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林芙美子の下町(ダウンタウン)を読みました。
その最後の「時々針が光った」という言葉がすごく気になります。

なぜ林芙美子はこのストーリーを針が光るというシーンで終わらせたのでしょうか??

A 回答 (2件)

この針の光は、希望の光と捉えたいですね。


夫はシベリヤに抑留され、一人息子を連れて東京に出てきてお茶などの行商をして、
居候の生活をしている主人公りおが、親切で頼りになりそうな男に出会い、幸せを
掴めそうになったとたんに男は不慮の事故で死んでしまう。絶望のりおにとって、
男の子供を身ごもってしまったかもしれないという不安も夫に対する罪悪感も無い
ではない。しかし、それもこれも運命というなら~そうは書かれてはいないのですが
~それをありのままに受け入れて、後ろを向かずに暮らしていこうという覚悟が、
不幸なりおのうちに生まれたのが、この最後の、同じように貧しい暮らしであろう
内職の女たちが足袋を縫っている場面だと思います。
この場面の少し前には、りおの気持ちとして、商売があつても、なくても東京がいゝ
と思つたし、のたれ死しても東京の方がいまはいゝのだ、とかありますが、これは、
絶望から来る投げやりな気持ちでしょう。しかし、そのような投げやりの気持ちは、
一生懸命に針仕事をしている自分と同じような貧しい女たちの姿に洗われて、今りお
は、強く生きて行こうという思いで、針の光を目にしていると考えます。
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。

希望の光と捉えると何だか温かい感じがします。

お礼日時:2018/03/22 06:23

これは作者に聞かなければ、分かりません。

(ただし、もう亡くなった人です)このような終わり方ができるからこそ作家なのです。解釈はいろいろ出来ます。例えば主人公(=ほぼ作者自身)の行き当たりばったりの生き方を咎めるように眼に映った。
この作者は不遇な生まれであり、そのため行商人の父母とあちこちたびをする、有名作のタイトルも「放浪記」「浮雲」など、自分の生活を見つめるものが多いようです。
参照:下記サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/林芙美子
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。

確かに、作者の人生に当てはまれる点が多いですね。
ほかの作品はまだ読んでいませんので、読んでみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/22 06:25

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