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私は、この世に霊が存在すると思えません。霊能者など、全てウソを言っているか、妄想だと思います。

しかしながら、考えが矛盾していますが、死んだ自分の愛する人の霊は存在してほしいし、そうあるものと信じたいです。

皆様は霊が存在すると思いますか?

A 回答 (35件中1~10件)

アリストテレスの原子論が嘘っぱちだからといって、原子論がうそである証明にはならないですよねー。



霊能者がイカサマ師だからといって、霊がいない証拠にはならないでしょう。

ただ、わたしは見たことないのでなんとも。
てゆうか、むしろ、みたい!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
おっしゃるとおりです。
私もみたい!

お礼日時:2006/03/07 18:38

いや、34さん、


ピントがずれてるんですよ。
そういうことではなくて、霊の存在とは関係ないということなんですよ、あなた書かれていることは。
あなたの感想はそれはそれで尊重しますよ。

それ以上でも以下でもないのです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
私には着いていけない話になってきましたので、ここで締め切らせていただきます。
ポイントも私には判断できないので先着順とさせていただきます。

お礼日時:2006/03/13 22:12

31です。


32さま、私へのご意見ありがとうございます。
質問者さまへのご感想も含まれていましたので、再び投稿することをお許し下さい。

私が以前にも申しましたとおり、霊の肯定、否定は結局平行線で終わるでしょう。

物質でないもの、見えないもの、五感で捉えられないもので物質によって証明されていないものは説明仕様がないからです。
すべて当人がどう感じたかによりますので、当人の直感に頼らざるを得なくなり、他人に証明することは至難だからです。

確認できた方法は直感、霊感の域をでませんのでこれでは32さまに納得して頂くことは出来ないでしょう。

32さまには物質的に証明出来ない限り、その言葉は不誠実で自分をも誤魔化したものであると判断されてもいたし方ありません。でも、この世の中には直感によって語られることが多くあります。

人が人に対して愛情を感じるとき、例えば親子の愛、夫婦の愛、兄弟愛、師弟愛・・・愛情は目で見ることも、触ることも出来ませんが、人はそれを感じ取り、確信することができます。
それを証明するように求められたとしたらどんな方法がいいのでしょうね。

人は人々が愛し合っているのを見てその愛を傍で感じ取ることが出来ますが、それを何故そう確信したのかと問われてもどう答えれば良いのでしょうか。

32さまの仰るとおりで、「霊」も「感情」も感じることは出来るけれど、確認した方法は言葉では説明できません。
つまり、言葉には限界があるのです。
言葉によってしか今のところ情報を交わすことが出来ないので、不誠実と言われようが、自分を誤魔化していると言われようが、私には反論は出来ませんし、反論しようとも思いません。
ただ、自分の知る限り、感じる限りのまがい物でないと確信できるものを参考までに提供するしかありません。

ごちゃごちゃにしているのではなく、出来る限りの情報を提供しているつもりです。
こういうことは、同じ土俵で議論してお互いに歩み寄って結論が出せるような類のことではありません。

ある人にとっての真実は真実であり、妥協したり、少し歩み寄ったり出来るものではないでしょう。
それはきっとお互いそうなのでしょうね。
だから平行線でしょう・・と申し上げたのです。

もし、歩み寄ることできるとすれば、真実と確信できるアイテムの中から最も相手の好みに合いそうなものを選び、出来るだけ相手に分かるように説明するしかないでしょうね。

スピリチュアルについては少々誤解されているようです。
32さまのスピリチュアルの概念がどの様なものか存じませんが、私の把握しているスピリチュアルとはかなり違うようです。

まず第一にスピリチュアルは宗教とは関係ありません。
教祖も信者も教会も団体も全くなにもありません。

ただ、しいて言えば自分を高めていこうとする意志であり、人間は霊的存在であることを自覚し、常に霊的最善を目指して向上することを人生の目標とする個人的修行とでもいいましょうか。

言葉より行いがその人の人格を全て表す・・とでもいいましょうか。
ですから悪事を働く自称スピリチュアリストよりも善行をなす霊否定派のほうが真のスピリチュアリスト(この言葉が御嫌でしたら、善人と訳してください)だということを勿論認めます。
肩書きや宗教や自称・・は全く関係ないのです。
行いとその動機が全てだからです。
といくら言葉で説明しても幾らでも誤解を受けそうですが・・。

ですから宗教同士、宗派同士が対立している昔ながらの宗教とは全くちがったものでむしろ宇宙の法則(原因と結果の法則)にのっとった、自然の摂理に添った生き方を目指すものです。

物質主義がすべて悪いと言っているのではありません。
この世は物質界です。物質も大切です。物質も使いようです。
ただそれが行き過ぎて物質が人生の目的になってしまうと歪んでしまうのです。
人の命より巨万の富の方が大切に扱われては困ると言っているのです。
いまだに物質によって救われる人や国が沢山あると思います。そういう人々にとっては物質は何より有り難いでしょう。
つまり、言いたかったことは、霊的見地から、物質を操らなければならない・・という事だったのです。そうすれば、物質的に困窮しているところへ物質が回っていけるからです。
物質が人生の目的になってしまうとおそらく自分で抱え込んでしまうでしょうね。

最後に
世間=物質主義、自分たち=スピリチュアル
という観念をもった人々が居るとしても別に驚きません。
スピリチュアルは個人的な人生の修行ですから人の数だけ色々な主義のスピリチュアリストが存在するでしょうね。当人の自由です。その中から何かを学び、もしおかしいと感じたならば、きっと変わっていくでしょうから。

質問者様、いつも長々と他の回答者さまと意見を交わし、申し訳なく思います。質問者様の肯定的なお礼に甘えてここまで思いつくままに書いてしまいました。
もし、ご不満や補足要求が有りましたら書いていただけましたらうれしくお思います。

ご質問が愛する人の霊が存在して欲しいと有りましたのでその言葉に励まされ、勇気をだして私の持てる限りの知識と体験から回答させて頂きました。
どうぞお許し下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/13 22:09

32です


たびたび、すみません。
参考資料が間違っていましたので、訂正します。

ヒンズーが2万人を虐殺と書きましたが、下記ソースでは、8千人とあります。列車焼き討ちへの仕返しです。いずれにしても、私達の視点はインドや第三世界の政治情勢には疎いけれども、こうした信心深い人たちの虐殺は毎年のように起きているのです。でも、これは民族問題や経済問題が、大多数の人々の根本にあります。しかし、信仰の論理が都合良く転用されていて、今のところ抑止にはなっていないことには、やはり注意が必要です。

http://www.voicejapan.net/report/southasia/repor …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/13 22:08

31さまへ


私へのレスと見て感想申しますね。
せっかくですが、お書きになったことは、霊と関係あると、必然的に導けることではありません。あるかもしれませんが、ないかもしれないというその程度のことです。
こうしたことをいくら積み立てても、それはその方の思いつきです。つまり他の人には、そうは思えないことです。あぁなるほどねぇ、そかもしれませんねぇ、と時間をつぶす共感の話でしかありません。

数学者の発見、工学理学者の発明が霊界から来たという説明はすでに知っています。信じてる人は、こういうことを人から聞くと、何の疑問もなく、自分が考えたように、そのまま口から出すのですが、私はそういうことは自分を欺いていると思いますし、聞かせる人にも不誠実だと思っています。もし話すにしても、聞いた話として、あるいは可能性としてのみとしか言えません。それは確認した事実ではありません。確認しておしゃっているのでしたら、どうやって確認したのか聞きたいのです。人から聞いたこと、読んだ知識、そういうものが多くて、本当に、自分で確認した事実というのは、とても少ないものです。しかし、これをごちゃごちゃにしている人とは、論理は交わせません。共感はできます。なるほどね、そういう考えもあるのかとは思いますので。でも、それは私には確認してないので、保留にしている事柄です。

しかし、都合のいいことだという感想は否めませんね。あれほどまで詳しく、見てきたかのように、いいえ実際に死後の世界を見てきたと言い、死者の言葉を地区一聞いた彼ら彼女らをして、文字の一つ解明してくれないのですから。それについての説明もあるようですが、現在の所、素直な人にしか信じてもらえないレベルであることにはかわりません。

それと、日本のスピリチュアル運動を言う人は、死後生や霊界を信じない人が、犯罪を犯すと言っていますが、これはあまり関係ないと思います。厳格なキリスト教徒やイスラム教徒の犯罪率が、少ないという根拠がないからです。世界的に見れば、まだまだ宗教の力は強く、宗教が犯罪を押さえているかというと、そう言う面もあるかもしれないが、それ故の犯罪もあり、どちらかというと害が大きいかもしれません。キリスト、イスラム社会の対立だけではなくて、ヒンズー、イスラムもあります。インドなどでは近年も一度に二万死んでますね。日本では米国同時多発テロとその前後のことしか知らないの一般的でしょうけどね。宗教対立だけではありません。とにかく、死後の生を信じている人が、信じてない人より、正しく生きているというのは、全く根拠がないことで、実態にも合ってないことです。こうしたことを知らないわけではないと思いますが、あまりにも安直に、信じてないので犯罪を犯すなどと言うのを見ていると、まったく世界情勢と歴史の勉強をしてないのかと思います。ある程度、確認して、その上で言って欲しい。でないと、憶測につぐ憶測を事実として話されると、内容よりもさきに、話者の信用度が落ちてしまいます。こういうのが本当に多い。勉強しているという点、きちんと相手に分かるように話す努力は、ごりごりの否定派の方が好感の持てるものです。否定派の非ばかりでは不公平なので、肯定派には一点だけ不満を挙げるとすると、物理的にはない、という限定で使用できる文脈で使っていただけたらいいと思っています。それ以外は肯定派には特にありません。
宗教の犯罪抑止効果については、詳細は省きますが、こうした弊害とは別に、まったく犯罪抑止と宗教が関係ないかは、微妙な点もいろいろあります。

そうすると、一部の人は、「真の」スピリチュアリズムと言います。つまり、結局、その内容になってくるわけです。あるかないかだけで、人間が決まるわけではないのだったら、ないという人にも、それなりにあり方があるはずなのに、それを認めないのも、それはそれで傲慢なことです。多くの日本人は、そのあるかないかだけではない、微妙なラインで生きていると思います。ここで、ないと言った人も、お盆にお墓に行くときに、わざわざ霊などないと確信しつつ行くわけではなく、あいまいな部分を残しつつ行くと思います。その曖昧さの肯定的側面が捉えれず、否定的側面のみ、あるいは、日本は唯物論が覆っていると言っている人がおりますが、そんなことはありません。質問者さんのような人が大多数だと思います。しかし、質問者さんは、唯物論者とは私には思えません。質問者さんの書いた「祈り」に似た感情や行為は、それ自体宗教的感情・行為にきわめて近接したものです。霊があると確信しなくても、そうした感情や行為は成り立っています。でも、そうした宗教的感情や行為(あるいは非情に近いもの)を、儀礼的としか捉えられなかったり、そうと認められない人もいます。それもわかりますが、困ったのは、少々押しつけがましい時があることですかね。周囲も、バカにするのはやめた方がいいですけど。でないとますます精神的砦にこもっちゃうような気がします。世間=唯物主義、自分たち=スピリチュアルな生き方。間違った世間に負けないで、頑張ろうねという悲壮な書き込みをしている人は結構います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/13 22:06

霊感があるのは霊能者という特別な人だけではなく、一般人にもある程度あると思います。


直感、予感、閃き・・・などはその能力を表現した言葉だと思います。人によってその能力に強弱の差はあると思います。
そして人は自分が一番興味と情熱を注いでいる分野でインスピレーションを受けることが少なからず有ると思います。これこそが霊感(つまりインスピレーション)ではないでしょうか。

もし、私が大変優秀な霊能者だったとしてもフェルマーの定理の証明のインスピレーションを受け取ることはできないでしょう。なぜなら私は数学の専門家ではなく、興味もなく、そもそもフェルマーの定理自体をちゃんと分かっていませんから。

同じように、もし古代文字解読のインスピレーションを受け取ったとしても何かの模様程度にしかキャッチできないでしょう。

薬学、物理学、化学しかりです。

逆に私が生前優秀な数学者だったとして死後、霊界からフェルマーの定理の証明をインスピレーションの形で人間に伝えたいと思ったとします。
私はそのインスピレーションを誰に伝えるべきか・・・
勿論、インスピレーションを受け取れるだけの霊的能力のある人で無ければなりません。
「霊能者」と呼ばれる人にでしょうか?
いやいやそれは無理です。
なぜならば彼らは通信のプロではあるけれど、数学のプロではないからです。
私は間違いなく数学者でしかもフェルマーの定理によく通じており、その証明に情熱を注いでおり、しかもインスピレーションを受け取れるだけの霊的能力のある人を探すでしょう。
インスピレーションを受け取ったその数学者は私の存在など全く気がつかないでしょう。それでも私としては一瞬の閃きの形ででも伝えることが出来たら本望でしょう。
そういう能力の数学者が出現するまで私は暫く待たされるかもしれません。私はきっと辛抱強く捜すことでしょう。

私が物理学者でも音楽家でも作家でもきっと同じことをするでしょう。

勿論これでは何の証明にもならず、何の説得力も無いでしょう。
でも例えば以下のようなことをよく読んだり、耳にしたりします。

「この作品(物語)は実は完全に私(作家)の作品とはいえません。確かに文章を書いたのは私ですが、何か分からない存在が私にこの素晴らしい文章を書かせたのです。私は一度も書き直すことも無く、気が付いたら完璧な作品ができあがっていたのです。」

「私が演説を始めると、いつも何か力強いパワーが私の中にみなぎって私にしゃべらせます。そして私は原稿を全く何も用意しなかったにも関わらず、完璧な演説が出来るのです。」

「私(ヨーヨーマ)の今使っているチェロは私の前には著名な女性チェリストが使っていました。彼女が最も愛した曲の一番好きでよく演奏した楽章になると、いつも必ずチェロが勝手に鳴り出し、歌い始め、私はコントロール出来なくなり、私の音、私のフレーズでは無くなってしまいます。まるで生前の彼女の素晴らしかった演奏にそっくりになってしまうのです。」

などなど面白いと思いませんか?
インスピレーションは本人にしか分からず、証明も出来ないので夢物語の部類に入るのでしょうね。
でも本人にとっては強烈な忘れがたい体験です。

あっ・・フェルマーの定理ってもう証明されてましたっけ・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/13 22:06

二十九です。


あ、もう証明済みのものが入ってますね。
とにかく、数学上の難題をということです。
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こんにちは。


海外の霊能者は、古代アトランティス人と交信して超古代文明の英知を明らかにしている人もいるそうです。現代でも、別世界の宇宙意識から、メッセージを受けている人もいます。前世を探る催眠とかで、古代の言語を操るとか、歴史的事実と符合すると主張する催眠事例あるそうです。ただし、調査方法と報告に多大な疑惑が持たれてるのが難点なのです。これでは信者以外に客観的に説得をすることは無理です。結局気に入った人の信仰になってしまいます。

私もこういうのは、少しは読みました。その辺の一般的信者よりは読んでると思います。
単なる否定論者でもありません。むしろ肯定的に知りたいと思ってますので、利用できるものはそれなりにさわっています。ですから、詳しい方に聞きたく、ここで質問もしました。

あぁ・・。
「信じない」ということを傲慢と捉えられてしまう状況があるかぎり、これはやはり現時点では信仰の問題なのだと思います。個人の信条の問題を検証できはしません。信じたい人はご自由に、信じたくない人もご自由に、という結論が出てくるだけです。でも、検証できない、或いはさせない自分の霊への信心を、「事実」という言葉では安易に使って欲しくないです。霊だからではなくて、知と言葉への誠実さという意味からです。確信する人がたくさんいますが、私はまだ出来てないので、明瞭な根拠が欲しいですね。


私個人の希望としては、とりあえず、アトランティスだのムーの英知よりも、古代インダス文字の解明とか、部分的にしか分かっていないマヤ文字の解明をインド人やマヤ人の霊から聞いてもらって、それを霊能者から聞きたいのです。
古代史の学者が、何人かかっても読めないのです。古代語「らしき」ものを話す霊媒よりも、うんと説得力があります。従来、専門家でも、誰でも知らない知識を(自分で埋めたりできるようなのはだめだけど)、霊媒によって発見・発掘すれば真似したとか、捏造したとか言われません。

そうすれば、霊がどういうものであるかはさらに議論の余地があるにしても、そうした「霊」と人々が呼んできたなにがしかのもの、意識を媒介するものがあることについての疑いは消えるでしょう。いくら詳しくても、アトランティスでは、発掘できません。失われた文字の解明が出来れば、どんなにすごいでしょう。

アトランティスの意識とか(なんでもアカシックレコードというところに保存されてるのを読み取るそうです)、宇宙人(次元が違うそうなので、私達の言う霊と概念的には、近いものです)も、地球レベルの本を書いてないで、~~~の定理とか、数学の証明でも書いて欲しいのです。本当は、科学技術の紹介をしてほしいと言いたいのですが、人類が戦争に使用するのでできないと心配してくれるかもしれませんので、フェルマーの定理とか、薬にも害にも?ならないのなら存在を証明するのにとても良いと思うのですが・・。かりに否定派から霊能自体は否定されても、マヤ文字を解明し(これは言語学者によって検証可能)、フェルマーの定理を証明したら、それはそれで別の意味ですごいこと名誉なことですよね。

というわけで、私は「望む」ですね。でも、今のままでは、とても「事実」とは言えませんね。霊はあるかもしれません(そう思ってます)。でも霊があることと霊界ともまた違います。確信するだけの根拠は何もありませんが、それをきちんと検証できる形で聞いたことはありません。好きかと聞かれれば、そういう話は好きです。信じたいかと聞かれれば、信じたいです。でも、信じることが自分にうそをつくことにならないようにしようと思うと、今のところ信じるのは、かなりきついです。他人に対してのというより、自分にうそをつく嘘つきが多いからです。
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この回答へのお礼

良くわかりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/13 22:01

家族や親しい人が亡くなると大抵の人は悲しく、苦しくなります。


なぜならもう会えなくなるからです。会えない自分そのものが悲しいのです。
正確に言えば、肉体から離れた霊を知覚することができないので、もう永遠に目にすることが出来なくなったので悲しいのです。
その気持ちは自然のもので当然です。
私は霊肯定派で死後の世界も存在する、と色々な事情から確信していますが、それでも家族が亡くなれば悲しいと思います。寂しいからです。死者の為というより自分自身のために悲しむと思います。

あまりに証拠も無く霊を否定することはむしろ信仰に近いと思います。
過去殆んどの宗教が自分たちの教えに反することを口にする人びとを徹底的に否定し迫害しました。
これと同じではないでしょうか。

世の中に霊の存在を示すような証拠が沢山もたらされている昨今、余りにこれを頑固に否定することこそ世の人々に対し、害をなすと思います。

もし、霊肯定派の霊能者が詐欺的に人を騙すことがあったとしても、それでは霊否定派に詐欺師やペテン師は居ないと言えますか?

むしろ真実の霊性に目覚めている人ならば、悪意と悪感情がどれだけ自分自身とその周囲に対して悪い影響を与えるかが分かっているので、常に自分の感情と動機に責任を持って人格の向上を目指していけると思います。

霊を否定することは、見つかりさえしなければこの世で何をしても良い・・という思想と結びつく点で世に対し害をなすとおもいますが如何ですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど良くわかりました。

お礼日時:2006/03/12 21:54

No.25のjoniさんに触発されて…



ほとんどの人は霊なんて信じていないと思います。
信じているならそれはあの世があると言うことを認めている訳でならば最愛の人が亡くなったってそれ程悲しくないでしょうに。

結局信じたい人、それを仕事にしている人、イタコ、霊能者などのように。様々な条件が有りますのであらゆる屁理屈を駆使し相手を、自分を納得させようとする。仲間内でやっている分には害は有りませんがこれが外部に出てくると害悪を垂れ流す事も有ります。

信じている人たちに言いたいのですが物事は冷静に考えませんか?と。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/12 21:53
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