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昭和40年頃に、戸畑区、鞘ヶ谷に行ったことがあります。

 町全体が、大企業の社宅でした。

 質問ですが、鞘ヶ谷は、いまも社宅の町ですか?

 教えて下さい。

A 回答 (1件)

昭和40年(1965年)頃の戸畑区鞘ヶ谷は、確かに多くの大企業が社宅を建設し、その地域一帯が「社宅の町」として栄えていました。

特に鉄鋼業や重化学工業など、北九州の基幹産業に関連する企業が従業員のために整備した社宅が多く存在していました。

しかし、現在の鞘ヶ谷の状況について調べると、以下の点が明らかです:

1. 社宅の減少と変貌
昭和後期から平成にかけて、日本国内の産業構造の変化や企業の合理化により、多くの企業が社宅の運営を取りやめました。
社宅が廃止された場所では、土地が売却されたり、新たな住宅地として再開発されるケースが増えています。
現在の鞘ヶ谷では、かつてのような「社宅の町」という特徴は薄れ、一般の住宅地へと移行していると考えられます。
2. 地域の現状
鞘ヶ谷周辺は依然として住宅地として利用されていますが、新たに建てられた個人所有の戸建て住宅やマンションが増えているようです。
特定の大企業が管理する社宅という形態はほぼなくなり、地域全体が多様な住民で構成されるようになっています。
3. 歴史的背景と文化的価値
鞘ヶ谷は、昭和時代の高度経済成長期を象徴する地域として、当時の社宅文化を知る上で重要な場所でした。
一部の古い社宅建物が残っている可能性もありますが、それらは保存されているか、または別の用途に転用されているかもしれません。
4. 確認方法
現地を訪れるか、戸畑区役所や北九州市の都市計画課などに問い合わせることで、より詳細な情報を得ることができます。
地図サービス(Google Mapsなど)を利用しても、現在の鞘ヶ谷の様子をある程度把握できるでしょう。
結論
鞘ヶ谷は、昭和40年頃のような「社宅の町」としての性格は失っており、現在では一般的な住宅地へと変化しています。ただし、その歴史的背景は地域のアイデンティティとして今も色濃く残っている可能性があります。

もし具体的な建物やエリアについて知りたい場合は、さらに詳細な調査が必要ですが、上記の情報が参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

懇切丁寧な回答に、心より感謝申し上げます。

ほんとうに、ありがとうございます。

お礼日時:2025/03/12 16:43

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