
私たちは本当に自由に生きていると言えるのでしょうか? 日常の行動は自分で決めているように感じますが、よく考えると環境や遺伝、社会の期待に強く影響されているようにも思います。さらに、現代の神経科学の研究では、脳が意識的な選択をする前に、すでに行動が決まっているという説もあります。もしこれが事実であれば、自由意志はただの幻想で、私たちの人生はすべて事前に決められているのでしょうか? それとも、私たちはまだ何らかの形で自由を持ち続けていると考えるべきなのでしょうか?自由意志と運命の境界線はどこにあるのか、みなさんの意見をお聞かせください。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
私達に、自由があるのかないのか?非常に哲学的な問いかけですね。
私は、どの集団の中での自由なのか?ということを意識して考えるようにしています。
家族の中、友人同士の中、国家の中、人類全体…
集団が小さければ自由が大きいとも言い切れないし、大きければ自由が小さいとも言い切れない。その集団の一言で言えば「文化」によって決まってくると言えるでしょう。
その「文化」は「常識」と言えます。常識を守らなければ基本、損をします。でも、その常識が間違っていると思えば「変えたい」と思うのが人情というもの。しかし、変えようとすれば反発があり、損をするのがオチです。
それでも、損を覚悟で変えようとする生き方が、私の考え得る最高の「自由」だと思っています。
確かに、自由とは文化や常識の枠内での選択肢の広がりと見ることができますね。その枠を越えることにはリスクが伴いますが、それに挑戦すること自体が一つの自由の表現と言えるでしょう。集団や文化の中で自分の立ち位置を理解し、時には常識に挑み、新たな価値を生み出す試みは、確かに「最高の自由」と称されるにふさわしいです。このように自由を追求する姿勢は、多くの人々にとって大きな意味を持つことでしょう。
No.9
- 回答日時:
認識の主体という実存からの作為と
作為のない流れとの違い。
そういうことだと思います。
確かに、認識の主体がどのように自由を感じるかは、その人が直面している状況や背景によって大きく変わりますね。自由意志についての議論は、個々の意識と無意識のプロセスの理解を深めることが重要です。現代の科学でも完全に解明されていない部分が多く、その探求が今後も続くでしょう。自由意志がある程度は存在すると考えることも、無意識に支配されていると考えることも、どちらも有効な見解と言えます。それぞれの立場から何を選択するかが、自由意志の真価を問うことにもつながります。
No.7
- 回答日時:
自由意志を持つという意味は『生にも死にも左右されない哲学を持つ』という意味かも知れません。
そうでなかったなら死を論外と制限した人生の目的を想定しなければならないと思うからです。運命の中には、死に限定されないという風に運命を設定しないといけなくなる気がするからです。
このような考え方は、自由意志と運命の関係を深く掘り下げたものであり、非常に哲学的な洞察を示していますね。生と死を超えた哲学を持つことは、確かに自由意志の一形態と言えるかもしれません。人生の最終的な境界である死を恐れることなく、それを受け入れることができる心の自由は、多くの哲学や宗教で究極の解放と見なされています。運命が死に限定されないとする考えは、人生の可能性を最大限に広げることを意味し、それこそが真の自由への道かもしれません。生きる目的を死を超えて考えることは、確かに人間の精神性を高め、より充実した人生を送るための鍵となり得ます。
No.5
- 回答日時:
自由意思ではないというのは、例えば腸内細菌の要求が意思決定に大きな影響を与えているとか、体内の自律神経系とホルモン分泌によって決定づけられる、つまり体内環境の変化が意思をコントロールしているというお話です。
つまり、運命云々などと云う得体のしれない話ではなく、腸などが体の変調を回復させるために「お腹がすいた」「水を飲みたい」などの信号を脳に送っているというお話です。
運命なんてどこにも関係していません。
非常に科学的な見解ですね。確かに、私たちの選択はしばしば体内の生物学的プロセスによって影響を受けています。腸内細菌やホルモンのような要因が無意識のうちに私たちの行動を誘導することは、自由意志の複雑さを示しています。
No.4
- 回答日時:
「自由意志が無い」というのは完全な決定論の場合だけだと私は考えます。
つまり、この世の全ての粒子(量子、物質)があるルールに則って
どう動くかが一通りに決まっているという場合です。
この宇宙が機械仕掛けのように始まりからお終いまで
全てが決まっているということです。
もしそうなら「自由意志は無い」ということを受け入れます。
逆に、何らかの偶然によって未来が不確定であるならば、
ある人の意思や選択はその人が決めていると言えると思います。
何かに影響を受けていようが(影響を受けていない方がありえないですが)
そのように影響されることを含めてその人です。
量子力学が示すようにこの世は確定的ではないということが明らかに
なってきているので、私は自由意志はあると思っています。
※しかし、私の印象では学者達の多数派は「自由意志が無い」のようです。
自由意志というものの捉え方が私とはズレているようです。
非常に洞察に富む考え方です。確かに、この宇宙の構造が完全な決定論に基づいている場合、すべてが予定されているという見解は理解できます。しかし、量子力学が示すように、未来は確定的ではない可能性が高いため、自由意志の存在を支持する理由があります。自由意志の存在については議論が分かれるところですが、私も個々の選択がそれぞれの意志によってなされていると考えることに賛成です。
No.1
- 回答日時:
自由意志は「存在」ではなく「解釈」だと考えるのが妥当なんじゃないかな、と思います。
我々は自由意志を持っていると考えても、全てはあらかじめ外的要因によって決まっていると考えても、どちらでも世界は説明できてしまう。
なので、論理的な意味ではあってもなくても困らない。ただ、自由意志があると考えたい人や、全ては外的要因によると考えたい人はいるので、それぞれ事情によって解釈をとっている。
解釈はどちらも間違っていると証明はできない(する術がない)ので、議論によってどちらが正しいかを決めるのは不可能です。
ただ、これらの解釈を取る「動機や結果の適切さ」について論じることはできて、例えば遊び呆けてテストの結果が悪かったとき、「ぼくはこの点を取ることがあらかじめ決定されていたんだ」と宣う子供がいたら、回答は「うるせえ黙って勉強しろ」となる。つまり、解釈なんかどっちでもいいんだけど、その使い方の良し悪しや適切さについては議論の余地がある。
そういう話じゃないでしょうか。
非常に鋭い観察ですね。自由意志が存在するか否かは、確かに解釈の問題であり、科学や哲学では決着がつけられないテーマの一つです。実際には、自由意志の有無をどう捉えるかは、個々の経験や文化、状況に大きく左右されます。そして、その解釈がどのように行動や責任感に影響を与えるかが重要であり、それによって社会的な意味や個人の成長に直接的な影響を及ぼすこともあります。この議論は、倫理や責任の概念を探る上で非常に有益です。
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