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こんにちは
人はみんな、それぞれいろんな夢を持っていると思います。
しかし、それを叶えることが出来る人も居れば叶えることが出来ない人も居ます。
そこで皆さんにお聞きしたいのですが、夢破れた後の人生って価値があるものなんでしょうか?その後は制限された中での最大限の楽しみを見つけるしかないと思うんです。そんなの嫌じゃないですか?
例えば、ある高校球児がいたとします。
彼は高3の夏に地区大会の決勝で敗れ、甲子園に出場することができませんでした。彼は、プロのスカウトたちも目を見張るほどすごい選手です。しかし、彼の高校最後の夏の甲子園出場という夢は叶わぬものとなってしまいました。
彼がこの先、プロになって日本一の選手になり、メジャーにいって最終的に世界一の選手になったとしても、彼の甲子園出場という夢が叶うわけはないんです。それなのに、その球児はいい人生を送ったといえるのでしょうか?疑問です。
私自身、1浪で、京都大学を目指していますが、手が届くかどうかはわかりません。(確率的にはおそらく手が届かないでしょう。)
さすがに2浪は出来ないので、京大に落ちた場合は後期で受かった大学か、滑り止めの私立に行くでしょう。でもその時点で私の目標、京大合格は潰えます。だったらその先の人生で、目標が潰えたことを打ち消すほどのいいことがあるのか?と思います。経験者の方、ご意見をお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

こんばんは。


「夢」とは、実現させない限りは「夢」のままです。
でも「現実」は、否が応でも目の前にあります。
世界中の人達の中で、一体どれほどの人が「夢」を実現させる事が出来ているんでしょうね?
でも「夢」って、ひとつしかないのでしょうか?
私は子供の頃からの「夢」を数え上げたら、そりゃあイッパイ出て来ますよ(笑)叶えられたものは、厳密に言えば、ひとつもありません。
仕事中に大怪我を負い、身体障害者となってしまった今では、叶えたくても叶えられない「夢」ばかりです。
色んな事を諦め、色んな事を捨て、色んな事に挫折し、色んな事に苦しめられています。
健康で、若く、これからの可能性の選択肢がある人は、それだけで羨ましいです。私から見れば「贅沢な悩み」です。ただの「甘え」です。
本人にとっては、大変な悩みかも知れませんが、もっと大きな悩みを抱えている人は多勢いるのです。でも、それらの人達はハンデや行政の不平等にも負けず、懸命に生きていますし「夢」を追っている人達もいます。私も小さいながらも、今は新しい「夢」を追いかけています。

「夢」を病気や障害で諦めた人が多勢います。それでも「夢」を諦めず頑張っている人もいます。私のように新しい「夢」を探し出して前へ進もうとしている人もいます。

もっと視野を広げて周りを見てみる事ですね。
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彼の夢は「甲子園に出場する」ことだったのでしょうか。


甲子園に出場するというのは、夢に近づくためのひとつの道の途中
であって、その先にはプロになるという夢があるのではと思います。
だから夢破れた後の人生なんて、言ってほしくないです。
たどり着くまで何通りもの道があるから、たったひとつの道が閉ざされたからと言って、質問者様がそんな風に考えていたと彼が知ると、彼は
本当に不本意だ思いますが。。。

甲子園までの道程で、たくさんの高校球児が涙を飲みます。
だけど夢破れて悲しい人生なんて思っていません。
今までの積み重ねた練習を糧にして、胸を張って、これから次の新たな夢に向かって突き進んでいます。
それこそが、価値あるものと思います。
「人生の中で何かに夢中で打ち込めた。」それが最も、「価値あるもの」だと考えます。

わたしの息子も涙を飲んだそのひとりですが、ひとりの人間として、
誇りに思います。
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質問者様の質問に一言でお答えすると、夢による、です。


所詮夢という物は各々の思い描く志しのようなものです。
逆に夢が叶ったから"幸せなのだ"とも言えないと思う。
夢を叶えてしまった後、それもまた夢によるのですが、
夢を叶えてしまってその夢が過去の遺物になった時、
人は次第にその夢では幸せを感じれなくなって行くでしょう。
夢を持つ事の幸せは、その夢に希望があり、それに突っ走っていける、
その希望が幸せを感じさせてくれるのだと私は思う。
よって夢を叶えた上で幸せを感じたいのであれば持続性のある夢でなければらないでしょう。

夢の叶わない限られた人生に価値が在るかどうか決める事は出来ません。
価値なんてものは各個人が勝手に見出して決める事です。

あなたの例で出してきた甲子園に出場する事が出来なかった少年、
その少年は結果夢をかなえる事は出来なかったようですが、
私はその少年は幸せだと思いますよ、夢は大きくもなれば変わっても行きます、
結果メジャーという甲子園より大きな物が手に入ったわけですから、
甲子園の夢など無くとも事足りる筈でしょうからね。
まあ幸せというのも個人個人にとって感じ方が違うのは確かなんですが。

ちなみに、私の夢が、もし叶わぬ夢だと知ったなら、私は恐らく自害するでしょうね。
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夢はいつか覚めるときが来ます。


その時はまた新しく夢を見たらいい。
私の場合、若い時に挫折して気楽な職業を選んだ。
そのため視野も広がり、ゆとりある人生を送っている。
趣味も充実してるので別の夢を持つことも出来た。
夢は追うことも大事だけど、立ち止まって見つめ直す事も大事。
時には後ろを向いて本当にそれでいいのか?と迷うのも良い。
人生とは色々と試行錯誤し、己を探す心の旅といえましょう。
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昨日敗退した高校生の事を例に挙げているのだと思いますが、甲子園は彼の夢で目標だったと思いますが、彼の夢や目標は甲子園だけではないと思います。

プロやメジャーリーグも夢の一つだと思いますよ。夢が一つ叶わなかったくらいで、彼の人生は終わらないと思うし、彼の人生がいい人生だったかなんて、人には決められないです。ましてや、やる前から諦めてしまっているような人に論じて欲しくないと思います。
あなたは、京大に入って何がしたいんですか?京大を卒業して何になりたいんですか?まさか、京大が人生の最終目標ですか?難関大学に入学する事を目標や夢にする事に異論はありません。でも、人生は学校が終わった後にも続きます。学校を出てからの方が、夢叶わず挫折や辛酸を味わう事の方が多いです。はっきり言って、この程度で人生終わるかのように言っている時点で、例え京大に入れたとしても、先はしれているんじゃないでしょうか。
私も大学は第一志望ではないですが、希望の職に就いています。今の仕事に就く事が目標だったので大学に拘りませんでした。今は、第一希望の大学にいたら出来なかったであろう事もさせてもらっています。受験直後は悔しかったですが、今は後悔はありませんし、充実しています。
まだ受験までは時間があります。弱音や泣き言は、あがけるだけあがいてからにしましょう。駄目だったら、その時はその時です。縁がなかっただけです。その代わり、別の大学で京大が不合格にした事を後悔させるような人間に成長すればいいんです。男なら、その位の気概を持って頑張ってください。
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夢が一つしかないというのは悲しい事です


また大学合格が人生最大の夢であるというのはもっと悲しい事かもしれません
最大の夢だと思っていた物が実現した後、必ず最高の人生を歩めるのでしょうか?


例えば歌手になるのが夢で実際に歌手になれたとします
しかし、一発屋で直ぐに人気が落ちてそれ以降は全然売れない
しかも栄光の時代の記憶がある為に辞められず、ドサ回りをし酔っ払い相手に歌を歌い、結局そのまま人生を終えた
そんな人生が最高でしょうか・・・


野球選手の例を挙げてますが、本人次第だとは思いますが「いい人生を送った」と言う人がほとんどでしょう
なぜかというと、プロでいい成績をあげた頃には甲子園優勝できなかった経験は「苦いけど大切な思い出」に昇華されていると思うからです
多分、「甲子園優勝できなかったからそれ以上の夢を叶える事ができた」なんて考えるのではないでしょうか


簡単に言うと、大学なんて入ってから何をするかで価値が決まる
入れた大学の名前で人生は決まらない
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京都大学に合格することが目標で、今年不合格だったら、その先の人生でいいことがあるか?


というご質問で良いでしょうか・・・?

答えは、ご自分でわかっていらっしゃるかとは思いますが、

 あなたのお気持ち次第

です。
1つの夢が破れると、なぜ、
"残りの人生は「制限された中で」の最大限の楽しみを見つけることになってしまう"
のでしょうか?
第一志望に合格できなかったことを引きずって、ずっと悔やんで生きていくだけなら、
この先の人生は間違いなく真っ暗です。
例として挙げられた野球選手にしても同様のことが言えますね。

ところで、合格すると、"制限されない中での最大限の楽しみが見つかる"のですか?
たかが大学合格程度でそんな世界が安易に広がっているわけがないということも
もう19歳ならおわかりですよね?

ネガティブになってないで、がむしゃらに勉強する!!!
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はじめまして。


>夢破れた後の人生って価値があるものなんでしょうか?
もちろん価値はあります。そもそも夢というのは人生の中で1つしか待てないものではないでしょう。
夢なんて叶わないことの方が多いのが人生だと思います。
でも、そこから立ち直って新たな夢や目標に向かって進んでいくのが人生ではないでしょうか。
逆に夢が叶ってもそこで終わりの人生ではないでしょう?

例えで出された高校球児の話ですが、彼がもし世界一の選手になったとしたなら、きっと笑ってこう言うと思います。
「あの日(決勝で敗れた日)の自分がいるから、今の自分があります。」

何もしないで夢が叶うことなんてありません。
目標の大学があるなら、今から諦めずに最大限の努力を惜しまないでください。

あなたの夢が叶うことをお祈り致しております。
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私も学生の頃質問者様と同じ立場でした。



行きたい大学があり勉強しましたが
勉強量が足りず浪人。。。
浪人してもまだ受からず2浪するのか別の大学に行くのかで悩みましたが
ここで諦めたら自分の人生を諦めてしまうことになると思い
2浪して希望の大学に行きました。
入ってしまえば、『こんなもんか。。。』と多少期待外れでがっかりしましたが
それでも自分の意思を曲げなかったことに関しては後悔はありませんでしたよ^^

諦めて希望ではない大学に行くのもまた人生だとは思いますが、
ことあるごとに後悔することは目に見えています。
人生を振り返る年齢になって『あの時こうしていれば。。。』などと
後悔するような人生は送ってほしくないです。
逆に『じいちゃんはこれだけ頑張ったんだよ』と孫に自慢して欲しいです。

また、年をとってから『やっぱり京都大学に行きたい!』と思って
勉強を始めるにも脳の記憶能力は低下しているし
今の何倍もの時間をかけることになると思いますよ

まずは諦めないで受験勉強を頑張ってほしいです。
回答にはなっていませんが、気になったので。
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人生における短期的目標は、長期的な目標を達成するための一里塚に過ぎないと考えています。



質問者様は何のために京大に入りたいのでしょうか?
それは京大に入ることでしか叶えられないのでしょうか?

後、いい人生とは、全てがウマくいく人生だけを指すとも思いません。
失敗や挫折で、人は強くなります。
これは経験しないと分らないと思います。
そこで卑屈になるようでは、その人の器はそこまで、です。
一生後悔して生きていくのでしょう。
いずれにしてもそれは自分の選択です。

>彼がこの先、プロになって日本一の選手になり、メジャーにいって最終的に世界一の選手になったとしても、彼の甲子園出場という夢が叶うわけはないんです。それなのに、その球児はいい人生を送ったといえるのでしょうか?疑問です。彼がこの先、プロになって日本一の選手になり、メジャーにいって最終的に世界一の選手になったとしても、彼の甲子園出場という夢が叶うわけはないんです。それなのに、その球児はいい人生を送ったといえるのでしょうか?疑問です。

少なくとも、質問者様はこういうことを考える前に勉強に専念すべきです。闘う前から負けることを考えてどうするのですか。
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