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私は宗教が大嫌いです。
信仰なんて一切していません。
私の父は宗教をしています。
父の姿を見てると宗教に振り回されてるのってどうなんだろうかと思ってしまいます。
私は父が入信している宗教が大嫌いです。
よくここや2chなどで叩かれてる某宗教ではありません。
でも、父が入信してる宗教は私から見たら霊感商法と変わらない気がします。
宗教やってる人はどうして考えや価値観を押しつけたがるのでしょうか。
そして自分の宗派が一番だと思い込んでいます。
ほんとどうかしてますよ。
私が精神的に落ち込んでる時、父は私にお守りを持たせました。
私のためと思ってもありがた迷惑です。
正直いらないと思いました。

みなさん、宗教なんて趣味の自己満足だとは思いませんか?
あなたはどうしてこの世に宗教なんて存在するのだと思いますか?

A 回答 (17件中11~17件)

>あなたはどうしてこの世に宗教なんて存在するのだと思いますか?



住んでる世界が狭いと「地図」はあたまのなかにはいっていますよね。
ところが知らない世界に入っていくと地図がほしくなります。
宗教は地図のようなもの。べつに何々教の教えでなくても、サイコロやコイントスで決めてもそれは「宗教」。自分の選択に迷うことはいくつもあるし、決めかねること、どっちに決めてもかわらないことがこの世に多いから、人はオートマチックに生きていきたくて宗教を選ぶのです。
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>>宗教なんて趣味の自己満足だとは思いませんか?



困ったときに頼るものですから、趣味という心に余裕のある人のものではないと思います。
自分の価値観や考え方、自分の置かれた立場や環境などいろんな要素を踏まえて自分で選ぶ道ですから、
他人に勧めずに「自己満足」で完結すべきものです。


>>あなたはどうしてこの世に宗教なんて存在するのだと思いますか?

宗教というのは何も組織化された教団、という形でだけ存在するものでもなく、
ちょっと古臭い言い方ですけど「お天道様が見ている」というのもそうだと思いますし、
先人の残した名言に心を打たれて、自分自身を見つめ直すことができた、というのも一つの形だと僕は考えています。

悩んだり迷ったりする人がいる限り宗教は存在しますが、教団に入る必要はありません。
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ただの個人的な見解ですが、



宗教なんて趣味でやってる自己満足じゃないですか?
ただの個人的な自己満足です。

父の姿を見てると宗教に振り回されてるのってどうなんだろうかと思ってしまいます。
本当は、振り回せれているは、良くないと思います。
でも、父が入信してる宗教は私から見たら霊感商法と変わらない気がします。
それが本当に、霊感商法なら、それは止めさせたほうがいいです。

宗教やってる人はどうして考えや価値観を押しつけたがるのでしょうか。
自分の価値観を、他人に押し付けるのは、良くないと思います。
父がそういうのを押し付けてきたら、自分はいらないって、ちゃんと言ったほうがいいを思います。

そして自分の宗派が一番だと思い込んでいます。
本当に、宗教を愛してたら、自分のとこ一番なんて、思わないはずですが。。
私のためと思ってもありがた迷惑です。
本当に迷惑なら、断っておくのが、無難かと。。

あなたはどうしてこの世に宗教なんて存在するのだと思いますか
宗教を、みんな、必要としてるからです。
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この回答へのお礼

本当に、宗教を愛してたら、自分のとこ一番なんて、思わないはずですが。。

いえ、愛してるからこそ一番だと思うのですよ。

お礼日時:2013/05/26 11:03

自己満足ではなく、心の支えなのです。


私も信仰心はありませんよ。

悪いことをしている人はたくさんいるのに、なんで神様はバチを当てないの?
とか素朴な疑問です。
でもこんな質問すると、なんか宗教信じているの?とか質問自体を否定というか、
あまえ頭やばいんじゃね?となりますよね。

悪いことをすると、逮捕されるかもしません。
でも逮捕されない人もたくさんいます。そもそも悪いことって何?
法律がすべてなの?いやそうじゃないよ・・・と議論する気はありません。

心の支えというのは、リラックス、安心です。
宗教に強くはまっている人から勧誘を受けたことがきっかけでしょう。
他にも先祖代々で、子供の頃から洗脳(教育)されたという人もいるでしょう。
なんというか、信じていると言うよりは社会に見捨てられていて、ほかに頼るものがないから。
って感じでしたよ。その人は。定時制高校を出て肉体労働みたいなことをしていました。
小学校時代はよく遊んだ人でしたがまさかそうなっているとは思いませんでしたね。

大人になってから考えてみると、その人は仲のいい友人でしたが家は貧乏でした。
当時はまだ自分で働くとか知らないし、金を使うとしても親にもらった100円、200円の世界。
1000円なら大金でした。
ちょっと小さな借家でしたが、別にそれで貧乏だとか、大きな家に住んでいるから金持ちだ。
とかは思いませんでしたけど、大人になるとああ親の給料は知らないけどたくさん寄付してたのかな?
と思いますよ。




あとは金持ち、社会的地位のある人もでもいます。
病気が治らない。病院はいくつか行ったがちっょと現代の医学では回復が難しいようだ。
宗教なんて信じていなかったが、ちょっとしたきっかけでやってみたら治った。
という場合です。この場合医学的には宗教、信仰心で治ったとは言えませんが
病は気から・・・というか、本人が回復する気力もないなら治りにくい。
リハビリも本人のやる気次第。というのもあります。
まあ信じる信じないは自由ですが、日本の場合宗教は金がかかります。
高額の寄付、お布施をすると幸せになれる。
生まれ変わった人生も幸せ。
・・・もちろんこんなの嘘だと思いますが、なにもないところから宇宙が誕生し、
地球ができて生命ができて、今では食事もこんなに豊かでスマホもある。のはどうして?
江戸時代の生活などは多少歴史で学んでも、それが本当かどうかは実際わからないし
それより大昔の記録は猿だったとか、その程度に過ぎませんから。




宗教の始まりは科学の発達してないころ、カレンダーとかもまだないころ。
例えば日食などは、天変地異だと思うでしょう。
突然の雷雨。天気予報で今は予測できますが、まだ発達してなければ神がお怒りになっている!
などと言えば説得力抜群でしょう。
生け贄でも捧げて、解決すれば、その人は神のお告げを聞いた神官や代理者だと思ってもおかしくありません。
当時は否定する理由、証拠もないですからね。
これの亜種というか振り込め詐欺みたいに、信じる者を騙して儲ける人がいるから日本では悪く思われます。


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あと世界的に見ると宗教は当たり前で、逆に信じない方がおかしいみたいですね。
アメリカでもいろいろ宗教ありますが、若い世代(20代)は信じない人も3割とかいるそうです。
こんな時代でも信じる方が多いみたいです。

信じない国は旧社会主義国です。
日本は現在でも実際は社会主義なので信じない人のほうが強いみたいですね。

繰り替えしますが私も信じません。
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宗教は、私たちが人間らしく生きるために、先人たちが説いた教えにすぎません。



学校で教える道徳みたいなものです。


それを、自分たちだけが正しいと盲信し、洗脳されてしまうところに、大きな間違いがあります。


宗教の違いだけで戦争をしてしまうほど愚かな生き物が、人間です。


祈れば叶うと勘違いして、武器を持った殺し合いをしたり、言葉の暴力(他人への押し付けなど)をふるう人間たちは、宗教など捨てるべきです。
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あの・・・言っていることが矛盾していると思うのですが・・・。



>私は宗教が大嫌いです。

>父の姿を見てると宗教に振り回されてるのってどうなんだろうかと思ってしまいます。

>宗教やってる人はどうして考えや価値観を押しつけたがるのでしょうか。

>そして自分の宗派が一番だと思い込んでいます。
>ほんとどうかしてますよ。
>私が精神的に落ち込んでる時、父は私にお守りを持たせました。
>私のためと思ってもありがた迷惑です。
>正直いらないと思いました。

宗教に振り回されるな、宗教を押し付けるなと言いながら、無神論と言う思想を押し付けるのはありなのでしょうか。
それはただの独善ではありませんか?「無神論と言う名の宗派」が一番であるのですか。

私の考えでは宗教も無宗教もただの思想だと思います。
思想である宗教の存在意義は「人間は何故ものを考えるのか」と言っているようなもので難しい問いですね。
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この回答へのお礼

あなたはわかっていない。
宗教がいかに他人の人生を振り回すか。
宗教なんてものはこの世にいらないんだよ。

お礼日時:2013/05/26 18:14

お疲れ様です。

家族が宗教に憑かれていると大変ですよね。

私の学生時代のクラスメイトは、毎日、早朝に登校していました。
母親が新興宗教にハマっており、毎朝、高笑いの声で目覚めることが苦痛で、母親が起床するより先に、姉と一緒に家を飛び出ていたそうです。

今の日本では、「信仰の自由」が保障されていますが、それはあくまで、「日本には、『国教』として確立された宗教など存在しませんよ」と謳った条文に過ぎないと自分は考えています。

私自身は、信仰はしていません。
その理由は、「宗教」の存在を否定するからでも、軽んじたいからでもありません。むしろ、逆です。

私は、宗教の存在を怖れています。
質問者様と同じく、強い信仰心を持つ人間を身近で見てきたせいか、特定の宗教に依存している人は、ある程度、外見で推察できるようになったからこそ、「宗教の底知れぬ影響力を侮るなかれ」と考えるのです。

質問者様や私のように、「信仰しない主義」を貫く日本国民は少なくないかも知れませんが、残念なことに、それぞれの家系に「家紋」が存在するのと同様、それぞれの家系に「帰属する宗教」は存在します。
人生最後のセレモニーとされる葬儀の場面で、それが浮き彫りになりますね。

我々生きている人間には、死後の世界のことなど解りません。
だからこそ、質問者様のご尊父は、自身が信じ愛した宗派に見送られ、自身が信じ愛した存在の許へ召されることを望み、信仰にすがりついておられるのかも知れませんね。
宗派問わず、信仰心の強い人は、我々人間が忌み嫌う「死」を不思議と怖れていない点で、共通していますから。

私自身は、どこの誰とも判らない宗派に見送られ、どこの誰とも判らない存在の許へ召されるなんて、まっぴら御免です。
だから、「何でもかんでも、うかつに信仰していい自由」が横行する日本社会を、非常に危ういと、私は考えます。
そして、同時に、「何でもかんでも、うかつに信仰しない自由」も保障されて然るべきだと。

しかし、「何でもかんでも、うかつに信仰しない自由」は保障されないのが、日本社会の現状です。
前述したように、それぞれの家系には、帰属すべき宗派があらかじめ定められていますし、人生最後のセレモニーのみならず、冠婚葬祭の場面には、大抵、何らかの「宗教」が付き物です。

そうした「無責任な宗派」に振り回され、親子間でさえも、交流の断絶が生じてしまう世の中なら、いっそ、我が国の憲法にも、国教としての宗教を制定させ、「信仰」の統一化を図ればと、ヤケ気味に考えてしまう自分がいます。

もっとも、某宗教政党は、そうした野望を背景に、寝食を忘れるほどの熱烈な選挙活動に取り組んでいるらしいですけどね。
憲法96条の改正は、彼らには願ったり叶ったりの政策かも知れません。

子どもの頃から、あらゆる宗派からあらゆる入信の勧誘を受けた影響で、私は現在、筋金入りの「宗教アレルギー」を患っています。
特に霊感が強いわけではありませんが、宗派、そして、それに付随する「人の念」が集中する場所や物に触れると、気分が悪くなります。
神社、仏閣、寺院、教会、御守り、十字架、パワーストーン…すべて生理的に受け付けられません。
観光案内で「宗教」が絡むスポットを紹介されそうになると、理由を付けて断ります。
冠婚葬祭は拒めませんが、参加した後は、いつも体調不良に陥ります。
「宗教」が絡むグッズは、その場では(贈ってくれる先方の気持ちを否定したくないので)受け取りますが、利用はせず、後日、処分しています。

自分がこうした特異体質だから、(宗教に)過敏になり過ぎなのでしょうけれど、「信仰の自由」の名目をいいことに、今の日本は、あまりにも「宗教」を軽々しく扱い過ぎだと、私は考えます。
質問者の「信仰しない宗教の御守りは迷惑」という思考、大多数の人は否定的でしょうけれど、私は至極妥当なように感じます。
こういう風に、「宗教」を真剣に深刻に受けとめる人が増えてくれないかなと、私は思います。

どこの世界に、我が親の「子を思慕する気持ち」を、敢えて否定したい子どもがいるでしょう?
誰だって、「お父さん、私のために、ありがとう」と、子どもらしく無邪気に感謝感激したいはずです。
質問者様は、ご尊父の「信仰という名の奇行」に、苛まれたくないだけ。
ご尊父からの愛情や誠意が、理解できない質問者様じゃない。
「ごく普通の子ども」らしく、親の想いを受けとめ甘えたい願いを、「人を幸せにするはずの宗教」が阻んでいる。

質問者様の苦悩は、それを経験した人同士でないと、なかなか分かち合えないものなのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

大変、貴重なご意見ありがとうございました。
ほんとその通りです。

お礼日時:2013/05/26 18:15

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