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以前、このカテで日本語の難しさを思い知った者です。 また、よろしくお願いします。

日本語を勉強している友人からまた難しい質問がありました。 毎日、習慣として行なっている動作を言う時に、「~ます」 と 「~います」 の違いを聞かれて困りました。

例えば、1.私は毎朝新聞を読みます。と、2.私は毎朝新聞を読んでいます、の違いですね。

彼の先生からは両方とも習慣を表すので、どちらでも良いと言われたそうですが、なら、両方覚える必要はないでしょう? (勉強させるなよ) と言うのが彼の主張です。

私自身、これを何度も口で繰り返したのですが違いは分かりませんでした。 ただ微妙にニュアンスは違うような気がするのですが、うまく言えません。

これって全く同じなのですか? それとも何か違うのでしょうか?

もし全く同じなら、たしかに両方勉強する必要は無いことになります。

よろしく、お願いします。

A 回答 (4件)

「読む」は継続動詞として、次のような段階を取ります。



1.現在形
私は毎朝、新聞を読みます。
2.動作継続(未完了形・慣例)
私は毎朝、新聞を読んでいます。
3.過去形
1)単純過去
私は毎朝、新聞を読みました。
2)慣例過去
私は毎朝、新聞を読んでいました。

これには二傾向の要素が入っています。

A.テンス(時制)
読む(現在形) → 読んだ(過去形)
B.アスペクト(時相)
読んでいる(未完了形) → 読んでいた(完了形)

このように、基本的には1.はテンス文であり、2.はアスペクト文として明解に分別されます。

また、これが瞬間動詞「開く」の場合には現在形がそのまま習慣動作を意味します。そのような側面からこちらは結果動詞とも呼ばれます。

「私は毎朝、新聞を開きます。」 → 慣例
「私は毎朝、新聞を開いています。」 → 結果の状態(開いたままにしている)

さらに、連体修飾句に関わると一層複雑になります。
ですから、「彼の先生からは両方とも習慣を表すので、どちらでも良いと言われた」という感覚のままでは何とも困ってしまうでしょう。

〇私は毎朝、新聞を読む時には、ラジオも聞いています。
〇私は毎朝、新聞を読む時に、ラジオをかけます。
×私は毎朝、新聞を読んでいる時に、ラジオをかけます。
〇私は毎朝、新聞を読んでいる時には、ラジオも聞いています。

 
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この回答へのお礼

有難うございました。
たしかに最後の例文の3番目は変な感じがしますね。

すみません、それと「開く」で二つの例文を挙げて頂いて、2番目の文の「開いています」は「一旦開いてそのままの状態が続いている状態」という風に理解しました。
ただ、たしかにそのような状態をイメージするのですが、その一方で、「毎日新聞を読むのが習慣になっている」という意味にもとれないでしょうか。

もしとれるとしたら、「毎朝開きます」と「毎朝開いています」とではニュアンスがどう違ってくるのかなと感じているのですが・・・

お礼日時:2014/06/30 19:06

#3です。



>ただ、たしかにそのような状態をイメージするのですが、その一方で、「毎日新聞を読むのが習慣になっている」という意味にもとれないでしょうか。
 :
まず余談ですが、「毎日新聞」とか「毎朝新聞」では固有名詞を喚起しやすいので「毎朝、新聞を…」と書き直しています。これも日本語学習者が陥りやすい「句読法」の課題です。

無原則的な「…という意味にもとれないでしょうか。」という問いかけ自体にも問題があります。
意味が幾つかに取られてしまうような文章を作らないように努めることが作文の基本だからです。
「毎朝」とか「いつも」といった習慣性を誘導する副詞を挟んだ文章は、どんな間違った文章であろうとも、その述語部に大なり小なりの習慣性の意味合いを押し付けてしまいます。

ですから、大なり小なり「…という意味にもとれないでしょうか。」とのごり押しが可能に思えるのでしょうが、一般の日本人ではそのような基本的な多義性を呼び込み受け手の語解を招くような、そんな形容修飾表現を致しません。
それは、文法的にいえばテンスとアスペクト、また述語動詞の瞬間性か継続性かなどの組み合わせが生み出す「時間関係」の表現に幾通りにも捉えてしまうような曖昧さを避けることができるからです。

とまれ、テンス文とアスペクト文という識別の仕方は、特に日本語学習者のための初歩的な教育カテゴリーです。
「日本語文法では、特に日本語教育では、アスペクトは補助動詞の用法のこととして、説明される。」
「「本を読んだ」は動作をまるごと差し出しているのに対し、「本を読んでいた」はその動作の過程を心に描きつつ発話している。前者は完了体のアスペクト、後者は不完了体のアスペクトである。」
(吉川武時「日本語文法入門」アルク)

「・しかし、「ル、タ」の誤用のうち多くが「テイル、テイタ」とすべきものだった。ルとテイル、タとテイタの使い分けに関しては、「開始時点や終了時点の明示、継続性、別の時期との対比、頻度の高さ」などの条件がポイントになる。
・ルとタの混同も起こりやすい。タのもつ「完了」の意味と、ルのもつ「習慣、状態」の意味が近いからである。」
(山口薫「外国人留学生の作文に現れるテンス・アスペクト形式の分析」)
http://office.nanzan-u.ac.jp/cie/gaiyo/kiyo/pdf_ …
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この回答へのお礼

何度もお答え頂いて、有難うございました。
私は日本語の教師ではないので専門知識は全くありませんが、今回の質問をとおして日本語を見なおしてみたいと思います。
また、友人の外国人からよく質問されるので間違った説明をしないように注意したいと思います。
有難うございました。

お礼日時:2014/07/01 10:35

 日本語の意味としては、ほとんど同じでよいのではないでしょうか。



 強いて言えば、「1,読みます」は単なる習慣的な行動ですが、「2.読んでいます」は意識的・継続的にそうしている、という主体的な行動、というニュアンスでしょうか。

 「私はエレベータを使わずに階段を上ります」というのと、「私はエレベータを使わずに階段を上っています」というのでは、後者の方が「ダイエットのために」とか「省エネのために」という意識で継続的にそうしているニュアンスがありますよね?

 意識的にそうしていることをより強調するなら、
「私は毎朝新聞を読むようにしています」「私はエレベータを使わずに階段を上るようにしています」
となりますが、そこまで意志的なものではないというレベルでしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございました。
たしかに「~ています」の方が自分から積極的に何かを続けているような、そんな雰囲気がありますね。
理解できたような気がしました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2014/06/30 18:58

二つの違いは「ている」が無いのとあるのとの違いです。

「ている」はある動作(この場合は「読む」)が引き続いて行われることを表します。ただし、その動作が何時までも続く場合もあるでしょうが、この場合は繰り返し行われることを意味します。その点から言えば、こちらの方が「新聞を毎日読み続ける(習慣)」を表すのに適しているでしょう。
 ただし、「毎朝」という語が付けば、「1.私は毎朝新聞を読みます。」も同じ意味になります。この二つが同じ意味になるためには、「毎朝」という語が必要です。
 結局、「毎朝」のような言葉がなければ、「読みます」と「読んでいます」とは本来違うので、両方勉強する必要がないということにはなりません。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、習慣を言うときには「~ている」の方が適切なのですね。
たしかに私自身も無意識にそう言っているような気がします。

お礼日時:2014/06/30 18:56

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