仕事にしたい」なら「人の三倍は努力出来て,好きな事に対する能力の低さを厳しく指摘されても挫けない精神力」が必要なのです。
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形だけの教師にならばなれるかもしれないが、周囲からすると迷惑かもしれません。


現状、自分の事でいっぱいいっぱいなんだから、他人に気遣う事とかできるのでしょうか?
教師どころか社会人としてどうなのか、そこに大きな疑問を感じます。

但し、それを乗り越えられれば、大きな糧となります。
まあ、現場に入らないと分からないでしょう。

自問自答するぐらいならば止めた方がいいと思いますよ。
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発達障害の人でも、教員にはなれます。



全国的にまだ数は少ないですが、
現場に出たあと、自分の障害特性に気が付いて、
発達障害をカムアウトして、教員を続けておられます。
希望して知的障害の支援学校の先生に異動されたそうです。

質問者様の場合、今は心身一杯いっぱいなようですね。
無理もありません。
あなたはこの半年で、大学受験をし、合格し、大学生になり、
診断まで受けたのです。人生の大きな節目です。

逆に思うのですが、そんな大きな試練の中で、あなたが
教師になる気持ちをあきらめられないのは、なぜなのでしょう。
中学の時からの夢だったから、あきらめられない…だけでしょうか。
というか、スパッと諦めて、別の道に進むことはあなたの本意?

今どきの学校は、地域の人たちの助けを必要としているところです。
うちのあたりの小学校なんか、この夏だけでも
学童保育の登下校の旗当番、夏祭りの見守り、プールの当番、
ラジオ体操のお世話まで、ボランティアのお願いがありました。

いろんな世代、いろんな立場の人たちが協力して
今どきの学校はまわっているのです。
あなたの周囲にも、こうした情報が探せばあるのではないでしょうか。
学生でもアルバイトやボランティアで参加できるものがありませんか。

あなたはまだ大学1年なのでしょう?
あなたの夢がホンモノなのかどうか、経験を積み、長所をみがき、
自分に問うてみる時間は、まだあると思います。

気持ちをしっかり持って。
胸を張って、あなたの人生を生き切ってほしいです。
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発達障害であっても、NO1の方が説明されているように、教職員の免許は取れますし、採用試験に合格すればですけど教師にもなれます。


(理論上)

しかし実際、生徒指導能力がなければ、ご自分が苦しまれるだけです。
好きだからその仕事に就くというのと、職能は別問題です。
残業の多い、教職(職種)です。

体力的に無理だと思います。
いまは、自己改善に努めましょう。
体調の改善が見込めないのであれば、必然的にあきらめるしかないと思います。
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 君の仕事能力次第だね。

要は、大学が卒業できて、普通に免許取れればできる。卒業できなければ、スタートにも立てないし。
 発達障害の子を育てて、教員をしていて、教員ってのは、こだわった故その教科に長けているわけで、私に言わせれば、教員には発達障害の香りがする者が多い。わかりやすいのは、職員室の机の上に置き場所がない者。これは100パーセント発達障害だね。他の職業でも言えるだろう。今日していた、ゴミ御殿の女達もそう。育てや性格の問題ではなく、異常に見えるのが平気なのは障害のせい。
 普通にコミュニケーション取れればどんな仕事でもできる。子どもを育てて、自分にも発達障害が思い当たる節がある教育者が言うんだから間違いない。自身を知り、調整ができればいける。息子は早い段階でリハビリしたから、大丈夫だろうという感がある。
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厚生労働省通達


http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha02/p …

なれると思いますけど。
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