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暇つぶしとは暇からの逃避でしょうか。
だとしたら暇つぶしをせずに暇を生きるとはどういう事だと思われますか。

A 回答 (14件中1~10件)

暇つぶしは、何もしないで時間をすごすのは良くないという


考えからすることで、逃避というより暇(無益な時間)の
解消でしょう。
暇を生きるとは、何もすることがない状態を
味わって、何もしないでボーッと過ごすことを
楽しむことでしょうね。

この回答への補足

今見ているテレビを消してみてください。逃避という意味が分かると思います。

補足日時:2007/11/04 22:44
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/04 20:49

その答えをわたしも知りたい.....。


>だとしたら暇つぶしをせずに暇を生きるとはどういう事だと思われますか
現実的な答え=来るべきに時に備え日々昇進。広い意味で自分の仕事をこなす。
ということになっているのではないでしょうか?

あるいは猫のように
眠ることを怠らず じぶんを説明しない 好奇心に富み 得ずに後悔せず 過去にこだわらず 満ち足りて 時間をムダにしない 
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E3%81 …
.......は夢物語かぁ。
猫が死んでもまわりはあんまし悲しみませんね。
まわりが悲しまない死に方っていいもんですね。すごい生き方してると思います。
無頓着な空(くう)を生きてると思います。
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この回答へのお礼

おかえりなさい、ですね。

>現実的な答え=来るべきに時に備え日々昇進。広い意味で自分の仕事をこなす

そうなんです、私たちの生活は仕事、家事、音楽、テレビ、友達とのおしゃべり、映画、その他娯楽でいっぱいなんです。予定表に空白が無いんです。
なぜなら私たちは「暇」を恐れているからだと思うんです。
私たちの心は常に何かでいっぱいになっていないと不安で仕方ないみたいです。
簡単には答えは出そうもありませんが、心の平安を得るためのカギがあるように感じます。

ネットで調べたら紹介していただいた本が近くの図書館にあるみたいなので読んでみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/05 00:00

ただいまです^^;


>ネットで調べたら紹介していただいた本が近くの図書館にあるみたいなので読んでみます。
えっやばいっ、もっと賢そうな本にすればよかった....
>なぜなら私たちは「暇」を恐れているからだと思うんです。
その通りだと思います、だから時に恐怖を感じたりするとほっとしたり。私は子供の頃から「暇」を率先してきましたが暇のせいで心の病になったことも.....(世間には秘密)

あと坂口安吾とかも暇とかに蝕まれてたと思います。
戦争中わたしは白痴であった。とか言ってた人です。
「白痴」「青春・魔の退屈」とかお勧めです、読んでたらごめんなさい。
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この回答へのお礼

坂口安吾、著書がずいぶんあるみたいですね。
読んだら感想をお聞かせします。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/05 17:51

なんとも面白い質問ですね


考えたこともなかったですがこれを機に考えてみたいと思います
・暇をつぶすことへの快感→不快から快へ
・暇ということが不安→不安から安へ
・暇にたいする不適応→不適応から適応へ
・その他
こんな感じではないでしょうか?
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この回答へのお礼

・暇をつぶすことへの快感→不快から快へ
私たちは暇をつぶすことは何か有意義な行為だと思っているふしがありますね。

・暇ということが不安→不安から安へ
なぜだか私たちは何もしないということができないようです。

・暇にたいする不適応→不適応から適応へ
私たちは暇とは何か、の理解が足りない生かもしれません。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/05 18:05

 「暇つぶし」とは、心身とも健康に空いたときを過ごす過ごし方をいうのではないでしょうか。


 例えば、電車に乗り遅れて何時間か待たなければならなくなったとき、イライラしたり悪態をついたりせずに、駅の周囲を探索してみたり喫茶店で土地の人との会話を楽しんだりして、気持ちよく時を過ごすことができれば、それは立派な「暇つぶし」といえるでしょう。さらに、心身をリフレッシュしたり思いもがけない貴重な体験ができたりするなどの有意義な時の過ごし方であれば、その「暇つぶし」が「暇を生きる」ということになるのではないでしょうか。

 あと、人から聞いた話で恐縮ですが、何週間にもわたる船旅の場合、暇な時間がないほど娯楽などのスケジュールで埋められるそうです。理由は、暇な時間を埋めないと、ノイローゼになったり自殺したりする人が出るからだとのこと。

 「暇つぶし」にも効用があるように思います。
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この回答へのお礼

何もすることが無いということが事実だとすれば、何もしなければいいと考えれるのは短絡的でしょうか。
暇を生きると書いたのは、することが無いなら何もしなければいいはずだと思ったからです。
私たちは何もしないということがとても苦手のようです。何もしないということはどうゆう事なのでしょうか。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/05 18:37

暇を生きるというのは頭の中の世界で生きているということではないでしょうか。

暇をやることがないことと考えるのは頭の中の世界が貧弱だからなのではないでしょうか。すぐれた芸術家や学者は外から見ればいくら忙しそうでも実は最も暇を生きている人たちだと思います。また勤務時間帯の窓際族のような人も欠勤しないかぎり暇を生きていると言えるかもしれません。
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この回答へのお礼

学者や芸術家の頭の中では何が起こっているのでしょう。常に何かを考えているということでしょうか。
すみませんがもう少し補足をお願いします。

お礼日時:2007/11/05 18:49

 #5です。


 お礼をありがとうございます。

>何もすることが無いということが事実だとすれば、何もしなければいいと考えれるのは短絡的でしょうか。
>私たちは何もしないということがとても苦手のようです。何もしないということはどうゆう事なのでしょうか。

 「何もすることが無い」というのは、周囲からの義務で行わなければならないことや、過去の自分がマネージャとなって今の自分に課したことがないということかと思いますが、あなたの言う「何もしない」ということが今ひとつ分かりません。「何もしなければいい」と言われながら「何もしないということはどうゆう事なのでしょうか」と尋ねられることの真意を掴みかねています。

>暇を生きると書いたのは、することが無いなら何もしなければいいはずだと思ったからです。

 例えば、3日の暇が急にできたとします。
 あなたは本当に何もせずに3日間生きていることができますか?
 「何もしない暇つぶし」とは、次にすべき何かに対して特に悪い影響を及ぼさずに時を過ごすことであり、より積極的な意味合いで言えば、自分の為に過ごすときの過ごし方を言うように思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
回りくどい言い方をしてしまいましたが話はいたって簡単で、

1.暇である
2.やることが無いというのは間違いない事実である。
3.ならば、やるべきことができるまで何もせずにいよう。

と、論理的?に考えると3番の結論が出てもいいはずなのに実際は、

3.やることが無いのでとりあえず音楽でも聴いて暇をつぶそう

となると思います。何もしなくていいはずなのに音楽を聴いてしまうのです。
なぜ私たちは「何もしない」ができないのでしょう?
という問いです。

>あなたは本当に何もせずに3日間生きていることができますか?

できません。
故に、なぜ私たちは「何もしない」が出来ないのでしょう。
そして、「何もしない」とはどういう状態なのだろうと思うのです。

お礼日時:2007/11/05 23:02

面白い問いだと思います。


暇つぶしに最適です(笑)

A.思考実験その1
A1.暇=「やるべきことがない」という概念は、そもそも「やるべきことがある」という概念が存在することではじめて成立する概念です。

A2.では、逆にやるべきことがある、とはどういうことか。そもそも人が「やるべきこと」などあるのだろうか。と問うことができます。

A3.「やるべきこと」なんて、突き詰めていけば、根源的にあるのかと言われると「無い」と思います。というかそういう立場を取りたいと思います。食うとか、寝るとか、生命維持を「やるべきこと」と位置づければ、まあ、食うとか、寝るとか、それをサステイナブルにするために働くとか、は「やるべきこと」かもしれませんが、「生きなくてもいいやー」って言ってしまったら「やりたいこと」ならあっても「やるべきこと」などなくなりますね。

A4.ということで我々の人生はやるべきことがない。その意味において我々の人生は暇つぶしです。

B.思考実験その2:「なぜ我々は暇をすごせないのか」に答えてみる。
 我々は、暇な時間そのものを単体で生きていないから、でしょう。「暇な時間」は「暇でない(とされる)時間」の合間にしか存在しない概念です。
 とすれば、その先に来ると予期されるであろう「暇ではない時間」のために投資したり、「暇ではない時間」にはできないことをしたがる。あくまで、「暇ではない時間」がメインであり、「暇な時間」はその余剰である、と発想されるとき、我々は「暇な時間」を余剰としてしか生きることができない。余剰として生きられる無為な時間は、無為そのものではなくなってしまう。

 暇な時間をそれ単体で生きるとしたら、「暇」それ自体を人生と考えてみるという観点が必要になるように思います。つまりAにおいて提示したような価値観を受け入れること。


 ***

 以上のように比較的かんたんに答えてみましたがいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私が実験についてこれていない感がありますが、やるべきことが無いというのは概念でしょうか。私には恐ろしくリアリティがあるのですが。
それと同じように、「生きなくてもいいやー」とは思えませんでした。

思考実験その2は分かる気がします。そもそも人生おける時間を二元論(暇<=>忙しい、仕事<=>私生活)で考えようというのが無理なのでしょうかね。
私たちは暇についての理解が足りないのかもしれません。

お礼日時:2007/11/06 21:49

No6です。

私は、人間はほかの生物と共通するいわゆる外の世界のほかに頭の中にも世界をもっていると考えています。私のような凡人は、頭の中の世界が貧弱なので絶え間なく外の世界から何かを持ち込んでいないと不安退屈で身動きが取れなくなってしまいます。ところが(おそらく)優れた学者や芸術家はヒントやきっかけは外の世界から得ても彼らの頭の中の世界の中で豊かに成長するので、わざわざ外の世界のことをそれ以上持ち込む必要がないのだと思います。私は自分の趣味を持つことがささやかながら頭の世界に安住できる(スケジュール表に空きができても平気でいられる)唯一の対策ではないかと考えております。優れた学者や芸術家は暇こそ仕事をするために必要であるはずです。彼らが衣食のために働かなければならなかったら本来の研究や作品を完成できません。このことはわれわれ凡人にも参考になることだと思います。われわれは仕事をいやなものだと思っていてもいざ仕事から解放されると私的な仕事を求めてしまいます。われわれは仕事を嫌っているどころか仕事に依存して生きています(いわゆる食うためだけではなく精神的にもという意味です)。趣味を私的な仕事にしないことは結構難しいことです。お金にならないこと、当座の役に立たないことを自分の意志で行うことこそ優れた学者や芸術家の特徴なのですから。でもわれわれにも彼らの真似事はできますし、それは大変良いことだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど、
仕事への依存が暇への不安を生んでいるのかもしれませんね。
暇は苦痛であるという心理が、暇とは何かのヒントになるのではないかと考えていました。苦痛が無ければ暇であっても何も問題は無いはずですね。優れた学者や芸術家は暇であっても私たちとは違う暇を生きているのかもしれませんね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/06 21:59

暇というのは「自由を持て余している」ということ。


やれることがあるならそれをすればいいし、それをいつ中断しても止めてもいい。

自由の対義語の拘束は意志によって止めることができませんので暇だからするということになりません。暇がなくてもせざるを得ないもの。

女性の身支度にかける時間というのは個人の自由を含んでいますが、人によっては意志で止めることは出来ない理由もあります。そうだと自由ではなく出勤前やデート前に身支度することは拘束時間、拘束意志で、自分が身支度する時間を所有しているのではなく身支度に支配され甘んじていることとなります。

暇つぶしは意志により支配できる。逃避という消極的なものはないように思うのです。
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この回答へのお礼

>やれることがあるならそれをすればいいし、それをいつ中断しても止めてもいい。
確かにそうなのですが、自由ならば「何もしない」も選択肢の中にあるはずです。しかし我々はそれを選ばない、なぜなら「何もしない」ということが出来ないからです。
試しに1時間「何もしない」時間を作ってみてください。そのとき心理がどのように動くのかご覧になってください。きっと眠くなるかイライラしてテレビのスイッチを入れたくなると思います。
このイライラは暇からの逃避ではないだろうかと思うのです。

お礼日時:2007/11/06 22:10

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