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話の流れは
ある日、清少納言、中宮定子、女房が会話をしている際、清少納言が「紙さえあれば最高」という内容の言葉を発する。
後日、清少納言が気分の悪い際、中宮定子からすばらしい紙を賜る。
喜んだ清少納言は、お礼として和歌の手紙を使いの者に送らせる。
というようなものです。

問題は、清少納言が「あまりにやと啓せさせ給へ(詠んだ和歌はあまりに大げさすぎるでしょうか、とお伝えなさって下さい)」と使いの者に言う所なのですが、なぜここでは二重敬語が使用されているのでしょうか。
確かに中宮定子と話す場合は二重敬語を使うのがもっともかと思うのですが、ここでは使いの者に「せさせ給へ」と言っているように見えるのです。
もしよろしければ二重敬語の使用される場合などもお教え頂けると嬉しいです。
ご回答の程、よろしくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • 「せさせ給へ」ではなく「させ給へ」でしたm(_ _)m

      補足日時:2015/07/08 08:37

A 回答 (2件)

「啓す」はご承知のとおり、「言う」の謙譲語。

皇后・法王・中宮・皇太子等に申し上げるの意。(天皇にだけは「奏す」)
 「せ(させ)給ふ」は尊敬の助動詞+尊敬の補助動詞で、これもおっしゃるとおり「最高敬語」(二重敬語)です。天皇や上記の皇族に対する敬語です。

 ところがこれもおっしゃるとおり、

 「心も亂れて、啓すべきかたもなければ、ただ、
   かけまくもかしこきかみのしるしには鶴のよはひになりぬべきかな
あまりにやと啓せさせ給へとてまゐらせつ。臺盤所の雜仕ぞ、御使には來たる。青き單衣などぞ取らせて。まことにこの紙を、草紙に作りてもてさわぐに、むつかしき事も紛るる心地して、をかしう心のうちもおぼゆ。」

この部分は「啓せさせ給へ」とて、となっていて、「啓す」は使者を通じて清少納言が「申し上げる」と受け取れますが、「させ給へ」が誰に対する敬語か(しかも二重敬語なのか)よく分かりません。
 旺文社「古語辞典」には「させ給ふ」について次のように書いています。
『登場人物の会話では、そのほかに身分の高い話し相手や主筋にあたるものを主語とする場合にも用いられる』
 この考えを援用すれば、主筋に当たる使者に用い、事実上は中宮に対する「最高敬語」として使ったと考えられます。
ネット上の「現代語訳」などは、何の説明もなく、「申し上げてください」と単純に訳しています。
 「古典文学大系」などの注釈書には、おそらく説明されているでしょう。(残念ながら、わたしの手許にはありません)
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この回答へのお礼

間接的にでも関係があると使用するみたいですね…!
自分はもう少し多くの辞書を引いてみるべきでした(-_-)
親切丁寧な回答、ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/09 12:56

私は№1OKATさんのご回答はなるほどな、さすがだなと感心して拝読しました。

これから述べることは、その適切性の補強的な内容です。参考にしてください。
1「(啓せ)させたまへ」~「させ」尊敬の助動詞。上臈の女房宛の消息文ですから、使役と考えることはできないと思います。それに尊敬の補助動詞「たまへ」がついて、二重敬語となっています。最高敬語ですが、敬意は形式的には、清少納言から上臈の女房へはらわれていると思います。
2「主筋にあたる使者に用い事実上は中宮に対する最高敬語として使ったと考えられます。」は、直接の使者は台盤所の雑仕であるが、実質の使者は中宮の宣旨を代筆した上臈の女房ととらえているのであれば、適切なご回答と思います。
3私が参考にして見ているのは、新潮日本古典集成「枕草子下」萩谷朴校注です。この本では第二百五十九段です。質問箇所には注が入り「宣旨を伝えた上臈女房に宛てた文体にして、間接に中宮にご返事するという形式をとるのが礼儀作法。」とあります。これは、先の件の適切さを補強すると思います。
4私の用いている辞書は、ベネッセ古語辞典です。その中の「さたまふ」の二重敬語の説明に「主体となるのは、天皇およびそれに準ずる高貴な人に限られる。ただし会話文や消息文では比較的自由に用いられる」とあります。これも先の件の補強になると思います。
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この回答へのお礼

OKATさんの見解に加え、これほどまで多角度から考えることが出来るのですね…!
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/09 12:53

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