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数年前、仕事、会社の人間関係、友人関係、主人の両親との関係などすべてがうまくいかず、会社にも行けなくなりました。

心療内科に通い始めた頃、むしょうに昔の親友数人と話したくなり、何度も電話やメールで連絡をとろうとしました。
ある友人は、家族や知人にも「どうしても会って話したい」と伝言を頼んだのですが、とにかく多忙だったせいかまるで連絡なし。
別の友人は「会って話したい」をゴリ押ししたせいで関係がこじれ、頼りにしていた親友の誰とも会えずじまい。
「今まで築いてきた友人関係はなんだったんだ?」とますますボロボロになり、その後完全に病気になり会社もやめ、何年も苦しみました。

人生で一番苦しかったときに頼りにした友達が誰もそばにいてくれなかったことがトラウマになっています。
いろんなことを乗り越えた、深い付き合いの友達ばかりだったのです。
20代後半で、みんな仕事や恋愛などいろいろ忙しい頃だったのはわかっているのですが…。

主人は「一番必要なときに力になってもらえなかったんだから、そこまでの相手だったと割り切ったら?」と言います。
それまで友人も多く、深い付き合いもし大事な相手もたくさんいたので、今でも気持ちが整理できていません。
「本当に大事な友人は必要なときはそばにいてくれる」なんてことを信じるべきではないでしょうか。
それはそれとして、忘れたほうがいいのでしょうか。
今は大事な家族もおり幸せなのですが、友人というものに対して、以前より信頼する気持ちを失っています。

A 回答 (10件)

私も精神疾患を患った者です。

ですので、むしょうに昔の親友と話したくなったと言うお気持ちはわかります。ですが…。
以下のこと、全く的外れだったら申し訳ありませんが読み飛ばしてください。

本当に辛い時に会ってもらえなかった、とあなたはおっしゃってますが、
では、その後友人たちが辛い思いをしていた時に、あなたは寄り添ってあげられていたでしょうか?
ご質問文を読んでいて、何となく昔の親友に連絡を取るのは久しぶりだったのではないかと感じたのですが違いますか?
本当に大事な友人であれば、毎週のように連絡することはできなくても、
相手がどうしているかの近況くらいは連絡を取り合い、相手を気遣い合うのではないでしょうか。
自分の側がそれを怠っていたら…自分が困った時だけ助けを求めても何も返ってこないでしょう。それは仕方ないと思います。
私が精神疾患になって感じたことは、私が窮地に追い込まれたときに周囲から返って来るものは
今までに自分が周囲に送り続けてきたものと等価だということです。
「本当に大事な友人は必要なときはそばにいてくれる」ではなく、自分が大事にできた友人がそばにいてくれるんです。
大事に思ってはいたけれど、思うだけで実際に相手を大事にしていなかったら、そばにはいてくれません。
病気によって疎遠になってしまうのなら、それだけの関係しか相手と築けていなかった、
それだけの気持ちしか、相手に伝えられていなかったと言うことだと思います。

それから、残酷なことではありますが、過去の友人と袂を分かち疎遠になってしまえば、
やはりお互い現在の生活や人間関係が優先になってしまう面はどうしてもあると思います。
たまたまご質問者様は一番辛い時だったのですが、ご友人にはそれが分からなかったのだとしたら、
ご友人が現在の生活や人間関係を優先させたのはやはり無理からぬことと思いますよ。

今はお辛くて、裏切られた!と言う気持ちが強く、とても割り切ることは出来ないでしょうが、
相手の気持ちや状況を冷静に考えられるようになると違った考え方が出来るようになるのではと思います。
今はご友人のことは思考停止して、ご自分の信じられる人間との関係から少しずつ人を信じられる余裕を
取り戻していかれると良いのではないかと思います。
私は先ほど、自分の大事にした人間がそばに残ると書きましたが、
だからこそ、ご質問者様には大事な家族がいます。とてもかけがえのない大事なものではないかと思います。
あなたがご家族に愛情を注ぎ、大事にしてきたからこそ、家族に囲まれて今幸せなんだと思います。
ご家族と同じくらい自分が愛情を注げる友人を、これからまた再確認していけばいいのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

裏切られたという感情ではないのですが、まだ当時の気持ちを消化できていないのは事実です。
でも、昔築いた関係に執着し、そのままの基準で友達を判断し、自分の都合を押し付けていたんでしょうね。
これからは心を入れ替えようと思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/03 18:40

こんばんは。



私だったらどんなに親しい友人であったとしても1、2度電話してみて相手から折り返し連絡がない場合は、今の友人は私と話したくない状態もしくは私と話す余裕がない状態なのだと察して、あえてその後連絡をとることはしません。
質問者さまが大変つらい状態であったことは分かりますが、ご友人の方にもその方の人生があり生活があります。

>「本当に大事な友人は必要なときはそばにいてくれる」なんてことを信じるべきではないでしょうか。
↑仲が良かった昔のようにいつでもどんな時でも側にいて支えあうという事はそれぞれの人生を歩んでいる中では大変難しい事ではないでしょうか。

いくら親しい友人同士であっても「察する」という気持ちがなくなってしまってはいい関係は築いていけない気がします。
ご友人からの連絡を少し待たれてもいいのでは?
その時に、実はあの時こんな風に辛くてね・・・とお話されたらいいのではないでしょうか。大人になるとなかなか仲のいい友人を作る事って難しいですよね。古くからの友人は大切になさった方がいいと私個人は思います。

この回答への補足

たくさんのご意見をありがとうございます。
みなさんのおっしゃることがよくわかるだけに、今、ちょっと心にこたえています。
ちゃんとお礼をして締め切りますのでもう少々お待ちください。

書き方が悪かったかもしれませんので、ひとつだけ言い訳を。

会えなかった友人に対して、うらんだり、友達のせいで病気になった、などと思っているわけではありません。
当時は私を取り巻く人間関係が本当にうまくいっておらず、「みんなに嫌われている私なんていないほうがいい」という精神状態で、
対人関係がこわい中で、「この友達だけは大丈夫」と思える友達に連絡しました。
話を聞いてもらって、「大丈夫だよ」と言ってもらいたかったんだと思います。
マイナスの感情でいっぱいになって苦しい状態を友達と話すことで少し打破できるのでは、と思ったのです。

その友達と会うことすらできなかったことで、完全に自分に自信がなくなり、病気になってしまいました。
友達の事情があるのは当然のことです。ただ、当時は病気で精神的にボロボロで、それで自分を納得させることができませんでした。
今考えると、当たり前だけれど、やっぱり普通の状態ではなかったんですね。

補足日時:2005/03/02 13:40
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この回答へのお礼

わかりやすく、はっきりしたご回答をありがとうございました。

お礼日時:2005/03/03 18:42

こんばんは。



随分、苦しい思いをされたようですね。

ちょっと想像してみましょうか。
あなたが苦しい思いをしていたその時、友人が悩んでいたとしたら、あなたは友人を尊重して、友人の力になることができたと思いますか?

できないのではないでしょうか?
自分の事でいっぱい、いっぱいだと思います。
なぜ、そう思うかというと、私が精神科に通院していたとき、自分の事しか考えられなかったからです。
私には、他人の事に構う余裕はありませんでした。

あなたは、自分が苦しかった時、他人は自分より苦しい思いをしていないと、勝手に想像していませんでしたか?

今、自分の友人達の中で一番苦しいの自分だと、勝手に考えていませんでしたか?

なんで、一番苦しい私の相手をしてくれないんだ、あなた達は私より、余裕があるのにと、勝手に考えていませんでしたか?

もし考えていたとしたら、それは非常に自己中心的です。

他人の状況を自分の中で判断し、勝手に気に入らないっていうのですから。

あなたは確かに非常に苦しい思いをしたでしょう。
ただ、あなた以外の人達も、それぞれ自分の人生を生きてます。
そして、たまたま、あなたが苦しい時に、あなたの相手をするよりも、その人にとって重要な事があった。
それだけだと思います。
これは、人それぞれの価値観の問題です。

> 「本当に大事な友人は必要なときはそばにいてくれる」なんてことを信じるべきではないでしょうか。

これは非常に自己中心的だと思います。
これはこう書き変えるべきです。
「本当に大事な友人に必要とされたときは、できるだけそばにいてあげる」

> 今は大事な家族もおり幸せなのですが、友人というものに対して、以前より信頼する気持ちを失っています。

自己中心的な信頼ならば、ない方が良いと思います。
ですが、その人達は、いろんなことを乗り越えた、深い付き合いの友達なんですよね?
でしたら、相手の事も考えてあげる余裕を持った信頼関係を築けばよいのではないでしょうか。

長々と書いてしまいましたが、簡単に言うと、あなたが思っている「信頼する気持ち」というものは、過大すぎたのだとと思います。
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この回答へのお礼

そうですね、自己中心的な考えでした。
それを今しみじみと思い知り、自分の身勝手さにとてもショックを受けています。
自分に相手を思いやる気持ちがないのに、相手を非難する資格などありませんでした。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/03 18:31

私はけして平気で人を斬ったりは出来ません。


苦しくてもし私を必要としてくれたなら私は誠心誠意
話を聞きます。それにどうしても会って話したいと言われたらきっとすぐにでも飛んで行くでしょう。
何が出来るかわかりません。もしかしたら話を聞くくらいしか出来ないかもしれません。でも私だったらあなたの元に駆けつけます。「自分」なのかもしれませんが人は一人では生きて行けません。私のような考えの人もいます。
きっと・・・^^
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この回答へのお礼

私も人は一人では生きていけないという考えです。
でも、今回のことは、私が自分のことばかりで相手のことを思いやる気持ちがなかったように思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/03 18:29

ここは『メンタルヘルス』のカテではないので素の自分で回答させていただきます。



結論から言って本当に必要なときに本当に必要なものはありません。
なぜなら本当に必要なときに本当に必要なものがあっても『あって当然!』と思ってそのありがたみに気づかないからです。

あなたもそのご友人が『助けてくれて当然』と思っていませんか?
ご友人は自分に必死であなたを助けることができなかっただけなのに、あなたは『あなたのせいで私は余計にボロボロになった』と言っているようなものです。逆の立場ならとんだとばっちりじゃないですか?

そのご友人だって必死に戦ってるんです。我慢してあげることも友情だと思います。

人生、最後に頼れるのは友人でもなくパートナーでもなく自分自身です。もし今の現状を打破できるだけの体力がないのなら、ゆっくり養生してパワーをつけましょう。
きっとあなたとご友人が落ち着いたころに笑顔で会えるようになりますよ。
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この回答へのお礼

友達のせいでボロボロになった、と思っているわけではありません。
最後の最後で頼りにした相手にも見放された気がして、そんな自分に落ち込み、しばらく立ち直れなくなりました。
今冷静に考えると、自分に余裕がなさすぎて、大事な友達を思いやる気持ちがなかったですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/03 18:27

私もありますよ。

人生のどん底にいるときに一番頼りになるべき当時の彼氏が、相談すると逃げられる。
相談してもそのとおりにしない、というのがその理由だと言ってましたがそういうことではないと思いました。
聞く、ことですらできるはずです。それは相手が私を自分の意見のとおりに動かしたいだけなのだろうか、と思いましたね。でも色々な事情があって自分の考えもあって、相談されたことと違う結果になってしまうこともある。でも相手は、少なからず聞く態度はあっても、私の苦しみや悩みを理解して聞いていたのではなく、「ご意見番」としての自分の気持ちが満足されればよいのかと思いました。

皆…きっと自分のことで精一杯なのでしょう。こんなに慌ただしい時代ですもの。

そんなとき渡辺美里さんの「マイ・レボリューション」のフレーズが浮かびます。

「きっとホントの、悲しみなんて、自分独りで癒すものさ…」

この一曲で彼女の大ファンになったのです。もう20年以上も前の古い曲ですが、今でもふっと思い浮かびます。

1番さんがおっしゃっているように、人生においていつも環境が同じということはありません。自分も、当然相手の環境や人生も変化します。友人同士になる、というのはその環境の中、そのときどきの自分の考えや思惑と話が合うことからでしょうけれど、自分がまったく変化がなくても、相手に自分が思いもよらないほどの変化があったとしたら、もう相手に昔と同じような付き合いを望むことはできないかもしれないし、求める必要もないと思います。

たとえば私の妹は私と違って友人知人も多く、羨ましいなと思うことがあります。私と彼女はまったく違うタイプなんです。私は内向的、彼女は外向的。また私は考えるタイプですが、彼女はバッサバッサと割り切っていくドライタイプ。私がもっていないものを彼女がもっているので、彼女は私のコンプレックスですね。
でもたまに会う妹は小さいころからあまり変わってないんです。多少は変わっているのですが、友人たちもそうなのではないでしょうか。

それと違い、劇的に環境が変わる、そして意思的に「変える」私には、人生においてまだ定住する場所が定まっていないのですから、その周りに位置する人間関係も定まっていないということです。そして妹は小学校から大学、会社の人間まで、深く広い付き合いを楽しんでいます。でも外交に時間をとられて、「自分自身」を作り込むことを忘れてはいないか?なんて思ってしまうのも事実です。

深い付き合いであればあるほど、裏切られたときの気持ちはつらいですね。それはよーく、わかります。でも私は今割り切っています。「人間こんなもの」だと。ま、割り切るまでがそれはそれは大変でしたけれどね。
でも期待しないとその分の「期待しない気持ちが裏切られたときの喜び」、が自然にやってくるような気がして。あ、これも「期待」でしょうね(笑)。

それが充実した付き合いかどうか、というのはこのような結果を照らしてみなければわからないと思います。なので結果(というか不測の事態)を見ず、イメージや想像だけでそう思い込むのも危険ではないか?と私の経験上そう思いました。

社会は自分が生きるために不可欠なものですが、自分とリンクする社会に対して過剰な期待をするのではなく、まず基本的なことである「孤独」を鍛えていかないといつくるかわからない地震に何の予備もしていないことと同じようになりかねないかとも思いました。これも経験上教えられたこと…というかすでにに用意されてたように自然に行きついた考え方です。

あなたは「本当に苦しいときそばにいてくれる」のが最も大切だと思っているのでしょうね。人によって定義はいろいろあると思います。今それが裏切られ悲しいと思うのならば、これからはあなたがその定義を持ち続けるとき、そのバロメーターによってふるい分けすることもこれからは必要になると思います。

「本当の友人は人生で1人いるだけでも十分」という言葉はどこかしこで耳にしたこともあることと思います。ヘンな言い方にきこえるようですが、人はまだたくさんいますし、未知の出会いの可能性もまだたくさんあります。「人」ではなく、そのような「新しい自分」や「可能性」に期待しませんか?
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この回答へのお礼

ちょっと難しかったですが、おっしゃることわかる気がします。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/03 18:19

貴方は今までどういう風に友達と付き合っていましたか?


友達に頼る事の方が多くありませんでしたか?
他の人間関係も上手くいかなかったとのことですが、
きっとそういう部分で周りの人に悪印象を持たせてしまったのでないでしょうか。

貴方は「本当に大事な友人は必要なときはそばにいてくれる」
という言葉の「大事」という部分をどのようにお考えでしょうか。
きっとこの部分の考え方が全てを握ってると思います。

自分の問題を解決する時に
他に依存していては上手くいかないことは山ほどあります。
辛くても頑張って自力で問題を解決する事で
自信がついていくものだと思います。
甘えてるとそのうち他の大事な人にも逃げられてしまいますよ。
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この回答へのお礼

普段からよく人に相談するタイプなので、周りに頼りすぎていたのかもしれません。
よく話す友人とはお互いに相談したりされたりのつもりだったのですが、相手には違ったのかもしれませんね。
甘えすぎて逃げられたのかも、と思うと、反省と当時の心の痛みで胸がはりさけそうです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/02 18:05

こんにちは。



人間関係は求めて、時間と手間を掛けて
自分で作るものだと思っています。
そしてそれは自分が求めた結果の自己満足です。
そんなものが自分にとって宝物の様に思える時、
友人や他人によって
思いがけず色々な方法で助けられた時です。

何に対しても、求めてその大きさと同じ位返される事を
思ってはいけません。 
なぜならその分自分が辛くなるからです。
好意は偶然起こった自分へのプレゼント、位に
気持ちを切り替えられたほうがいいと感じました。

文面を拝見して、純粋で真面目な方だと思いました。
でも、あくまで自分の為に、ご自分にもご友人にも
優しく接してあげてください。
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この回答へのお礼

助けてもらうことを最初から期待してはいけないですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/02 17:57

それは悲しい思いをされましたね。

ただちょっと気にかかるのは、そのお友達がたとのそれまでの関係です。私のまわりにいるのですが、自分がつらいときだけ連絡をよこしていろいろ喋るくせに、普段はまったく連絡無し、という人物。あなたはそんなことをしていないのですよね?あなたはお友達のお話を聞いてあげて、相談に乗ってあげていたのに、ご自分がつらいときは皆そっぽを向いてしまったから悩んでいるのですよね?

何故そんなに皆さん忙しいのか不思議です。もしかしたらあなたのお友達があなたに対して何か不満があって、みんなであなたを遠ざけていたなんて事はないですか?なんだかそんな感じがします。でなければ全員が全員あなたと会おうとしないなんて、ちょっとおかしい気がします。

とにかくちょっと残念ですが、ご主人の言われるようにそれまでの友人だったのだと割り切るしかないのかも。友人関係にも片思いって結構多いので、そんな状態だったのかも知れませんね。悲しいですが。
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この回答へのお礼

友達全員に連絡したわけではなく、話したいと思った二人だけに連絡しました。

相手との関係は、私の方が相談はしていましたが我が家が友人関係の拠点のようになっていて、
私から呼ばなくても常にみんなが集まってくる状態で要はたまり場でした。
結婚後、徐々に少なくなったのですが、こちらの都合お構いなしにいつでも集まったり泊まったりしていたのに
こちらが求めたときに連絡がつかなかったので、「ただの集まる場所として利用されていただけ?」と思ってしまったのです。

本当にみんながわたしを遠ざけていただんだとしたらとても悲しいです。
あまり引きずらずに割り切ることも大事ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/02 17:47

私も20代後半です。


私自身も家族を亡くした時や祖父母の介護で辛かった時によく親友に会いたいなと思うことがよくありました。
そういうメールや電話をかけると親身になって聞いてくれる友達とくれない友達と二通りに別れることを知りました。

でも、そういうことが経験した今だから分かることなんですけど、当時は若いからまだ分かってなかったんですよね。
私は本当に辛い時に一番の親友だと思っていた人からさらに追い討ちをかけるような酷いことを言われました。
その時のことはちょっとプライベートなことなのでネット上では言えませんが、当時は「自分が信じていたこいつって一体なんだったんだ・・・」って愕然としました。
自分の人の見る目がなかったのだなと今は思います。

裏切った親友は高校の同級生でした。
高校時代は分かり合えていたんです。少なくとも、私はそう思っていました。
でも、社会に出てから彼女も私も変わったのだろうと思いました。
彼女が水商売を始めた辺りから、私が祖父母の介護をしている時から、互いの環境が変わっていったせいか、話がかみ合わなくなりました。
仕方ないですよね。
彼女はお金と男の話。
私は介護や普通の日常生活の話。
住む世界がお互い違ったからかもしれません。
それでも分かり合えていると思い込んでいた私はちょっと青かったなと今でも思います。

しかし、辛かった時にこそ連絡をくれた友達とは今も連絡を取りあっています。友達の一人は私がどん底にいた時にイギリスにいたのですが、イギリスからわざわざ小さなプレゼントを贈ってくれたり、手紙で励ましてくれたりしてくれました。
その時は本当に人の暖かさを知りました。

最近の私は友達に対してはとても大好きな部分もありますが、やはり一番サポートしてくれる家族を基盤に考えて付き合っています。
以前の私は家族よりも友情を取る人でしたが、裏切られてからは、自分を守ってくれるのは家族だけって思うように心を入れ替えました。
だから、本当に大事な友達は家族に近いものに思えます。

人間の心は変わります。いいようにも悪いようにも。
もしかしたらお友達の心もいつの間にか変わってしまったのかもしれません。
chibiko3694さんも今はお辛いと思いますが、またいつか腹を割って話せる友達もきっとできる日がきますよ。
人を見る目をこの経験で養えれば、きっと今度はいい人間関係を築くことができると思います。
たしかにご主人の仰るとおり、「一番必要なときに力になってもらえなかったんだから、そこまでの相手だったと割り切ったら?」の言葉の通りだと思います。

ご病気は大丈夫ですか?一日も早く治って、また新しい生活を歩き出せるように祈っています。
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この回答へのお礼

そうですね、昔の関係のまま今の相手を判断するのは間違っていますね。
私も一番自分をサポートしてくれるのは家族だと思うようになりました。
病気は今はもう回復しています。それでも、打たれ弱いのは相変わらずなので苦労してますが…。
またいつかいい人間関係を築けるようがんばります。ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/02 15:18

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