お酒好きのおしりトラブル対策とは

こんばんは。

最近、色々な人の意見を聞いて思うのですが
「こんな事は昔の貧しい時代から比べれば贅沢な事だ」
「どん底生活になればそんな事が馬鹿馬鹿しく感じるよ」
「生きるのに一生懸命な人がいるのに何て贅沢な事を言うんだ!」
と言う様なコメントをしばしば目にします。
この様なコメントを見ていると、どうもこの類の発言をしている人達は今の「豊な(物質的な)社会」を嫌っているように感じます。
確かに前時代では有り得ない事が今の世の中では多々起きると思います。(昨今話題になっている新型うつ病等)
しかしそれ故に現在の社会を否定するのはどうにも解せません。
我々の世界は刻一刻と変化している筈なのにそれに対して柔軟に対応せずに未だに精神論まがいの事を振りかざすのはどうなんでしょうか。
第一、現在の社会を否定するならばそれを作ろうと必死になっていた前時代の人々の努力をも否定する事にならないのでしょうか?
(いや、もちろんこの程度の事しか考えられない私の浅はかな感性については申し訳ないと言わざるを得ませんが)

この様な発言をする人達は一体何を伝えたいのでしょうか?
ご意見等ありましたらお寄せ頂ければ光栄です。(もちろん上記の様な考えの方、大歓迎です)

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (12件中1~10件)

こんにちは。


携帯電話っていうのはとっても便利なツールですよね。
しかも使い方が思った以上のものが有ると思います。

しかし、マナー重視という理由で、公共の場所などで、自粛という場面に出くわすことがあります。
これは個々人がではなく、社会が進歩を止めている?のでしょうか。
携帯電話に関してはもっと不思議なこともあります。
>現在の社会を否定するならばそれを作ろうと必死になっていた前時代の人々の努力をも否定する事にならないのでしょうか?
あなたはこう仰ってられますね。
携帯電話を小さくしていったメーカー(技術者さんたち)の努力は、ストラップ等を大量にくっつけたことで雲散霧消。

おそらくはこういうレベルで理解されればいいのではないのでしょうかねえ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ははぁ。なるほど。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/28 16:14

精神論=前時代的な根性論のことを言いたかったのですかね??


自分は建設業で安全課を担当しています。安全を守る仕事をしています。そういう意味では指導する立場なのですが、人は要領を得たがるものですから、安全そっちのけで作業する作業員さんも多いですよ。そんな時に実際ギャーギャー前時代的な根性論を展開することも可能ではある(刑法にも似た罰則規定付きの法律もありますから頭ごなしも可能という意味です)んですが、それでは人はついてこないんです。安全そっちのけで作業をして死亡したり大怪我をしたりした例を身近に感じるように話をして、その人の心に浸透させていかないと自然に安全を守った作業ができる作業員に育たないんです。(もちろん、繰り返し話をしないと浸透していきません)
まぁそんな目から見たら前時代的根性論やそれに似た精神論を振りかざす御仁もまだまだ見かけはしますが、自分の心の中ではガキ扱いになってしまいますね。根性論を自分の盾に都合を言っているだけに過ぎないんですよ。あなたが言うようにその方の頑張りすらも否定しかねない事ではありますね。

まぁ、前時代的な生活をストイックに行う事についてはその人たちの自由ですし自分も否定はしたくありません。少なくとも情報量が一個人に対して以上に過多な現代において、情報に溺れることはないでしょうしね。(そういう意味では自分という芯を確立しやすい側面もあります)個人の内面には効果があるのですがコミュニケーションをとる時点で欠点もあるので諸刃の剣ではありますけどね。

CADの話は例えばEXCELで表を作るたとえ話の方が良かったですね。表計算ソフトのおかげで便利になったけれど昔は作業性4に対し与えられる仕事は5でした。今は作業性2に対し与えられる仕事は与える方も利便性を感じて、できるはずだと11以上を与えてるという事を言いたかったんですよ。(仕事量は増えていますよね)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うん・・・えーと・・・何が仰りたいのか?

お礼日時:2009/10/28 16:15

#1ですが、お礼の例を拝見しました。

その例は、単に会話がかみ合っていないだけですね。背景として、A君が説明不足であるとか、B君がその社会問題を理解していないとかいうことも考えられます。

人々が生きるのに必死で、非正規社員が増えることに目を向けていなかったからこそ、今後、生きるのに必死な人がますます増えそうで、社会問題になっているわけですからね。
    • good
    • 0

>この様なコメントを見ていると、どうもこの類の発言をしている人達は今の「豊な(物質的な)社会」を嫌っているように感じます。



タブン、私は、あなたにそのようなことを言うほうの人間でしょう。
おばちゃんですし、すでに50をいくつも超えている。
子供のころはラジオしかなかったし、
家に、水道はなかった。
冷蔵庫はあっても、「氷冷蔵庫」。
ガスは来てないし、石油コンロで煮炊きするのが最先端でした。
朝から、ご飯を食べるのに、なんだか家中が石油くさいのね。

タダ、わかっていただきたいのは、「今の贅沢を嫌っている」わけではないです。

>確かに前時代では有り得ない事が今の世の中では多々起きると思います。(昨今話題になっている新型うつ病等)
しかしそれ故に現在の社会を否定するのはどうにも解せません。

ウーン、メタボなどはなかったですよね、病気で言えばです。
何しろ、ケーキなども、普通のうちでも、お誕生日とクリスマス?ぐらいです。
お菓子一般だって、遠足とか。

その代わり、下水道が完備されてないから、消化器系の感染症がやたらに多くて、赤痢などは毎年の夏の病気。 今なら、冬のインフルエンザと同じぐらいにスタンダード?でしたし。

交通事故ももちろんないから、年間1万の事故死はない。

【第一、現在の社会を否定するならばそれを作ろうと必死になっていた前時代の人々の努力をも否定する事】

そういうことではなくて、今現在の「贅沢」というのは
砂上の楼閣なんだと知った上での「君たちは甘い、贅沢だよ」ということではないかと。

携帯がないと今の人は生活できないでしょう?
外で待ち合わせもできない。
メールの連絡ができないと・・・ですが、私は携帯を持ってません。
必要ないから。
更に、tvはありますが、ほとんどまったくみない。
地デジになったら、新しいのは買わない。

でも、携帯がないと生活できない、どうやって待ち合わせをするのかわからない、tvがないと時間をつぶせない。
こういう、不満などは「物があるからの不満」

たとえば、停電になれば、ほとんどのものがうごかない。

そのときにできることを、何とかすることが
【「どん底生活になればそんな事が馬鹿馬鹿しく感じるよ」】
というような発言につながると思う。
いいものをもっていても、うごかない。
うごかないものをもっていても、役に立たない。

もっと、シンプルに生きていくと、わかってくることがたくさんあります。
その上で、便利さを享受して、ありがたく思うことで、必要のない
欲望を刺激されることもない。

今年、私は冷房を自宅では使ってません。(東京、城南地区での話)
職場では冷房の室内にいますが。
こどもたちは勝手に自室で使ってますが、私の居住空間では使わない。
暑いです。
でも、これが普通に40年前ぐらいの日本の生活です。

火から起こせとは言いませんが、なくてもいいもの、ないと不便だが
なくても生活できる自分を確認しておくのも「たのしい」自分の
可能性です。
人に、強要はしません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そう言う意見も在るのかしら、と。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/28 16:12

>こんな事は昔の貧しい時代から比べれば贅沢な事だ


過去の出来事と現在の出来事を比較するのも、現状認識の一つの良い手段だと思います。しかし、そればかりではいけないと思います。あくまで、現状を客観視する一つの手段と考えます。
>どん底生活になればそんな事が馬鹿馬鹿しく感じるよ
>生きるのに一生懸命な人がいるのに何て贅沢な事を言うんだ
私たちは地球に生きていて、今こうして生活できるのは、世界の人々と交流があるからだと私は考えます。例えば、食べものはすべて日本産ではなく外国産であったり、身の回りの物もすべて日本産というわけではありません。生活に必要なエネルギーも海外からの輸入が多いです。したがって、日本の中の自分でなく、世界の中の自分という視点で見ることが大切だと私は感じます。
そのような視点で自分を見たとき、私は今の生活に感謝します。世界では生きたくても生きることができない人々がいる中、自分はある目標をもち、それに向っていけることが満足にできる環境にいるのです。ある程度やりたいことが自由にできる環境で生活できるのはありがたいと思います。
ただ、やはり色々な考えがあっていいと思います。こういう場で意見を交換し合ったりするのはいいことだと思います。
質問者様の質問内容の回答になってないかもしれません、すいません。
お互いがんばりましょう!!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですねと、在り来りの賛同くらいしかできません。私には。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/28 16:13

 最初に現状を否定しているのは、おそらくその回答を受ける質問をした人でしょう。

「今の自分の状況は最低です」とか。

 それに対して「いや、もっとひどい状態だってあるんだ。まだ最低じゃない」といってるだけでは。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

はぁ。まぁ、そうなんじゃないでしょうか。

お礼日時:2009/10/28 16:14

そういうことを言う人たちは、当人たちが若かった頃、


きっと年寄り連中に同じことを言われたのだと思います。
そして、その年寄り連中も、若い頃きっと・・・

もしくは、戦争があった頃は「贅沢は敵だ」という言葉があったそうです。(私は若いので知りませんが)
そんな言葉で洗脳されて育てば、「華美を嫌うことこそが美徳」というような価値観の持ち主になるでしょう。

ところで、「『贅沢』って一体何だろう?」と思いました。
調べてみると、「贅沢」とは、「必要以上に物や金を使うこと」ということだそうです。

その贅沢によって、無駄な浪費が発生していたり、精神的なだらしなさにつながっていたりしたら、
その贅沢な行為は、大いに戒められるべきでしょう。

しかし、物質的な贅沢が、その人の精神的な豊かさに寄与していれば、「必要な贅沢」だとも言えそうです。
人は精神的豊かさを追及するために生きているはずなので、そのために物質的豊かさを利用してもいいと思います。

勘違いをしてはいけないのが、「物質的豊かさの追及」イコール「精神的豊かさ」ではないということでしょう。
質問者さんが挙げられたように、昔より物質的に豊かになったはずの現代で、心の病が増加しています。

贅沢を戒めようとする人の主張を良い方向に解釈するとすれば、「質素にもメリットがある」ということでしょう。
    • good
    • 0

みんなそうでしょうね。


みんな昔からそんなことを口にしてきたのだと思いますよ。
まあ、もちろん時代によってシチュエーションは様々でしょうが。

ピラミッドでしたっけね、その中のどこかに「近頃の若い者は…」とか言う、文字か書いてあるって、何かで読んだ覚えがあります。変わらないんですね、経験者(年長者)の見解と未経験者の(何?)っていう感覚は。

本気でその人のためを思って、全身全霊で何かを伝えたい人もいるでしょうが、一日の長というやつで、格好つけて一言言いたいだけの人もいるでしょう。
だから、首を傾げたくなるような無茶な論理もあるでしょうし、屁の突っ張りにもならない精神論もあるでしょう。が、中には本当の経験から生まれた、ためになる話もあると思います。
これを見分けるのは難しいと思います。なぜなら人は成長するからです。昨日の自分と今日の自分は違ってしまうこともあります。
成長というと言葉はいいですが、時として長いものに巻かれ、自分の立場を鑑みて嫌々ながらも丸め込まれ、それでも自分であろうとしながら、どこかで妥協してたりするからです。
時の流れでぶれない何かを自分の尺度として持つ、これがなければ、難しいです。

精神論というと気分が良くありません。「運動中は水を飲むな」を思い出します。
あれは精神論ではなかったのかな、とも思いますが、何かそんな臭いプンプンがしますよね。
ウサギ跳びと並んで、今では馬鹿げた、それこそ、やってはいけないことになっています。

それでもなお、自分を律するのは精神なんだな、と思います。でもそれは、人から教わるものでもないような気がします。
それは年長者はいろんなことを言いますよ。でも、いちいち正面から捉えていたら疲れると思いますよ。

何か、質問から外れていったような気がします。ご容赦を。
    • good
    • 0

私が感じるだけかもしれませんが、


彼らは、現在の社会を否定しているのではなく、
世の中には、もっと絶対的、根源的に辛いことがあり、
それに比べたら、あなたがいう辛さは大したことはないという
意味ではないでしょうか。

そういわれて、憤慨するあなたの気持ちもわからなくはないです。
おそらく、あなたはまだ若い方なのかなと思います(悪い意味ではく)。

私が学生時代だった頃、やはり辛いことがありました。
それは、その当時は相当辛いことで、どうしても越えられないことでした。
そういうときに、主に親から、そういう類のことを言われて、かなり
頭にきた記憶があります。

年齢を重ねるに従って、どうしようもない、もっと辛い体験をすると、
その度毎に、我慢したりあきらめたりして、
当時の辛さの小ささがわかるようには、確かになりました。

しかし、ただそれだけではなく、行動半径が広がるにつれ、
幼少の頃に、貧しく暗くさもしい家庭に生まれて、人間的な生活を送れなかったとか、
周りの人で、辛い病気で罹患して苦しみ続けているとか、
自分は全く悪くないのに、事件や事故に巻き込まれて
長い間不遇だとか、
小さい頃に親に幼児虐待されて心の傷を一生背負っているとか、
借金地獄に陥って体を売って生活しているとか、
そういう、救いようのない話が身近に実際に存在するのを、
知ってしまうのです。
そして、歳を経るに従って、それがどれほど辛いことか、
そして、多少色々あっても、普通に生活できることが、
どれほどありがたいことかというのが、
だんだんわかってしまうのではないでしょうか。

そういう見地に立つと、若い人の悩みに対し、
「それぐらい・・・」というコメントを附してしまうのではないでしょうか。
また、そういうコメントを心の中で呟くことで、今のありがたさを
自分なりに心の中に焼きなおしているのだと思います。
おそらく、言っている本人に悪気はないのだと思います。

だからといって、こういうコメントを聞いて
あなたの辛さが解消されるはずもないので、
そういうふうに言う人に対しては、
ただ聞き流しとけばいいのではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ただただ嘆息。それだけです。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/28 16:08

どうしても人というのは話す相手の年齢を基準にしがちです。

若い人に言おうとすれば、「自分たちの時代は君らの年代ではこういうことを我慢しなければならなかった」なんて言い方になりますよね。(そういう意味ではアナクロニズムと言うべきではありますね)
自分は建設会社に勤めていますが、年齢のいった方がCAD作業を見て、自分らはドラフターで鉛筆で徹夜して書いたものだと言っている風景を見て笑いをこらえてしまいます。CAD化して量的にも質的にも求められるものは格段に上がってしまいました。それに対して相も変わらず時間に窮しているのが図面作業の現状です。(おそらく今の注文をドラフターに鉛筆では一日48時間は必要でしょう。また、質的な向上が現場と乖離しかかっているという皮肉な話もあったりしますね)

自分の場合は若い人に言うときはこういう言い方をします。
例えば、「今は踏めば開くドア、湯を注げば数分でできる食糧、調べようと思ったらSW入れて数分で済む作業。これが人の心にも適用しがちではあります。ところが人の心は即物的ではないですから、そこに矛盾が生じます。」等ですね。表現としてここまでかなと思います。これ以上アナクロっぽく戻れば若い人は理解不可能じゃないかと思います。
現実存在する以上、便利さを否定はできないんです。また、現実あるものがない不便を若い人たちは実感できないんです。実感できない方法で教えても無駄な講釈に過ぎないんです。

但し、自分に言わせれば今の世代には今の世代用の精神論はあって然るべきです。精神論も時代に即して変わっていくべきなんですよ。精神論と言うとアナクロニストというレッテルを張るようでは、精神論の時代変化を否定していることだと思いますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

なるほど。話し相手と同じ頃の自分を重ね合わせて発言している訳ですか。
確かにそうすると時代のギャップが生じるのでおかしな事になるかもしれませんね。

世代に即した精神論と言われましても・・・??
精神論ですから非現実的な論理ですよね?あれ?そうですよね?
うーん・・・時代に即したと言われましても。
出来ればその辺も具体的に教えて頂けるとうれしいです。

(あ、いやこれは関係ないんですけど、具体例があまりにも専門的過ぎて・・・いや決してそんな事はないんですが・・・いやちょっと難しいですよね。私自身は建設現場に居ないのでCADとか・・・ああ、いや何でもないです。お気を悪くされたら失礼。)

お礼日時:2008/08/11 23:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング