今なら家電が全品9%OFF!

よろしくお願いします。

マイナスがあってもプラスのほうが(1つ)多いから、「差し引き(1つの)プラスが残る」、
という言葉がありましたら、教えてください。

私が思い浮かんだのは、
・三寒四温
・七転び八起き
・三歩進んで二歩さがる (水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」の歌詞)
です。



【対象】
四字熟語などの熟語、ことわざ、慣用句、歌詞、名言、文学作品に登場する言葉・・・・・
どれでも構いません。
また、この条件を満たしていれば、外国語でも構いません。
ただし、
五臓六腑、七転八倒、朝三暮四などのように、「差し引きがプラス」ということを表していないものは、対象外とさせてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (12件中1~10件)

ANo.2 がダメだったので、再度挑戦。



効率のいいところをおひとつ

一死七生
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B0%EC …

やっぱりダメか?

この回答への補足

皆様ありがとうございました。
ポイントは皆様に差し上げたいところですが、
勝手ながら、私にとって参考になったいくつかのご回答に絞った上で、
乱数で20点と10点を決めさせていただきました。
ご了承ください。

補足日時:2008/09/17 18:11
    • good
    • 0
この回答へのお礼

これ、いいですね!
採用させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/10 18:18

ご無沙汰です ( ^^


色々考えましたが、何かもう出尽くした感じで、私としてはお手上げ状態です。案外少ないもんだなぁと寧ろ感心しています。

「万死を出て一生を得る」

これも当初候補に上がったんですが、中国における元来の意味は、「九死に一生」と同様万に一つの可能性もない例えらしいので、やはりボツ!

ヾ( ^^;☆baki\(ーー") ボツの話は要らん!

すみません (笑)
しかしわが日本では、「されば万死を出て一生を得、百回負て一戦に利あるは、合戦の習也」(太平記)などのように、最後に一生を得られればいい ── 終わりよければすべてよし ── という解釈もされるようです。そんな発想があの大西瀧治郎中将(軍令部次長)の「二千万特攻論」に繋がっているのでしょう。

「外務大臣、あと2000万、日本男子の半分を特攻に投入すれば、日本は勝てます!」
(映画『日本のいちばん長い日』の台詞)

大西さんは、2000万人という人数を勝利を得るための犠牲として至極妥当な数字と考えていたようですね。まあ、これを実現するためにはそもそも航空機・特攻機が圧倒的に不足していたわけですが(ついでに燃料も)、
「僚友(とも)よ七度 生きかわり 波に勲を咲かそうぞ」
(『海の進軍』 作詞:海老沼正男 作曲:古関裕而)
という歌の歌詞にもあるように、少なくとも兵員はいくらでも調達可能という考えがこの理論の支えになっていたのでしょう。
日本人の困ったところは、個々人のレベルでは「そんなのナンセンスだ!」と考えるのに、組織の一員になった途端に全然別のことをやり始める点です。

ごめんなさい、話が脱線しました ( ^^;

文学でもOKとのことなので、最後に一つだけ挙げます。原文はかなり長いので、必要部分だけ抜粋しました。

───────────────────────────────────
原子爆弾合同葬弔辞 (抄)

八月九日午前十時三十分ころ、大本営に於て最高戦争指導会議が開かれ、降伏か抗戦かを決定することになりました。世界に新しい平和をもたらすか、それとも人類を更に凄惨な血の戦乱におとし入れるか、運命の帰路に世界が立っていた時刻、即ち午前十一時二分、一発の原子爆弾は吾が浦上に爆裂し、カトリック信者八千の霊魂は一瞬に天主の御手に召され、猛火は数時間にして東洋の聖地を灰の廃墟と化し去ったのであります。その日の真夜中半天主堂は突然火を発して炎上しましたが、これとまったく時刻を同じうして大本営に於いては天皇陛下が終戦のご聖断を下し給うたのでございます。
(中略)
これまで幾度も終戦の機会はあったし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかったから、神は未だこれを善しと容れ給わなかったのでありましょう。然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け納め給い、人類の詫びをきき、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたのであります。
信仰の自由なき日本に於て迫害の下四百年殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかったわが浦上教会こそ、神の祭壇に献げらるべき唯一の清き羔ではなかったでしょうか。この羔の犠牲によって、今後更に戦禍を蒙る筈であった幾千万の人びとが救われたのであります。
(以下略)

『長崎の鐘』(永井隆 著)より
───────────────────────────────────

つまり「幾千万 - 八千 ≒ 幾千万」というかなり大雑把な計算ですが、一応ご参考までに ( ^^
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「案外少ないもんだなぁと寧ろ感心しています」には同感です。
ここで質問すると、次から次へと色んな例が挙がるに違いないと思っていましたが、
意外とないことがわかったことは、ある意味、収穫でした。

色々考えていただき、何度も回答していただいてありがとうございます。
MockTurtle さんの知識と頭の柔らかさには圧倒されました。
今度、差しで飲みましょう・・・って無理か。
(でも、もしも一緒に飲んだら楽しいことうけあいだと思います。)
では、また!

お礼日時:2008/09/17 18:06

今となっては懐かしい受験勉強



「四当五落」

これって睡眠時間のこと。

では、起きている時間に言い換えると「19落20当」
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そういえば、そんな言葉、ありましたね!
差し引きというよりは、境界線ですかね。
考えていただいてありがとうございました。

お礼日時:2008/09/17 17:49

前回の「一週間に十日来い」は「七転び八起き」に似ていると思ったんですが‥


sanori さんが求めている言葉というのは、整理すると次の条件を満たすものですよね。

1)数字の後に来る言葉同士が対立する概念を表す
2)両者が共に発生した結果、プラス要因が残る

そうすると「一週間」と「十日」は対立概念ではないので、端からダメでしたね ( ^^;

「智者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得あり」
これも思い付いた時には「おお!」と思いましたが、「千慮」と「一失 or 一得」はこの場合包含関係なので、同様にボツ‥。

星一徹の「背番号84 vs 背番号16 理論」(足すと100) ── 「親が子を食うか、それとも親が子に食われるか」
一応対立はしているけれど、これって引き算の関係‥?

という具合に、中々条件にピッタリのものが思い浮かびません (ーー;

またよく考えてみますね。
でも、最近このサイトをに書き込む暇が中々作れなくて‥ ( ^^ ;ゞ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>>>そうすると「一週間」と「十日」は対立概念ではないので、端からダメでしたね ( ^^;

そうでもないですよ。
両者の比や差が大きくなるほど、店の売上効率が増しますから。

ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/10 18:40

なんだ簡単々々、【四捨五入】



差し引き一つ残るどころか、一桁繰り上がります。
大儲けだ。

やっぱりダメかねえ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もすみません。
四捨か五入か、どちらか一方だけになるので、ちょっと違いますかね・・・
しかし、考えていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/10 18:31

> ただし、プラスではなく、マイナスのほうが残るということですね・・・


> 惜しいです。

うーむ、害” の側から見ればプラスなんですけれどね‥
でしたら、五月みどりが歌ったこれは如何?

一週間に十日来い トコトントコトン ♪ヽ(´▽`)/

実は、質問文を読んで最初に頭に浮かんだのはこれなんですが、
10÷7 = 1.42857142857142857142857142857143...
ということで、これは引き算というよりは割り算の問題だと思ったのでボツにしました。でも、
10-7 = 3
という見方も可能でしょうから、改めて投稿します。まあ、お店の売上には寄与するので、一応プラスの側面もあるかと思います (笑)
もっとも、7日間に10日分相当の酒を飲み続けたら、その先に待っているものは・・・

やはりこれも、有害回答‥? ( ^^;
    • good
    • 0
この回答へのお礼

これまた、発想が柔軟ですね!
ちなみに、対数を取れば、
log(10/7) = log10 - log7
ということで、引き算になりますね。(笑)
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/10 18:28

>私は、「10を頭に」と言うからには、「10人目を1番目」として数える。


そう考えてました。
すると、子供が「21人」いるコトになるか・・・。

赤面・・・(*^_^*)

質問者さんの書かれた通りでした。
「20人」ですね・・・。
ハイ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もすみません。
やはり、そういうことになりますか。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/10 18:15

お早う御座います。


No.3の回答者です。

>10を頭に、ということは、10人目から数えて11人、
>つまり、10-1+11=20人 の子供がいる、ということなのでしょうか?

うーむ・・・(^^;
鋭い質問。
私は、「10を頭に」と言うからには、「10人目を1番目」として数える。
そう考えてました。
すると、子供が「21人」いるコトになるか・・・。
いくら、昔でも多過ぎますかね?
本当のところは、どうなんでしょ?
「教えて goo」に質問してみますかね?
    • good
    • 0

究極の引き算はこれでしょう。



百害あって一利なし!(100 - 0 = 100)

ただ、sanori さんが挙げられている例は、いずれも単なる差し引きプラスではなく“漸増” のニュアンスがありますから、それらとは根本的に違いますね。
よってこれは、有害回答‥? ( ^^;
    • good
    • 0
この回答へのお礼


MockTurtleさんですか。こんにちは。

「百害あって一利なし」を挙げられるとは、発想が柔軟ですね!
私は愛煙家なので、周りの人達からよく言われる言葉です。(笑)
ただし、プラスではなく、マイナスのほうが残るということですね・・・
惜しいです。
しかし、考えていただきありがとうございました。

お礼日時:2008/09/08 21:30

数にこだわると難しいので、とにかく差し引きでプラスになればよい、という観点で考えてみました。



・海老で鯛を釣る
・肉を切らせて骨を断つ
・名を捨てて実を取る
・損して得取れ
・とかげのしっぽ切り
・小異を捨てて大同に就く
・若い時の苦労は買ってでもせよ
・怪我の功名
・雨降って地固まる

だいぶズレているものもありますが、こういう類のものでもいいのなら、まだ見つかりそうです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。そういう考え方がありましたか。
申し訳ありませんが、数字が入っている言葉に絞らせてください。
しかし、考えていただいてありがとうございました。

お礼日時:2008/09/08 21:22

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がる

ご存知、「三百六十五歩のマーチ」ですが、
1日目:1歩進む
2日目:1歩進む
3日目:1歩進む
で、3歩進んだことになります。歌でもそう言っています。
ですが、その後2歩下がると言っています。
進むも下がるも1日1歩と考えると、
4日目:1歩下がる
5日目:1歩下がる
ということになって、3-2=1で、結局5日間で1歩しか進んでいないことになります。

さてそこで、せっかく3歩も進んでいたのに2歩下がって、なぜ5日で1歩しか進めなかったのでしょうか?
“幸せは歩いてこない だから歩いてゆくんだね”と言っておきながら、一体、何があったのでしょう?

Aベストアンサー

この歌の2番の歌詞に
「百日百歩 千日千歩
ままになる日も ならぬ日も」とありますので、人生は前に進む日だけではないけれど、歩き続けていれば、少しづつでも前進できるという趣旨だと思います。

この歌を聞くと、次のクイズを思い出します。

深さ10メートルの古井戸の底にカタツムリがいて、毎日日中には3メートル上に登るが、夜には2メートル下にすべり落ちてしまう。このカタツムリが地面に到達するのは登り始めてから何日後か?

このクイズ、うっかりすると3メートル登って2メートル滑るのだから、差し引き1日1メートル登ることになるので、10日後だろうと考えてしまいますがこれは誤りです。8日目は底から7メートル(地面から3メートル)のところからスタートしますので、8日目の日中の終わりには地面に到達します。「だから何なんだ」と言われても困りますが、歩き続けることが大切という例にはなろうかと…。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q靴のサイズ 36とは何センチ?

女性の靴やサンダルで外国物の36と言うのは何センチのことか知ってる方がいらっしゃいましたら教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

【靴のサイズ表】

●Japan
22…22.5…23…23.5…24…24.5…25
●USA
5…5.5…6…6.5…7…7.5…8
●UK
3.5…4…4.5…5…5.5…6…6.5
●Europe
35…35…36…37…38…38…39

ですから36というのは、ヨーロッパの品で
日本でいう約23cmのことです。


ρ(・д・*)コレも参考にして下さい♪
      ↓ インポートもの買う時はきっとお役に立ちます。

参考URL:http://www.diyer.com/info/tools/sizechart.html

Q「ごきげんよう」の使用法

いつもお世話になっております。

今日、学生時代の友人と久しぶりに会った時、当時の学校での挨拶が話題になったのですが・・・
実を言うと、私が過ごした学校では、小等部から高等部まで一貫して、挨拶は「ごきげんよう」でした。

とにかく一日中「ごきげんよう」です。
朝に正門をくぐる時も、門に向かって「ごきげんよう」
朝の挨拶、帰りの挨拶、授業開始・終了も「ごきげんよう」
廊下ですれ違うシスターや先生、先輩方にも「ごきげんよう」
学校の往き返りはバス・電車通学でしたが、バスを降りる時も電車の改札口でも「ごきげんよう」・・・

12年間(幼稚園も含めると15年間)もの間、一日中「ごきげんよう」と言っていましたが、卒業してからはトンと使った覚えがありません。と言いますか、友人と言っていたのですが、使用法が分らないので(苦笑)使い様がありません。これだけ頻繁に色々な場面で「ごきげんよう」と言っていましたが、正式には一体、どんな場面でどの様に使用する挨拶なのでしょうか?

ちょっと、「ごきげんよう」を使ってもおかしくない年齢になってきたので、ここで一発、セレブな奥様への変身を試みているのですが(「一発」を使うところが、既にセレブではないのですが(苦笑))正しい使用法をご教示頂けたら幸いです。

何卒宜しくお願い申し上げます。

いつもお世話になっております。

今日、学生時代の友人と久しぶりに会った時、当時の学校での挨拶が話題になったのですが・・・
実を言うと、私が過ごした学校では、小等部から高等部まで一貫して、挨拶は「ごきげんよう」でした。

とにかく一日中「ごきげんよう」です。
朝に正門をくぐる時も、門に向かって「ごきげんよう」
朝の挨拶、帰りの挨拶、授業開始・終了も「ごきげんよう」
廊下ですれ違うシスターや先生、先輩方にも「ごきげんよう」
学校の往き返りはバス・電車通学でしたが、バスを降り...続きを読む

Aベストアンサー

「ごきげんよう」の「ごきげん」は「ご機嫌」で、「よう」は「良く」のウ音便。よって、意味は「ご機嫌よく」とうことになりますね。

出合ったとき(朝でも昼でも夜でも)、相手が不機嫌なら「ご機嫌よくなさっては」という意味になり、相手が普通もしくは機嫌がよさそう、調子がよさそうなら「ご機嫌がよろしくっていいですね」という意味になりますね。

別れのとき、相手に「ご機嫌よくお過ごしください」という意味になりますね。

ポイントは「挨拶とは言葉の省略形である」ということですね。

例)さようなら←左様ならお別れは仕方がありませんね、の省略形

Q釣った魚をリリースする事に抵抗があるのは私だけでしょうか?

釣り好きの方にはお叱りを受けるので読まないでください。

一度釣った魚を、「望んでいない魚、小さすぎる魚、釣れすぎていらないので戻す、あくまで釣る感覚を楽しむスポーツだから食べないので戻す」
などの理由でリリースしますが、私はこの事にとても違和感を覚えるのです。
人間の一時の楽しみだけの為に、魚(生命)を傷つけて、用済みになるとすぐ捨てているような感じがして。(そこらへんに捨てるよりは戻すほうがいいのかもしれませんが)
また釣堀などでリリースされた傷だらけの魚たちが及ぼすいろんな衛生上の不安や、極端に言えば生態系の歯車を狂わせたり、命をおもちゃみたく冒涜しているような気がしてならないのです。
アフリカかどこかで野生動物達をスポーツ感覚で密猟して楽しむような感じと似ているような気さえするのです。
じゃあリリースせずに食べさえすればいいのかと言いますと、私は少なくとも生命に対する感謝と礼儀にはなるような気がします。ちゃんとありがたく食べて、いただく事が食物連鎖の形なのではないかと・・。
私の考え方はおかしいでしょうか?

Aベストアンサー

どうも、釣りバカです。

とても健全な考え方だと思いますよ。私もその辺の事を訴えたくてHPを立ち上げたのですが(興味があったら私のHPのコラム#014等をご覧になってね♪)、目クラ滅法なキャッチ&リリース(以下C&R)が多いのが実情ですね。
実際に“純粋なスポーツ・フィッシング”を唱えているのであれば、もしくはC&Rのテーマである生態系の保護を目的としているのであれば、針は返しのないバーブレス・ネットはリリース専用のネットは当たり前ですが、魚体に触れない・速やかなリリースが求められます。が、多くの人間は残念ながら魚体に触れる(ギュッと握ってやがる、ネット越しに掴んでやがる)、ボシャンと放り投げて『リリース終了♪』といけしゃあしゃあと抜かす、ネットとバーブレスにしただけでキチンとC&Rをしたつもりになっている…サイテーですね。これを見て『いっその事一思いに殺してしまえ』と思うのは、あなたに心があるからです。

そもそもゲーム・フィッシングやC&Rと言っているなら“外道(狙っている以外のサカナ)”がいる事自体不自然です。さらに“このサカナは喰うから”“このサカナは喰わないから”という観点だけで保護しようとかリリースしようという考え方は実に傲慢で、ある意味危険な考え方です。
“喰う”“喰わない”で振り分けているという事は『生命に対して序列をつけている』ということで、たかだかサカナに序列をつける輩がもっと高尚とされている(個人的にはそれはどうかと思うが)人間を平等に見る事ができるか、といえば…甚だ疑問です。膝くらいの垣根を飛び越える事のできない人間が高飛びの世界記録は更新できない、というわけです。かなり哲学的なモノの見方ですが、自己都合だけで判断するのは常に同様な危険性を孕んでいます。
また“このサカナは喰わない=必要ない・要らない=手元に置いときたくない=捨てる”という感覚でリリースしている人達に“マトモなリリース”ができるわけがありません。

実はC&Rをマトモにしようとしたら、とても難しい事です。相当場数を重ね訓練を積まないとできることではありません。

反面“獲ったものは俺のもの、どんなに小さくても俺のもの”と大昔の習慣に従って釣りをしていたらたちまちサカナの絶対生存数は減ってしまうのが実情です。これは別に21世紀の現代に特別生まれた思想ではなく縄文期や北海道のアイヌの思想ではこの世のありとあらゆる物はカムイの化身とし、カムイは動物や植物やサカナの衣をかぶって人間の前に現れ、人間が食べていくだけの物を与える事を許している、と考えていました。カムイとは現代日本語の“神”の語源と言われていて、その思想の名残は秋田のマタギや宮崎・椎葉村のイノシシ猟など日本各地で伝承されています。
この思想の中では『むやみやたらに獲りすぎるとカムイ(山の神と表現される場合が多い)の罰が当たってそこにはカムイがいなくなる』と乱獲を厳に諌めています…縄文時代に既に環境破壊の危険性を諌めていたという事自体驚きです(文字のなかった縄文期の慣習は口承すなわち物語として語り継がれている;遠野の語り部など)が、このような観点から考えると21世紀の現代では何を釣るにせよC&Rを真摯に考えなければいけないという側面も持っています。

北海道のアイヌの“Aynu”という言葉は『人間』と紹介されていますが厳密に言うと『人間らしい人間』『カムイの教えに従う人間』を指していて、そうでない『獲れたものは俺のもの』とか『これは要るけどこれは要らない』と生命に序列をつけるような連中は“Wenpe(ウェンペ)”と呼ぶそうです。アイヌの世界観ではこの世はカムイと人間だけしか存在していないので釣れたサカナもカムイとなりますが、個人的にはなんちゃってC&Rを諌めカムイから“Aynu”と呼ばれるようなC&Rを心がけています。

本当は釣具メーカーや釣り具屋さんなどが率先して正しいC&Rを教えてくれればいいのですが、実のところ『釣具が売れれば何でもいいや』とどこをどう突いても“Wenpe”な連中ばかりで…困ったモンです。

長文、どうも失礼しました。

どうも、釣りバカです。

とても健全な考え方だと思いますよ。私もその辺の事を訴えたくてHPを立ち上げたのですが(興味があったら私のHPのコラム#014等をご覧になってね♪)、目クラ滅法なキャッチ&リリース(以下C&R)が多いのが実情ですね。
実際に“純粋なスポーツ・フィッシング”を唱えているのであれば、もしくはC&Rのテーマである生態系の保護を目的としているのであれば、針は返しのないバーブレス・ネットはリリース専用のネットは当たり前ですが、魚体に触れない・速やかなリリースが求...続きを読む

Q友達の親の訃報メール

こんにちわ。
先ほど、仲の良い友達から父親が亡くなったとメールが来ました。
当たり前ですけど、文面は重々しく、どのように返信すれば友達に対して失礼でないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問者の年齢がわかりませんので、当たり障りのない文面になるかもしれませんが・・・
メールでとりあえず返信し、改めてお葬式の時に電報等でお悔やみするのが良いかと思います。
メールでは、「お父様がお亡くなりになり、さぞやお心落としのことでしょう。暫くは大変でしょうが、お疲れにならないようご自愛ください。また、私でお役に立つなら何なりともお申し付けください。」等の主旨を伝え、「お葬式の時には、定例文になると思いますが、可能ならば、心のこもった文面にしてお届けする」ようにすれば失礼ではないと思います。

Q「充分」と「十分」の使い分け教えてください

題名のとおりですが、どう使い分けるのか知りたいです。

たとえば、「私はじゅうぶん満足した」のときは、十分でいいんですよね???

どちらをどう使い分けるのか教えてください。

Aベストアンサー

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
 ・漢字の学習の底が浅く安易になった、即ち本来の意味に注意を払わない。
☆この二つの文字の違いは何か?
【十】:1・2・・・・・・と来て数が満ちる。
  原意:古代に枝や縄の結節で数字を示した方法の延長が現在の字形。
     九が数の窮まった値として縁起よく、重視されてきた。
     更に9+1は十分大きい ⇒ 数が足りている状態。 
  ☆数詞、段階を踏むデジタルな思想です。
【充】:満ちる、満たす、余すところなく、担当する、埋める。
  原意:長い、高い から 成長した大人、肥満、肥大、振る舞う、 
     などを意味するようになり、現在に至っています ⇒ 充ちる(満ちる)。
  ☆基本は動詞、切れ目なく満ちる、満たす、果たす、アナログ的思想です。
【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。
  【十分】の発音はshi2fen1   【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。
  【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 

さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。
 ・単純に量的に満たされたならば【十分】。
 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。
    としたいところです。
  
【充】については以下の用法で感覚をつかんで下さい。
 充電・充填・充足・充実・充溢・充血・充ちる(潮が、悪意に、月が、刑期がetc)
ついでに、
  「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。

いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
...続きを読む

Q「いつか」と意味 「いづれ」と「いずれ」

「いつか」と意味では、
「いづれ」と「いずれ」はどちらが正しいですか?

Aベストアンサー

(意味)
「いつか」は、不特定ながらもある定点を意味するポイント指定。
「いずれ」は、過去の懐古の場合もあるが、通常は今後の不特定時(ポイント)か漠然の範囲(アバウト)の意味。

(文字)
「いずれ」と書くことが、「公用文用字用語例集」で示されています。
「いづれ」は、公用文には失格ですが、個人の使用や文学作品などで使うことは自由です。
  

QFacebook メッセンジャー

メッセンジャーで、ウェーブが届きました。と来たのですが、これは何の意味でしょうか?
私を選択して送られてるものなのでしょうか?

Aベストアンサー

Poke機能というのはわかりますか? 肩をちょっちょっとつついて「元気?」みたいに簡単な挨拶をする機能です。
Wave(ウエーブ)とは、このpokeと携帯のGPS機能の合わせ技で、時間的に近い距離にいる友達に対して「近くだよ。元気?」みたいな挨拶をする機能です。Waveが来ることで、じゃあ、今から合おうかみたいなこともできるのではと言われています。

>私を選択して送られてるものなのでしょうか?
個人ではなく、物理的な距離の近さによって出てくるようです。どのぐらいの距離の近さに設定しているか詳細はわかりませんが。


人気Q&Aランキング