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ある本で「ままよ浮き世は三分五厘」と書いてあるのを見つけました。
この意味は人生の値打ちは三分五厘しかないと言う意味でいいのでしょうか?

A 回答 (5件)

#4です。



>今日一日のマンマが食べられればそれでいいじゃないという考えだと思います。
 :
さあ、いかがでしょうね。
「一分五厘」の用例では「立って半畳寝て一畳…」のような見極め意識の傾向も感じられますが…。

その「ある本」での脈絡はうかがい知れませんが、「三分五厘」と遣った場合は何より相場用語の意味が強いようなので、「僅かな金額。安価なたとえ。極めて安っぽい物事のたとえ。安永2年・御摂勧進帳1-5「命の値段は三分(さんぷん)五厘」、極まる相場は皆相伴、おくれはとらじ。」(前田勇編「江戸語の辞典」講談社学術文庫)のように、はっきりシニカルな側面を穿っている意味合いが主に思えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。立って半畳寝て1畳ですよね。それと同様な言葉ですね。
どんなに稼いでも何万円分も一日で食べられるわけではありありません。
 いい言葉だと思います。

お礼日時:2014/04/16 16:35

もともと長さや歩合には慣用音で「分(ブ)」ですが、時間や角度は呉音・漢音読みで「分(フン)」です。


太閤以来の上方経済では重量や銀目(ぎんめ)の読みは「分(フン)」でしたが、江戸期の厳めしい筋では「両(りょう)」の四半分と見た「分(ブ/ブン)」で通し、またその利回りでは「歩(ブ)」としていたようです。

「浮世一分五厘」の初出は江戸初期(寛永から収録した「淋敷座之慰」や元禄期の「好色十二人男」など)のようで、ここはやはり三田村鳶魚のご登場で「浮世一分五厘」(「江戸生活のうらおもて」316-26頁)にその間の事情が詳しく紹介されています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1240670/1 …

米一石が30匁(=米一升で銀3分→5合で1分5厘)程度だった「浮世一分五厘」の時代(寛永から承応度)は、「極めて僅少な銀目」を指すと共に、一方では大の大人がその程度でも有難いもので一日の生活ができるのだという両義があったと思われます。
ですから近松門左衛門あたりは「万の病は心から、一寸先はやみの夜、うき世は一分五りんづつ」(「浄瑠璃・源氏冷泉節」1710年頃)といって、何事も気の持ち方次第であり、たとえ先は闇と思えても、一日5合の飯を食える一分五厘を繰り返すなら一日一日を暮らしていくことができるのだというニュアンスがこの「づつ」に生きているように思えます。

それが享保・元文度ともなると一石70匁(=米一升で銀7分→5合で3分5厘)になった時代においては、いわゆる「三分五厘子」と呼んで、「浮世三分(ぶ)五厘(りん)、自分以外の人間はミンナ影法師ぐらいにしか見えない。義理人情を超越してしまうから他人の物も自分のものも区別が付かない。女も、酒も、金も、職業も要らない。その代り縦の物を横にもしない。」(夢野久作「近世快人伝」)といった次第です。
その究極は中里介山「大菩薩峠 勿来の巻」の第37章の一文「「お前さんは、死人の肉を食ったわたしを怖(こわ)いと思いますか。わたしの方では、生きたお父さんの脛すねをかじるお前さんの方が、よっぽど怖い」にも通じるでしょう。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。今日一日のマンマが食べられればそれでいいじゃないという考えだと思います。日本の景気がどんなになっても三度三度のマンマが食べられればそれでいいじゃないでしょうか?
 マネーゲームの対極にあるような言葉だと思います。

お礼日時:2014/04/15 17:48

1。

  ままよ浮き世は一分五厘
   なるほど、こりゃ値上げ前の話だな。江戸時代にもインフレはあったのか。
    http://kotobank.jp/word/%E6%B5%AE%E3%81%8D%E4%B8 …
    http://www.weblio.jp/content/%E6%B5%AE%E3%81%8D% …
    http://www.lupicia.com/shop/g/g13928032/

2。  と、何の気無しに「いちぶごりん」と読んでおりました。すると#2さんのご指摘で、#1さんは「いっぷんごりん」と仮名をつけていらっしゃるのに気づきました。初めの3例には「いっぷん」と仮名があります。
   下記には「いちぶ」となっています。
   http://www.roy.hi-ho.ne.jp/katsuragi/nejiya.html

3。 そこで『日本国語大辞典』で「一分」いっぷん の項を見ると、量目で一匁の十分の一、十厘。日葡辞書「Ippun (訳)1ますまでのかねの表示の仕方」とあり。

    「一分」いちぶ の項を見ると、重さの単位、一寸の十分の一、日葡辞書「Ichibu (訳)イッスンの下の単位の数え方で、銀や薬の重さも計る」とあります。

    「うきよ」の項に「うきよは一分五厘(いっぷんごりん)、と仮名が付いています。

4。  いちばん僕に役に立ったのは、『日本国語大辞典』の「いっぷん」の項の2にあった「いちぶ(一分、一歩)の異称」でした。

5。  同じ項に「うきよは三分五厘(さんぶんごりん)「うきよ(浮世)は一分五厘」に同じ。
とありました。やっぱりインフレだったのですね。2倍以上とはすごい。
    
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。ペリーがきて日本が開港した後はどんどんインフレになったそうです。
江戸時代もインフレで庶民は困っていたのでしょうね。

お礼日時:2014/04/15 17:44

No.1の方の上げられたサイトの「一分五厘」(いっぷんごりん)の読み方は変ですね。

「いちぶ」でしょう。一説に「一分五厘」は一人一日の米代という。<国語大辞典(小)> ともありますが、国語大辞典が言っているとすれば、貨幣単位とも思えます。一体、どういう時代の貨幣単位でしょうか。「銅貨」なのでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。今の金にすると1000円ぐらいでしょうか?
「一日1000円あればなんとかなるさ」という意味でしょうか?

お礼日時:2014/04/15 17:42

『浮き世は一分五厘(うきよはいっぷんごりん)[=三分五厘] この世の諸々は、それほど値打ちがあるものではないということ。

 ★一説に「一分五厘」は一人一日の米代という。<国語大辞典(小)>』http://www.geocities.jp/kuro_kurogo/ko-jien01/pa …

そのようですね。
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この回答へのお礼

 早速の回答ありがとうございます。きっとヤクザのような人たちが言っていたようなセリフなのでしょうね。命は大事にしたいものです。

お礼日時:2014/04/14 18:03

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