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小津安二郎の生誕100年とかで、GYAOで彼の映画が毎日1本づつ無料配信されています。

それらを観ていてあらためて、タイトルのような感慨を噛みしめています。

結婚し子供が出来、子供たちと一緒に海へ山へ、遊園地へと遊びに出かけます。子供たちも喜んで付いて来ます。親も楽しいです。しかし、思春期に達する頃から、友達と遊ぶ方を好むようになり、親と一緒に遊ぶ子供ではなくなります。こうして子供は巣立って行くんだと思っても、親としては非常に寂しいです。

子供は結婚する年齢になると結婚します。小津安二郎が「晩春」や「秋日和」で描くような悲哀を親は経験しなければなりません。芦屋雁之助が「娘よ」という歌を歌って大ヒットしましたよね。娘を嫁がせる父親の寂しさを歌っています。

両親との死別が来ます。私は母親が大変好きでしたので、彼女が死んだ時は太陽が無くなったくらいの衝撃を受けました。一ヶ月くらいは、毎日思い出しては泣いておりました。

最後に「連れ合い」との別れがあります。私は昨年末、連れ合いを亡くし、太陽どころか、宇宙が無くなったほどの衝撃を受け、1ヶ月どころか、そろそろ1年になるのに、まだ毎日々々泣いております。

悲しい時には、悲しい話を聞いて見て涙を流すのが癒しになるとのことで、韓国ドラマの悲しいのばかり観ています。
そのドラマの中のセリフで人間の悲哀をぴったり表現したものがあり、びっくりしました。以下です。

親なら寿命だったと…
幼子なら また産めばいいと
人はそうやって、死んだ人間を忘れようとする。
だが、伴侶は違う
後を追いたくなるんだ。

幸いにも私は、自分の子を死なせる悲哀は経験せずに済みましたが、最後のセリフは正にそのものズバリです。多分死ぬまで、私の妻への"後追い願望"が無くなることはないだろうと思います。

人生の最後の最後に、こんな苦しみが待ち受けていたとは想像もしませんでした。
日が立てば立ち直れると言いますが、おかしなことに、立ち直りたくないのです。誘蛾灯に突っ込む虫のような気持ちで、このまま苦しみと共に突っ込んで死んでしまうのが一番幸福を感じるのです。

で、私の結論は、「こんなことなら生まれないほうが良かった」です。
皆さんはどうですか?
人生は悲哀の連続なのに、打ちのめされず愉快に生きて行けるのですか?
まあ、人生の前半部分だけなら、生まれて来ても良かったですけどね・・・

A 回答 (21件中21~21件)

初めに言います。


あなたは辛いことしか目を向けてないのではないのでしょうか。

私は高校生ですが、去年大好きだった父が他界しました。ですが今、将来について希望や夢や目標しかありません。そして自分の将来について考えるだけで心が弾みます。
もちろん今でも父を思い出すと一人で夜泣いています。母の負担にはさせたくないので私が未だに泣いているこっは隠しています。
それでも自分の将来には期待したり出来ています。
それは君が高校生だからじゃないか?
と思われるかもしれません。
そして質問者様はおいくつになられるのかこの文でははっきりとはしませんが、
夢を語るのに遅すぎる事はないのではないのでしょうか?

立ち直りたくなった時に趣味探しから始めるのはどうでしょうか。そして立ち直りたくない原因は何なのか、ぜひ考えてみてください。
生きたくても生きられない人が地球上にはゴロゴロいます。失礼かもしれませんが、あなたは恵まれているのですよ。
だからこそ生まれて来なければなんて言えるのです。
周りの友達、家族、親戚、これから出会う人のためにもそんなこと言わないでください。彼らが唯一あなたの存在を認め、感謝してくれる人なのですから。

ぜひどんなに辛くても前を見てください。
それが辛くてもそれがうまれてよかったと思える手段ですよ。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
以前別のカテで「生まれて来て良かったと思いますか?」という質問をしたことがあるのですが、回答の大半(全部だったかな?)は、「色々苦しいこともあるけど、楽しい喜びもあるから生まれて来て良かった」でした。

子としては、十分自分は親を愛していると思っているでしょうが、誰が計測したのかは忘れましたが「子が親を思う気持ちは、親が子を思う気持ちの半分か三分の一」くらいのようです。勿論個人差はありますが、私が世間の人間を観て来て、それは納得出来ます。ですから、普通は、親を亡くす悲しみに比べれば、自分の子を亡くす悲しみは2~3倍も大きいのです。

ところで、伴侶を亡くす悲しみは、更に大きいのです。これはアメリカの心理学者が計測して数値化しています。

性差、個人差、例外もあるのですが、一般的にはそうなっています。私も一般の大半に属する人間なので、この著述に納得しています。

貴方も将来の夢があって心が弾んでいるとのこと。つまりは、自分の喜びを感じる心が、悲しみを感じる心より大きいということでしょう。

私も年来の私の願望であったことを、妻が死んでからやり始めました。数十年来の願望ですから、本当なら嬉しくて嬉しくて堪らないはずですが、全く嬉しくならないのです。

つまり、妻を亡くした悲しみの方が、願望を実現している喜びを圧倒しているのです。

これは「伴侶の死」などで、伴侶を亡くした人の手記などを読むと、多くの方が書いていることですよ。

親の死なんてのは、我が子の死、ましてや伴侶の死に比べたら、鼻くそほどのものなんですよ。

とは言っても貴方はまだ高校生ですから、経験がありませんから比べることが出来ません。

せめて、文学作品とか映画とかの秀れたものを鑑賞して、一生懸命想像すれば少しは解る様になるかも知れません。

それからもう一度この問題を考えて下さい。

補足日時:2013/11/24 08:04
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