はじめての質問です。

第二次世界大戦後に誕生し発展していった国際法は、国家によってその実効性が強制される社会規範であるという法の概念に当てはめた場合、その国際法は「法」として成立するのでしょうか?

これをどういう風に上手く説明すればいいのでしょうか。

回答のほうをよろしくおねがいします。

A 回答 (4件)

国際法は国家間の取り決め(条約)か慣習法に過ぎないのだから“国家によってその実効性が強制される社会規範であるという法の概念”に当てはまらないので、「法」として成立しているとはいえないでしょう。



「国際法」という名称の法律はありませんね。
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個人的には「法」としての国際法はないと考えています。

現在国際法と呼ばれるものは基本的には各国家がそのルールに従うかどうかで「法」としての効力が発揮されるかというところにあるので、各国家同士の「契約」と考えています。違うとおっしゃる方もあるかと思いますが、一つのセオリーだと思っていただければ。
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 国際私法はそれぞれの国の法体系の中に席をもっているものが多いです。


 国際公法は確定しているもの、条約、そして現に形成の段階にあるものなどがありましょう。
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この回答へのお礼

なるほど!!
ありがとうございます。
参考になりました!!

お礼日時:2008/07/26 18:34

実質、法があっても、守らないとこもあります。


ボ-ダ-ラインであって、あってないような感じもします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2008/07/25 22:32

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Qなぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか?

なぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか?
自由に国境を越え、自由に住み、自由に食い、自由に生き、自由に殺される権利というのは
本来全ての生物が持っているものだと思うのですが。

真の自由主義とはなんだ、全ての人間は自由に生きるべきだ、法律がけしからん、
と言ってるのではなく、
「自由に動物のように生きたい」と思った人がいたとして、
それを許すことはできないのかと思ったわけです。
法律に従わないヒトとして生きる自由を選択する権利というものは存在するべきだと思うのですが、どうなのでしょうか?
あるいはすでに存在しているのでしょうか?

Aベストアンサー

この質問は#10の回答者の方の言うように「哲学」カテゴリーでする方が良かったと思いますし、また、他の方の回答も十全なものではないように思えますので回答いたします。

まず、「なぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか?」という質問ですが、とりあえずの答えとして書けば、法律に従おうとすることもそれに従わないで生きていこうとするのも
どちらもその人の権利であり決意次第のことです。

歴史的に言えば、そのような人が生まれつきに持っている権利のことを自然権といいます。(自然権の範囲についても種々の議論がありますし、自然権そのものを否定する議論もありますけれど。)例えばホッブズという人は「社会契約」という考え方を最初に示した人でありますが彼は自然権を「自分が生き延びるためにあらゆることをする権利」と考えました。ただ、そうするとすべての人が自己の自然権を主張し実行しようとすれば「万人の万人に対する戦い」という状態となり、誰も安心して生活できないという状態になると予想しました。それ故に、人は自己の自然権を社会契約のもとに放棄するという考え方を示したのです。我々の社会が法律を制定するのはこの考え方を基底においているのです。

ですから、自らの自然権を存分に発揮したいという理由からその社会の法律を守らないという選択をする自由も人間にはある、と私は考えます。しかし、それは同時にその(法律を作っている)社会の一員であるという資格を失うことを意味します。というよりもその社会の一員であるということを拒否するわけです。逆に言うと、そうした人に対して社会がその人をどのように扱うこともその社会からすれば自由なわけで、有無を言わさずその存在を抹殺することも可能(というよりたいていの場合そうする様になっています)ですし、命だけは助けてその社会から追放するだけかもしれません。いずれにしろ、「法律に従わないヒトとして生きる自由を選択する権利というものは存在」しています。ただ、その結果どうなるかを他の回答者さんたちが述べているだけです。

もう一度、整理して書きますと人には土台として「自然権」が存在する。その基礎の上に社会を形成し法律を制定している。つまり、自然権と法律は同じレベルの話ではありません。

さて、「2万年前の人間がタイムスリップしてきたとして、
その人間に対して法律を押し付けるべきかどうかというような問題」は自然権の問題としての質問でしょうか。それとも現実にある社会の中での法律レベルの問題として質問しておられるのでしょうか。このレベル分けをはっきりさせれば答えは自ずと出てくるものと思います。

次に「犬や猫を法律で裁くのに違和感を覚えませんか?」という質問(これも質問趣旨は同じであると思えます)については、まずそのような裁きの具体例はありますかとお聞きしたいですね。そうではなく、抽象的に「法律に従う意思の無い者を法で裁くのは矛盾していないか」という問いをたてるのであれば以下のように答えましょう。

法律を制定するということは1つの社会としての境界を設定することでもあります。それは境界の内部にいるものに対しては皆が同意した法律として強制力を持ちますし、境界の外部にいるものに対してはこの社会の一員となるための条件を示すことになります。そして自分たちの社会の一員でないものに対しては、(社会があたかも一人のヒトであるかのように)自然権を発動して排除することが認められます。ただ、その自然権の発動に際しての内部的手続きとして自分たちの法律が存在し、それに従って自分たちの自然権を行使します。ですから、法に従おうとしないものを法によって裁くことはなんらの矛盾をも生じません。

以上のことを踏まえた上でもう一度最初の質問に戻ってお答えすれば、「なぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか?」の答えは「人間が自ら法律に従うことを選択するから」です。(その社会に属する生まれたばかりの子供や、2万年前に生まれて現代にタイムスリップしてきた原始人はそうした決意・決断・判断を行っていないという反論は無意味です。子供は大人になりその社会の一員として認められるまでに、そして原始人にもそれなりにその社会の在り方について教育されたり内容を知る機会が与えられ、その上での決断となるはずだからです。ヒトはその社会がどうしても嫌であればそこから脱走や亡命をしたり、法律を変えるように運動したり、革命をおこしたり、最終的には自殺したりなどの手段でその社会から抜け出すことは可能です。)

この質問は#10の回答者の方の言うように「哲学」カテゴリーでする方が良かったと思いますし、また、他の方の回答も十全なものではないように思えますので回答いたします。

まず、「なぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか?」という質問ですが、とりあえずの答えとして書けば、法律に従おうとすることもそれに従わないで生きていこうとするのも
どちらもその人の権利であり決意次第のことです。

歴史的に言えば、そのような人が生まれつきに持っている権利のことを自然権といいます。(自然権の...続きを読む

Q1.法はなぜ必要か? 2.日本法の特色は?

法学のレポートの課題です。社会規範として作用する存在には法の他にも道徳や宗教などが考えられそれぞれに存在意義があるが、特に法が存在している意義を理解することが大切である。さらに、わが国の法は、明治の社会を境に、今日、先進諸国の国々と同種のルーツ、原理をもつものでもある・・というような観点からまとめると良いと言われたのですが、まとめられなくて困っています。なにかレポートを書くための手がかりが欲しいです。よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

「法」が存在している意義、それは近代国家の権力者の権力濫用と関連しています。

前近代において、法がなかった時代には領主等による刑罰権の恣意的な濫用がなされていました。これは日本でもみられることですが、その日の裁判官の気分により軽微な犯罪でも死刑になってしまったり、刑の執行方法も火あぶり等、残虐なものであり、犯罪が多分に倫理的色彩の濃いものであったりと、刑罰権の行使というものは、犯罪取り締まり目的を大きく超えて、国民の生活を脅かすものですらありました。
民事などにおいても権力者の恣意的な法の適用により不当な判決が数多く為されました。

それがフランス革命等により領主からの支配から解放されるようになると、個人の自由が大きく認められるようになり、「権力者のための刑罰」ではなく「権力者の権利をうまく制限するような刑罰」が求められるようになりました。民事においても権力者というものはしっかりと監視しておかないと不当な判断を下すようになるからなんとかするべきだと思われるようになりました。

そこで、そういった権力者による恣意的な濫用がなされないために、裁判の手続きやトラブルが起こった時の解決方法を明文化して、明文に示されているように裁判を進行させるなどによって不当な判決や恣意的な法の適用をなくそうとしたのが法のはじまりであり、存在意義です。


日本法の特色ですが、
1 全体的に諸外国と比べて刑罰が軽い(理由は調べてください)

2 戦前の反省から倫理的、宗教的意味合いの強い刑罰があまり存在しない

3 立法による法制定の意欲があまりないため、それをカバーするための判例の役割が非常に大きい

等でしょうか。

「法」が存在している意義、それは近代国家の権力者の権力濫用と関連しています。

前近代において、法がなかった時代には領主等による刑罰権の恣意的な濫用がなされていました。これは日本でもみられることですが、その日の裁判官の気分により軽微な犯罪でも死刑になってしまったり、刑の執行方法も火あぶり等、残虐なものであり、犯罪が多分に倫理的色彩の濃いものであったりと、刑罰権の行使というものは、犯罪取り締まり目的を大きく超えて、国民の生活を脅かすものですらありました。
民事などにおいても...続きを読む

Q悪法も法なりってなんですか

悪法も法なりっていうのは、格言なのですか
だれか有名な人がいったのでしょうか?
悪法は法の名に値しないとおもうのですが・・・
いみわかってなくてすみません。よろしくおねがいします

Aベストアンサー

>悪法も法なりっていうのは、格言なのですか

 法諺(ほうげん。法律がらみの格言・ことわざ)といわれるものですね。ラテン語で "Dura lex, sed lex"("The law is harsh, but it is the law":「法は過酷であるが、それも法である」)と言います。

>だれか有名な人がいったのでしょうか?

 分かりません。一般にはソクラテスが言ったとされていますが、ソクラテスの言行を記録したとされる文献には直接の記載がないようです(ただし似た内容の話は『クリトン』中に記述があります)。この格言の説明としてソクラテスの逸話がよく引き合いに出される、というのが実際のところかも知れません。

 表題の質問「悪法も法なりってなんですか」ですが、一見して分かるようにさまざまな解釈ができますので、持ち出される場面によっていろいろ意味が変わるようです。

 ただ、もともとは前述のような意味なので、「法が自分に都合の悪い答えを出したとしても、それを受け入れるなければならない」ということではないでしょうか。
 ほかに有名な解釈としては、
・「悪法も法である」→「法が常に正義であるとは限らない」→「間違った法は正していかなければならない」
・民主主義国家においては、法を適用される国民自らが立法に関与しています(日本では選挙という形ですね)。いわば自分たちで定めた法律なのだから、たとえ問題があっても現在有効な法律には従わなくてはならない。
・悪法といえども法なのだから、勝手に破られては法の整合性、安定性が保てない。
 などがあります。

 ちなみに『クリトン』中では、「アテナの法に不満があるならいつでも国外へ出ていって構わないと、アテナの法自体が認めていた」にもかかわらず、あえて国内に留まり続けたのだから、それはつまり「法が自分に都合の良い時だけはそれを享受し、都合が悪くなったら無視する」ということであり、それは不正義かつ不名誉なこととして、ソクラテスは無実の罪による判決を受け入れた旨の記述があります。(#7さんの参考URL中に一部引用があります)
 「消極的にとはいえ国家の法律を受け入れているのだから、美味しいところだけつまみ食いするようなマネは無しだぞ」というのがここでの論旨のようです。

>悪法も法なりっていうのは、格言なのですか

 法諺(ほうげん。法律がらみの格言・ことわざ)といわれるものですね。ラテン語で "Dura lex, sed lex"("The law is harsh, but it is the law":「法は過酷であるが、それも法である」)と言います。

>だれか有名な人がいったのでしょうか?

 分かりません。一般にはソクラテスが言ったとされていますが、ソクラテスの言行を記録したとされる文献には直接の記載がないようです(ただし似た内容の話は『クリトン』中に記述があります)。この格言の説明と...続きを読む

Q法と道徳ってどう違うのでしょうか?

法と道徳ってどう違うのでしょうか?

200文字以上で、例など出して頂けると助かります。
同じところは、社会規範。
違うところは、強制力。
そんな感じだとは思うのですが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問するまでもなく、質問主のおっしゃることそのものが回答になっております。

両方とも社会規範で強制力が違いますよね。そのとおりです。

道徳なしで法律は作られることはまずありえませんから、社会規範として共通していますよね。
殺人や盗み、破壊行為などはもちろん犯罪ですが、それ以前に人として反していることですよね?だからこそ法律は存在しており、両方とも「人間のあるべき姿の実現」や「社会秩序の維持」を目的としています。

しかしながら同じ目的で存在しながらも、道徳の場合は「リンチ(私刑)」を食らわない限り、罰則規定がありません。ここで強制力の違いが見えてきますよね?

もっと具体的な内容に迫ると、裁判官が判決を下す際はまず適合する法規がないか探し出します。
いろいろ検討した結果、それでも見つからない場合は最終的に裁判官が持ち合わせている常識や良識、道徳で判決を下すことになっております。

両方とも同じ社会規範でも、物事に適合させるための優先順位は法律がまず優先されます。
この点で優先順位(つまり強制力)が違うことがわかりますよね?

最後に決定的な例を出しましょう。
その国で生まれた以上その人間は、その国に存在している約束(法律)を強制的に結ばされることになります。
嫌ならその「他の国に出て行け」ということになります。これが「亡命」であったり、「国外逃亡」であったりするわけです。

一方道徳は世間一般に存在しているものなので、本人が気にしなければ別段守らなくてもかまわないものなのです。

質問するまでもなく、質問主のおっしゃることそのものが回答になっております。

両方とも社会規範で強制力が違いますよね。そのとおりです。

道徳なしで法律は作られることはまずありえませんから、社会規範として共通していますよね。
殺人や盗み、破壊行為などはもちろん犯罪ですが、それ以前に人として反していることですよね?だからこそ法律は存在しており、両方とも「人間のあるべき姿の実現」や「社会秩序の維持」を目的としています。

しかしながら同じ目的で存在しながらも、道徳の場合は「リンチ(私...続きを読む


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