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何が正義で悪か、また何が真実で嘘かを見抜く方法を教えてください。(必ずしも真実を知ることが幸せとは限らないと思いますが)

質問者からの補足コメント

  • 皆様お疲れ様でした。全て拝読させていただきました。真実を知るだけで殺される場合も世の中にあるので、それが幸せなのか今の未熟な自分には分かりませんが、とりあえず学ぶ姿勢が大切なのかな?と思いました。またご意見お待ちしております。ありがとうございました。

      補足日時:2016/05/09 22:21

A 回答 (9件)

>何が正義で(何が)悪か


>何が真実で(何が)嘘か
を見抜く方法を教えてください。

あなた自身が、深層心理を良く見抜く事です。
正義であれ悪であれ、真実であれ嘘であれ、人が行動した結果なのですから、
その前にある深層心理を良く分析し、判断するしかないでしょう。

ちなみに、、、本をたくさん読む事です。
本だって所詮人が書いているものなのですから、そこには何らかの思考、信条が入っているはずです。
日頃から、そうして人に対して深く洞察することで、自らの判断基準も向上していくでしょう。
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私のやり方ですが、思索を重ねて、何が正義で何が悪かを決めます。


日々の生活の中のあらゆる事象をこれにぶつけ吟味します。それを
生涯続けることです。

「うまい方法」というのはないでしょう。効率的な方法といえば、
時に「集中すること」だと思います。

真実を知るということは、人類の闇に光が当たる場合がある、と思
っていますので、私は幸せを感じます。
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何が正義で悪か、


  ↑
正義については、大きく二つの考え方が
あります。
1,過去現在未来、どこの時代でも何処の国にでも
 当てはまる普遍的な正義がある、という立場。
2,そんなモノはない。
 正義などは時代や立ち位置により変わるモノだ
 とする立場。

1,はキリスト教文化圏で強い考え方で
2,は日本で強い考え方です。

キリスト教においては全能の神があらゆるモノを
創ったことになっていますから、正義もその例外
ではありません。
だから、月や星が存在するのと同じように、正義も
存在するはずであり、それは普遍的なモノに違いない
と考えます。
だから彼らは何百年にも渡って、延々と正義論を
続けています。
現代はロールズの正義論が最有力説になって
います。



何が真実で嘘かを見抜く方法を教えてください
   ↑
教養だとおもいます。
教養を身につければ、真実かウソかはある程度
見抜けるようになると思います。
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この回答へのお礼

詳しくご教授ぐださりありがとうございます。

お礼日時:2017/03/07 02:52

質問者が、「正義」と信じるものが、「正義」だし、「悪」と信じるものが、「悪」です。


「真実」についても、以下同文。

時代が変われば、「価値」が変わりますし、同じ時代でも、「地域」によって、「価値」が変わります。
「宗教」によっても、「価値」が変わります。

印度では、親の決めた相手と結婚しないと言う理由で、簡単に、実の娘を、殺害したりします。

それを非難するのは、簡単でしょうが、その非難の「価値観」は、印度の価値観ではありません。

「普遍の真理」の幻想を追い求めているのは、「唯一神教」の信者位です。

「絶対神」の前では、「真理」は一つでないと、都合が悪いのでしょう。
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この回答へのお礼

具体例を挙げて教えてくださりありがとうございます。

お礼日時:2017/03/07 02:54

フェアでクリーンなのが正義、それ以外は悪っぽい


あと上辺だけで腹黒いのも悪・・・極端な自己中も悪
全体の事を考えるのが正義。あと真実を見抜く方法は
人間の場合は顔の表情や雰囲気を見る、言動の場合は
言葉や文に矛盾が無いかをみる。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/03/07 02:54

自分に都合の良いことは正義。


自分の都合の悪いことは悪。

これでいいんじゃね?

真実?
それを知らなければ嘘が真実そのものなんだ。
気にしちゃいけない。
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人の生きる上での唯一の価値基準は、人生を通算した精神的な充足量の最大化に寄与するか否かだけだ。


「善悪」自体、自己中心的に陥りがちな認識を、社会性のタガにはめるために派生した必要悪に過ぎない。
真に意味があるのは、「人生を通産した精神的充足量の最大化に寄与するかどうか」であり、それを自らの意志(=意志の達成としての充足感)とするための環境認識の深まり(科学)である。

深まる認識が、現象をより原理的に把握したり、また、組織化に於ける個体間相互作用を経験的に編成したりして、体系化(>世界観)する上で、経験の(移入)であると同時に意志として認識上に展開される衝動も、不可分に体系性(>価値観)を帯びてくる。
その中で、未だ認識化されない原理に基づく現象の経験的先入化による、あるいは組織化の分業に於ける相対的な環境の違いに基づく認識の違和の他律的原理化による、体系への編入(常識)は、そこに於ける衝動及びその原動力たる進化の展開が認識されぬ以上、自我(衝動充足)以外の先験的価値領域を形成する。
そこに於て、進化(反エントロピー=生~充足)方向現象に於ける自己中心的認識の補完を善と呼べば、それに反する被淘汰(正エントロピー=死~非充足)方向のそれを悪と呼びうる。

その、短絡的利己の社会システム的(認識外)矯正としての、善-悪寄生体系は、より高まる認識に於て、内なる物理=自己の認識システムの存在原理(~不確定性)としての把握と、外なる物理=社会システムの自己の生命の延長としての把握による、全衝動の自己の生(反エントロピー)への集束によって、認識体系に吸収され、即ち全環境(宇宙)の自己としての理解と、全行動の(生産)の利己としての把握に到達する事により、その「意志による生=生存自体による充足」は、最高認識に基づく最大生存に於ける完全充足、即ち最大充足を実現する。
それこそ、現象の如何を問わず、一切の認識=全ての宇宙の、究極の理想であり、善悪の概念は、飽くまで妥協的修正(他律的常識)であって、善は過程として善(生産)であっても、本質として悪(非認識=非充足)に属するのだ。
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金品が絡む場合には大抵悪です。

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経験することでわかるようになります。

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