文体がうつくしい作家さんを教えてください。
篠原一さんのうつくしい文章がすごく好きです。
他にうつくしい文章を書かれる作家さんでオススメの方がいれば是非ともお願いします。

本の内容はあまり恋愛色の強くないものだとうれしいです。恋愛小説!!という感じのものは苦手なので。

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A 回答 (11件中1~10件)

うーん、森鴎外なら若書きの舞姫より渋江抽斎でしょう。



日本人作家なら他に
 泉鏡花:歌行灯 ※
 中島敦:名人伝
 谷崎潤一郎:春琴抄 ※
 丸谷才一:樹影譚

翻訳ものですが
 神西清訳 チェーホフ:可愛い女 桜の園

どれも、「日本語ってこんなに美しい言語なんだ」と実感できます。
ただし※印は内容が極めて耽美なのでマニア向けです(笑。
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この回答へのお礼

やはり森鴎外や泉鏡花、谷崎潤一郎は外せないようですね。
たくさんのおすすめ、ありがとうございます!
耽美はどんとこいなので(笑)読んで、日本語のうつくしさを感じたいです。

お礼日時:2005/04/16 11:17

中勘助という人はご存知でしょうか。

中央文壇とは一切関わりを持たず、一人静かに文学の道を歩み続けた人です。岩波文庫から「銀の匙」が出ていますが、幼年期の思い出を綴ったもので実に端正な文章です。小説では「堤婆達多」がお勧めです。

最近の人では、藤沢周平さん。この人は、ここ30年ぐらいの間でもっとも美しい文章を書く人だろうと密かに思っています。「海鳴り」という時代物の長編が中でもピカイチです。機会があればご一読を。
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この回答へのお礼

中勘助さんははじめて聞くお名前です…!
読んでみたいと思います。教えてくださりありがとうございました。
藤沢周平さんもまだ未読ですので、挑戦したいと思います。

お礼日時:2005/04/20 00:52

私も篠原一さんの本を読んだことがないので、違うかもしれませんが…。



川上弘美さんの文体にはいつもぽわーんとした気持ちになります。カタカナの使い方が絶妙というか、、、。一つ一つの単語が、その登場人物の生活に馴染んだ形で語られているという気がします。
川上さんの作品は恋愛モノでも、恋愛モノとして響きすぎない感じがします。生活の中にふわっとした感じで恋愛が漂っているような。

好みに全く合っていなかったらすいません。
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この回答へのお礼

川上弘美さんの作品、ついこのあいだ読み終えたばかりだったのですが、たしかに響きすぎない、しっとりとした感じがしました。
おすすめありがとうございました!

お礼日時:2005/04/20 00:50

篠原一さんの作品を読んだことがないので、私が思ううつくしいと重なるか不安なのですが。



乙一
ライトノベルなどで活躍されているかたです。
私はこの方の文章を、
「柔らかい陶器」
と表現します。
小説自体は、切ないものと、ちょっと怪奇的なものがあります。

高里椎奈
こちらは、
「風が吹く草原」
と表現します。
なんか爽やかなイメージがあります。
ちょっと現実離れだけど、でもやはり現実的な小説が多いです。

こういう表現をすると、友人などははじめ、なにそれ、と言いますが、読み終わると、なんか分かると言ってくれます。
両方ともそんなに恋愛色が強いものは少ないですね。
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この回答へのお礼

乙一さんはいくつか作品を読みました。
惹きこまれる物語を書かれる方ですね。ちょっと怪奇的なものでも、怖いと思う間もなく興奮して読みきってしまえます。
高里椎奈さんの本はまだ読んだことがないので、挑戦してみたいと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2005/04/17 20:12

長野まゆみさんはどうでしょうか?


好き嫌いがわかれるだろうなと思うのですが、扱っている題材も綺麗だし、恋愛っぽいものはものすごく少ないです。
主に少年が主人公です。
天体議会、鳩の栖(すみか)、魚たちの離宮、上海少年、あたりは比較的読みやすいと思います。
宮沢賢治がお好きだということで、鉱石や星座に植物や色などの表現や漢字のチョイスが本当に美しいです。
幸田文さんも美しいと思います。古きよき時代の匂いがする感じで。清潔感がある気がします。
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この回答へのお礼

長野さんの本は、鳩の栖を読んだことがあります。
出てくる情景がどれもうつくしいものばかりでした。
おすすめしていただいた本を借りてきて、また読みたいと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2005/04/16 11:14

こんばんわ、楽しみですね。



さてご質問の件ですが、文体と言えば、やはり王道は森鴎外の舞姫ですね。けど、高校生の時授業でやった時は、はっきり言って、苦痛以外の何者でもありませんでした。大学に入り、興味を持って読んだ時は、その歯切れの良い漢文調の文体に頭を強打される思いでした。でも今の時代にはちょっと難しいかもしれませんね。

漢文調が鴎外であるなら、和文調は鏡花ですね。たおやかな文章がなよなよと続きます。

4番の方ごめんなさい、思わず書き込んでしまいました。久しぶりに鏡花を手に取りました。これから少し読み始めます。「鏡花短編集」岩波文庫
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この回答へのお礼

わたしも森鴎外に中学時代挫折した経験があります。
でも今なら読めるかもしれないので、挑戦してみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/16 11:12

こんばんは。

私見ですが、

W・P・キンセラの永井淳訳(「シューレス・ジョー」「アイオワ野球連盟」など)・・・処々にきわめて詩的な箇所があります。

レイモンド・チャンドラーの特に清水俊二訳(「長いお別れ」「湖中の女」など)・・・余計なものがなく、しかも行き届いた文、直喩がおもしろいです。

谷崎潤一郎の「盲目物語」・・・全文ほとんどひらがな。盲目の人物が仕えた美女(お市の方)の物語をするのですが、盲目なのにたぐいない美女をありありと伝えるところがすごい。

あと、ちょっと珍しくて美しい文章では、呉茂一訳「イーリアス」でしょうか。古代ギリシアの二大叙事詩の一つですが、雅語と現代語がないまざった独特のリズムが何ともいえません。
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この回答へのお礼

たくさんのおすすめ、ありがとうございます!
まずは谷崎潤一郎から読んでみたいと思います。
どの本も勉強になりそうで、楽しみです。

お礼日時:2005/04/16 11:10

ちょっと系統が違うかもしれませんが


泉鏡花なんていかがでしょうか?
もう古典の部類かもしれませんが、独特のリズムと
耽美的な雰囲気は癖になります。
古典がお嫌いでなければ、森鴎外もお勧めですね。
あと私が好きな作家だと、やはり宮沢賢治は外せませんね。
あの文章のリズムが大好きです。
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この回答へのお礼

泉鏡花は中学生のころ挑戦して途中でくじけてしまったのですが、今ならまた違った印象を受けるのかもしれません。
森鴎外も久々に挑戦してみたいと思います。
そしてやはり宮沢賢治は外せませんか…!また読み返したくなってきてしまいました。
ありがとうございます!

お礼日時:2005/04/16 11:08

系統が違うかもしれませんが、私は池波正太郎さんが好きです。

鬼平ものとか、梅安ものとかの時代小説ですが、特にその端々に出てくる、味噌汁だ、浅蜊の鍋だといった、ちょっとした食べ物、料理の表現が、特にどうと言ったものではないのに、本当においしそうに、効果的に、それでいて卑しくなく、まさに術中にはまってしまいます。もっとも、私が若年寄だったのかもしれませんがね。
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この回答へのお礼

池波正太郎さんですね。
時代小説は好きなので、また読んでみたいと思います。
教えてくださってありがとうございました!

お礼日時:2005/04/16 11:05

ガルシア・マルケスという南米の作家はご存知ですか。


(バッグの名前じゃないんですよぅ)
文章の一行一行が詩的でとても美しいと感じました。
「百年の孤独」と「エレンディラ」が
オススメですね。

それからジョンアーヴィングの「ホテルニューハンプシャー」もとても文章がきれいで
思わずノートに書き留めた言葉が沢山あります。

私、篠原一さんの本を読んだ事がありませんので
全く検討ハズレの回答でしたらすみません。
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この回答へのお礼

ガルシア・マルケス、わたしも大好きです!
「百年の孤独」は図書館で借りて読んだのですが、結局購入してしまいました。
エレンディラはまだ読んでいないので、また図書館で探してきます。
ジョンアーヴィングはまだ未読なので、早速読んでみたいと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2005/04/15 21:58

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Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
--------

鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
------

つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
-------

当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む


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