10代と話して驚いたこと

化学物質過敏症で防護服着ないと外に出れない友達を見るのが辛いです。

重度の化学物質過敏症の友達がいて外に出るときは写真のように防護服着て全身を覆っています。

最初はマスクとゴーグル別だったけど最後に会ったときはマスクとゴーグルが一体になって顔全体を覆うマスクになってフィルターも増えてました。

更に防護服着るとトイレが困難なのとトイレの芳香剤で体調悪くなるからダメなトイレも多いから防護服着る前に大容量のオムツをして最悪途中でオムツ交換出来ないのも想定してオムツ着けています。

遊ぶときも友達のお母さんの車でドライブして人が少ないところを少しだけ外出るって感じでした。それでも防護服着てるから通りがかった子供に指差されたり何度も見られて可哀想でした。

それでも彼女にとって久々の外出だっだみたいで嬉しそうでした。

途中オムツ交換しようと何箇所かトイレ行ったけど混んでたり臭いがしてダメだったりでオムツ交換しない事になり帰りに友達にもお母さんにも何回もオムツ臭いかもしれないからごめんねって謝られて全然気にしないのに気を使わせてしまいました。


また遊んでって言われたけど外出るのに防護服着てオムツ着けないと行けないし運動神経トップで誰よりも健康そうだった彼女を知ってるだけにショックです。

防護服着てオムツ着けるのも負担かかるだろうし人に見られるのも辛そうだから悩んでます。

友達は全然辛くないよって言ってるけど防護服着てオムツ着けないと外出れないのって辛いですよね?

「化学物質過敏症で防護服着ないと外に出れな」の質問画像

A 回答 (1件)

友達の元気な姿を知っているだけに、変わり果てた姿に胸が痛くなるのは当然のことです。

なぜ、あなたがそんな病気に、と友達なら(家族なら)思いますもの。

でも、可哀想がらないでください。一番ショックなのは元気だった自分を知っている自分自身なんだから。

難しいけど、心で何を思おうと他人は何も言えませんので、言葉と態度だけはできる限り普通の友達に接するのと同じように。

前はあんなに元気だったのに、と哀れんだり、防護服大だよね、と大変なのは見れば分かりきっていることなので、あえて確認するかのように言うことも無いのです。

可哀想がらない、これ案外難しいです。可哀想がられると、受け止め方は人それぞれとは言うものの、可哀想がる人が極端に言うとですよ、ちょっと上から目線で言ってるようにも思えるんです。私は健康だけど、という含みも感じられます。あなたは違う人と文面から伝わってきますが。

特別に扱わない。
可哀想がらない。

褒めすぎないことも大切。普通友達の間で、すごいねぇ、すごいねぇとしょっちゅう感心される場面はあまりないでしょ。そうやって生きていくしかないし、その努力がその人が生きる上では当たり前のことになるので(オムツを大量に身につけるとか)、それを褒められすぎると複雑に感じるような気がします。

これは個人的感想です。明るい気持ちで生きていこうと自分を鼓舞させて前向きに、暮らすことをご自分に課しているのでしょう。

すごい人です。でも、すごいねぇとそればかり言われるのも、健康でなくなった人には辛いんですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

病気になったって聞いてしばらく会えなくなりコロナが落ち着いて車の中なら遊べるって事になり合う事になってコロナの看護師みたいな格好で行くからって聞いて実際に来たら写真のように防護服に覆われた彼女でした。
マスクで声はこもってるしお母さんが何回もオムツどのくらい濡れてる?って確認していたり驚きが多くて普通に出来ていたか不安です。

防毒マスク取ったらマスクの跡が顔についてて痛々しかったり、途中でドライブスルーのスタバ行こうとしたらお母さんにオムツ交換してないから水分控えるようにって言われてたりだいぶ我慢してる事多くて大変って思いました。

お礼日時:2023/12/18 09:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報