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そういう姿勢で生きることに疑問を抱かない、余計な配慮をする気遣いが要らないし罪悪感もない、総じて幸せなんでしょうか?

A 回答 (2件)

仏教の十界論は極めて卓越した精神分析論、人間分析論であると思っています。


人間は十の精神状態を持っており、縁によってそのどれかが現れるというものでありますので、現れている状態がその人のすべてではなくて、いい面も悪い面もあるという、いわば、性善悪説です。その中の修羅界というものが現代人には何故か強く現れていると思います。

修羅の特徴として、自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする「勝他[しょうた]の念」を強くもっていることが挙げられる。他人と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他を軽んじる。そして、他者の方が優れていると思う場合でも、他者を尊敬する心を起こすことができない。また、本当に自分よりも強いものと出会ったときには、卑屈になって諂う。自分をいかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそおい謙虚なそぶりすら見せることもあるが、内面では自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちている。

なので、疑問を抱かないとか、罪悪感が無いとかいうのではなく、人への思いやりを「持てない」で、そのことは実は分かっているのだけれど、どうしようもない精神状態であると思います。囚われてしまっているので、幸せは感じていないと思います。

肝要は、そういう人に出会ったときには、その人をただ責めたり憎んだりすれば社会全体として精神状態が悪くなるでしょう。だから、その人が良い精神状態になれるような努力をするべきであり、そういうスキルを社会全体として共有できるように活動することであると思います。勿論簡単なことではないでしょうけれど。
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この回答へのお礼

お話宜なりです。ただ仏教界の教えを鵜呑みにはできません。九品の話は信じます。

お礼日時:2024/02/09 10:43

そりゃ分からないので


アナタが見てる顔とアナタが見てない顔がありますからね
碇ゲンドウ氏も「人は完全に理解しあえない残念な生物
と言ってますよ
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この回答へのお礼

碇ゲンドウ自身が残念なのです。

お礼日時:2024/02/09 10:44

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