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前文の通りです。なぜ日本の学校は、非常に校則が厳しい上に管理や保障、調査などが不十分などでしょうか?。子供の頃からの疑問です。
日本の学校は甘いとかゆとりとか言われてますが、全然そのようには感じません。毎朝7時ぐらいの早い時間から、だいたい5時、計算にして10時間以上授業を受けさせられ、クタクタになって帰ってきても、1時間やそっとで終わらないような宿題を出され、子供達は自分の時間を割く余裕もない。
しかも中学生になればその限りではなく、勉強の内容もハードになり、学校が終わっても部活などで、家が遠い人などは帰宅するのに、夜8時とかになる人も少なくありません。さらにそこに受験勉強やら、習い事なども加わり、唯一の休める時間帯だった土日なども土曜日が消され、実質日曜日だけが子供の時間が安らげる日となりました。しかもその日も部活がある人もいます。
これのどこがゆとり教育なのでしょうか?
しかも校則が非常に厳しく、海外などでは私服でもOKですが、日本はまるで「贅沢は敵だ!!」と言わんばかりの黒やベージュなどの地味で質素な服を強制的に着せられ、しかもその購入費も親の自己負担です。
まだあります。服も地味なら学校の色も花が無く、日本の学校のイメージカラーはなに?と聞かれたら灰色!!と答えるぐらいに飾り気が無く質朴なもので、まるで刑務所です。
学校の授業に関しても、将来のためなどといってますが、実際は実生活では何の役にも立たないような、内容のものばかりで、数学や英語など、明らかに海外との競争を意識したものばかりでうんざりします。ああ、貴方達のいう教育というのは社会で役に立つものではなくて、自分達の国民がいかに賢いのかを世界に顕揚するのためブランドに過ぎないのね、と思いました。私達はブランドですか?
しかも校則が厳しくても、いじめ問題や責任問題や学校管理は不十分で、いじめで自殺する人が増えてきていますが、それは学校関係ない保護者の息子さんの問題と責任転換、いじめも基本不介入で、事なかれ主義のごとく完全に無視です。新聞では、なにかと真剣に取り組んでいるとアピールしていますが。学校の管理も不十分で、部活の用具やウインドブレーカーなどのスポーツ用品なども自己負担で、まるで保護者の立場に配慮していません。
私は一度、小学生の頃、そのことにたいして学校に抗議したことがあるのですが、口答えをするな!!とか、それはあなたの都合でしょ?などと言われまったく取り合ってくれませんでした。
義務教育は権利とか、金払って学ばせてやっているんだから感謝しろ!!、アフリカの人は羨ましがっているとか言っている人がいますが正直馬鹿だと思います。やりたいといったわけでもないのに強制的に入学させられ校則だけ厳しく、管理の不十分なところで将来役に立たない勉学をさせられ、8時間以上もせまい教室にとじこめられ、閉鎖的な環境でいじめを受け、心や体を壊している人がいる中で、何を感謝しろというのですか?アフリカの子供など、救いが欲しいだけで、自分が救われるならなんにでも縋るわけで、勉強しているときに3DS渡せば、喜んでそれに食いつきますよ。
長くなりましたが、総じて私の日本の学校に対してのイメージは、刑務所のような学校、薄暗く陰湿、閉鎖的、で校則が厳しく、義務教育だから仕方なく行っている、ざっとこんな感じです。
たぶん皆さんの中にも私と同じような抱負を抱いている人や今の日本の教育に疑問を抱いている人がいると思うので、ぜひぜひ回答お待ちしています。

A 回答 (9件)

>これのどこがゆとり教育なのでしょうか?



もうゆとりは辞めましたよ?

日本は政治家や役人がバカだから、
学校教育にもひずみが来ていても
気付かないし、そのつもりもなさそうです。

なんだかゆとり世代は親や教師に
反抗する気力や気概まで削がれてしまったのかな。
というような感想ですね。

今の子供はもうちょっとバカやってもいいんじゃないかと
おじさんなんかは思ってるんだけどね。
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この回答へのお礼

回答ありです

お礼日時:2014/06/03 15:14

 おやおや逆ギレですか、困ったものです。



>ほとんどの先進国で義務教育が導入しているということは、政府が国民のことを道具としかみていないという証拠です。
生まれたときから戸籍というナンバーをつけられ、強制的に施設にいれられ、そこでも、点数や内申点といった優劣をつけられ、世間にでても、学歴や資格などといった見えないバーコードを、貼られる、国家の歯車の糧となる。・・
これのどこが道徳的といえるのでしょうか?

 はははっ、基本的な部分を勘違いもしています。基礎教育の意義は、国民誰しもが持つ共有知を享受するとの意味であり、それは国民が政府を監視するとの意味を持つ基本的な部分です。
 ですから、貴方の発想の方が逆転しているのですよ。実際にフランス革命以後の近代史を紐解けば、そこにあるのは市民社会の成熟を求めての動きといえます。
 そして戸籍の問題。これはイエ意識を象徴的に物語る事象です。イエ社会の典型が「○○家と××家の~」といった様に「個人」が形成されていない前近代社会の残滓といえます。これは田舎へ行けば行くほど今でも強い。なぜなら田舎には地主という存在があり、それが未だに地元ボス的な存在として踏ん反り返っている構造だからですよ。そうした構造をぶち壊すことから日本の戦後は始まったはずですが、それを温存してきたのが今の年寄り達です。中にはリベラルで開明的な方もいらっしゃいますが、まだまだ少数派です。
 もし基礎教育を受けないままならば、どの様なデメリットを受けるか。そしてアメリカのように学校に通わせずとも家庭で教育を施すならば、自然科学での天地創造説などをそのまま鵜呑みにさせる愚か者を世の中に放つだけでしかありません。
 自らが思考し行動するためには、その基礎課程を全員が修め、更に学びたい者だけがその後に進めば良いだけの話で、猫も杓子もの様に誰もが大学に入れる方が異常といえます。能力に違いがあるのは当然の話で、けれどもその能力を何れの領域で開花させるかはそれこそ個人の自由です。誰にも束縛される必要などどこにもありません。これは日本でも海外でも同じです。
 義務教育にすら着いていけない子供がどれほどいるかご存知ですか?。満足に適切な漢字の一つも書けず、ひどい場合には平仮名も満足に書くことのできない子供が続出もしています。それも中三でです。少なくともこの時期には頭を押さえつけてでもゴリゴリと勉強させておく必要があり、部活などにうつつを抜かしているから後の課程が苦労する羽目になります。
 黒柳徹子さんや長嶋茂雄さんは児童心理学からすればアスペルガーすれすれと言われますが、それでも社会常識は弁えている方々です。しかも野球や演劇だけを求めてきたわけでもありません。そうした一般的素養を義務教育課程でキチンと身に着けているからその上に自らの才能を開花させることもできたといえます。
 しかも必ず理解者がいたとの事実もあります。貴方にはそうした理解者がいなかったことも不幸でしょうし、貴方自身がそれを受け容れようとしなかった部分が傲岸不遜ともいえます。
 それほどに貴方は傑出した人物と自身で思い込んでいるのでしょうか。それこそ傲慢の極みでしかありません。

 >自分の生活が楽になれば、何にでも縋るはずです。それを教育に無理やり結び付けているだけです。
第一、先進国と発展途上国では教育の理念や根本的な考え方が違うのです。同列に扱うことが間違っています。
 貴方は問題をすり替えているだけです。自らの言動に責任を持つことの出来る大人が口にする言葉ではありません。
 生活のために必要な教育と社会生活をより向上的に発展させることのどこに違いがあります?。社会を構成する最小単位はアフリカであろうとヨーロッパであろうと「個人」であることに変わりはありません(但し、アジアの儒教社会には自立した個人との発想はなく、それこそ国家のための道具でしかなく、考えて行動する人間を極端に嫌いもします。イスラムも同様で、女性は人間ではないとの差別思想が根強く根底にあります。だからこの両者は野蛮でしかないとのことにもなります)。縋るのは宗教に縋ることはあっても、社会的存在として一つの自立した存在ならば、縋る必要など何処にもありません。ガリレオやニュートンが何かに縋りましたか?。カントやニーチェが何かに依存しましたか?。モーツァルトやシェイクスピアが何かにもたれ掛かっていました?

 アフリカや中東で井戸掘りをするために三角関数を使う必要もあります。実際に僕の中学生時代は「日本列島の再開発」が国家的至上命題でもありましたから、数学にもその様な三角関数が単元項目として採り上げられていたことも必然です。現在はそれが確率・統計そして集合論に置き換わってもいます。
 これは社会の要請に教育行政が応える形です。けれども実際にはその前段階で躓いているのですからお話しにもなりません。
 小学校の算数が「事実を扱う」教科目であるのに対し、中学校の数学は「概念の理解」に主軸が移ります。ルートや微積分も同じです。発想を理解する事が実は大切な部分です。微分方程式が解けなければ、大学でマクロ経済学を専攻するのは不可能に近い。国語や社会科でも同様です。文脈理解やメタファの理解から始まり文法による分析も必要です。文法を理解できれば、読解のロジックを読み解くための適切な手掛かりともなります。文学鑑賞は個人のレベルで行えば良い程度の話で、更には教師用指導書なる範解の様な読み方だけが正しいはずもありません。逆にそれが誤った解釈であることも珍しくなく、原著者に抗議を受けたとの話もあります。
 同じく、アリストテレスやカントそしてスミスやマルクスそしてヴェーバーを理解するならば、歴史の知識も必要です。そうした専門への入り口となるのが高校の課程ですからそこに至るならば、中学校での準備段階が必要との話になります。それを中学生段階で理解できると思いますか?。そんなに日本の中学生の資質が高いといえる根拠がどこにありますか?。貴方は現実を知らないだけです、それで義務教育が不要などの寝言は笑い話にもなりません 笑
 
 >本来優れた人間とは社会、人間的にも謙虚で理想や熱意に溢れた、人間性のある人物のことを指す言葉ですが、今の日本が、グローバル化し、アメリカのいいなりになってからは、上の命令にはなんでも従い、文句もいわず、たた与えられた課題をクリアするだけの働きアリ、国家の手足になりえる人材を優秀と呼ぶようになりました。
これらの問題を解決するためには、国際化から手を切り、戦前のような、質素で内容の深い日本独自の社会を築くしかありませんが、あなたのように欧米の食や文化などの華やかさや贅沢の味を覚えた人間がいる限りそれは、無理でしょうね。
最後に自由は、言葉の通り自由です。人目を憚らず好き勝手やることです。それ以下でもそれ以上でもありません。
 
 ここまでいくと呆れてものがいえません。政府の言いなりになる人間を育ててきたのが1945年以前の教育であり、戦後のそれは日米安保とMSAによって大きく方向転換を余儀なくされた形で戦前回帰と呼ばれてもいます。もう少し戦後史の勉強をする必要がありそうですね、しかも抜本的に。
 欧米が決して華やかな文化とはいえもしません。精神風土としてのヨーロッパが自由と人間の尊厳を目指しての戦いの絶え間ない連続であったこと。そしてその支えとなったのは、常に人間の思索でありそれが哲学と呼ばれる存在であること。更にはその「哲学」をベースとして様々な社会科学や社会思想が形成され、それらが互いにアウフヘーベンされる形で今も尚進化し続けていること。これらに対し嘗ての日本と戦後の日本の間に横たわる断続性と連続性から導き出される結論として、日本の教育が臣民教育であり、サイレントマジョリティを作るために最も有効に機能していたことを踏まえない限り、貴方の立てた課題とその補足自体が矛盾だらけの観念論となります。否、観念論以前の思い付きレベルでしかありません。
 好き勝手にやることが自由の意味であるならば、自由と自由が対立したならどうしますか?。貴方の自由が僕にとってはこの上なく迷惑であるなら、僕は貴方に対し「恐縮ですが、もう少し静かにしていただけませんか?」とお願いすることもあります。つまりは相手と自分との距離感を適切に保つことが前提にもなります。これだけアリストテレスから現代至る迄の間、一貫して変わらない部分ともいえます。
 もし貴方の定義する「人間」とやらが既に胡散臭い宗教レベルの話であるならば別の話ですが 笑
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この回答へのお礼

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お礼日時:2014/06/03 15:19

そうですかね。


学校の宿題で困った記憶がないけどね。
それより、塾だったな。これは、かなり負担感を感じたよな。
学校で十二分に学習できれば良いけど、今は勉強ができる奴も塾に通うから余計に厄介だよな。
できる奴は、何やっても効率よくやっちゃうから、できない奴はそのままにするから差が出てしまうんじゃないかな。

>刑務所のような学校、薄暗く陰湿、閉鎖的、で校則が厳しく、義務教育だから仕方なく行っている、ざっとこんな感じです。

そうか、今は悪いイメージしかないのかな。
私は、学校に行きたくって仕方がなかったけどね。休むと損した気分だったけどな。

>今の日本の教育に疑問を抱いている人がいると思うので、ぜひぜひ回答お待ちしています。

観点は違うけど、今の教育は少しおかしいと思うよ。
所詮、頭が良い人が現場を見ずに考え理想ばかり追い求めているからだと思うな。
どこかの市長さんが言うように、義務教育でも留年制を導入しないととんでもない輩を育てることは間違いないな。
本当に酷い奴は、簡単な漢字は書けないし計算は間違えるし、何を聞いてもわかりませんでは、何を勉強してきたのか疑ってしまうね。

この回答への補足

そうですか。あなたはとは私とは逆にもっと義務教育を強化して、子供達に間違った啓蒙を施し、国民を国にとって都合のいい手足にすることに賛成なんですね。非常に残念です。
クローン人間製造の反対派の中で、「人の中で優秀な人間だけをえりごのんで、それを大量生産することは、人を物と同義とみなす、最低の行いである。」というのを聞いたことがあります。が、今のグローバル化した社会のほうが、人を物として扱っていることは、私達はすでに分かっていることです。でも、それを発言するのはネット上だけです。
ほとんどの先進国で義務教育が導入しているということは、政府が国民のことを道具としかみていないという証拠です。
生まれたときから戸籍というナンバーをつけられ、強制的に施設にいれられ、そこでも、点数や内申点といった優劣をつけられ、世間にでても、学歴や資格などといった見えないバーコードを、貼られる、国家の歯車の糧となる。・・
これのどこが道徳的といえるのでしょうか?
今の学歴社会こそ、人間を経済の物としか見ていない最低の国恥だと思います。所詮必要悪ですね。

補足日時:2014/05/27 11:51
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この回答へのお礼

回答ありです

お礼日時:2014/06/03 15:17

 昨夜の再訪です。

昨夜の回答が一部編集されたとのことですので、改めて別の角度からお話しします。
世界中で最も勉強しない大学生を大量にそして粗製濫造している国はどこであるか、知っていますか?。
 それは他ならぬこの日本国です。知識量や処世術には長けているが、自ら考えることをしない木偶の坊が多勢いることも確かです。僕も何年後かには還暦を迎え定年間近にもなりますが、これまで中学をはじめ高校や予備校で教えてもきました。そして現在は企業勤務と大学教育双方に携わる二足草鞋でもあります。
 その中で感じたこととして、日本の学生は答ばかりを欲しがり、そこに至るプロセスには目もくれようとしない傾向も多々あるとの部分です。更に何よりも本を読まなくなったこともあります。これは日本固有の特異な現象ともいえ、そこに更に拍車を掛けた1つの原因が「ゆとり教育」であるともされています。
 けれどもその「ゆとり教育」も当初の理念からは全くかけ離れたグロテスクで骨抜きの形に歪められてしまったことも一面の事実です。
 最初「自ら考えそして行動する人間を育てるために学科目を越えてのカリキュラム作り」でしたが、それが受験のために教科目のコマに振り返られてしまうとの皮肉な現象を生み出しもしました。
 その根底にあるのは、ランク付けとのモノサシです。どこそこの大学に入ればある程度の保証を手に入れることができるとの幻想を生む、あのつまらない存在です。
 中学が高校への、そして高校が大学への通過儀礼的な位置付けとなり、本来ならばより専門に特化し尚且つそれを深化させるべきはずの大学ですら、今では就職のための通過儀礼的な認識を一般社会には持たれてもいます。これが最大の病巣ともいえ、有名大学に入れば取り敢えずは有名企業の採用試験に出願することができるとの薄っぺらな証明書を発行する機関に堕してもしまっています。
 殊にFランと呼ばれる底辺大学の学生の質にはヒドイものがあり、中学生である貴方も恐らくはビックリして気絶してしまうかもしれません。そんなどうしようもない大学でも大学院時代の友人から、三拝四拝されてしぶしぶ一年間だけ教えた経験がありますが、先ずは試験の答案すらまともに書くことの出来ない学生がゴロゴロしてもいます。その彼等こそが「ゆとり世代」の代表格です。
 なぜ彼等がそうなってしまったのかといえば、総合学習の時間であるべきはずのコマに対して、自分達で作ろうとする志向が全く見られなかったことが最大の原因ともいえます。如何に受験科目への振り替えを行ったとしても、それだけのキャパシティが備わってもいない状態ですから、どの様な方策を講じても無駄でしかありません。そして高校以上ならば義務教育課程でもありませんので、来て下さいと頼むわけでもありません。勉強したい人だけが行けば済むはずの場所がいつの間にやら、選り好みすらしなければどこかの大学に必ず入ることのできる時代です。それでも定員割れし、留年や退学との状況をあちらこちらに見ることも比較的容易です。
 一つの科目教科書が薄くなるということは、それだけ教える内容・学ぶ知識量が減ることを意味します。解りますよねこの意味が。そして更に恐ろしいこととして、例えば「円周率」り扱いがあります。円周率は一般的に「3.14……………………」の形で教えるとの基本ルールがゆとり以前では普通でしたが、それがゆとり世代が中学校段階で教えられたのは、なんと「円周率=3」とのまことに大胆で恐ろしい無茶ぶりでした。僕が中学生の頃には三角関数のsin・cos・tanを三年の段階で教えられもし、二年の時には数学の五心の展開の仕方も教わりました(年がバレます!)。それが「円周率=π」ならばいざしらず、「円周率=3」ではお話しにもなりません。「考える力を育てる」にしても基本的な知識を前提としなければ、議論すらできないとの話にもなります。
 
 >校則が厳しく
これは外国ならば前提の前提です。自分達で学校活動を運営するためには自分達も責任を負わねばなりません。それを外国では既に子供の頃から教えられてもいます。これが権利と責任の関係を考える前提にもなっているが、日本では「考えて行動する人間」を殊に他に嫌いもする風潮が根強く残ってもいて、それが「出る杭は打たれる」などの日本人の精神文化的特性にも表れています。
 貴方に、そのような大人の振るまいができますか?。できないからそれを助言する形での規則があるとの話になります。
 自由といっても、やりたい放題と同義語ではありません。従ってあなたは「自由の意味」を理解しているとはいえないことになります。自由とは厳しいものであることも忘れないで下さい。

この回答への補足

ほとんどの先進国で義務教育が導入しているということは、政府が国民のことを道具としかみていないという証拠です。
生まれたときから戸籍というナンバーをつけられ、強制的に施設にいれられ、そこでも、点数や内申点といった優劣をつけられ、世間にでても、学歴や資格などといった見えないバーコードを、貼られる、国家の歯車の糧となる。・・
これのどこが道徳的といえるのでしょうか?
今の学歴社会こそ、人間を経済の物としか見ていない最低の国恥だと思います。所詮必要悪ですね。
アフリカの人間が救いが欲しいのは本当ですよ。3DSは少し、言いすぎだと思いますが、自分の生活が楽になれば、何にでも縋るはずです。それを教育に無理やり結び付けているだけです。
第一、先進国と、発展途上国では教育の理念や根本的な考え方が違うのです。同列に扱うことが間違っています。
本文にも書いてあると思いますが、発展途上国では、生活や生きていくために必要な教育、昔の江戸時代のような工学や農学、天候学やそろばんなどです。ルートや微分積分などでは、ありません。
確かに貴方の言うとおり、今の高校や大学などは、就職のための通過儀礼的と化しているのは、私も同情します。
ですが、それは国民にとって必要無いような、英語や数学など、他国との不毛な競争を意識した内容になったため、内容が難解なだけで得られる物が何もない教育に国民が愛想をつかした結果であり、国語や社会学など誰でも使う可能性のある教育なら、生徒も興味を持つはずです。
本来優れた人間とは社会、人間的にも謙虚で理想や熱意に溢れた、人間性のある人物のことを指す言葉ですが、今の日本が、グローバル化し、アメリカのいいなりになってからは、上の命令にはなんでも従い、文句もいわず、たた与えられた課題をクリアするだけの働きアリ、国家の手足になりえる人材を優秀と呼ぶようになりました。
これらの問題を解決するためには、国際化から手を切り、戦前のような、質素で内容の深い日本独自の社会を築くしかありませんが、あなたのように欧米の食や文化などの華やかさや贅沢の味を覚えた人間がいる限りそれは、無理でしょうね。
最後に自由は、言葉の通り自由です。人目を憚らず好き勝手やることです。それ以下でもそれ以上でもありません。
好き勝手やられると困るから政府や法律があるだけの話しです

補足日時:2014/05/27 12:20
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この回答へのお礼

回答ありです

お礼日時:2014/06/03 15:17

 >実際は実生活では何の役にも立たないような、内容のものばかりで、数学や英語など、明らかに海外との競争を意識したものばかりでうんざりします


 では海外での教育のスタイルをご存知ですか?。ドイツならば複線型といって、義務教育課程は全員が受け、その後は個人の職業選択によって学校先も複数の中から選択する形です。それは学校教育と職業教育が密接にリンクしているとの社会構造に規定もされます。一方の日本は「単線型」です。学校教育と職業教育の間での橋渡しはありません。
 そして「役に立たない様な内容」と仰いますが、逆に「役に立つ教科目」とは具体的にどの様な領域を指してのことでしょう。金儲けのためのFP資格をとったりするための受験準備などですか?。それならば。全員が全員同じ科目を選択する必然性などどこにもないでしょう。医師になるならば理科系科目と国語能力が求められ、法曹ならば社会科学系科目と哲学領域そして心理学といった学門も求められます。FPなどは必要もありません。

 >アフリカの子供など、救いが欲しいだけで、自分が救われるならなんにでも縋るわけで、勉強しているときに3DS渡せば、喜んでそれに食いつきますよ
 全くのデタラメもここまでくれば天晴れです。アフリカや中等そして東南アジアの人達が何を最も求めているか。それは「安心して学ぶことができるための環境づくりに力を貸してくれる人」です。3DSなどではありません。
 貴方はルワンダの内戦をご存知ですか?。恐らくは聞いたこともないはずです。ならば『ホテル・ルワンダ』という作品を一度ご覧になることをお勧めします。あるいは今年順次公開予定の『世界の果ての通学路』をお勧めします。
 学校に行くということは、それだけで将来への希望を切り拓く最も大きくそしてかけがえのない財産です。学校に行き、文字の読み書きや計算の仕方を身に着けることで作物を作りそれを市場で売買もする。それによって新たに利益を手に入れる事ができ、より多くの収穫を得るための手掛かりを作ることともなる。そうした経済活動の範囲を広げた行くためには他国の言葉を学ぶことも大切な要素となっていく。
 つまり、人間の行動範囲を広げていくための一番基本となる部分を培うのが学校ということになります。それも日本ならば中学は入り口の更に入り口の入り口に立った段階です。そこから先が本当に勉強を始める準備段階となります。
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この回答へのお礼

回答ありです

お礼日時:2014/06/03 15:17

いや別に、そこまで厳しくも忙しくもなかったけど?


何にでも反抗したいお年頃なのかな。
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この回答へのお礼

いえもう成人ですが

お礼日時:2014/06/03 15:16

総じて私の日本の学校に対してのイメージは、刑務所のような学校、薄暗く陰湿、閉鎖的、で校則が厳しく、義務教育だから仕方なく行っている、ざっとこんな感じです。




質問者個人の感想以外での検証可能なデータは?

http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth7/h …

表1-1
学校生活
36.0 満足 日本
52.1 満足 アメリカ
職場生活
26.3 満足 日本
50.9 満足 アメリカ


アメリカ人は学校生活、職場生活の双方において、半数程度が満足しているとしているが、日本人は 学校生活に関しては36% 職場生活に関しては 26.3%しか満足しているとしていない。
つまり、調査の結果では、職場生活のほうが学校生活でよりも満足度が低く、地獄である。


一方 アメリカでのいじめは、三人から四人に一人
口頭でのいじめも含めると 77%がいじめられている


http://www.bullyingstatistics.org/content/school …

School bullying statistics in the United Stats show that about one in four kids in the U.S. are bullied on a regular basis.

When it comes to verbal bullying, this type of bullying is the most common type with about 77 percent of all students being bullied verbally in some way or another including mental bullying or even verbal abuse.

http://stopijime.jp/data/
日本では 40~50%

同一の調査設計によるものではないが、日本の教育システムが日本にいじめを蔓延させていることは断定できない。
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この回答へのお礼

回答ありです

お礼日時:2014/06/03 15:15

日本社会において学校は忍耐力を学ばされるところだと思います。



そういう理不尽なことの子供のうちから慣れておいて、大人になったら耐性のあるよう教育しているのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありです

お礼日時:2014/06/03 15:14

 


自律を促すためです

他人に管理・指導されないとルールを守れないのは未熟な人間です
 
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この回答へのお礼

回答ありです

お礼日時:2014/06/03 15:14

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