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よく「ショパンは○○版」「バッハは○○版」などこの輸入版が良いということがありますよね。
なぜ日本の楽譜だと駄目なのでしょうか?
楽譜が変わったからといって、曲が変わるわけでもないし。
よく楽譜によって音が違ったりしていますが、それも多くのものがそうだということではありませんよね。
どうしてなのでしょうか。

A 回答 (5件)

「○○版」には大きく分けて2つの種類があります。

作曲者の意図をできるだけ忠実に再現しようとする「原典版」と、演奏家などがその解釈や練習法を書き込んだ「解釈版」です。

 バッハを例に挙げれば、現在ドイツのベーレンライター社が出している「新バッハ全集」は前者の最も徹底したもの、一方「ブゾーニ版」のように、演奏や練習のための解釈に定評のある版もあります。日本で普及版みたいにしてでているのは解釈版のなかでも今では間違いが多いとされる「チェルニー版」で、これを使うのはやはりお勧めできません。ベーレンライター原典版も多数日本の出版社から出ていますし、どの版がいいという話は、輸入楽譜がいいということと同じことではありません。楽譜が違ったからといって、曲は変わりませんが、どの楽譜をもとにしたかで演奏にはかなり大きな違いがでます。それは音の違いだけでなく、メロディのまとまりやテンポなど曲の感じを大きく変える要素の違いを含んでいたりするからです。


 

この回答への補足

バッハはヘンレ版が1番良いと聞いたのですが。
きっとベーレンライターとは違うんですかね…
ショパンはパデレフスキ版が1番だと聞いていますが。
チェルニーは練習曲だけですよね、使用したとしても。
あと若い時は割合使いますね。ソナチネとかソナタとか。


>それは音の違いだけでなく、メロディのまとまりやテンポなど曲の感じを大きく変える要素の違いを含んでいたりするからです

これって版によって、スラーの付きかたが違うとか、強弱の指示が違ったりするということですか?

補足日時:2004/04/12 20:20
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下記のサイトに詳しく載っています。


かなり奥の深い問題のようです。
下記の理由のようですね。
(1)多作の作曲家に関しては「偽作」の問題がある。
(2)未完成作品を弟子が完成させたような場合がある。
(3)作曲家の自筆楽譜が読みにくい筆跡である。
(4)校訂にあたった人々の価値観が入り込んでしまうことがある。
そのため演奏家はオリジナルに近いスコアを探すようですね。
例としてはあげられているのは、
ベートーベンの交響曲における「新校訂版」の種類としては、
ヘンレ社、ペータース社、ベーレンライター社、
ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社などがあるようです。

楽譜の選び方のサイトは下記のところにあります。
参考になさってください。
http://www.kunitachi-gakki.co.jp/gakufu/gakufu01 …

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/sym/beeth-edition.htm,http://www.kunitachi-gakki.co.jp/gakufu/gakufu01 …
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この回答へのお礼

面白いサイトがあるのですね。
回答ありがとうございました。是非チェックしてみます!!!

お礼日時:2004/04/13 22:04

No.1です。



ヘンレの原典版は作曲家に関わらず定評がありますね(特にハイドンは文句なしにヘンレだと思います)。ただ、原典版にもいろいろなレベルがあって、バッハの場合、ベーレンライターのは自筆譜に一番近いものを目指しています。クラヴィア(ピアノ)曲の場合、自筆譜のハ音譜表をト音譜表に変えている以外の変更を加えないようにしています。ヘンレ版やウィーン原典版などは、演奏者のヒントになるような指使いが加えられています。原典版といっても、実用的な部分が加えられているのですね。チェルニー版やブゾーニ版などは、バッハの自筆譜などにはないスラーや強弱まで書き加えられています。もちろん原典にないものですから、編者による差はとても大きくなります。

ショパンの時代になると、自筆譜にペダリングまで入ってくるので、バッハに比べると版による差は小さくなります。それでも、自筆譜と作曲者自身も見ていたはずのいくつかの出版譜の間の差異を検討して最善の楽譜を作る努力が今も続けられています。パデレフスキー版は、ポーランド出版の原典版として長く親しまれてきましたが、現在、エキエル版の新しい原典版が出て、ショパンコンクールの公式譜にも採用されています。ショパンにも、コルトー版のように弾き方、練習の仕方を示したものもありますね。コルトー版は、もとにした楽譜が古いので、使うときには原典版も同時に見る必要がありますが、その独自の価値は否定できません。

楽譜の良し悪しは、ミスプリントの数といったような単純なものではないので、目的に応じて同じ曲でもいくつか見られるほうがいいわけです。楽譜を選ぶ基準は、それがどこの国で出版されてかということではなく、誰がどういう目的で校訂したものかをよく確認することではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ハイドンは全く弾かないのでヘンレ版が良いと知りませんでした!!
勉強になります。
バッハは一度ベーレンライターのものを見てみたいと思います。
今まではヘンレ版しか見たことがなかったもので、
それがバッハそのものだと思っていたら、
チェルニー版やブゾーニ版にはスラーや強弱(あ、ありえない!!!)が入ってるんですね!!!
本当に驚きました。そうなると弾くと全く違う曲になりますよね。
作曲家が古ければ古いほど楽譜選びは難しいのかなと感じました。
バッハの時代はまずピアノではありませんもんね。

すごい勉強になります。ありがとうございました!!

お礼日時:2004/04/13 22:09

すでに何人もの方が回答されていますので、内容的にはそれで充分情報が足りていると思いますが。



輸入楽譜について数十年扱っているものです。

日本の楽譜が間違っているとは言いません。が、かたよった見方をしている場合もあります。「偏った」というのは、必ず「複数の見方がある」ということですので、どちらが正しいとか誤っているという意味ではありません。

ある楽譜について「A」版と「B」版があり、国際的にどちらが正統と言えない、ことは(楽譜に限らず)良くあります。

そういうとき、国内の有力会社が「B」版と提携すれば、国内の雑誌や広報は「B」版一色になります。国内の普通のプレイヤーはそのときはじめて「その曲の楽譜」に触れるので、「A」版も「B」版も区別はつかず、言われたとおりに「この楽譜は素晴らしい」と言い、一般読者もそれを信じます。

不勉強、と、言えばそのとおりです。しかし、自分の基準で楽譜を選べる人が、この国にどのくらいいるのでしょうか。

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閑話休題。

「楽譜が変わったからといって、曲が変わるわけでもないし。」....

そんなことはありません。楽譜が変れば曲は(少なくとも「その曲名で意味される音楽は」)変ります。

証明しようとすると煩雑になりすぎるので避けます。楽譜の「版」の違いは、耳でわかるものです。
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この回答へのお礼

そこまで楽譜選びが重要だと知りませんでしたので、
今回聞いてみて本当に良かったです。
確かにいろんなピアニストのCDを聞いてみても、
「どうしてこんなに違うのか?」と日々疑問だったんです。
楽譜が違うということもあるのかもしれないんですね。
「楽譜が変われば曲が変わる」…証明して欲しかったです(笑)
楽譜の違いを仰るように耳で分かる程になるまで、勉強したいです。

お礼日時:2004/04/13 22:12

それではご要望にお答えして(笑)


版が違うと別の音楽になってしまう例を示しましょう。

まず「誤植」です。多くの方は「楽譜は絶対に正しい」と思っておられるようですが、印刷物である以上誤植はあります。ときには重要なメロディラインが間違って印刷されているものがあります。重版のときそれを修正することになるので、初版と2版では別の音になります。和音の誤植などはざらにあります。

そもそも作曲家の手書き楽譜というものは書きなぐったり書き直したりした読みにくいものが多いのです。楽譜出版社がこれを印刷用に整理するときに「これはどう書いてあるのかわからない」ことがあります。その時点でその曲を実際の音楽として聴いたことのある人は誰もいないわけですから、出版社の担当者や印刷工が「おそらくこう書いてあるのだろう」と決めてしまわざるを得ず、それが間違った表記になっている場合もあります。

例えば有名な例ではベートーヴェンの交響曲の中で全パートffなのにティンパニーだけデクレシェンドする指定をされている楽譜が出版されていました。これはオリジナル手書き楽譜と見比べた結果、デクレシェンドではなくて、他の文字が書いてあるのを初版の編集者が見誤ったものとわかりました。その結果、その場所の音は版によって違うものとなったわけです。

原版、改訂版という表記をごらんになったことがあるかと思いますが、改訂している、ということはどこかを書き換えているわけです。その書き換えの根拠がオリジナル楽譜にせよ、時代の変化(それにともなう楽器構造の変化)にせよ、違うものになっているわけです。

ことにピアノ曲の場合、ピアノの構造と表現能力そのものが時代によって変っていますので、それにふさわしい演奏法も変っています。バッハの時代のチェンバロ曲を現代のピアノで演奏するのは、すでに「編曲」の領域と言っていいと思います。

編曲である以上、それぞれの編曲によって音が異なるのは当然起こることなのです。それぞれが「これが現代のピアノで演奏する場合の正しいバッハだ」と考えてピアノ化をしたとしても「正しい」とは人によって異なることですので、その曲をどう解釈するか、にすぎない場合もあるのです。

このようにして同じメロディ、同じ和音からも、別のサウンドが生まれてしまうのです。正しいことをやろうとしても、人によって微妙に違うものであり、さらに、ここに誤植とその修正が加わると「楽譜の版によって音が違う」ということが起こるのがおわかりいただけるでしょうか。
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