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日光の美術館の「小杉未醒」の絵にもありますが、
中国の古い仙人「黄初平」に関しての質問です。

初平は15歳の時に 羊飼いをしている時に ある道士に見込まれ、金華山と言うところに連れて行かれます。
40年も消息不明になっていたのを 彼の兄が探し出し
再会しました。
しかし 初平の行方を教えてくれた道士によると
羊飼いをいまだにしているはずの 初平の周囲には羊は1匹もいません。 

そこで兄が問いただすと、
初平は 「羊はいますよ。兄さんには見えないのでしょう」
と、鞭を打って回りの石をことごとく 羊に変えたと言うことです。

この 話で (初平が羊はいますよ。兄さんには見えないのでしょう」
と、鞭を打って回りの石をことごとく 羊に変えた)
と言うことは 何を意味しているのでしょうか?

ただ「凡人には見えない」
とか「心の目をもて」ということではないように思えるのですが・・・。

ご存知の方がいらしたらお教えください。

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A 回答 (1件)

修行を終えた仙人にとって、石は羊でもあり、羊は石でもあるということです。



仙人は不思議なことができるといいますね。空を飛んだり姿を他のものに変えたり
消えてしまったり。仙人は不老不死ともいわれます。これは、仙人が物質界の束縛
から開放されているからなのです。

私たちがこうして生活している世界は物質をよりどころとしています。
多くの人々が、肉体が滅びればその存在自体が滅びてしまうと考えています。
しかし、実際にはこの物質界は私たちが存在する世界の一例でしかありません。

丁度、internetに接続して、virtual realityを体験しているようなものです。
vrにはその独自の制約があり、我々はその中でできること、歩きまわったり、
買い物をしたり、chatしたりして仮想的な存在を作り出すことができます。
もちろん、netを切断すれば、いつもの、物質界の自分に戻ります。
が、もしも、自分がvrの中で生まれたとしたら・・・。
成長するにつれ、いつともしれぬ「切断の恐怖」に苦しむのでしょう。
「切断」はvr上の自分にとっては「死」にほかならないのですから。
また、vr上の設定や出現アイテムを自在に操るvrのpersonalityがいたとしたら、
あなたは大いに驚くことでしょう。なにしろ、「まるで仙人みたい」ですから。
でも実際にはクリックひとつでvr上の「石」を「羊」に変えているのです。
勿論、vr上のpersonalityにタイミングよく鞭を一振りさせることも忘れては
いません。

金華、崑崙は道士や仙人が修行をするところとして知られています。
そこでかれらは何年もかけて今いるこの世界のからくりを学んでいくのです。
この物質界が、ある一側面からの物の見方によって定義づけられた、制約の多い、特殊な世界であることが理解できると、めでたく卒業というわけです。

どうでしょう。例が飛躍しすぎましたか?

黄初平のような、道士や仙人は案外巷でのんびり暮らしているかもしれませんね。

日光の絵は近いうち観にいこうと思います。楽しみです。
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この回答へのお礼

お礼を申し上げるのが 遅くなって申し訳ありません。

おもしろく また 人生の深遠を 考えながら読ませていただきました。

回答をいただいた時は 私事ながら身内のものがなくなると言う事態に遭遇しておりました。

回答を読んで もしかしたら 今現在 私がいるこの現実世界は あの世?から見たらvirtualな仮想現実であって
あの世こそ 真の現実世界かも・・・?
などと考えたりしました。

死という クリックであの世に戻るのかも・・・?
それとも 別のサイトにリンクするのかも・・・?

ほんとうに おもしろい回答をありがとうございました。

お礼日時:2001/01/30 14:35

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