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そう思ったのはアンジャッシュの渡部さんの多目的トイレの件からもそう思いました

私はアンジャッシュのコントが好きで動画でよく見ています

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アンジャッシュは勘違いネタが好きです他にも沢山閲覧してます

ですが渡部さんが多目的トイレで不適切な行為をした以降…復帰の兆しが見えないことから『能力と人格は違うと言うのは過去のこと』と私は思いますが皆さんはどうお考えですか?



※画像のサムネイルは私が描きました
多目的トイレをモデルにしてジェンダーレストイレでわいせつな行為をして芸能界から追放されたマルチタレントが復帰を目指して奮闘する漫画を描きました

「能力と人格は別ということは過去の話?」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    要約チャンネルで『ズルい努力』という本で嫌な奴とは仕事をしたくないとありました
    ※40分あたり

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    私までそうですが、ご回答者さんは能力と人格は別と仰ってますが賛否両論あるんですか?

    ズルい努力作者はサッカーをしていたみたいで、その背景から協調性が無い人とは仕事をしたくないのでしょう

    球技はチーププレーが要ですからね

    個人的には球技が好きではありません
    なのでよほど性格に難が無ければ能力と人格は切り離した方が懸命ではありませんか?

      補足日時:2023/10/03 18:20

A 回答 (2件)

人格と能力が別なことは過去でも現在でもアタリマエのことです。


過去から現在まで話題になるのは、人格と作品が別かどうかです。
これについては色々な考えがあります。基本的には別だと思いますが、メッセージ性の強い作品だと人格と切り離しにくくなってきます。

テレビに出る芸能人の場合自分自身が作品なので、人格と作品を切り離すことが難しくなります。人格を表に出す方が視聴者に親しみやすいからです。
私生活を表に出さないことで人格と作品が切り離されていた渥美清と寅さんのような例は、過去のものと言えるかもしれません。

東京五輪での小山田圭吾の場合は、人格に問題のある人物を特定の地位につけることが問題であって、作品が問題になったわけではないとおもいます。
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この回答へのお礼

恐れ入ります

芸能人は例外なんですね

仰る通り会社の上司など上のポジションの方は性格によほどのことがナイカギリ難があっても、それを上回る能力があるからということでしょう

お礼日時:2023/10/02 07:26

テレビに出て活躍を維持する事は並大抵なことではありません。

常人では計り知れないような緊張とストレスに日々晒されているのではと想像します。
それ故天才と称される人たちは何らかの奇行が認められ、それが捌け口となり精神の安定に繋がっているのではと考えます。
綾部さんの件もそうですし、あの両親を手にかけた市川猿之助氏の男色だったという記事もそうです。トキオの山口さんや俳優の小出恵介さんの未成年との事件も単なる遊びとは言い難いものがあります。ストレスの捌け口を求めていたのでしょう。もしかすると亡きジャニー喜多川氏の数十年に渡る少年への執着も背景にはそれがあったのかもしれませんね。
ですがそれは社会通念上決して許されない事なのです。罪であることを分かりつつそうせねばならない程の葛藤が彼らにはあったのでは、と思います。
人格には表と裏があります。社会に見せてる顔とそうでない顔です。
才能は完全に自分をされけ出さなくては決して開花しません。ですから切り離された人格というのは「格好良く演じている」に過ぎない作られた一面なのです。
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この回答へのお礼

懇切ご丁寧なコメントありがとうございます

ズルい努力の作者は一般人に向けてのメッセージということでしょう?

なので芸能人といった特殊な仕事の方は人によるのでしょうか?

タレントは誰でもなれる職業ではない↓

人気がでてもごくひとにぎりの人で人気をキープするためのプレッシャーが半端ない

その影響で常軌を逸した行為にです
※例えば有名アイドルが全裸になる

こういうことですか?

私はテレビ嫌いで芸能関係に疎いです


お医者さんといった専門職の方にも事件を起こしたタレントとにたことをしているので他人を見極める力を磨きます

お礼日時:2023/10/05 19:01

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