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刑法(共謀共同正犯)の問題です。
司法試験受験生の方、合格者の方、研究者の方、又は実務家の方からの回答を希望します。

甲が強盗の故意、乙が強盗殺人の故意で共謀をなし、乙のみが実行者として強盗殺人行為に及んだという事例(事例1)おいて、甲の罪責を検討する場合、①共犯の本質(行為共同説か犯罪共同説か)②共謀の射程③共犯の錯誤、という3つの論点が問題になると思いますが、これら3つの問題はどのような関係にあるのでしょうか。

不勉強ながら、私見では、①は(共謀共同正犯にも修正された実行行為が観念できるとして)共謀共同正犯の実行行為性の問題(=共謀のみに関与した者の実行行為は実行者の実行行為と一致することを要するか)、②は(因果的共犯論を前提に)共謀によって形成された心理的因果性がどこまで影響を及ぼすかという共犯の因果性の問題、③は共謀のみに関与した者が認識(予見)した事実と、実際に発生した事実に不一致がある場合に、共謀のみに関与した者に構成要件的故意が認められるか、という故意の問題であり、一つの事例に対する関心の置き方が違うだけではないかと考えていますが、間違っているでしょうか。

また、テクニック的な質問になりますが、答案作成上、上記3つの問題をすべて展開する必要があるでしょうか。

さらに、上の事例と、当初は甲・乙共に強盗の故意で共謀をなしたものの、実行者乙が実行行為に及んだ際、強盗殺人の故意をもって人を死に至らしめたという事例(事例2)では、甲の罪責を検討する上で、何か違いがあるでしょうか。

私見では、事例2の場合も事例1と同様、①~③の3つが問題になるのではないかと考えますが、ちょっとひっかかるものがあります。

よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • ①の「共犯の本質」の問題に関して、いわゆる部分的犯罪共同説の立場からの処理の仕方(原則として特定の構成要件の共同を要するが、重なり合いの範囲では共犯の成立を認めてよい)は、③の「共犯の錯誤」の問題に関して、法定的符合説の処理の仕方(構成要件の重なり合いの範囲では故意を認めてよい)とほぼ同じです。
    とすれば、①と③はほとんど同じことを議論しているだけで、「行為の重なり合い」と見るか「認識の重なり合い」と見るか、という関心の置き方が違うだけではないでしょうか。

      補足日時:2015/08/01 14:43
  • (最初の補足の続き)
    また、①の「共犯の本質」の問題に関して、いわゆる部分的犯罪共同説をとった場合、事例1では、甲は強盗罪の罪責を、乙は強盗殺人罪の罪責を負い、両者は強盗罪の限度で(共謀)共同正犯となるかと思います。これは、甲乙間の共謀は、乙の強盗殺人の実行行為とまったく無関係ではなく、強盗の範囲においては及んでいた、と言い換えることができるはずです。そうだとすれば、これは②の共謀の射程の問題と見ることもできるのではないでしょうか。

      補足日時:2015/08/01 14:50

A 回答 (3件)

>設問(事例1)のようなケースでも、同一被害者に対する同一機会の侵害であるにもかかわらず、甲と共同正犯関係に立つからという理由だけで、強盗罪(の共同正犯)と強盗殺人罪の「二罪」が成立し、それらが観念的競合として科刑上一罪とされるという処理は腑に落ちません。



 観念的競合ではなく、吸収一罪という考え方もあるでしょう。ただし、問題は罪数論ではなく、「共犯でもあり単独正犯でもある」という点です。

>たとえば、殺意を有しない甲(ボス)が、殺意を有する乙(子分)に、強盗行為に出ることを持ちかけ、詳細な指示をしたような場合には、少なくとも強盗の部分に関しては、「相互に意思を疎通して明確に犯罪を実行」したといえるのではないかと思います。

 この書き方からすると、甲と乙の事実関係次第では、共犯が成立しない場合もあるということになります。

 まさに、この点こそ重要です。

 基本書・教科書ではほとんど論じられていないところですが、まさにこの点こそ重要です。

 この点を明らかにすることに有益な議論の1つが、「共犯の処罰根拠」でしょう。

 本問では、なぜ甲が「強盗罪」の罪責を負うのか。ここから論じなければ説得力に欠けるでしょう。

>少なくとも強盗の部分に関しては、「相互に意思を疎通して明確に犯罪を実行」したといえるのではないかと思います。

 論述としては、このように考える根拠の記述に欠けています。

 実務では、「甲が強盗罪の故意」で「乙は強盗殺人罪の故意」なんてことはない。生の事実関係から、「甲にどこまで共犯の罪責を負わせることができるか」という思考方法になります。その過程で、「理論上は構成要件の重なり合いが認められる範囲では、共犯を認めることは可能だな。」ということで最終結論に向かっていきます。

 繰り返すようですが、実務では今回の設問のように、最初から「甲に強盗罪の故意」という規範的結論があるわけではありません。

 実務的思考方法は脇に置きましょう。

 それでは、部分的犯罪共同説に立って考えてみましょう。

 乙が共犯であり、かつ単独犯であるということも脇に置きます。

 甲は強盗罪でしょうか、強盗致死罪でしょうか?

 行為共同説なら、普通は強盗致死罪でしょうね。ただし、この場合も、共犯の処罰根拠と関連して、強盗致死罪でいいのかの検討は慎重に行う必要がある。

 強盗罪と考える場合、なぜ「人の死亡」について甲が責任を負わないのかという説明が必要です。

 強盗致死罪と考える場合、どうしてその結論を得ることができるのか。
強盗罪の共犯と強盗致死罪の単独正犯というのは、甲は正犯でない以上あり得ない。
強盗致死罪の共犯と考える場合、甲は乙と過失行為の共犯をしたことになる。そうすると、乙は理論上強盗殺人罪という故意犯と強盗致死罪の結果的加重犯の2罪が成立することになる。

 いろいろ書きましたが、部分的犯罪共同説の場合、「理論的説明」をいろいろする必要があります。

 しかし、実際の問題点は、「いかなる場合に共犯を認めて良いか」であり、設問は「甲の意図を超えて犯罪が実現された場合」という形で、まさにそれを問うています。

 基本犯罪の強盗罪については共犯は認めて良い。それでは、「人の死亡」についてはどうか。

 例えば、甲は殺人を厳に禁止したにもかかわらず乙が殺人をした場合はどう処理するのでしょうか。

 あくまで設問どおりの学部レベルの試験問題であれば、

 甲に強盗罪の限度で共犯が成立する。

 人の死亡についての罪責はどうなるか。

 甲には殺人の故意はないから、強盗殺人罪の共犯は成立しない。

 しかし、強盗致死罪についてはどうか。結果的加重犯の共犯を認められるかが問題となる。

 自説を展開して、結論を出す。

 これで十分及第点だと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。

部分的犯罪共同説からの処理はよくわかりました。

ただ、私としては、「共犯の本質」の問題と、「共犯と錯誤」の問題と、「共謀の射程」の3つの問題の関係に問題意識がありましたので、その点についてもご見解をお聞かせいただければうれしかったです。

お礼日時:2015/08/17 00:18

法学部の学生の議論ならば、十分合格点!!



ただし、この議論で現実の犯罪を処理できるかどうかは疑問です。

共犯の本質論は、「どのような場合に共犯を認めることができるのか」という議論と考えています。


>部分的犯罪共同説の立場に立つのは、教科書的説明によれば、罪刑法定主義の立場からは構成要件論を重視すべきであるものの、構成要件の重なり合いの範囲で共犯の成立を認めるのであれば、罪刑法定主義に反しないと考えるからです。

 この説明は、部分的犯罪共同説が罪刑法定主義に反しないという説明にはなっても、「どのような場合に共犯を認めることができるのか」の積極的根拠にはなっていません。

>「共謀」自体が「共謀行為」という実行行為であると考えます。そうだとすれば、共謀のみに関与した者(甲)も、「共謀行為」という実行行為を実行者(乙)とともになしたのだから、特定の構成要件に該当する実行行為を共同でなしたのであり、共犯といえるのではないかと考えます。

 これも形式的議論です。議論すべきは「共謀行為」とは何か=「どのような場合に共謀行為」を認めることができるのかであって、共謀行為が実行行為かどうかではありません。

 犯罪共同説は本来、共犯は相互に意思を疎通して明確に犯罪を実行する場合でなければならない、という考え方です。
 
 私の理解では、実行行為自体を行わなくても、相互に意思疎通して明確に犯罪を行う「共同意思」に基づき実行行為がなされた場合には、実行行為を行わなかった者も共犯として処罰される、そういう考え方だと思うのです(これは実行行為の一部しか分担しなかった者がなぜ共同行為の全部に責任を負わなければならないかの実行共同正犯にもあてはまる議論です)。

 設問を考えてみましょう。

 部分的犯罪共同説が設問をどのように処理するか。

 基本書にはあまり明確に書いていないと思いますが、設問の場合、乙は強盗罪の共同正犯と強盗殺人罪の観念的競合になると考えられています。予備校の参考答案は、そのような解答です。

 しかし、この結論は妥当なのか。

 私は2つの疑問があります。

 1 同じ行為について共犯と単独犯を認めるというのは、矛盾ではないか。一方で共同意思に基づく行為といいながら、他方で単独意思に基づく行為というのですから、矛盾していると言わざるを得ない。

 2 設問の場合、本当に強盗罪の共犯を認めて良いのか。この疑問は、実は行為共同説にもあてはまります。昔の犯罪共同説(あるいは厳格犯罪共同説)では、故意(意思)の内容が異なるから、共犯は成立しないという結論を導けます。しかし、部分的犯罪共同説や行為共同説は「共犯を認めうる」のであって、「共犯を認める」かどうかは事案次第と考えます。

 どう思いますか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。こんな質問に付き合っていただいてうれしいです。

予備校の参考答案は、「乙は強盗罪の共同正犯と強盗殺人罪の観念的競合になる」となっているんですか!? この結論には納得できません。

>1 同じ行為について共犯と単独犯を認めるというのは、矛盾ではないか。

その通りだと思います。また、「観念的競合」という処理にも違和感を持ちました。観念的競合とは、本来的には数罪であり、ただ科刑上一罪とされているに過ぎないと理解しています。しかし、単独犯の場合、強盗殺人罪が成立するときは、強盗殺人罪一罪のみが成立し、法条競合(特別関係ないし補充関係)として強盗罪は成立しないはずです。設問(事例1)のようなケースでも、同一被害者に対する同一機会の侵害であるにもかかわらず、甲と共同正犯関係に立つからという理由だけで、強盗罪(の共同正犯)と強盗殺人罪の「二罪」が成立し、それらが観念的競合として科刑上一罪とされるという処理は腑に落ちません。

>2 設問の場合、本当に強盗罪の共犯を認めて良いのか。

たとえば、殺意を有しない甲(ボス)が、殺意を有する乙(子分)に、強盗行為に出ることを持ちかけ、詳細な指示をしたような場合には、少なくとも強盗の部分に関しては、「相互に意思を疎通して明確に犯罪を実行」したといえるのではないかと思います。
そうだとすれば、やはり「甲は強盗罪の罪責を、乙は強盗殺人罪の罪責を負い、両者は強盗罪の限度で共同正犯となる」という処理が妥当なのではないでしょうか。(私の手元にある予備校のテキストにこのような処理をしているものがあります。)

ただ、このように構成要件の重なり合いの範囲で共同正犯の成立を認める処理は、錯誤論の法定的符合説の処理の仕方とほとんど同じです。

現に、「甲が乙に対して強盗の教唆をなしたが、乙は強盗行為に出た段階で被害者に対する殺意を生じ、強盗殺人の結果を生じさせた」という問題で、前述のテキストは、甲の罪責を検討する際、錯誤の問題として法定的符合説からの処理をしています。

では、共謀共同正犯の場合(事例1)は、錯誤論を検討する必要はないのでしょうか。部分的犯罪共同説の立場から、甲に強盗罪の限度で共同正犯の成立を認める以上、当然に甲には強盗罪の故意が認められるはずであり、錯誤を論じる実益はないということなのでしょうか。

お礼日時:2015/08/03 01:25

興味深い質問です。

また、一生懸命勉強されているようなので、私も一緒に考えたいと思います。

共犯論では、まず「共犯」とは何かを考えます。

行為共同説、犯罪共同説は、その考え方です。

両説では、罪名従属性を認めるのか、過失犯の共同正犯を認めるのか、などで差異があるとされます。

私なりにいろいろ書籍を読んだつもりですが、司法試験受験時代は、わかったようなわからないような感じでした。

現時点で私は、「共犯」とは何か=行為共同説、犯罪共同説の対立は、共犯はどのような場合に認められるかの議論であると考えています。

昔の犯罪共同説は、共犯をとても狭く考えていた。「故意の共同」が必要である、などと説かれます。

これはなぜか。1つは、共犯の成立範囲を厳格に捉えるという意味があります。

しかし、もっとも重要なのは、共犯として処罰されるためには、共犯として処罰されるだけの実体がなければならない。共犯として処罰される実体とは、お互いに意思を疎通して明確に犯罪を実行する場合でなければならない、という考え方です。

共犯が問題となるケースはいろいろあるが、犯罪の発生に明確に影響を与えたと考えられる場合=お互いに意思を疎通して明確に犯罪を実行する場合にのみ共犯を認めましょう、ということです。

これに対し、行為共同説は、ひらたくいえば、共犯をそんなに厳格に考える必要はないでしょう、という考え方です。

設問に即して考えてみましょう。

昔の犯罪共同説でいえば、甲は強盗の故意、乙は強盗殺人の故意ですから、「共犯」は成立しないとなります。この結論は、乙は結局自分の意思で強盗殺人するつもりでその実行をしたにすぎないと見れば、必ずしも不合理な結論とまではいえません。

ただし、私はこの結論には賛同しません。

質問者さんはどう考えますか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私は、①の共犯の本質の問題については、いわゆる部分的犯罪共同説の立場に立ち、原則として特定の構成要件を共同して実現することを要するものの、各行為者が異なる構成要件を共同して実現した場合であっても、それが同質的で重なり合う場場合は、重なり合いの範囲で共犯の成立を認めてよいと考えます。
事例1(甲が強盗の故意・乙が強盗殺人の故意)の場合は、強盗という範囲で重なり合いが認められますので、甲は強盗罪の罪責を、乙は強盗殺人罪の罪責を負い、両者は強盗罪の限度で共謀共同正犯となると考えます。

部分的犯罪共同説の立場に立つのは、教科書的説明によれば、罪刑法定主義の立場からは構成要件論を重視すべきであるものの、構成要件の重なり合いの範囲で共犯の成立を認めるのであれば、罪刑法定主義に反しないと考えるからです。

また、ここからは私見になりますが、構成要件論を重視すべきなのはその通りであるとしても、共犯が修正された構成要件であるからには、共謀共同正犯であっても実行行為を観念できるはずです。そして、「行為」を「何らかの意思の発現といえる身体的動静」という意味でとらえたとすれば、「共謀」自体が「共謀行為」という実行行為であると考えます。そうだとすれば、共謀のみに関与した者(甲)も、「共謀行為」という実行行為を実行者(乙)とともになしたのだから、特定の構成要件に該当する実行行為を共同でなしたのであり、共犯といえるのではないかと考えます。

このように、「共犯の本質」という問題、すなわち行為共同説か犯罪共同説か、という対立を、「各共犯者は、自然的な意味での行為を共同すれば足りるのか、それとも、特定の構成要件に該当する実行行為を共同することを要するのか」という問題として理解すれば、犯罪共同説ないし部分的犯罪共同説の立場に立ったとしても、「客 観 的」な実行行為の共同が問題になるはずで、各行為者の故意のズレ(甲は強盗、乙は強盗殺人)は、むしろ錯誤の問題ではないかと思うのです。

※字数が足りなくなってしまったので、質問欄下の補足に付記したこともご参照いただければ幸いです。

お礼日時:2015/08/01 14:37

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