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屁理屈を言わせてもらいます。

よくテレビドラマや他にもいろんな場面で使われる言葉ですが、

例えば子供がご飯を残したときに「アフリカの子供たちは明日のご飯もなくて困っているのよ」と言う言葉をよく耳にしますが、
私はこう考えてしまいます、、日本は裕福な環境で毎日嫌でもお母さんがご飯を用意してくれるのが当たり前です。
アフリカの子供たちはご飯がなくて困っているのは事実ですが、かといってまったく違う環境に身を置いている子供の話をされても比較にならないと思うのです、
例えばアフリカの赤ちゃんをすぐにひきとって日本で10年日本の生活で育てれば多分同じ様におなかがいっぱいになったら何も当たり前の様に残したりする子供になると思います。
つらい環境にある子供たちを否定するつもりはありません。ただ、そういう人たちの話を引き合いに出すのはちょっと筋違いなのではないかと思うのです。
他にもいじめで不登校になっている子供に対して「南米の子供たちは学校にいきたくてもいけないのよ」と言ったり、僕はそういった表現が嫌いです。
そういうことを言っている人だってアフリカでの経験があるわけでもないのに、そういう話をするのは逆に不謹慎な気がするんです。

とはいえそういった言葉を素直に受け止められない僕も不謹慎なのかもしれませんが、、

私の考えは間違っているのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

私は母親ですが、あなたのご意見は間違っていないと思います。

少しだけ考え方が違いますが、私も、ほぼ同感で、そういう表現が大嫌いです。

まず大前提として、そういう諭し方って、アフリカだの南米だのの子供たちに失礼だと思うんです。貧しくとも、心は豊かな子もいるだろうし、そういうことでは比較できないと思います。

それに「幸せ」は型どおりに計れるものではありません。物理的に豊かであればあるほど、物欲に歯止めがかからなくなって心は不幸になっていくと私は思っています(我が子には「これを与えたら、あなたはもっと欲しがる。そうしたらあなたがかわいそう」と言って、贅沢を控えさせています)。それに、不登校の子の多くは、学校に行きたいのに、どうしても足がそっちに動かない場合が多いので、行きたくても行けない子を引き合いに出されても、ますますつらくなるだけでしょう。

ただし、こういうふうには考えます。アフリカでは、どんなものでもいいから口にしたいと思っている子や、口にできないが無理にでも口にしないと死ぬかもしれない子がいる。なのに、私が目の前のご飯を残せば、それはゴミ箱に捨てられて完全に無駄になる。それをアフリカの支援団体が見たらどんな思いをするだろう。だから、私は外食先で残ったものは必ず持ち帰らせてもらうし、家で残ったものも翌日食べるなりして無駄にはしないし、食べられそうにないものは、そもそも箸をつけない。そして、アフリカの子たちの分まで健康になれるよう、バランスよく食事を摂る、と。

でも、私が食事を残さず食べる最大の理由は、となりのキッチンで作った人や、農場や漁港で食料を生み出している人に失礼にならないためにですけどね。食事のありがたみを知りたいなら、アフリカに思いを馳せるよりも、お母さんと離れて暮らして自炊するのが手っ取り早いですよ、経験上。
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この回答へのお礼

僕と同感の方でも僕と違い、具体的に考えているのですね。
とても参考になります、確かに食べずに捨てればただのゴミになってしまいますね。だから持ち帰るというのはおなかがいっぱいでもできることですね(笑)

僕も作っている人などに対し申し訳ない、という気持ちから残さないという心がけをしています、ちなみにこんな質問をしていますが、
家庭の厳しいしつけによって好き嫌いは無くされ、出された食べ物はすべて食べ様にしています。

僕も一人暮らしを経験してお金や物のありがたみというのはよくわかりました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/01 23:29

理解いたしました。


人を試すような、意地の悪い質問を重ねて(回答者なのに質問)申し訳ありませんでした。
私は、親から、「素直になりなさい」の一言がどうしても受け入れられませんでした。
「素直な人が教育で、洗脳されて、素直な兵士になり、戦争を拡大するんだ」と反発しました。
私は、子どもに「素直にだけは、なるな、親の言うことも、先生の言うことも疑え」と教えました。
が、とびきり素直な子どもが出来ました。
私の親は、私が極め付きの偏食、小食のため、「米は、八十八回の手間をかけて作る。(米の字を分解すると、八十八)と何度も教え諭しました。
母は、農家の出で、幼少の頃から、畑作業をしたそうで、母に言われると次からは、もう一口でも食べようという気になるのですが、全くの都会育ちの父が同じテーマの諭しをすると、「鋤、鍬を見たことすらないくせに」と、思ってしまいました。
日が暮れるまで、幼い弟、妹を世話して、農作業をした母には、一粒の米に何十人の神様が詰まっているは、納得しました。
同じく父の諭しは、「見たのかい?その神様とやら」と、思いました。
バックボーンなしに、諭すこと、「北風と太陽」のように、人に諭すには、一通りでは、ないこと、絵空事を例えとして、糞真面目に諭すことを愚かだと思い、受け付けなかったわけでしょう。
まぁ。あなたもこの先人の親になることがあれば、その時、答えがでるかもです。
ここで、正解を出す必要もありません。
あなたの親御さんは、子どもが、「はぁ?」っていう顔をした時に、引いておくべきでしたね。
そぐわない例え話ほど気持ちの悪いものは、ありません。
天邪鬼がいなくて、素直な人間ばかりだったら、この世も・・・・・・。です。
ただ、補足要求の回答だけは、欲しかったです。
日本の食を供給するのは、遠く見知らぬ国からのものも多いからです。
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この回答へのお礼

回答者様のおっしゃる通り、おそらく関知する人はいないでしょう、しかし、そういう気持ちをもっておくことが大事だと思います、
話を大きく広げますが、その様な気持ちを持っていると些細なところでそういった仕草が表れてしまうかもしれません。
例えば人が見ていないからとズルをしたり、私にとって「関知する人はいないだろう」と思う気持ちはそういったところにあらわれると思っています。
つまり1%であろうが10%であろうがもしかして見ている人がいるかもしれない。もしくは私が「これを残したところでそれを関知して心を痛める農民などいない」と言い残した場面をたまたま一緒に食事していた友人は私を見てどう思うでしょうか?
その友人はもしかしたら「こいつは俺のいないところで陰口を叩いているのかもしれない」と思うかもしれません。あくまで可能性の話ですが。

私はこういった例えの話は嫌いだと言いましたが、自分の心掛けに対してはそういった信条を持っています。

それも結局、私が天邪鬼だと言うことにいきつくのですが、私は人の意見よりも自分の納得できる言葉を信じます。
ですので私にはその人の世界観でアフリカのことを語られても理解もできませんし、素直に受け止めることができないのです。
その表現に馴染めないんですから。

お礼日時:2007/03/15 22:54

子どもという設定ではなかったのですが、(バラエティでの大量の食べ物の無駄な使用)子どものことでもいいです。


「モロッコで、タコを取った人なんか、知ったことじゃないよ」「中国なんて、有り余った人間に野菜を作らせて、それを買ってやってるんだから、それだけで、ありがたいとおもえばいい。食べようが、捨てようが、そんなことを関知する、農民なんかいるはずがない」と、口答えをしたら、さらにどう諭しますか?
日本の食物が100%自給自足できているとでも?
私もまた、天邪鬼なので、ぜひ、後学のため、教えてください。
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この回答へのお礼

申し訳ありませんが、何か気に障るお礼の言い方だったでしょうか?
僕なら「作った人に対して、失礼だ」と言おうとする考えなのであって、回答者様の回答に対し否定している訳ではありません、、

「満足に食べられない人もいる」と言うのもいいと思います。ただ、僕はそういう言い方をしないという人間であるだけのことなんです。

この質問自体、僕の考えが間違っているのか聞いているものですので、こうして脱線した話題でこれ以上議論を重ねることは本意ではありません。
回答者様の気持ちを逆なでするつもりはありません、

すみませんが、あしからずご了承ください。

お礼日時:2007/03/02 02:50

子供が食べ物を残すという例なら、その状況によると思います。


本当に量が多くて食べきれないのに、食べなさいといった状況なら、アフリカの子供を持ち出すのはちょっとおかしいですが、好きなものだけを食べるとか、食べ物を粗末にしたというような場合なら『アフリカの子供は食べ物も食べられないのだから~』と言うのには賛成です。

不登校の子供なら、学校に行ける状況というのは本来ありがたいことなのに、それを自ら拒否するのはいけないことだ、っていうことを親は伝えたいんだと思います。日本での自分達の生活を当たり前のように思っているけど、実はとてもありがたい、贅沢なことなんだよということを言うために貧しい子供たちの話をするのは、私は不謹慎だとは思わないです。
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この回答へのお礼

状況によっても使い方があるということなんですね。

そういう条件があるなら僕も理解ができます。

それぞれ深い事情があるので一口に使える言葉はないんでしょうね。

回答ありがとうございました。そして、ここまで回答して頂いた皆様、お礼遅くなりすみませんでした。

お礼日時:2007/03/01 23:47

あー私も同じこと考えましたねー。


小学校の時担任教師が全く同じセリフを言って考えることがありました。
>「アフリカの子供たちは明日のご飯もなくて困っているのよ」
この台詞を掘り下げれば「あなたよりかわいそうな子がいっぱい居るからあなたは恵まれているのよ」と、
私もまあ天邪鬼なのでそう捉えてしまいます。
結局は見下しているんじゃないか。
「アフリカだから食べれない」そういうレッテルを貼り付けているだけじゃないか。
当時の私はそう思いましたね。
今も大体そう思ってますが。

さて質問者様の質問にお答えさせていただきますが、
>私の考えは間違っているのでしょうか?
間違ってはいません。でも正しいとも思えません。
私の考えもです。

私なんかが小さい頃は「お米には神様が宿ってるんだから…」とか「農家の人が一生懸命作ってくれたんだから…」とか
手っ取り早く「お母さんが作ってくれたんだから」とか言われてましたけど
わざわざ地球の裏側まで行くのは何故なんでしょうね。
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この回答へのお礼

私もそういった手っ取り早い例えの方がなじむ人間の様です。。

私とは違う考えでしょうけど、地球の裏側ほどのところにいる人たちの話をすることで話のスケールを大きくさせているのではないでしょうか。。

この言葉についても正しい考えというのは存在しないのかもしれませんね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/01 23:43

考え方は人それぞれでしょうから当然質問者さまの考えが間違っているとは思いません。


共感出来る部分も多かったように感じます。
私は「アフリカの子供たちは明日のご飯もなくて困っているのよ」という言い回しはあまりに容易過ぎる言葉だと感じますが、
言い回しはどうであれ食べ物は粗末にしちゃいけないということなのではないかと思います。

私自身は無理してごはんを残さず食べることは悪い事だと思っています。
食べきる前にお腹いっぱいになってしまったら残ったものを冷蔵庫に入れるだけ。
粗末にしないことと残さないことは私にとっては別問題。
自分で食事の量をコントロールできる環境に居ながら病気でもないのに食べ過ぎや食べなさ過ぎで太ったり痩せたりして健康を害した人が居れば
「ご飯がなくて困っている人もいるのに…」
と思うことはあるかもしれません。
考えていることはみんなそれぞれなのですよね…。
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この回答へのお礼

結局それぞれなんでしょうけどねぇ、

まぁ、無理して食べるよりも残してとっておくというのがいいのかもしれませんね。

TVとかで料理人が弟子の失敗作を味見してその失敗作をあっさりゴミ箱に捨てているシーンなんか見かけますが、
その人たちに「アフリカの、、」と言ったらどう答えるんでしょうかねぇ(笑)

それぞれなんですよね、回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/01 23:39

回答の中に、「ではあなたなら子供達にどういうか。

」と聞いている方がいますが、便利だからと何も考えずに使うのはどうかと思います。
子供に、食べ物を粗末にしないことを教えるのに、顔も見たこともない、どんな暮らしをしているかも分からない赤の他人を、引き合いに出すことが間違っています。
満足に食べられない人もいる、と言われても、だから何?と思いますよ。
自分は自分、他人は他人です。
なぜ、食べ物を粗末にしてはいけないかを、自分自身が理解出来ていない人が、この言葉を使うと思います。
ご飯は、農家等の人が、苦労して育ててくれたおかげで、食べられるのだから、粗末にしてはいけないのです。
お金を払っているから、いただきますをいわなくてもいいという人にだけはなりたくないです。
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この回答へのお礼

僕も回答者様のような考えのもと食べ物は残さない様にしています。

考え方の違いによるものなので議論にならないものなのかもしれませんが、私もいただきますを言わない人にはなりたくないですね。
一人の「いただきます」は時に寂しいものを感じますが、、

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/01 23:34

では、あなたは、めちゃめちゃ食べ物を粗末にする人に、何と言って諭しますか?


お腹がいっぱいで残すのではなく、食べ物をおもちゃにするような、食べ物も元は、命であることを何も考えていない人に教え諭すことになったとしたらです。
「満足に食べられない人もいる」
意外と使える言葉です。
代案があったら、是非おしえてください。
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この回答へのお礼

私なら、、「作ってくれた人に対して、失礼だ」といいますかねぇ。

こういう考えのものですのでもっと身近な例えにしようとしてしまいます。。

正しい言い方かどうかは受け止める人によって賛否両論の言葉でしょうけど、、

「満足に食べられない人がいる」というのも正しいかどうかは別として例えとして使いやすい表現だからよく使われているということなんですね、
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/01 23:19

まぁたとえ話なのでそんなにムキにならなくていいんじゃない?


こういう話ってほぼ子供に対してですよね?
もっとちいさい子供には「オオカミさんが来るよ」とか「もったいないオバケが出るよ」って言うでしょ?
オオカミやオバケにあったこともないのに(笑)

確かに質問者様のおっしゃることは間違いではありません。が、
質問者様が中学生以上の方ならもう少し大人の解釈をしても良いのでは?
屁理屈って判ってるのらやっぱり屁理屈なのですよ。
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この回答へのお礼

そうですよね、深く考えず受け止めることも大事ですね。

結局はそこにいきつくものなんでしょうかねぇ。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/01 23:12

いったいアフリカをどんなところだと思っているのやら。

地獄ですか。砂塵や泥濘や密林の人外魔境ですか。

>まったく違う環境に身を置いている子供の話をされても比較にならない

「まったく違う環境」なんかじゃありません。似たようなもんです。人間が生活できる環境というのは限られています。

そもそも比較という作業が何か意味を持つとすれば、むしろ異なる部分があるときです。まったく同じだったら比較する意味がない。共通する部分と異質な部分と二つながらあるもの同士を比べるのが比較です。

>アフリカの赤ちゃんをすぐにひきとって日本で10年日本の生活で育てれば多分同じ様におなかがいっぱいになったら何も当たり前の様に残したりする子供になると思います。

それを本気でおっしゃるのですか。私は生粋の日本人だが食べ物を粗末にするのは嫌いです。出されたものは無理しても食べます。

不思議にもあなたは環境が同じだとみんな同じに育つと思っているようですが、日本国内だって厳密に同じ環境に育つ人間は二人といない。さらに云えばアフリカに勝るとも劣らぬほど異質な環境もしくは生存条件は国内にだって見出すことは容易でしょう。現実にアフリカの飢餓地帯よりも苛酷な子供の餓死はちょくちょく報道されるという極端な例はこの際措くとしても、それはものの見方次第、何を比較の対象とするかによるから。

まったく異質なものは理解のしようがありません。しかしまったく同質なものもまた理解のしようはない。すでに知っていることは理解できない。未知のものに対して理解力は働きかけます。既知のものを足に蹴って虚空へと跳躍を試みます。着地点があるかどうか、うまく行くかどうかは前もって知ることはできません。

アフリカの飢餓地帯をまったく異質の環境とすることは、正真正銘の差別発言です。理解する必要などない、彼らの心事を忖度する義理などない、と言うのと同じです。

思考力と想像力には勇気が不可欠です。経験したことがないことは理解できないとはなんという惰弱な言葉でしょう。あまつさえ、思考と想像によって危険を自ら引き受けようとする者を「不謹慎」と誹るとは、なんとあきれた卑怯者でしょうか。

あなたの考えは間違っているか否かと問うても不毛です。そういうレベルにありません。それ以前の問題です。

>日本は裕福な環境で毎日嫌でもお母さんがご飯を用意してくれるのが当たり前です。

なにをおっしゃいますやら。お母さんのご飯は誰が用意するんですか。

この回答への補足

何を興奮されているんでしょうか?
私はこの考え方について間違っているかどうかを聞いているのですが、、
表現について解答をされても困ります。
私はアフリカの現状について調べているものでもありません。
そういう例えに出されているからそう思っているだけのことです。

お母さんが用意してくれるのが当たり前というのは、それが一般的な家庭の風景だということです。お母さんが出してくれるのをありがたがっていないということではありません。

回答ではありませんので、当然のことながらお礼とせず、補足とさせてもらいます。
ご意見、ありがとうございました。

補足日時:2007/03/01 23:07
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